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目覚めれば極悪魔女、ベッドの周りには極上のモフモフ(ただし殺意高め)

 ガンガンと頭の奥で鐘が鳴り響いているような、あるいは鈍器で後頭部を殴られ続けているような、そんな強烈な痛みに襲われ、私は意識を浮上させた。

「……っ、痛ぁ……」

 呻き声を上げてゆっくりと重い瞼を開く。視界はぼやけ、焦点が定まらない。最後に覚えているのは、満員電車に揺られ、終電で帰宅した後のことだ。

 確か、疲れ果ててマンションの階段を上っていた時、足を踏み外したのだ。三日連続の徹夜明けで、栄養ドリンクとカフェインの錠剤だけで命を繋いでいた私の身体は、見事に宙を舞い、そしてコンクリートの冷たい感触と凄まじい衝撃を最後に、プツリと記憶が途切れている。


「……ここ、どこ!?」

 視界がクリアになってくると、そこは私が見慣れた狭くて薄汚れたワンルームの天井ではなかった。

 重厚な赤黒いビロードの天蓋。壁には複雑な幾何学模様が描かれた、悪趣味なタペストリーが掛けられ、床にはふかふかの無駄に高そうなペルシャ絨毯のような敷物が広がっている。部屋の隅には、怪しげな薬品が並んだ棚や、水晶玉、分厚い魔導書が積み上げられた豪奢なマホガニーっぽいデスクがあった。

 どう見ても、現代日本の風景ではない。どこかの中世ヨーロッパの古城か、観光地か。ファンタジー映画のセットのような空間だ。

 身体を起こそうとして、ふと自分の手に視線を落とす。

「え……?」

 そこにあったのは、キーボードの叩きすぎで指先が荒れ、日焼け止めを塗る暇もなかった社畜のくすんだ手ではなかった。

 透き通るような白磁の肌。細く長い指先には、血のように赤いマニキュア(いや、魔力で染め上げた爪か)が輝いている。身に纏っているのは、滑らかな漆黒のシルクのネグリジェで、豊満すぎる胸元が露わになっていた。

 慌ててベッドから滑り降り、部屋の片隅にあった姿見の前に立つ。


「嘘、でしょ……?」

 鏡の中にいたのは、圧倒的な美貌と、それと同じくらいの圧倒的な「悪役オーラ」を放つ絶世の美女だった。

 腰まで届く波打つ銀糸の髪、切れ長の目はアメジストのように妖しく輝く紫色をしている。真っ赤な唇は、ただ微笑むだけで国の一つや二つを傾けられそうな色気を放っていた。

 その瞬間、頭の中に雷が落ちたような衝撃が走り、膨大な記憶が雪崩れ込んできた。


『おーほっほっほ! 身の程を知りなさい、愚かな人間共!』

『私の邪魔をする者は、全て醜い獣に変えて永遠に後悔させてやるわ!』

『さあ、這いつくばって私に許しを乞いなさい!』


「痛い痛い痛い痛いっ!!」

 頭を抱えてその場にうずくまる。

 前世の記憶――鈴木菜々子、三十代、ブラック企業のシステムエンジニアとして過労死した記憶。

 そして、今世の記憶――セルリア・ヴァルブルガ、年齢不詳(推定数百歳)、この大陸全土から恐れられ、憎まれている稀代の『極悪魔女(別名、まがつの魔女の落とし子)』の記憶。

 二つの記憶が激しく交ざり合い、スパークを起こし、やがてスッと一つに統合された。


「……私、魔女のセルリアだわ。で、前世で死んで、この体の記憶というか、自我が統合されたのね……」

 床に座り込んだまま、私は深い溜め息を吐いた。

 状況は最悪だ。魔女セルリアとしての私は、文字通り「極悪非道」を絵に描いたような人物だった。気に入らない国には呪いの雨を降らせ、逆らう英雄は拷問の末に地獄へポイ捨てし、自分より美しいものをことごとく嫉妬の挙句奪い、やりたい放題の限りを尽くしてきた。

 現在、この魔王城ならぬ魔女の城は、深い瘴気の森の奥深くにあり、世界中から討伐隊が派遣されるのを結界で弾き返している状態だ。

「待って待って。ブラック企業から解放されたと思ったら、今度は全世界から命を狙われる指名手配犯トップモストウォンテッドってこと? 前世よりハードモードじゃないのよ……」


