憂い事排除依頼_5
「ヒナ……さん?」
心当たりのある名前を口にすれば、ビクンと女が反応した。
あーやっぱり。だよねえ、女の名前だったねぇ。
あーあ、私の目の前で何度も電話とかしてたじゃない。食事や遊びの誘いもしてるじゃない。あまりに堂々としすぎていて、気付かなかったというよりも可能性を排除しようとしていた。
彼女の目の前で浮気相手に平然とデートの連絡とってるとか思わないじゃない。笑いが溢れてくる。肩を震わせて笑い出した私に女が叫んだ。
『オマエノセイダ!』
「そこ、私のせい、って言われても……ふふっ」
それは浮気をした達也がいけないんじゃないかな。私じゃない。
それに全部過去の話だ。
ふつふつとこぼれる笑いがどこから来るものかは解らない。怒りなのか、諦めなのか、本当に面白かったのか。ただ、その時の私は涙を流して笑っていた。
笑っている私がよほど気に食わなかったのだろう。女が吠える。
『オマエニモ、オトコガイルクセニ!』
「……男……ってザックのこと?」
涙を拭って聞き返すと、女はもう話すことなどないというように唇を噛みしめた。
誤解にもほどがある。彼とは何の関係もない。それに、そうよ、私は達也とはもう一か月も前に別れている。現在進行形で付き合ってるみたいな言い方をされても勘違いってやつだ。
呆れて返す言葉もなくなった私の耳に、妙に弾んだ声が飛び込んでくる。
「カナ! 今、俺の名前、呼んで……っ!」
「え? ああ、はい。呼びましたね」
それがどうかしたの?
ザックはまたトロけそうな笑みを浮かべている。当然のことながら今の状況には全然合っていない。名前を呼ばれたくらいでなんだって言うんだろう。
「っ、ぁ……うれしい……」
ぶわぁっと空気も読まずに恋する気配を醸し出してくれるけど、それって誤解の元だからやめてほしいわ。
とりあえず彼の言動は無視することにして、ヒナという名らしい女を見る。今は憎悪にまみれているからおぞましい外見だけど、生身になったら愛らしい人なのかしら。まあ、あの達也が選ぶくらいなんだから、スタイル良くて小動物系の可愛らしい子なんだろう。
本当、なんであの人私と付き合ってたんだろうね。達也の好みに私が合っていないことは重々承知だった。恋人じゃなくて結婚相手なら、みたいな雰囲気もなかったし、謎ばかりだ。
ザックの手の先で暴れている彼女を見ているうちに浮かんできた疑問を口に出す。
「生霊の記憶って、飛ばした人間にも引き継がれるんですか?」
「うん?」
「今の会話、そのヒナさん? が覚えていることってあるのかなあって」
「ないよ。ほとんどの場合」
ザックは女を掴んだまま立ち上がる。中腰の姿勢に持ち上げられた女は、なおももがいて逃げ出そうとしているようだった。
「時々さあ、自分の意思でこういうの飛ばせる人間がいるんだよ。そういう場合は生霊が見聞きしたものを知ってることもあるみたいだけど――これ、ただの恨みで動いてるようにしか見えないだろ。多分、今見たことをこの女が知るってことはないと思うよ」
「ん~っ! マリーもう限界っ!」
バン、とソファを叩いたマリーが両手を振り上げた。お腹すいたー! と子供のように駄々をこねる。その声を聞いたザックが、空いている手をこちらに向けてきた。その掌に預かっていた手斧を押し付ける。
「早くやっちゃって! もうカナも十分お話聞いたでしょぉ!」
アレを見たいか、話を聞きたいかって言い出したのは誰だったか忘れてるかのような言動。マリーがそんなことを言い出さなければ、あれはザックがあっさり退治してたんじゃないだろうか。呆れると同時に、空気を変えてくれた彼女にちょっとだけ感謝する。
「だってさ。ごめんね。もう良い?」
「はい、もう良いです」
「オッケー。じゃあやっちゃうね」
ザックは私から斧を受け取ると、笑顔を一瞬で引っ込めてヒナを持ち上げた。いまや指は完全に頭にめり込んでいる。傷跡からはタール状の血がしたたる。暴れたせいか顔中血みどろ、目の中にそれが入って眼孔は赤黒くなっている。ヒナの目は、まだ私を睨んでいた。
「二度とカナにちょっかい出すんじゃねえぞ。次やったら、その時は容赦しない。わかったらさっさと」
――消えな。
低い声で言って、ザックはおざなりにヒナの首をはねた。
悲鳴すら上げずに切り飛ばされた首がボールのように弾んで一面にどす黒い血を遺す。支えを失った身体は床に落ちてピクリとも動かない。切断面はこちらからは見えない。が、床に血溜まりが広がっていく。
ああ、汚さないでって言ったのに。こういう血の跡とかって、普通の掃除じゃ取れないんじゃなかったっけ。どうしよう。
ぼんやりとそんなことを考える。
ザックは、転がった頭を掴んで持ち上げるとぐっと力を込めた。
呆気なく頭が握り潰される。グシャリ、と嫌な音が響いた。
生々しい音に顔が引きつった私は、思わず一歩、ザックから距離を取った。
「……ha-brachah」
ザックがなにやら小さく口にすれば灰が崩れるように全ての形が無くなり、一瞬でヒナの身体も血痕も姿を消す。
はい終わり、と満面の笑みで言ったザックに、私はなんとか「ありがとう」の言葉を絞り出したのだった。




