第191話 記憶
そうだ、俺は。
……………………元々、割とこういうやつだったんじゃないか。
「はは……」
立ち上がって、いつの間にか頬を伝っていた涙を袖で拭う。
嬉し涙だった。
そりゃ、自分を強く見せるために俺様キャラを演じるようになったことを初め、記憶を失う前と同一の人生を歩んできたとは言えないけど。
家族と仲間が大好きで、皆からも好かれていて。不安なことも沢山あるけど、いつだって今日を精一杯生きてきた。
記憶を取り戻すことで、9年前から今日までの俺が消えてしまうような事態にならなかったことが、何より嬉しかったんだ。
……記憶と共に失ってしまった絆もある。
だけど、それはこれから取り戻していけばいい。
フェリスとも……いや、マリーとも前より上手くやれるはずだ。
なにせ、昔は両想いだったんだろうから。
……いや、今は別に想い人がいるし。浮気とか絶対しないけどな。うん。
それより、思い出した記憶のおかげで解ったことがある。
9年前の、サンスタード帝国とアラロマフ・ドールの連合軍との戦争の際。
俺とゲイルは、ドールの人間に接触を受けていた。
翼同盟の街から程近い森の中で、薪拾いの最中に出会った少女。
確か俺と同世代で……灰色の髪に、青い瞳をしていたと思う。
名前は確か……ロ……ロウ……ちょっとロウラに似ていた気はするな。伸ばし棒も入っていた気がするが……まぁ、思い出せないもんは仕方ない。
新しく集落を拓ける場所がないかと、森に調査に訪れていた人間の集団。自分はその一行からはぐれてしまった迷子なのだと、その少女は説明したが……。
今にして思えば、その人間の集団こそが斥候だったのだろう。
同時期にはアルフレートに対し、現ヴァリアー副局長のアドラスが接触していたらしいし。
少女もアドラスも、その集団の一員だったと見ていいだろう。
少女が何を考えて俺とゲイルに接触したのかは分からないが……。
だが、御眼鏡に適えなかった可能性はあるな。
アドラスの方は熱心にアルを勧誘し、結局口説き落とすことに成功した訳だし。
だけど、アルの口ぶりでは……少なくともアドラスは、アニマと吸血鬼が滅ぶことを嫌がっていたはずなんだ。
結局戦いの火蓋は切られ、大勢が命を落としちまった訳だが。アニマの族長候補だった親父の兄貴も、吸血鬼側の貴族だったというアンリの母親も。
――そうだ。「無統治王国の予定とは違い、結局は帝国主導によるいつも通りの魔人狩りとなった訳だが……」と、アルはそう言っていたな。
なら、あの少女は帝国陣営だったのかもしれないな。
それに気づいたからといって、別に恨みを晴らしに行こうとか思わないけど。このご時世だ、向こうだってもう死んでる可能性すらあるしな。
過去のことは、今はいいか。
エイリアでの最終決戦が終わって、お互い生きてたら副局長アドラスに色々と訊こう。
この部屋に下りる際に通った、頭上の大穴を見上げる。
ここから20メートル以上は距離がありそうだが……。
今の俺の力なら、もしかしてジャンプすればいけるか?
あながち不可能とも思えないので試してみたい気持ちはあるが、無理をすれば足の骨が折れるだろうな、とも思う。
折れても治せはするだろうけど、普通に痛いからな。痛いのは好きじゃない。
どうすべきか思案していると、大穴の向こうが騒がしくなった。
「レンドーウっ! 大丈夫ー?」
このどこか間の抜けた、緊張感の足りない声はレイスで間違いないな。
どうやって竜門の中に入ったんだ?
アイルバトスさんが開けた……のだろうか。
「大丈夫だ! ちょっと、どうやって上に戻ろうか考えるとこだから! 落ちたら危ねェからあんまり穴に近づくなよ!」
レイスなら大丈夫そうな気もするし、その方が楽しくなりそうだからいっそのこと落ちてこいと思わなくもないが、他にも仲間たちがいることを想定して警告しておく。
すると、大穴からひょっこりと顔を出した人物が一名。
一瞬ヒヤッとするも、杞憂だった。それがアイルバトスさんだと分かったからだ。
「あぁ、レンドウ君。そこを動かないでくれ……すぐに引き上げるよ」
「了解です、お願いします!」
どういった方法で引き上げてくれるつもりなのかは分からないけど、この人は俺を手荒に扱ったりしないだろう。ダクトじゃあるまいし。
と、足元からひんやりとした冷気が立ち上っていることに気付く。
と同時に、足元の摩擦が急激に失われ、滑って転びそうになる。
それもそのはずだ。俺の周囲が氷に覆われて、そのまま持ち上がり始めた。
――地面から氷の柱を屹立させて、俺を上まで運ぶつもりなんだな!