 絶望に打ちひしがれそうになったその時だった。

「……グルルル……」

「シャァァッ……」

 低く、地を這うような獣の唸り声が、部屋のあちこちから聞こえてきた。

 ビクッと肩を震わせて声のする方へ視線を向ける。

 そこには、四つの影があった。

 一つは、身の丈が二メートルはあろうかという巨大な黒狼。漆黒の毛並みは闇夜のように深く、金色の瞳が鋭く私を睨みつけている。

 一つは、九つの尾を持つ美しい白狐。銀細工のような毛並みを逆立て、青い炎のような瞳で冷徹にこちらを観察している。

 一つは、雪山に住むという幻の巨大な雪豹。太い前足の爪を剥き出しにし、今にも喉笛に飛びかかってきそうな殺気を放っている。

 そして最後の一つは、少し離れた棚の上にいる、猫ほどの大きさのフワフワな幻獣――額に赤い宝石を持ったカーバンクルっぽい何かだ。可愛らしい見た目に反して、その小さな牙を剥き出しにしてシャーッと威嚇している。


 普通なら、腰を抜かして悲鳴を上げ、命乞いをする場面だろう。彼らの放つ魔力と殺気は、間違いなく私を「敵」として認識し、八つ裂きにしようとしている。

 だが。

 私の前世、鈴木菜々子の魂が、彼らを見て別の反応を示した。


「……ッ!!!」

 私は両手で口を覆い、言葉にならない叫びを上げた。

(モフモフだぁぁぁぁぁぁっ!!!!!)

 そうなのだ。前世の私は、激務のストレスを「動物の癒やし動画」を見ることでしか解消できない、重度の動物好き、いや、モフモフ依存症だったのだ。

 ペット不可のマンションで、触ることも叶わず、ただ画面越しの犬や猫を眺めて泣いていた日々。動物カフェに行く時間すらなく、ぬいぐるみで寂しさを紛らわせていたあの惨めな夜。

 それがどうだ。今、私の目の前には、圧倒的な質量と、極上の毛並みを持った本物の(しかもファンタジー仕様の高級な)モフモフたちが四匹もいるではないか!


「ああ……神様、いや悪魔様? とにかくありがとう……生きててよかった、いや死んでてよかった♪」

 私は恐怖など完全に忘れ去り、フラフラと黒狼に近づいていった。

「ガウッ!!」

 黒狼が威嚇の牙を剥き、私の腕に噛み付こうとする。しかし、魔女セルリアの身体は無意識に防御結界を張り、黒狼の牙は不可視の壁に阻まれてガキンッ!と音を立てた。

「痛くない? ごめんね、この体、勝手に結界張っちゃって。でも、ちょっとだけ……ちょっとだけだから!」

 私は結界の強度を適当に調整し、黒狼の太い首元に両腕を回して、思い切りダイブした。

「……ッ!? ガ、グルルゥゥッ!?」

 黒狼がパニックを起こしたように暴れるが、魔女の膂力(魔法による身体強化)は凄まじく、ガッチリとホールドして離さない。

「はぁぁぁ……っ、最高……。スーハー、スーハー。太陽と土の匂い……ううん、もっと奥深い、森の魔力の匂いがする。毛並みがシルクより滑らかじゃないの……。温かい……命の温もりを感じるわ♡」

 私は黒狼の漆黒の毛に顔を埋め、深呼吸を繰り返した。スーハー、スーハー。極上のモフモフ成分が肺の奥深くまで浸透し、前世で擦り切れた魂が急速に回復していくのがわかる。

「ガルルルルルッ!!(離せ、この魔女め!!)」

 黒狼の怒りの本音声が脳内に響くような気がしたが、気にしない。

 次に私は、呆然とこちらを見ている白狐の方へターゲットを変えた。

「キ、キャンッ!?」

 九本のしっぽをまとめてガシッと掴み、顔面をそのモフモフの集合体に埋める。

「きゃーっ! 柔軟剤のCMみたい! この弾力、このフワフワ感! 天国ってここにあったのね!」

「コンッ、コォォォンッ!!(貴様、気は確かか!? 私の誇り高き尾を……!)」

 続いて雪豹。大きな前足を両手で掴み、その巨大な肉球をプニプニと指で押す。

「見てこの肉球! 私の顔くらいある! 硬めのマシュマロみたいでたまらないっ!」

「シャァァァァッ!!(殺す……絶対に殺してやる……!)」

 最後に逃げ遅れたカーバンクルを抱き上げ、頬ずりをする。

「キュウゥゥゥッ!?(やめろ魔女、触るな!!)」

「チワワより軽い! ふわっふわ! お腹の毛が柔らかすぎるー!」


 およそ三十分。

 私は部屋中を駆け回り、四匹の魔獣たちを撫で回し、匂いを嗅ぎ、肉球を堪能し尽くした。

 魔獣たちは結界のせいで私を攻撃できず、また魔女の圧倒的な力に押さえ込まれ、ただただ理不尽な「モフハラ(モフりハラスメント)」に耐え続けるしかなかった。四匹は部屋の隅で固まり、毛並みを乱され、魂が抜けたような目で私を見ている。


「はぁ……はぁ……満たされた。私の人生、これでもう悔いはないわ」

 床に仰向けに倒れ込み、充実感に満たされながら天井を見上げる。

 ……しかし、冷静になってくると、一つの疑問が頭をよぎった。


 そもそも、この極上のモフモフたちは、なぜ私の寝室にいるのだろうか?

