第193話 最終調整
レンディアナが百鬼夜行の剣となり、炎竜の竜門から帰ってくると、時刻は15時を回っていた。
シュレラム聖堂で小休憩を取った後は、アニマ達が捕らえていたという人間たちの様子を見に行く予定だ。
「そういえば……レンドウのお母さんと話して思ったんだけど。もしかして、レンドウが白髪好きなのって……」
突然カーリーがそんなことを言い出すものだから、素直に身体を休められなくなるじゃないか。
「……もしかして、マザコン疑惑でも掛けようとしてるのか? 勘弁してくれ……」
記憶を取り戻した今なら自信を持って断言できるが、俺は家族にべったりなタイプではなかったぞ。
そもそも義両親は共にこの地、ラ・アニマを管理していた訳で、物心ついた頃にはもう≪翼同盟≫の街に移り住んでいた俺とは、会う機会すらあまりなかった。
義父の父親である族長のジジイにしたって、俺との関係を隠していた訳だしな。
俺が族長の孫であるということを隠されていたのは、幼い俺が増長するのを防ぐためだったらしいが。
いや、でも子供の頃の俺は好青年(好少年?)だと評判だったんだし、明かしてしまって良かった気もするが……。
まァ、そこら辺は色々あんのか。俺は良かったとしても、それを明かすことで周囲の子供たちからの俺を見る目が変わっちまった可能性はあるしな。
結局俺は自分がジジイの孫であるということを知らないまま、クレアと共にジジイの家で育った。
何をやっても他の子どもたちより優れていた、俺の黄金時代……あまりそういうことを考えるもんじゃないか。
別に今が特段不幸という訳でもないし……いや、同族の一部との殺し合いが明後日に控えているのは掛け値なしに不幸か。
「あ、僕もそれ気になってた。レンドウって、散々「白にはいい思い出が無い」とか言ってさんざん僕を敵視してくれてたよね?」
レイスの言葉に回想を打ち消され、現実に引き戻される。
「いや、別にそれは嘘だった訳じゃねェよ。俺にとって白ってのは気分のいい色じゃなかったんだ。お袋が白髪なのだって、身体が弱いせいだしな」
アニマにとって、白は不吉。
人間にとって、黒は不吉。
二つの世界を股にかけて、そんな常識なんてとうに崩れ去ったよ。
くだらない先入観は捨てて、その相手が自分にとっていい相手か、悪い相手かをフラットに判断するべきなんだ。切り捨てた後で後悔しないように。そうだろう?
「――そんなことより、そろそろ人間の様子を見に行くぞ!」
強引に話を打ち切って、立ち上がる。
自分がマザコンだとはちっとも思わないが、そういう疑いを掛けられるとなんだかそれだけで恥ずかしくて、顔が熱くなるよな。なんなんだろうなこれ。
疲労感が完全に抜けたとは言えないが、夜にはたっぷり寝れるはずだし、もう少し頑張ろう。
人間たちが捕らえられていたのは、平たく長い倉庫だった。
28人という、想像を超える被害者数になっていることには驚いた。
どうも、周辺の街道を移動中のキャラバンを、3組ほども襲撃したらしい。
護衛役の剣士も混じっていたのか、がたいのいい男たちも見受けられる。だが、その誰もがアニマの相手にはなれなかったみたいだな。
大量の人間が被害にあっていることは申し訳なく思うが、同時にある意味ではラッキーだった。
一人あたりの血液の搾取量が少なく、誰一人として肉体の健康には異常をきたしていなかったためだ。
恐らくジジイをはじめとする穏健派が、人間に手荒な真似をする輩が出ないように手を尽くした結果だろう。
残念ながら、昨夜に里の中で起きていた戦闘音が人間たちにも聴こえていたようで、精神状態に関してはあまり良好だったとは言えないが。
いや、そもそも突然拉致された身で元気で居続けられる筈もないが。
だが、対話は上手くいった。
同じ人間であるダクトとアシュリーが前に立ってくれたのが大きかったな。ダクト本人はともかくとして、本代家にはネームバリューがあるし。
なので、人間たちへの会話は主にその二人に担当してもらった。
今起きているゴタゴタが終わり次第、ここにいるレンドウという少年が新しい族長になる。
その時には、ここにいる全ての人間を解放できるようにすると。そう約束した。
俺としては今すぐ解放してやりたいところだが、それだと里のアニマ達の食事が賄えなくなるのも事実。
人間界からの血液の提供が断たれたアニマは、大昔のように人間を襲うしかなくなる。
そうならないようにするためには、一先ず捕まっていた人間たちには現状のまま血液を提供して貰い続け、早々にアラロマフ・ドールとの関係を修復するしかない。
安定した血液の供給が成されて、ようやくここの人間たちを解放することができる。
もしアラロマフ・ドールがどうにもならないのであれば、代わりに他の国と国交を結ぶでもいいんだが……。
工業国家デルとかはどうだろう。あそこは悪い話も聞かない国だし……などと朧げに考えているが、正直今はルノードとの決戦以外に頭を割く余裕は無い。
そこら辺は未来の俺に期待しよう。
そもそもこんなガキにどこまで族長としての仕事が務まるかは疑問だし、やることをやったらさっさと別の誰かに族長の座を譲り渡して出ていきたいところだ。
クラウディオと一緒に、吸血鬼の創造主を探す旅に出る予定もあることだしな。
時刻が17時を過ぎた頃。
レイスとアシュリーが主導となって、捕らわれていた人間たちのために料理を作っている。
ラ・アニマの外に待たせていた馬を連れて来たんだな。確かに、あそこには鍋などの調理器具や食材も積んでいた。
「そんなに沢山飯が必要なのか?」と疑問に思った日もあったが、実際こうして必要になったことだし、また一つレイスを尊敬する理由が増えそうだ。
どうも、大鍋にあるだけの食材をブチ込んで、何日分もの料理を作ってからここを発つつもりらしい。
俺からジジイに頼んで、アシュリーとダクトの引率の元であれば、人間たちには自由に里内を歩き回っていいと許しをもらっている。
その関係か、肉体・精神面共に良好な5人程が「自分も料理を手伝う」と申し出たみたいだ。
なんとかここで人間とアニマを上手いこと交流させて、後の世の中に好影響を与えたいところだが……俺はそういう所にはいまいち頭が回らないからな。
悪化させちまうだけに終わる気もするし、手を出すのはやめておこう。
……アニマと人間が、同じ鍋をつつければまだ良かったんだなァ。
いや、最近の俺の食生活を考えれば、アニマも人間と同じ食事を摂ることが出来るのは分かるんだが。
それを美味しいと感じるまでには慣れが必要だし、結局そればかりで血液を長期間摂取しなければ、精神的にまいってしまうだろう。
人間とアニマの間に真の平和が訪れるには、アニマ側に“幼年期から人間と同じ食生活を義務付ける”必要がある……?