きっと、この人なら一瞬でそれだけの大きさの柱を立てることも、その先端を鋭利にすることも可能だろう。
だが、それはどこまでも快適だった。ちょっと手がひんやりするくらいだ。
転びかけた俺の身体が落下しないように、わざわざ壁まで張ってくれている。
俺は氷でできた円柱の内部に格納されているんだ。
至れり尽くせりだな。尻もちをつきかけた状態で背後の氷の壁に手をあてて身を支えている。そんな不格好な姿勢で、俺は大穴を抜けて上の階へと到着した。
「あー……どうも皆さん。皆のレンドウ君ですよっと」
情けない恰好を誤魔化すためか、茶化した挨拶をかましてしまった。
そこには親父、アイルバトスさん、ナージア、ダクト、ジェット、レイス、カーリー、アシュリー、クラウディオ……この場に同行した仲間たち全員が待っていた。
大穴を埋めるように屹立した柱から、俺を囲っていた外壁部分が溶ける様に消えた。
「特に問題は無さそう?」
「レンドウ、私のことちゃんと覚えてる?」
「戦い方をもっかい教えるハメになんねぇだろうな」
レイス、カーリー、ダクトらの質問攻めに苦笑しながら、氷の上から這い出る。
「身体は何も問題ねェよ。むしろ緋翼を取り込みまくってお腹いっぱい、力が有り余すぎてるって感じだ。あと、記憶は取り戻したけどさ、今日までの俺を忘れる訳じゃねェって。さっきも言ったろ?」
気持ち的にはぴょんと飛び降りたいところだが、それで転んではどうしようもないので、多少ダサくてもハイハイを選ぶね、俺は。
「なーんも問題なし! ぜェーんぶ上手く行ったぜ?」
そう言いながら起き上がり、心配そうに俺の顔を覗き込んでいたカーリーを抱き寄せる。
「よかった…………」
ウサギ耳の痕を優しく撫でつつ、俺達を見てバツが悪そうな顔をしているジェットに苦笑しつつ、部屋全体を見渡す。
悪いなジェット、別にお前への当てつけとかじゃないよ。単純に、カーリーが傷跡を撫でられるのが好きだからやってるだけ。こう言うとカーリーが変態みたいだが、でも事実だからどうしようもないんだよな……。
最初に足を踏み入れた時と異なり、部屋は柔らかく明るい光に包まれている。階下と同じ感じだな。
俺が緋翼と一緒にこの部屋に仕掛けられていた呪いを解除したから……だよな。
カーリーを離し、後ろを振り返る。
「皆が入れたのは……アイルバトスさんが竜門を開けたんですか?」
氷の柱を消し去ったのち、再び階下の様子を覗き込んでいる氷竜様に問いかける。
竜門を見れば、開け放たれていた巨大な扉が、丁度ゴゴゴと音を立てて閉じていくところだった。
ああそうか、独りでに閉じるタイプだったのか……。
魔王ルヴェリスの竜門はどうだっただろう。あの日は色々あり過ぎて、細かいところまでは覚えてないな。
「その通りだよ。私は通常の方法……龍の権限を持って、きちんと竜門を開いたよ」
「なら、やっぱり俺の入り方は異常だったんですね? 先に教えてくれればよかったのに……」
いきなり竜門全体が漆黒に染まって、その中に身体を埋めるように入り込むなんて、どう考えても普通じゃないと思ったぜ。
というかあの入り方、今思うとマリーが得意とする影移動の魔法に似ていたような?
「かくいう私もあれを目にするのは初めてだったものでね。龍ではなくとも、それに比類する“資格を持つ者”が扉に触れることで、その人物のみであれば内部に入ることが出来る。知識でしか知らなかったことだ」
あーはい、分かりました。レンドウワカッチャイマシタ。
いつものアレだろ? 魔王ルヴェリス様より頂いた知識シリーズ。
「……それが見てみたくて俺一人に行かせたんスか? 全員で行けば良かったのに」
別に俺のプライバシーに配慮してくれた訳でもないんだろ?
