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至高のブラッシングと、胃袋を掴まれる元英雄達

「さあ、お片付けも済んだところで、待ちに待ったお手入れの時間よ!」


 私はベッドの横にある豪華なマホガニーのチェストから、魔法でいくつかのアイテムを呼び出した。空間がぐにゃりと歪み、そこから現れたのは、前世の私がペットショップのウェブサイトを血眼になって眺めていた時に見つけた、憧れのケア用品の数々だ。

 もちろん、ここは異世界。現れたのは現代のプラスチック製のものではない。魔女セルリアの記憶を総動員し、魔力を込めて特別に錬成した「最高級天然猪毛のツヤ出しブラシ」、「アンダーコート(下毛)がごっそり取れる特製スリッカーブラシ」、そして「静電気を防ぐマジックコーム」である。持ち手には禍々しいほど美しい細工が施され、これだけで一国の城が買えそうなほどの魔導具に仕上がっていた。


「ガ、グルルル……(な、何を企んでいる、邪悪な魔女め……!)」


 部屋の隅で団子状に固まっていた四匹の魔獣たちのうち、漆黒の黒狼――元近衛騎士団長のレオンハルトが、低く地を這うような声で威嚇してきた。その金色の瞳には、油断なく私の一挙手一投足を監視する鋭さがある。さすがは国を代表する英雄だ。犬の姿になってもその覇気は衰えていない。


「ふふふ、怖がらなくてもいいのよ、レオンちゃん。ちょっと毛並みを整えるだけだからね」

「グルァッ!?(レ、レオンちゃんと言うな! 私はサンディレ王国の――)」


 言い終わる前に、私は魔女の圧倒的な身体強化魔法パッシブスキルを発動させ、瞬時に彼の懐へと潜り込んだ。二メートルを超える巨体の黒狼だが、今の私にとっては「ちょっと大きな可愛いワンちゃん」に過ぎない。

 ガシッとその太い前足の付け根をホールドし、ベッドの上に横たわらせる。


「ガウッ!?(なっ、この女、なんて力だ……!?)」


 レオンハルトがパニックを起こして暴れようとするが、私はお構いなしにスリッカーブラシを構えた。ターゲットは、彼が一番気にしていただろう、背中から腰にかけての分厚い漆黒の毛並みだ。


「よしよし、まずは無駄毛を取りましょうね。それ、サッサッ、サッサッ……」

「……ッ!?」


 ブラシの針先が、彼の密集したアンダーコートに滑り込む。魔力を帯びたブラシは、皮膚を傷つけることなく、絡まった不要な毛だけを完璧な角度で梳き取っていく。

 レオンハルトの身体がピクッと硬直した。


「ほら、ここ、耳の後ろも凝ってるでしょ? 騎士団長さんだから、いつも気を張って肩が凝ってたのよね、きっと。ここをカリカリされると……どう?」

「う、ぐ……グルル……(な、なんだこの感覚は……脳が、脳がとろける……!? いかん、私は騎士団長だ、魔女の快楽に屈してなるものか……しかし、そこ、そこは絶妙に……っ!)」


 レオンハルトの長い尻尾が、彼の意思に反して床をパタパタと叩き始めた。金色の瞳が心なしかトロンと潤みを帯びていく。

 前世で犬の動画を何千時間と見てきた私にはわかる。彼は今、完全に「天国」にいる。ただ、元人間のプライドがそれを認めようとせず、必死に口元を引き結んでいるのだ。そのギャップがたまらなく愛おしい。


「次はシオンちゃん、あなたの番よ」

「ッ!?(来るな、近寄るな!)」


 次にターゲットにしたのは、九本の美しい尾を持つ白狐――元第二皇子のシオンだ。

 彼はその長い耳を後ろに寝かせ、自慢の九本のしっぽを体に巻き付けて私を睨みつけていた。腹黒天才軍師と呼ばれた彼らしく、その青い瞳には「この魔女、急に態度を変えて何の罠を仕掛けている?」という深い猜疑心が渦巻いている。