 魔女セルリアの記憶を探る。

 魔獣たちを飼っていた記憶? いや、セルリアは動物になど興味はなかったはずだ。彼女が愛したのは、金銀財宝と、他人や私より美しい美女が絶望する顔だけ。

 では、この子たちはどこから来たのか。

 記憶の糸をたぐり寄せ、私はある『事実』にぶち当たり、血の気が引くのを感じた。


「……嘘、でしょ?」

 ガバッと跳ね起き、隅で震えている四匹の魔獣を凝視する。

 記憶が、鮮明に蘇ってきた。


 漆黒の黒狼。

 彼の正体は、太陽の国『サンディレ・王国』の誇り高き近衛騎士団長、レオンハルト・フォン・クライス。

 金髪碧眼の超絶イケメンであり、国中の令嬢の憧れの的だった彼を、魔女セルリアは無理やり自分の城へ連れ去った。そして、「私の愛人になりなさい」と迫ったが、彼は毅然として「貴様のような邪悪な魔女に屈するくらいなら、舌を噛んで死ぬ」と拒絶した。

 それにブチ切れたセルリアは、彼に呪いをかけた。

『ならば、一生私の足元に這いつくばる犬畜生として生きるがいいわ!』――と。


 美しい白狐。

 彼の正体は、月の国『ルナリア帝国』の第二皇子、シオン・ルナ・エクリプス。

 銀髪と流し目がセクシーな、狡猾で腹黒い天才軍師。彼は魔女を討伐するふりをして近づき、色仕掛けでセルリアを暗殺しようとした。しかしあっさりと見破られ、逆鱗に触れた。

『私の美貌を騙ろうとはいい度胸ね。その狡賢い本性に相応しい、化け狐の姿を与えてあげるわ!』――と。


 獰猛な雪豹。

 彼の正体は、裏社会で「氷の死神」と恐れられた凄腕の暗殺者、クロード。

 黒髪に氷のような灰色の瞳を持つ、無口でワイルドな美青年。彼はいかなる防壁もすり抜ける技術で寝室まで忍び込んだが、セルリアの自動迎撃魔法に捕らえられた。

『私を殺そうとするなんて、野良猫以下の知能ね。一生、檻の中で飼い殺しにしてあげる』――と。


 小さなカーバンクル。

 彼の正体は、エルフの血を引く天才魔導士の少年、ルカ。

 生意気で口の悪いショタっ子(才能はピカイチ)は、魔女を倒して歴史に名を残そうと、単身で魔法勝負を挑んできた。結果はセルリアの圧勝。

『子供の魔法遊びに付き合う暇はないの。小動物にでもなって、一生袋を担いで、どんぐりでも拾ってなさい』――と。


「……………………」

 私は、両手で顔を覆った。

 思い出した。全部、私が(過去の私が)やったことだ。

 彼らはただの魔獣じゃない。全員、各国のトップクラスの実力と、最高ランクの顔面偏差値を誇る、イケメンの元人間たちなのだ。

 そりゃあ、殺意マシマシで睨んでくるわけである。彼らにとって私は、人生をめちゃくちゃにした憎き仇敵以外の何者でもない。


「私、最低すぎる……っ!」

 前世のモラルを持った今の私からすれば、過去の自分の所業はドン引きを通り越して、即刻土下座して切腹すべきレベルの犯罪だった。

 誘拐、監禁、狂った嫉妬に強制的な姿の変異。極悪非道という肩書きは伊達ではなかった。


「ご、ごめんなさい……。いや、本当に、あの、ごめん」

 私は彼らに向かってペコペコと頭を下げた。

 魔獣たちは「急に魔女の頭がおかしくなった」とでも言いたげな目でこちらを見ている。

 どうしよう。このままにしておくのは、人道的に(いや、彼らは今獣だが)許されない。彼らの人生を奪ってしまったのだから、早急に呪いを解いて、元の姿に戻してあげるべきだ。


 呪いの解き方。それはセルリアの記憶の中に、ちゃんと存在していた。

 魔女の呪いは、基本的に『魔女自身が術式を解除する』か、『特定の条件を満たす』ことでしか解けない。

 彼らにかけた呪いの解除条件(独自制定)は、何だったか。

 えーと……。記憶を頼りに巡っていくと……。


『この呪いを解きたくば、私から真実の愛の口づけ(ディープキス)を引き出してみなさい! まあ、犬畜生になったお前たちにそんなことができるはずもないけれどね、おーほっほっほ!』


