4. 終章
「ふん、なにがもとどおりだ」
玉座にすわる聖女を、悪魔は鼻で笑う。
「もとどおりどころか、お前は国をさらに大きくしてしまった!」
もともとはただの荒れ地だったところを、聖女は国を逃れた民たちと共に開拓し、新しい国を作った。
それはこの国のちょうど東隣にあった。そのため、聖女がふたたびこの国をおさめるようになるのと同時に、そのまま領地を広げるかたちとなったのだ。
「全て計算どおりというわけか? 聖女だなんてとんでもない。お前はとんだ策士だ!」
「あら、それは違うわ」
「なんだと?」
「別に計算していたわけではないのよ。あの悪女が国をめちゃくちゃにしてくれたものだから、私は民を連れて逃げなくてはならなくなったの。でも……」
農作業であかぎれだらけとなった手を見る。
「作物にも色々あるのね。不毛の地だと言って誰も住もうとしなかったあの土地でも、ちゃんと育つ野菜があったわ。あなたが私を悪女にしてくれたおかげで、そのことに気づけたの、感謝するわ」
「感謝だと!?」
悪魔は憤慨した。人から感謝されるなど、まったく不名誉なことだった。
「それにしても、これはいつまで続くのかしら。気づいたら知らない誰かになっていたなんて、はじめは驚きもしたけれど。娼婦、そのあとは乞食。あとは何だったかしら? さすがにもう飽きてきたわ」
聖女がため息をついてみせると、悪魔はさらに牙をむいた。
「馬鹿にしおって、飽きたのはこちらの方よ。私はお前を絶望させてやろうと、聖女に成り代わりたいと願う人間がいると中身を入れ替えてやった。だがお前は絶望するどころか、そのたびに妙な知恵をつけて、必ず聖女に返り咲いてしまう。娼婦になったときは何を学んだ? 男を籠絡させる手練手管か? そんなおまえが聖女だなんて、お笑い草よ」
聖女は何も言わなかった。
「だが、諦めぬぞ。すましたその顔を、必ず絶望に染めてやる」
「それは困ったわ。どうしたら諦めてくれるのかしら?」
「今言っただろう。お前が絶望するまでだ。だがどうしたらお前のような女を絶望させてやれるのか……」
悪魔が考えあぐねていると、聖女はぽつりとこんなことを言った。
「いっそ悪魔にでもなってしまったら、さすがの私も絶望するかもしれないわね」
「なに?」
悪魔はそこではたと考えた。
たとえば私がこの女に成り代わってやったら、どうなるだろうか、と。
玉座にすわる聖女を見やる。
今回入れ替えた身体は決して整った容姿ではないが、悪魔の目にはとても美しくかがやいて見えた。
ああ、この身体を私のものにできたら、と欲がわいた。
「ふはははは!」
悪魔は笑いだした。
「お前はとんでもないことを言ってしまったな! その身体、この私がもらってやろう!」
悪魔はさっと手をかざすと、聖女と自分の魂を忽ち入れ替えてしまった。
「ほう。これが人間の身体か。悪くない」
手足を自分の意思で動かしてみるが、特に問題はなさそうだ。
美しくなった己の姿をひとめ見ようと、はやる気持ちをおさえながら、悪魔は鏡の前に立った。
鏡の中には人間の女性が映っていた。
だが、想像していた美しい姿ではなく、悪魔のようなただの醜い女だった。
「な……これは……どういうことだ……」
そこへ悪魔となった聖女がやってきた。
鏡に映る醜い女。そこに並んだ姿を見て、悪魔は思わず振り返った。
そして言葉を失った。
頭には悪魔の角。背中には悪魔の羽。
髪は長く黒く。瞳は赤く。
まるで悪魔のような風貌。それはそうだ。悪魔なのだから。
だがそこには、さきほど見た確かなかがやきがあった。
悪魔が目にしているのは、悪魔の特徴を備えた、ただの美しい聖女だった。
「私はあなたに、また感謝をしなければならないわ」
動揺する悪魔に聖女は言った。
「なにを感謝すると言うのだ?」
「私は常々考えていたの。この国をもっと良くするには時間が足りないと。悪魔は不老不死なのでしょう?」
悪魔はそこで己の愚を悟った。
なんてことだ。人間には寿命があり、僅かしか生きられない。
「謀ったな!?」
「だって、さっきあなたが言っていたことでしょう。娼婦になってなにを学んだのかと」
それは悪魔さえ騙してしまう手練手管――
「さあ、連れていきなさい」
いつの間に呼んだのか、兵士が悪魔を取り囲む。
「おい! 何をしている!? 私は聖女だ!! あいつはとんでもない悪魔だぞ!!」
悪魔は喚いたが、どちらが聖女で悪魔なのかは、一目瞭然であった。
悪魔は人間になって絶望した。
聖女は悪魔になっても、ちっとも、絶望しなかった。
いつまでも豊かで、栄えた国があると、人々は口々に語った。
しかし、その国はすこし変わっていて、国をおさめているのは、悪魔の角と悪魔の羽の生えた、とんでもなく美しい聖女と呼ばれる者だと言う。
噂の真偽を確かめに、多くの異国人がその国を訪れた。
そして聖女を見ては、
自分もあのように美しい聖女になりたいものだと、思ったそうだ。
~おしまい~