―― Side M機構
「で? いつまでそれ付けてるのよぉ」
伽奈の住んでいるマンションを出たところで、マリーは呆れたようにパートナーを見た。ジャケットの下、ザックの腕は見事に包帯と絆創膏だらけだった。
「んー? 家に帰るまで、かな」
袖をまくってうっとりと伽奈が巻きつけた包帯に唇を当て、どこまでも甘い声を出すパートナーによけいに呆れかえるばかりだ。
「やだ、そんなに本気だと思わなかったわ」
「んふふ」
幸せそうに笑ったザックは、水仕事をしたせいではがれかけていた絆創膏をぺりっと剥がす。その下に傷はない。さっきまでの怪我が嘘のように、傷一つない肌がそこにはあった。
「はーぁっ……好きな子が俺のために泣いてくれてるの最っ高……あーダメだ、癖になりそ……」
「やめてよ、病んでるわよそれ。気持ち悪い」
ただでさえ変態だと思っていたのに、恋した途端に変態度に拍車がかかった。これはちょっと付き合いきれない。いつもの惚れっぽさを発揮してのただのストーカーかと思っていたら、想像以上に本気なようだった。
基本的にザックは惚れっぽくて飽きっぽい。可愛いと言ってしばらくつきまとって口説きまくって、家に入り込むだのなんだの好き放題して。最終的に相手が自分に惚れたら適当に関係をもってポイ、というのが常だった。どんなに熱心に追っていた時だって、こんな顔をすることはなかった。こんなとろけそうな顔で相手のことを語ることはなかった。もっと捕食者のような舌なめずりするような雰囲気で、愛しむ雰囲気なんてなかったのだ。
相手が本気になった途端に興味を無くすだなんて心底タチが悪いとマリーは思う。彼女自身は特定の誰かに対して恋愛感情を抱いたことはない。生きるために必要だから、適当な人間をひっかけてはエネルギーをもらっているだけだ。ザックという男は、そんなマリーのことをどうこう批難できる倫理観ではない。いやなかった。
今までは、彼のお気に入りにマリーがちょっかいを出そうと嫌がったことはなかった。なのに今回は「絶対にダメ」と牽制された。あんなのは初めてだ。あんな怯えたような顔を見せるのも、遠慮を見せるのも初めて見た。こんなにも幸せそうに笑っているのも初めて見た。
――まさか、これが初恋?
やだぁ、とこそばゆい思いに襲われる。
伽奈は忘れているようだけど、ザックもマリーも人間ではない。つまりは異形、バケモノだ。
傷だって、所属組織からの加護を受けている現状、全身を跡形もなく吹き飛ばされでもしない限りは腹に穴が開こうが四肢切断されようが胴体真っ二つだろうが、自分たちの意思で瞬時に治すことが可能なのだ。
ザックの腕の傷だって、本当に『なんでもなかった』。
「なんですぐに治さなかったのよ」
「カナが心配そうな顔で治療してくれてたから」
「悪趣味よ、それ。あの子本気で心配してたじゃない」
「うん……うん、すごい心配してくれてた」
ふわっと柔らかく、幸せを噛みしめるようなはにかんだ笑顔を見せる。
「俺のために、泣いてくれてた」
最っ高、とまた吐息混じりに言ってザックは恍惚とした表情になる。付き合いきれないわ、とマリーは先に歩き出す。一応の仮住まいはあるけど、今日はもう少し夜の街をぶらつくつもりだ。食事だけでは力がつかない。少しだけ、デザート替わりにエネルギーを頂けるような相手を探さなければ。
「で? いつから本気なの? 最初から? 一目惚れとか?」
歩きながらたずねると、隣に来たザックは「んーん」と首を振った。
「一番最初は『アイツ』の知り合いだって思っただけさ。近くで見たら外見も悪くないし、それに何よりも例の爺さん婆さんのとこの少年が張った結界関係なく入って来ちゃったのを見て、面白いなって思ったんだ」
「へーえ?」
「はじめは、アイツの好きな子にちょっかい出してみようかなって、いつものそういう感じで声掛けて――でもさぁ。カナは身を挺してとめようとするんだよ、俺と少年の小競り合いを。少年から俺は人間じゃないって言われてるのに、そんなの関係なくヒトと同じように扱うんだ。マリーも見ただろう? 俺たちはバケモノだって言ってるのに、あの子は人間扱いしてくれる」
――見た目で騙されてくれてるのはありがたいけど、ちょっとあの子大丈夫かしら。
うっとりと語るザックを眺めながら、マリーは少々心配になる。伽奈は視覚情報に頼りすぎだ。そんな風ではこっちの世界に足を踏み入れたら騙され放題だろう。
人間を安心させるために、異形はヒトの形をとるのに。
人間を恐怖させるために、異形はヒトならざる姿を取るのに。
見た目だけでは、凶悪さも悪質さも判断はできないというのに。
「バケモノだって知っても、俺のこと気持ち悪いって言わなかった。そんな女の子、初めてなんだ」
「ねえザックぅ、あのカナの魂ってぇ」
まだ伽奈語りを続けているザックの言葉を遮る。
「ああ、マリーも気付いてたかい?」
にまぁっとザックの表情が色を変える。当然でしょ、と頷いたマリーは伽奈の部屋を見上げる。
あんなにキラキラした魂は、そうそうお目にかかれない。あれは、純度100パーセントの、人間なりたてな魂だ。何周もしてよどんだりしていない、無垢そのものな魂だ。
周回を重ねれば浄化されていくなんていうのは、マリーの知っている限りでは『ない話』だ。段階を踏めば踏むほど、良いものも悪いものも吸い込んで濁っていく。赤ん坊が清らかと表現されるのと一緒。彼女の魂は、正しくうぶだ。柔らかくて、甘くて、脆い。
「美味しそうよね」
「ねぇマリー? カナは駄目だからね」
「わかってるわよぉ」
だから、ちょっと触るだけ。手の平から少しだけ吸収させてもらう。もっといっぱい吸えたらいいのだけど、手からではあれが限界。馴れ馴れしい振りをしてベタベタ触るのは、エネルギー補給のためだったりする。
「ねえ、あの無垢な魂も捧げたら、お褒めのお言葉くらいもらえるんじゃない? 階級もあがるかもよぉ?」
「……本気かい? そんなの許すわけないだろう? そういう意味で食べてしまったら、人間はいなくなってしまうじゃないか。俺は、カナを手放す気はないよ」
「やぁね、冗談よ」
純度の高い人間の魂は、組織に送れば活用してもらえるだろう。ある程度満足するまで吸って、それからあっちに送っても良い。と、思ったのだけど。ザックは本気であのカナという女の子に惚れてしまったようだ。低い声でマリーの提案を拒否する。
手放すもなにも、カナはそのロクでもなさそうな彼氏と別れる気はなさそうなわけで、現在ザックのものではない。……でもまあ、この調子で口説いていけば人の好さそうな彼女は簡単にオチそうな気もする。そのうちに彼の手付きになるのなら、マリーにも少しくらいはおすそわけのチャンスがあるということになる。
――彼、カナに関してロコツなのは嫌がるだろうから、女友達の気安さで手を繋ぐくらいできないかしら。
彼女の無防備さ無警戒さを考えれば、容易なことに思えた。
「じゃあ、またお仕事でね」
「ああ、おやすみマリー」
「おやすみなさい」
ひらっと手を振ったマリーは、夜の街に消えていくのだった。