「ハードル高ぁぁぁぁっ!!!」

 私は思わず頭を抱えて叫んだ。

 何が「真実の愛の口づけ」よ。ピー映画か。極悪魔女のくせに、設定がロマンチックで腹立たしい。そもそも独自の呪い? 解除方法まで意のまま? 恐ろし過ぎる。

 とどのつまり、私が自発的に彼らに深い愛情を抱き、誓いのキスをしない限り、彼らは元の姿に戻れないということだ。単純な魔力の解除ではダメらしい。過去の私、どんだけ自分のこと好きなんだ。


 ……待て。

 もし、仮に呪いを解けたとして、元のイケメンの姿に戻ったとする。

 騎士団長、腹黒皇子、暗殺者、天才魔導士。

 彼らは全員、私を絶賛殺す気満々だ。

 人間に戻った瞬間、彼らは本来の力を取り戻し、四人がかりで私をタコ殴りのリンチ刑にするだろう。いくら魔女の魔力が絶大とはいえ、このチート級の四人を同時に相手にして生き残れる自信はない。そもそも戦う意思も、戦い方もよく分からない。

 前世の知識で言えば、これは乙女ゲームの「逆ハーレムルート」の始まりのようにも見える。しかし現実は甘くない。どう考えても「即死バッドエンドルート」一直線だ。


「……呪いを解いたら、私、確実に殺されるわね」

 私はゴクリと唾を飲み込んだ。

 だが、このままにしておくのは罪悪感が……。

 チラリと、四匹の魔獣を見る。

 警戒心も露わに毛を逆立てている黒狼。威嚇する白狐。殺気を放つ雪豹。怯えるカーバンクル。

 ……か、可愛い。

 怒っている顔も、怯えている姿も、その全てが愛くるしい。肉球の感触が、耳の後ろの匂いが、手に残る毛並みの滑らかさが、私の脳内麻薬エンドルフィンをドバドバと分泌させている。


 人間の姿のイケメン四人に囲まれる逆ハーレム。

 極上のモフモフ四匹に囲まれるスローライフ。


 前世で男に会う縁すらなく、ひたすら仕事仕事と動物だけを愛してきた私にとって、どちらも魅力的ではある。

 だが、自分の命が懸かっているとなれば話は別だ。

 呪いを解けば、高確率で死ぬ。または戦うことになる。

 呪いを解かなければ、私は最強の魔女として安全に、しかもこの至高のモフモフたちを永遠に愛で続けることができるのだ。そうして徐々に心を打ち解けて……。


「……決めた」

 私は静かに立ち上がり、パンッと両手を叩いて彼らに宣言した。

「あんたたち! 今日から私が、責任を持って、優しくたっぷりと、お世話してあげるからね!」

「「「「……!?」」」」

 魔獣たちが一斉にギョッとしたように後退る。

 罪悪感? そんなものは前世の満員電車に置いてきた。

 命の危険を冒してまで、早急に彼らを人間に戻す必要はない。ゆっくりじっくり対処法を練るべきだわ。そして何より、今の私は極悪魔女セルリアなのだ。悪女らしく、自分の欲望に忠実に生きるのが正しいロールプレイというものだろう。

 彼らが人間だった頃のことは、一旦忘れよう。今、私の目の前にいるのは、愛すべきペットたちなのだから。


「さあ、まずはブラッシングよ! その後は最高級の魔獣肉でご飯にしましょうね〜。レオンちゃん、シオンちゃん、クロちゃん、ルカちゃん!」

 勝手に可愛いあだ名をつけながら、私は魔法で空中に数種類のブラシを出現させた。

「ガウゥゥッ!!(ふざけるな、誰がレオンちゃんだ!!)」

「コンッ!(気安く呼ぶな、下賤の者が!)」

 拒絶の声(のような唸り声)が響くが、私の耳には心地よい罵倒にしか聞こえない。

「ふふふ、照れなくてもいいのよ。たっぷり愛してあげるんだから」


 こうして、過労死した元OLによる、極悪魔女の皮を被った果てしない「モフモフ至上主義」のスローライフ(ただし彼らからの殺意は常にMAX)が、幕を開けたのだった。

 いつか、この呪いを解かなければならない日が来るのかもしれない。

 彼らと向き合い、過去の罪を清算しなければならない日が。

 けれど、それは今日じゃない。明日のことは明日考えればいいのだ。


「さぁ、レオンちゃん、お腹見せてごらんなさーい!」

「グルルルァァァァッ!!!」


 私の城に、今日も幸せな(?)唸り声が響き渡る。

 私の新しい人生は、思っていたよりずっと、刺激的でフワフワなものになりそうだ。

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