「シオンちゃん、その九本のしっぽ、ちゃんと手入れしないと毛玉になっちゃうわよ。皇子様なら、いつでも美しくいたいでしょ?」

「コンッ!(美醜の問題ではない! 私の身体に触るなと言って――あうっ!?)」


 逃げようとする白狐の胴体をふわりと抱き上げ、私の膝の上にセットする。

 今度は「天然猪毛のツヤ出しブラシ」の出番だ。絹のように細く、繊細な白い毛並みに、ゆっくりとブラシを通していく。


「お、おぉ……(な、なんだこれは。ただのブラシではないな……? 毛の一本一本に魔力が染み渡り、血流が良くなっていく……。くっ、この私が、こんな単純な物理的快感に抗えないというのか……?)」


 シオンは必死に冷静を装おうとしていたが、九本のしっぽが一本、また一本と、緊張を失ってふにゃふにゃと解けていく。最終的には、私の腕の中で完全に脱力し、まるで白い高級マフラーのようになってしまった。


「ふふ、やっぱり狐も犬科に近いのかしら。ここ、顎の下を撫でられるの、好きでしょ?」

「コ、コン……(あ、顎は反則だ……もう、どうにでもしてくれ……)」


 完全に堕ちた白狐をそっとベッドに寝かせ、私は次の獲物へと視線を向けた。

 部屋の隅の影に完全に同化しようとしていた、巨大な雪豹――元暗殺者のクロードだ。


「クロちゃん、隠れても無駄よ。その立派な肉球、私に見せて?」

「……(殺す。隙があれば、その喉笛を――)」


 クロードは一切の声を出さず、ただ氷のような灰色の瞳で私を射すくめてきた。さすがは裏社会の死神。呪われて獣の姿になっても、その暗殺者としての本能は微塵も鈍っていない。じりじりと後退り、いつでも飛びかかれるように低い姿勢をとっている。

 だが私には通用しない。なぜなら今の私は、最強の極悪魔女だからだ。


「はい、捕まえた!」

「……っ!?」


 背後に回り込み、雪豹の巨体を後ろからガシッと抱きしめる。いわゆる「バックハグ」状態だ。

 クロードの身体が驚きで一瞬凍りついた。彼はすぐに爪を立てて私の腕を切り裂こうとしたが、私の肌の表面でパキンと自動防御結界が弾け、彼の爪を受け止める。


「無駄よ、クロちゃん。私の結界は痛くないみたいだから。それより、この前足……うわぁ、見て、この大きな肉球! 冷たい雪山にいたから少し乾燥してるわね。特製の肉球クリームを塗ってあげる」

「……!(なっ……!?)」


 私が前世の知識(と魔女の調合技術)で作った、ラベンダーの香りがする特製保湿クリームを取り出し、彼の黒い肉球に優しく塗り込んでいく。プニプニ、プニプニ。


「……ッ、……ッ(やめろ……恥辱だ……私は死神と恐れられるアサシンだぞ……なぜ、そんな風に、優しく……くっ、肉球が、温かくて、気持ちいい……!)」


 無口なクロードの喉の奥から、ついに「ゴロゴロ……」という、猫科特有の幸福の振動音が漏れ聞こえてきた。彼はハッと目を見開き、自分の口を手(前足)で押さえようとしたが、時すでに遅し。私のプニプニ攻撃の前に、暗殺者の鉄の意思は完全に粉砕されたのだった。


