第三話 爆速ハッピーエンドを君に
崩れ落ちるディアナがスローモーションのように見えた。
慌てて手を伸ばす。
しかし次の瞬間──なぜか僕は横にぶっ飛ばされていた。
「ぐっ!?」
ドッ、と地面に体が打ち付けられる。
咄嗟に受身は取ったが、ディアナに集中しすぎていたせいでまともに蹴りを食らってしまった。
チカチカする視界に映ったのは、パーティー用の繊細なドレスを身に纏ってもなお黒縁メガネを手放さない、ブレなさすぎる、我が
「あねうえ……!?」
慌てて上体を起こして焦点を結ぶと、そこには燃え盛る炎に髪を揺らすように、轟音を轟かせる雷雲のように、激しくわななく姉上がいた。
「このスットコドッコイ!!」
「……!?」
大事そうにディアナを抱っこした姉上が眦を釣り上げ、咆哮した。
「このスットコドッコイが!!!!」
「な、何故二回も……」
「重ねて言う必要があるからです!!」
そう言った姉上は、その腕の中で気絶しているディアナを愛おしげに見つめた。
「はぁ、かわちいかわちいディアナたんのお顔がこんなに苦しげに……。うちのスットコドッコイが本当にごめんなさいね……」
三回も言われた。
どこから突っ込めばいいのか分からない。
が、姉上はキッと僕を睨んだ。
「こんなになるまで悲しませるだなんて。私の教育が足りなかったのでしょうね」
「きょ、教育って、“ウスイホン”のことでしょうか……?」
「ええそうよ。あれを読んでおけば、ディアナたんがどんなにこじらせた悪役令嬢でも救済出来ると思ったの。それなのにもう、一体何をしているのこのおバカ!!」
プンスコと怒り狂っているお姉様がディアナを抱え直した。
それからビシッ!と僕を指さす。
「いいことユージン。次の春の感謝祭までにディアナたんの心を癒し、取り戻すことが出来なければ、私はお前を二度と城に入れませんからね」
「えっ」
「お前も私の可愛い弟ですが、ディアナたんを傷つけるものは何人たりとも許しません。スットコドッコイが跨いでいい敷居はウチにはありません」
本当にツッコミが追いつかないが、姉上は大まじめだ。
城は姉上のものでは無いのだが、姉上が言うとなぜか本当に敷居をまたげなくなりそうだから恐ろしい。
「あ、姉上。ひとつ聞いてもよろしいですか」
「なんでしょう」
「なぜ心を取り戻すのが今夜ではなく、次の春の感謝祭までになのですか」
「その日に重要なイベントがあるからです。そこであのクソチート転生女をぎゃふんと言わせてやる必要があるからです」
「いべんと……? 転生……?? って、それってウスイホンに出てくる空想上の単語では」
「こほん、も、モノの例えです。……とにかく、春の感謝祭までにディアナたんの心を癒し、取り戻しなさい」
姉上が何を言っているのか全く分からない。
分からないが。
そう言われれば──僕のやるべきことはたったひとつ。
いいや、言われずともひとつだ。
「分かりました。春の感謝祭までの二ヶ月間、毎日ディアナに愛の言葉を届け、必ずやその心を取り戻します」
「愛の言葉、ね。例えば?」
そう言われて、僕は素直な気持ちを喋った。
「世界で1番かわいい……いや、美しいと思っている、とか」
「陳腐です。次」
「す、素直になれなくてモジモジしているところも愛らしいとか」
「ふむ」
「常に努力を怠らず、背筋を伸ばし、堂々と振る舞おうとしているところが健気で好きだとか」
「続けて」
「僕が赤いドレスが似合うと言ってから赤をよく着ている所も健気で好きだが、他の色も絶対似合うから全色着て見せて欲しいとか」
「次」
「僕には緊張した顔ばかり見せるのにたまに他の男に優しい顔を見せるのは本気で嫉妬するのでやめて欲しいとか、僕の横でだけ笑って欲しいとか」
「なるほど」
「凛としているところが素敵だけれど驚いた時の反応が小動物っぽくてかわいいとか」
「当然のことを羅列しているだけですね。次」
「誤解されやすい言動を気にしているようだが、他の男に取られたくないのでむしろそのままでいて欲しいとか」
「取られる可能性がある時点でマイナス五十点。もっと全力で囲いなさい。次」