激しい頭痛に襲われて転げまわったりはしたシーンは、まぁ見られて嬉しいものでもないが……。
「いや……それはやめておいた方が良かっただろうね。私は先に入っていたから分かるけど、さっきまでこの部屋はアニマ以外の存在を許していなかったからね」
「あ、そっか」
思わず手をポンと打っていた。
そうだった。どす黒い緋翼の熱気に満ちたこの部屋に足を踏み入れれば……恐らくダクトであっても、長居すれば体調に異変をきたしていただろう。
「それに、万が一翼の力がレンドウ君以外に流れたら、どうなっていたか分からないからね」
それは……翼の力はより大きな使い手に吸収されるからか。
例え緋翼に適性が無いとはいえ、確かに圧倒的に格上の生物であるアイルバトスさんがいれば、そちらに流れてしまった可能性は高い。
もしかしたら、レイスにも。
レイスに視線を向けると、「なに?」とでも言いたげな、何も分かっていないだろう視線が返ってきた。
「いや、別に」
適当に誤魔化そうとしたところで、レイスが俺とカーリーの腕を引いた。
「――警戒! 皆、竜門まで下がって! 何か変だ!」
皆の反応は早かった。即座に竜門まで後退して、扉に身を寄せる。
何が何やら分からないながらも俺も同じようにしつつ、確かに大きな気配を感じる大穴を注視した。
「レンドウ君が緋翼を吸収して、この部屋を通常の状態に戻したからかな? 他の龍の侵攻を見越してルノードが予め仕掛けていた、罠の類だろうか……」
そう呟いたアイルバトスさんは俺達を守るように一歩前に立ちつつも、後ろに向けた左手を竜門に触れさせた。俺達を先に逃がせるように、開けてくれるつもりなんだな。
それにしても腕が長い。いや、違う。“創造する力”を纏わせ、左腕を延長しているんだ。
直接手で触れなくても竜門は起動させられるんだな。俺達が背中を預けていた門がこちら側に開くので、押される形になる。
このまま開く扉に大きく移動させられるのもあれなので、先に自分の意思で前に歩いておくことにする。
それに応じて、アイルバトスさんも更に前に出た。既に竜門から手は離れているが、問題なく開き続けるらしい。
「いや、この程度なら危険は無さそうだね。そもそも、罠ですらないのかもしれない」
そう言ったアイルバトスさんの前で、大穴から黒い何かが大量に湧き出した。
強い緋翼の気配。それも、沢山。それぞれが分離しているのか。
大穴から宙へと飛び出し、大きな質量を感じさせながらも音もなく着地する黒い物体たち。
最も手近なところにいるそれを観察すると……動物……を模しているのか?
いや、そいつだけに留まらない。大小さまざまな緋翼の塊たちは、よく見ればどれも何かしらの生き物のシルエットに見える。
四本足の……あれは猪だろうか?
あっちは鹿で……こっちは狸?
あ、狐っぽいのもいる。複数飛んでるのは鳥なんだろうけど……種類までは判別しようがないな。
「猪に、鹿に狸に狐に牛に鳥が数種類に……なんでもいるな。うお、あれはもしかしてライオンってやつか?」
百獣の王とか言われてる奴だろ。
まぁ、所詮獣の中だけで王だからなんだって話ではあるが。この世界にはドラゴンがいるんだもんな。
それぞれを指さしながら呼び上げていると、「あの鳥は……オオハシに、ハチドリか」とアシュリーが呟いた。鳥が好きなのか?
相変わらず外見じゃ判断できないやつ……などと考えていると、部屋の奥の方に巨大な影が現れ始めた。
「なん……だ? あのバカでかい奴ら」
どちらも四本足だ。片方は頭部の先端から触手のようなものが一本伸びている。その付け根あたりには巨大な牙のようなものも確認できる。
もう片方は、天井を突くように長く伸びた首が特徴的だ。首……だよな?
あの長いシルエット全部が顔とか言わないよな。だったら気持ち悪すぎる。
「あれは象と……キリンだね」
アイルバトスさんが本人も驚きを含んだ声色で言うと、仲間たちから感嘆の声が漏れた。
未だに世間知らずなのは認めるけど、俺だって象とキリンの存在は知ってる。
だけど、この目で本物を見たことがない生き物たちなんだ。それを真っ黒な人形として再現されたって、ピンと来ないのは仕方ないだろ。
「…………で、結局これは何なんだ?」
がらんとした空間だったはずなのに、瞬く間に窮屈になってしまった。
今のところ、どの生き物たちもこちらを攻撃するそぶりは見せていないが……。
「えっと、サンスタード帝国なんかは娯楽施設も豊富だから、各国から珍しい生き物を集めて観察できる施設もあるらしいよ。動物園って言うんだって」
漆黒の動物たちで埋め尽くされつつある空間に、レイスの緊張感のない言葉が響いた。
いや、声色は緊張してるんだけどな。レイスだって警戒はしてるんだろうし。それにしても、話題のチョイスがおかしいだろって感じだが。
別に、ルノードは俺達に動物園を体験させようとしてるワケじゃないだろ。
……………………違う…………よな?