「最後は、一番小さなルカちゃんね」

「きゅ、キュウゥゥッ!?(嫌だー! 来るなクソ魔女! ボクは子供じゃない、天才魔導士だぞ!)」


 棚の上でギリギリまで粘っていたカーバンクルのルカが、短い後ろ足で必死に威嚇する。額の赤い宝石ルビーが、彼の怒りに呼応してチカチカと点滅していた。

 しかし、その姿はただの「怒れるハムスター」にしか見えない。


「ルカちゃんはちっちゃいから、この赤ちゃん用の柔らかい豚毛ブラシで優しくね」

「離せー! お前なんて、ボクの爆破魔法で……あ、あれ? 魔法が出ない……?」

「ふふ、この部屋、私の許可がないと攻撃魔法は使えない仕様になってるのよ。だから諦めて、モフられなさい!」

「きゅ、きゅあぁぁぁ……っ(うわあああん、気持ちいいよぉぉ! でも悔しいぃぃ!)」


 ルカを手のひらに乗せ、お腹の柔らかい毛を優しくブラッシングすると、彼はすぐに降伏して仰向けになり、短い手足をバタバタとさせて悦びの声を上げた。


 こうして、約一時間に及ぶ「魔女の強制モフモフ・エステ」が終了した。

 部屋の中には、ブラッシングによって驚くほどツヤツヤ、フワフワ、ピカピカになった四匹の魔獣たちが、魂を抜かれたような目で転がっている。

 足元には、彼らから収穫された大量の抜け毛の山。……これでクッションでも作ろうかしら。


「ふぅ、いい汗かいたわ。前世のデバッグ作業に比べたら、なんて有意義で生産的な時間なのかしら」


 私は満足感に浸りながら、自分の額の汗を拭った。

 しかし、至福の時間の後には、現実的な問題が待っている。


「……あ、お腹空いたわね」


 時計を見ると(魔法の文字が空中に浮かぶ時計だ)、すでに朝の八時を回っている。

 前世の私なら、この時間は満員電車に押しつぶされながら「死にたい……」と念じている頃だが、今の私は自由だ。そして、目の前にはお腹を空かせている(であろう)可愛いペットたちがいる。


「みんな、お腹空いたでしょ? 私が美味しいご飯を作ってあげるから、ちょっと待っててね」


 私がそう言うと、魂の抜けていた四匹が同時にハッと正気に戻り、鋭い視線をこちらに送ってきた。


「グルル……(ご飯だと……?)」

「コン(魔女の出す食事など、得体知れぬ毒が入っているに決まっている。実験だ)」

「……(食べない。これまで通り、餓死した方がマシだ)」

「きゅっ(ボク、絶対に苦しみながら殺されるんだ……!)」


 彼らの心の声が、その警戒に満ちた表情から痛いほど伝わってくる。

 まあ無理もない。昨日の今日まで、彼らを監禁して呪いをかけていたネグレクト極悪魔女が、急に「ご飯を作ってあげる」と理由のわからないことを言い出したのだ。毒殺や実験を疑うのが正常な人間? の反応だろう。


「ふふん、見てなさいよ。前世で、ブラック企業のストレスを『ガチ自炊』で発散していた私の腕前を、舐めないでよね」


 私は不敵な笑みを浮かべ、部屋を出て城の地下にある、無駄に巨大な厨房へと向かった。


 魔女セルリアの城の厨房は、まるで高級ホテルの厨房を十倍にしたような広さだった。

 そこでは、私の魔力によって動く数体の『骨の料理人スケルトン・シェフ』たちが、カチャカチャと音を立てて包丁を握っていた。彼らは感情を持たない自動人形のようなものだ。


「ちょっと骨くんたち、そこ代わって。今日は私が自分で作るわ」


 スケルトンたちを下がらせ、私は備え付けられている巨大な『魔法の氷室(冷蔵庫)』を開けた。

 中には、見たこともないような高級食材から君の悪い物体までがギッシャリと詰まっていた。


「うわぁ……何これ。ドラゴン(ワイバーン)のヒレ肉? 心臓? コカトリスの極上モモ肉? こっちは幻の『マナ・マッシュルーム』じゃない。前世の私が買っていた、百グラム九十八円の鶏胸肉とは次元が違うわ……!」


