閑話_2
「……俺だけに笑ってくれたら嬉しいんだけどさ。……ダメ?」
そう言われても、みっともない泣き顔なんて見られたくない。必死にうつむく私の目尻に柔らかいものが触れた。それは涙を拭って離れていく。
「っ!」
「ビックリしたら涙止まったね」
顔を上げれば、いたずらっぽい笑みを浮かべた顔がある。彼は優しい眼差しで私を見守ってくれている。なんの関係もない彼が、ここまでしてくれる理由なんてないのに。
「だ……から、わたし付き合ってる人が……」
彼とは友達ですらない。顔見知りでしかない。恋人でなんて当然ないのに、こんな風にやたら優しく触れられるのは困る。困るって思ってるのに、どうして私も振り払えないんだろう。
「ん、わかってる。だからさ、俺のこと怒っていいよ。好きな子が泣いてるのに何もできないより、怒られてる方がよっぽどマシ」
ほわほわと微笑む彼に、私は苦笑いを浮かべた。そういうことじゃないでしょ、と身体を離せば「もうちょっとご褒美くれてもいいんだよ」なんて言って手を広げた。
「もう大丈夫。ごめん。それから、ありがとう」
「俺がやりたくてやってるんだから、気にしなくていい。カナの役に立てたなら嬉しいよ」
どういたしまして、とザックは笑った。
「……あのオバケ、もう来ない?」
怪我の手当を終えたらもう遅い時間だ。ご飯の準備――と言いながら、冷凍庫の整理も兼ねて誰かさんが食べなかったせいで凍らされていたおかずを解凍することにする。これも私の手作りなことに変わりはない。手抜きだと思うけど、アマトリチャーナは今から作るんだから良いよね、なんて自分に言い訳しながら玉ねぎとベーコンを炒めてフライパンにトマト缶を加える。
「さっきの? うん、大丈夫だよ」
傷だらけのくせに「手伝う」と言い出してキッチンに来るザックを座らせようとするのだけど、後追いの子供のように離れてくれない。仕方がないから、冷凍庫から食べたいものを選んでもらって、レンジでの解凍係をお願いした。どれもこれも美味しそう、と嬉しそうに選んでいるザックを眺めていたマリーは「お酒買ってきていい?」と言ってさっき一人で出て行ってしまった。
「アレ、思い切り傷つけてから返してるから、次飛ばすにしても時間かかるだろうし……まあ、俺がそんなことさせないしね。二度とカナには近付けないから安心して」
「次、あるんだ」
その言葉にちょっとだけ絶望する。私の声が暗くなったことに気付いたのか、振り返ってきたザックは明るく笑う。
「大丈夫だって。絶対に来ないようにしておくから」
「どうやって?」
「んー? 企業秘密ー」
ニヤニヤしている様子を見るに、あまり聞かない方が良いのかもしれない。すぐに帰ってきたマリーはコンビニで数種類のお酒を仕入れてきたようだ。大きな袋を下げている。
「カナも飲むでしょ? どれがいい?」
キッチンのカウンターに缶チューハイやらビールやらワインを並べていく。
「私は要らな――」
「だぁめ、一緒に飲むって決めたのぉ。カナ飲めないとはさっきから言ってないでしょ? 嫌いじゃないならちょっとだけ付き合って。あ、グラス借りるわね」
彼女はワインを飲むようで、勝手に食器棚からグラスを取り出して手酌で注いで飲み始める。ザックにはビールを手渡していた。私にどれがいい? と聞いてきたザックは、選んだ缶以外を断ってから冷蔵庫にしまってくれる。勝手に飲みだしているマリーとは大違いな気遣いっぷりだ。この人、チャラいわりに誠実というか真面目っぽいし、きっとモテるんだろうなぁという感想を抱く。
「温め終わったのから先食べてて。作るのにもうちょっと時間かかるし、待ってたら冷めちゃうもの」
「あら、本当ぉ? 嬉しい! っていうか、すごくいろんなお料理並んでるけど、これマリーたちが食べちゃっていいの?」
どれだけ食べるつもりよ、とマリーが呆れるのも当然なくらいにテーブルの上におかずが並んでいる。こんなに食べきれるのかしら。
「だって全部美味しそうで選べなくてさ」
「確かにねぇ……あらぁ、これ美味しいじゃなぁい」
ひょい、と指先でつまんで口に運んだマリーがにこやかに言えば、情けない顔になったザックは悲鳴じみた声を上げる。
「ちょっとマリー! どうして俺より先にカナの手料理食べちゃうんだい?!」
「こっちも美味しいわぁ、カナお料理上手なのね」
マリー! と悲痛な声を出したザックは、このままでは全部食べられてしまうと思ったのだろうか「先食べてていい?」とわざわざ確認してからテーブルに向かった。
お皿に出してと言ったのに、洗い物増えるから要らない、と妙に所帯じみたことを言ったザックは率先して取り分け用の皿とカトラリーを運んでくれる。達也なら、保存容器そのままで出したら不機嫌になられる場面だ。
――あの人はこんなことしてくれたことなかったな。
いつもゲームやったりしながらごろ寝で待ってるだけ。作ったものも、美味しそうに食べてくれたことはない。達也にとっては、料理なんてできて当然、ご飯はあって当然、なものなんだろう。わざわざ感謝を伝えるようなものではない。
――私、達也のお母さんだったのかな……
彼にいまだ未練を抱いていることが疑問に思えてくる。本当にあの男と結婚したかったんだろうか、私。今となってはよくわからないままだ。まあ、さっきあんな風にヒナの生霊に言われてショック受ける程度には好きだったんだろうな。
どれを食べても「美味しい」と嬉しそうに食べてくれるふたりの姿に嬉しくなる。どうせなら、毎日こうやって楽しいご飯が良いなあ……なんて、ありえない光景を夢想する。でもこれは考えちゃいけないことだった。




