第一部 観察 ― 2018年、春 ―
これは僕が書いた話じゃない。
誰かが書いた、僕についての話だ。
正確かどうかは知らない。でも、だいたいあってると思う。
ひとつだけ言っておく。
感情移入しないでほしい。君たちのその「共感」が、世界を鈍くしているんだから。
右目が見えない、という話を最初にしておく。
生まれた頃からそうだった。病気らしい。名前は長くて覚えていない。五歳のとき大学病院で診てもらって、そのとき初めて「ああ、右目はもう終わってるんだな」と知った。
別に驚かなかった。ずっとそうだったから。
医者が何か言っていた。親も何か言っていた。僕は廊下の椅子に座って、天井の蛍光灯を眺めていた。点滅しそうで、しない蛍光灯。今にも壊れそうで壊れない。なんか、人間みたいだと思った。
◆
僕の名前は、ここでは言わない。
あるにはあるけど、必要ないと思う。どうせ君たちはすぐ忘れる。名前なんてそういうものだ。
2018年の春、僕は高校一年生になった。
中学のとき、学校にはほとんど行かなかった。行く理由が、見つからなかった。でも高校は違う気がした。うまく言えないけど、何かがある気がした。その「何か」がなんなのかよく分からないまま入学して、制服を着て、靴箱に靴を入れて、廊下を歩いた。
人がいっぱいいた。みんな喋っていた。笑っていた。昨日まで知らなかった誰かと、もう仲良くしようとしていた。
面白いな、と思った。
虫みたいだな、とも思った。
◆
最初の一週間は、だいたい観察に使った。
誰がどのグループに入るか。誰が誰を値踏みしているか。誰がもう諦めているか。教室というのは小さな生態系で、序列は入学三日目にはほぼ決まっていた。あとはそれが固定されるだけだ。
僕はどこにも入らなかった。入れなかったわけじゃない。入る気がしなかった。
隣の席の男子が話しかけてきた。名前は忘れた。「どこ中?」とか「部活どうする?」とか、そういう話をした。悪いやつじゃなかった。ただ、話しながらずっと、この人は何を求めて話しかけてきてるんだろうな、と考えていた。
孤独が怖いから? それとも、話しかけることで自分の存在を確かめたいから?
どっちにしても、僕には関係なかった。
◆
入学して一週間で、生徒会の役員に立候補した。
なんとなく、そういう場所から眺めた方が面白そうだと思ったから。
担任の先生に「やる気があっていいね」と言われた。
やる気の話じゃないんだけどな、と思ったが、言わなかった。先生の顔を見ながら、この人は僕のことを何も分かっていないな、と思った。怒りとかはなかった。そういうものだから。人はだいたい、目の前にいる人間のことを分かっていない。
それは僕も同じだ。だから責める気にもなれない。
◆
夜、布団の中でスマホを眺めていたら、「トー横」の動画が流れてきた。
歌舞伎町の一角に集まる若者たちの話だった。家出、薬、売春、それ以外にも名前のつかない絶望がいくつか。コメント欄には「かわいそう」と「自業自得」が半々くらいで並んでいた。
僕はどちらにも同意しなかった。
ただ眺めた。虫の動画を眺めるときと、だいたい同じ感覚で。
なぜ人はああいう場所に集まるんだろう。居場所がないから? それとも、壊れた場所の方が正直だから?
分からなかった。でも、分からないことが少しだけ面白かった。
いつか、現地に行ってみようかな。そう思いながら、スマホを閉じた。
◆
僕が36歳になったとき、全部終わる。
なぜ36かは、説明しない。ずっと前からこの数字が好きだった。それだけだ。
そういう問いに答える気が、そもそもない。
ただ、それまでの時間を何に使うかは決めている。
この世界が、どこまで壊れられるのか。
見てみたい。