 食材を見るだけで、元・貧乏性の社畜の血が騒ぐ。これほどの最高級食材を自由に使えるなんて、料理好きとしては最高のご褒美だ。

 魔女セルリアの膨大な記憶から、この世界の食材の性質を読み取る。どうやら魔獣たちの身体(特に元人間)には、高濃度の魔力を含んだ肉が一番の栄養になるらしい。逆もまた然り。


「よし、メニューは決まったわ!」


 私は腕をまくり(ネグリジェのままだが)、調理を開始した。

 まずは、犬科(レオンハルト、シオン)と猫科クロードの皆さんのために、メインディッシュの準備だ。

 最高級のドラゴンヒレ肉を贅沢に分厚くカットする。赤身のバランスが完璧で、まるで最高級の神戸牛のようだ。これを、魔女の炎魔法で一気に表面だけを強火で焼き上げる。ジュー、という官能的な音と共に、肉汁の芳醇な香りが厨房中に広がった。

 隠し味には、地獄で採れるという噂だけの醤油に似た発酵調味料『暗黒大豆のエキス』と、みりん風の甘味果汁(パイナップルとヤシの中間ぐらい)、そしてすりおろしたニンニク(に似た魔薬草)を加える。


「う〜ん、いい匂い! 前世の『限界ステーキ丼』のタレをベースにした、特製ガリバタ醤油ソースの完成よ!」


 焼き上がったドラゴンのレアステーキを、彼らが食べやすいようにサイコロ状にカットし、ソースをたっぷりとかける。

 続いて、小さなルカちゃんのためには、コカトリスのモモ肉を使った「じっくりハーブロースト」だ。猫はどうも好物らしい。外の皮はパリッと、中はジューシーに焼き上げ、細かくほぐして特製のマナ・マッシュルームスープに浸す。これなら小動物の身体でも消化が良いはずだ。


 およそ三十分後。

 私は魔法で動く銀のお盆に、出来立ての料理を載せて寝室へと戻った。


 部屋の扉を開けた瞬間、閉じ込められていた劇的な「肉の香り」が、部屋の中にいた四匹の鼻腔を直撃した。


「「「「…………っ!?!?」」」」


 四匹の魔獣たちが、一斉に首を跳ね上げ、お盆の上の料理を凝視した。

 その瞳には、明らかな動揺と、そして抗えない「生物としての本能的な飢え」が浮かんでいる。いくら英雄とはいえ、昨夜から何も食べていない上に、呪いによって魔獣の身体になっているのだ。彼らの代謝は人間の何倍も激しく、常に強力なエネルギー(魔力肉)を求めている。


「お待たせ! 魔女特製、モフモフ達のためのデラックス・ミートプレートよ!」


 私は床に、彼らのための大きな銀の皿を四つ並べた。

 レオンハルト、シオン、クロードの前には、肉汁が滴るドラゴン肉のサイコロステーキ。

 ルカの前には、芳醇な香りを放つコカトリスのハーブロースト・スープ仕立て。


「さあ、遠慮しないで食べてちょうだい。冷めないうちにね」


 私が笑顔で勧めると、四匹は一歩も動こうとしなかった。

 彼らの脳内では、今、凄まじい葛藤が繰り広げられているに違いない。


レオンハルト(くっ……! なんだこの凶悪なまでに美味そうな匂いは……! いや、騙されるな。これはあの魔女だぞ? 中にどんな恐ろしい精神支配の薬や、身体を蝕む毒が仕込まれているか分かったものではない……!)

シオン(……素晴らしい香気だ。だが、あまりにも出来過ぎている。私達の警戒を解くための罠……。しかし、私の鼻が『これは純粋な高純度魔力肉だ』と告げている……。どうする、どうする……?)