……以前の俺であったなら、「どうしてアニマ側だけが犠牲になって、人間に合わせなきゃなんねェんだよ!」とキレていそうだ。
だが、今ではこう思う。
その我慢で人間との平和が成せるなら、目指さない意味はないんじゃないか? と。
牙を持った種族が、圧倒的に力で劣る種族と仲良くするためには……牙を折ることを視野に入れるというのも、そうおかしい話では無いんじゃないか。
……この考え方の変化は、なまじ人間社会で暮らしたからこそ生まれたものなのだろうか?
だとすれば、俺は人間たちに洗脳されたと言えるのかもしれない。教育と洗脳は紙一重……ええい、今はそれはいい。
ヴァリアー副局長アドラス。全部あんたの計画通りなのか?
アニマであるアルフレートと俺を引き込み、人間の世界を尊ぶように仕向けることが、あんたの計画だったのか。
いや、もしかすると……ヴァリアーが抱え込んだ魔人は全て……?
今までは何となく訊けずにいたが、レイスやリバイアがヴァリアーに来る以前にどこでどういう生活をしていたのか、ちゃんと聞いておくべきかもしれないな。
余計なところまで脱線しかけた考えを振り払うように、頭を振る。
「どうした? 具合悪ぃのか?」
そう言いながら俺の隣に立ったダクト。
「いや、別にそういう訳じゃ。……お前も人間だから、料理組に混じるべきなんじゃねェの?」
「何でも出来過ぎても嫌味だろ。俺は戦闘担当で、一生料理はできない男として生きてくって決めてる」
この世にはそんな言い訳の仕方もあるのか。
……そうだ、こいつは人間だけど、文句なしに信用できる。
ヴァリアーという組織にしがらみを持たない人間だからだ。
「ダクト、お前……レイスにはあんなことを言ってたけど……」
「あんなことって?」
とぼけたように聞き返してくるダクト。
「最終的には誰とでも仲良くなれるはずだって考えは甘ちゃんすぎる、みたいなやつだよ」
「あぁ」
「……じゃあ、昨日の戦いでお前がアニマ達を圧倒した時、誰一人として殺さなかったのはどういう訳なんだ?」
問うと、別にダクトは痛い所を突かれたという顔はしなかった。
「その反論が、レイス本人から出てくりゃあよかったんだけどな」
むしろ、自分の理論にも穴があることに気付いていたかのような。
「そりゃあ……レイスと話してる時……結局俺も、俺自身に都合のいい言葉を並べてた部分もあるってことさ。……俺はほら、あんまり自分の間違いを自分で大っぴらに言うタイプじゃないだろ」
「はァ……」
「あの初戦では、そうだな。俺は黒騎士どもを試しちまってた。今だから言えることだが、あれは間違いだった。これからのことを考えれば、全員殺しておくべきだったと思ってる」
顔色を変えないまま、そんなことをしれっと言ってのけるダクト。
命の価値を分かっていない訳じゃない。他人を殺すということがどういうことなのか。それを俺以上に熟知している少年は、しかし平然と恐ろしいことを言う。
「いや……そうとも限らねェだろ。俺達が向こうの誰一人として殺さなかったからこそ、ルノードは俺達を見逃したのかもしれない」
言いながら、そうに違いないと思う。
あの場には、間違いなく「レンドウらを殺すべきだ」と主張する奴がいたはずだ。
それでも俺達全員が殺されずに済んだのは……間違いなく、鶴の一声があったからだろう。
今回ばかりは、ダクトにも甘さが残っていたことが俺達の命を救ったんだ。
「そういう考えもできるな。だけど……次はそうはならねぇ。エイリアでは、俺は躊躇なく殺すぞ」
「…………」
「誰も死なない戦争になんて、なるわけねぇ。何人もの隊員が死ぬだろう。……人殺しのアニマには、俺は一切容赦しねぇ」
「……あァ」
そこが、ダクトのラインなんだな。
いや、俺もそう思う。わかるよ。
一度でも人を殺したアニマが、人間社会から受け入れられることは二度とない。
人間が人間を殺すのとは訳が違う。
罪だとか、償えるか償えないかじゃない。
人間を殺した時点で、処理が必要な、危険な害獣だと見做されるんだ。
俺が族長として考えるべきことは、これからの世の中でのアニマという種族の立ち位置だ。
如何にして同族が人間に対して牙を剥かず、人間が同族に対して刃を向けないように取り計らっていくのか。
それだけが俺の考えるべきことだ。
人殺しのアニマを匿うようなことは、同族全体を危機に晒す。
――例えそれが姉であったとしても、救い上げることは叶わない。