第二部 ― 2018年、五月 ―
沈黙は、思っているより多くのことを語る。
僕はそれを知っている。昔、喋りすぎたから。
入学から一ヶ月が経った。
クラスの人間関係は、だいたい固まってきた。誰がどのグループにいて、誰が誰に気を使っていて、誰がもう諦めているか。四月に種が蒔かれて、五月には形になっていた。早い。
僕はどこにも属していなかった。でも孤立しているわけでもない。空気を読む、目立たない、問題を起こさない。それだけでだいたいどこでも生きていける。人間関係というのは、そういう構造をしている。
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生徒会の仕事は、思っていたより退屈だった。
書類を整理して、先生に確認を取って、次の会議の準備をする。でも退屈なりに、観察できるものはある。
生徒会に来る人間は二種類に分かれる。本当にやる気があるやつと、内申点が欲しいだけのやつ。前者は少数で、後者が大半だ。どちらでもいい。動機なんて関係ない。
でも後者のくせに前者のふりをしているやつは、少しだけ面白い。そういう人間は必ずどこかで馬脚を現す。それを待っている。
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帰り道、信号待ちをしていたら、大学生のグループが赤信号のまま横断歩道を渡り始めた。四、五人。笑いながら。
目線で追った。
(あ~、こいつらぜんいんひかれねーかなー)
車は来なかった。彼らは渡りきった。
「ちっ、つまんねーな」
空を見上げた。五月の空は高くて、雲が少なかった。
大学生か。授業料を払って価値を受け取る側のくせに、その機会を赤信号みたいに無視する。客としても失格だ。なんか、見ていてため息が出る。
◆
角を曲がってから、ふと振り返った。
さっきまで見えていた景色が、もうない。
あそこにあったはずの電柱は、今も存在しているのか。視界から消えた瞬間に、壊れてなくなっているかもしれない。次に見たとき、そこにある電柱は、さっきの電柱と同じものか。
分からない。確かめる方法もない。
確かめられないなら、考えても仕方ない。そういうことにしている。
また歩き出した。
◆
夜、スマホを眺めていたら、小学生くらいの子どもが自転車で転んでいる動画が流れてきた。周りの大人が駆け寄って助けていた。
それは正しいと思う。
年下には優しくしてやればいい。将来、自分が老いぼれたときに世話になるかもしれないから。感情の話じゃない。そういう構造の話だ。
続けてトー横の動画も流れてきた。前に見たのとは違う人間たちが、同じ場所に集まっていた。顔ぶれが変わっても、場所の空気は変わらない。
場所が人間を作るのか、人間が場所を作るのか。
鶏と卵みたいな話だな、と思いながら画面を閉じた。
いつか行ってみようとは、まだ思っている。
でも今はまだ、見ているだけでいい。