クロード(……毒があろうと、関係ない。生き延びて、いつかあの女を殺すためには……体力を蓄えねば……)


 最も理性を失いかけていたのは、一番身体が小さく、燃費の悪いルカだった。

 お腹が「ぎゅるるるぅ」と、可愛い音を立てて鳴る。


「う、うぅ……ボク、もう我慢できない! 毒が入ってたって、死ぬ前にこの美味そうなものを食べてやるー!」

「ルカ、待て……っ!」


 レオンハルトの制止も聞かず、ルカはカーバンクルの小さな身体でスープ皿に飛び込んだ。そして、ハーブローストの肉を一口、パクリと口に含んだ。


「ちゅ、チュウゥゥゥッ!?!?(な、ななな、何これぇぇぇぇッ!?!?)」


 ルカの額の宝石が、これまでにないほど眩しく輝いた。その小さな両手が頬に当てられ、完全に「美味の衝撃」に打ちのめされている。


「美味い! 美味すぎるよこれ! お肉が口の中でとろけて、スープの旨味がじゅわって広がって……エルフの里の最高級宮廷料理よりも、何百倍も美味しいぃぃ!」


 ルカは狂ったようにスープと肉を貪り始めた。ペロペロ、モグモグと、凄まじい勢いだ。

 その様子を見ていた他の三匹の顔色が変わった。


シオン(ルカの様子がおかしい……いや、本当に美味いのか!? 毒の兆候はない……ただ純粋に、至福の表情を浮かべている……!)

クロード(……食う)


 次に動いたのは、実利主義の暗殺者・クロードだった。

 彼はのっそりと皿に近づくと、ドラゴン肉のサイコロステーキを一つ、大きな口で放り込んだ。

 噛み締めた瞬間、雪豹の身体がビクッと震える。


「……っ!(これは……っ!)」


 ドラゴンの強靭な肉質が、完璧な火入れによって信じられないほど柔らかくなっている。そして、前世の社畜が編み出したガリバタ醤油ソースが、肉の旨味を極限まで引き出していた。米が欲しい。彼は元人間なので、本能的にそう思ったに違いない。

 クロードは無言のまま、ガツガツと肉を平らげ始めた。その尻尾が、嬉しそうに左右に大きく振られている。


「あ、クロちゃん、気に入ってくれたみたいね。嬉しいわ」

「……(悔しい、だが、美味すぎる……手が止まらない……!)」


 残されたのは、二国の英雄、レオンハルトとシオンだ。

 二匹は互いに視線を交わした。


レオンハルト(シオン……どうする?)

シオン(レオンハルト……背に腹は代えられません。敵の施しを受けるのは屈辱ですが、ここで餓死しては元も子もないでしょう。……それに、正直に言って、私も限界です)


「……誇りは、後で取り戻す」


 レオンハルトが覚悟を決めたように低く唸り、皿に頭を突っ込んだ。

 そして――。


「ガウッ!?(な、なんだこのガツンとくる旨味は……!? ニンニクの刺激と、この濃厚なタレ……! 騎士団の過酷な訓練の後に食べたくなるような、男の胃袋を完全に破壊する味だ……! 美味い、美味すぎるぞ……!)」


 近衛騎士団長、陥落。

 彼は大きな舌で、皿の上の肉を豪快に巻き取り、咀嚼し、飲み込んでいく。


 最後に残ったシオンも、もはやプライドを保つ余裕はなかった。美しく高貴な白狐が、エサ皿に顔を埋め、上品に、しかし凄まじいスピードで肉を平らげていく。


「コン……コフッ(この、甘辛いタレの奥深さ……魔女のくせに、なんて繊細で、暴力的な料理を作るんだ……。悔しい、悔しいが……幸せだ……)」


 ものの数分で、四つの銀の皿は、洗ったかのように綺麗にピカピカになった。

 四匹の魔獣たちは、お腹をパンパンに膨らませ、ベッドの上や絨毯の上で「ぷはぁ……」と満足げな吐息を漏らしている。その姿は、完全に「飼い主に餌をもらって満足したペット」そのものだった。


「ふふ、みんな綺麗に食べてくれてありがとう。作り甲斐があるわね」


 私が微笑みながら皿を回収しようとした、その時だった。


 ――ズズズズズンッ!!!!!


 地響きと共に、城全体が微かに揺れた。

 窓の外から、何かが激しく衝突したような、凄まじい爆発音が響いてくる。


「「「「……っ!?」」」」


 魔獣たちが一斉に窓の方へと視線を向け、その瞳に希望の光を灯した。


レオンハルト(この魔力の波動……我がサンディレ王国の『魔導騎士団』の大魔術だ! 助けが来たか!)

シオン(我がルナリア帝国の『天星軍』も到着したようですね。ふん、魔女め、私達を監禁し、このような屈辱(美味しいご飯と至高のブラッシング)という偽りの希望を与えた報いを受けるがいい!)


 彼らは窓の外の空を見上げる。

 瘴気の森の遥か上空には、数千、数万の人間たちの軍勢が集結しているのが見えた。きらびやかな鎧を纏った騎士たちや、豪華な法衣を着た魔導士たちが、結界に向かって一斉に最上級の攻撃魔法を叩き込んでいる。

 炎の嵐、雷の槍、巨大な光の刃が、城を覆う半透明の結界に降り注いでいた。


 魔獣たちは「いよいよ魔女の終わりだ」と言わ言わんばかりに、私を勝ち誇ったような目で見つめてきた。


 だが、私はふぅ、と小さく溜め息を吐き、窓のカーテンに手をかけた。


「あーあ、また討伐隊が来てるのね。騒がしいわぁ」

「ガルッ?(騒がしい……だと?)」


 私は魔女セルリアの記憶を確認する。

 あの結界――『万象拒絶の絶対結界アンチ・ワールド・シールド』。

 これは魔女セルリアの心臓と直結しており、彼女が無尽蔵に生み出す魔力の「自動生産分」だけで完全に維持されている。つまり、彼女が寝ていようがご飯を食べていようが、外部からの攻撃を100%自動で遮断する。私が死なない限り不可能に近い。


「あの結界、人間種族程度では、全戦力が集まって、あと百年連続で殴り続けても傷一つ付かないのよね。私の魔力の自然生産量の方が上回ってるから」

「「「「……………………は?」」」」


 魔獣たちの顔が、一瞬で絶望に染まった。


「それより、せっかくの食後のティータイムだし、外の音がうるさいと落ち着かないわよね。ちょっと静かにしましょう」


 パチン、と私が指を鳴らす。

防音結界ミュート』。

 その瞬間、外の凄まじい爆発音や地鳴りは完全に消え去り、寝室には穏やかな小鳥のさえずり(城の庭園にいる魔法鳥の声)だけが響くようになった。


 窓の外では、必死に汗を流しながら魔法を連発している人間たちの軍勢(約五万人)が見えるが、こちらには一切の音が届かない。まるで、無音の動画を見ているかのようだ。


「よし、これで静かになったわ。レオンちゃん、シオンちゃん、お茶が入るまで、もう一回モフモフさせてくれない?」

「ガ、ガウ……(化け物め……あの規模の軍勢を『騒がしい』の一言で片付けるとは……私たちは、とんでもない存在に捕まってしまった……)」


 レオンハルトは完全に戦意を喪失し、床にへたり込んだ。

 シオンも、クロードも、ルカも、窓の外の「救助隊」の無力な姿と、私の圧倒的な理不尽さを目の当たりにし、静かに現実を受け入れ始めていた。


 こうして、世界を揺るがす大戦争が結界の外で繰り広げられている中、城の中だけは完璧に隔離された、平和でフワフワな「モフモフスローライフ」が維持されることになった。


「あ、ルカちゃん、お腹の毛がちょっとハーブの匂いになってる! 可愛いー!」

「きゅ、きゅあぁぁ……(もうボク、このままでもいいかも……お肉美味しかったし……)」


 元英雄たちの心が、胃袋と毛並みの快感によって、じりじりと侵食されていく。

 極悪魔女の皮を被った元社畜の私は、今日も今日とて、世界最強の安全地帯でモフモフを堪能するのだった。

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