「その細く白い手を握りたいとか」
「そんなのエロ親父でも言えます。マイナス五億点」
「お、億……。というかそろそろディアナを離してください。姉上と言えどもベタベタ触りすぎです。抱っこなら僕がします」
痺れを切らした僕がそう言うと、姉上が──なぜかニヤリと笑った。
「あら、駄目ですよ。あと五十個くらいは愛の言葉を聞かせてあげないと」
「聞かせ……? いいからはやくこちらに彼女を。ウスイホンではこういう展開だと女性同士の発展も多かったではないですか。僕は気が気ではな……」
そう言いながら姉上とディアナに歩み寄る。
そこで、僕は初めて気づいた。
姉上にもたれかかって気絶しているはずの、ディアナが。
──ぎゅっと目を瞑りつつ、林檎のように真っ赤になって、ぷるぷると震えていることに。
「……なるほど」
によによしそうになった口元をパッと手で隠した。
近寄ってもっと覗き込んでみる。
めちゃくちゃ可愛い。
狸寝入りだ。しかも下手くそ。
「愚弟よ。お前は姉の私相手でないと、事務的なこと以外をほとんど喋れない難儀な属性持ちでしょう」
「はい。こんなんだから氷の貴公子なんてサムい二つ名をつけられてしまったんですよね」
「ええ全くサムいです。つまり、春の感謝祭までに愛を囁くと言っても、どうせ彼女の目の前ではまたろくなことが言えないでしょう」
「ろくな……。いえ。はい。おっしゃる通りです」
「ええ、ええ、ですからね。今、ディアナたんへの愛の言葉の練習をなさい。私に向けてであれば言えるでしょう?」
なるほど合点。これはまたとないチャンスだ。
かわいいかわいい眠り姫……ならぬ、狸寝入り姫をそっと姉上から受け取り、お姫様抱っこにする。
「ぴゃっ」と小さな悲鳴が聞こえ、その体が縮こまりカンカンに熱くなったが、分からないふりをした。
「ここは冷えます。ひとまずそこの馬車の中でディアナを温めたい。そうしながら練習を聞いていただけますか、姉上?」
「いいでしょう」
そうして、私と姉上はルンルンしながらディアナを馬車に連れ込んだ。
彼女に自分の上着を掛けてやって膝の上に抱きしめ直し、姉上に惚気けるという形で愛を囁き続けた。
耳元で。
真剣に。
徹底的に。
幼き頃から今に至るまで、全部の愛しいと思ったところを。
余すところなく、吹き込んだ。
……途中で耐えられなくなったのか、狸寝入りをかなぐり捨てて真っ赤になって泣きながら馬車から逃げ出そうとしたが、その細い腰にぐるっと腕を回して抱きしめて馬車の中に連れ戻した。
「ふぎゅっ」とか言ってた。可愛いね。
はたから見たら誘拐された令嬢が誘拐犯の馬車から逃げ出そうとしたのを連れ戻されたような物騒な図になってしまったが、王子と姫が占拠した馬車に乗り込んでくるような勇猛な警備兵はいない。
というか、いつの間にか姉上の護衛騎士達が馬車の周りを厳重警戒していたので、誰も手出しできなくなっていたし、逃げ出せなくなっていた。
姉上ってすこし怖い。
「そういえば姉上。愛を囁く練習も大切ですが、今は夜会に戻って彼女の無実を訴えた方が良いのでは」
真っ赤になって顔を隠してちんまり小さくなったディアナを捕獲しつつぎゅむぎゅむ抱きしめてそう言うと、姉上はその様子を高速スケッチしながら言った。
「それもいいのですが、まだあのクソ転生チート聖女の悪行の証拠が揃っていないのです。春の感謝祭まで時間が欲しいのはそういう意味でもあるのですよ。そこで断罪して鎖に繋いで国家の犬にしてやる予定なのです」
「なるほど……僕も当然、捜査の協力をいたします」
「当然ですよまったく……。そもそも、お前がぼんやりして聖女を放置していたせいでディアナたんが余計に傷つくことになったのですよ? 基本は二人の問題だからと静観していましたが、お前のボンクラさは有り得ないものでした。 分かっているのですか?」
「はい、そこは強く反省しております。……あまりにもどうでもよい相手だったので、ついついのさばらせてしまいました。そのせいでディアナがこんなに傷つけられていたなんて……」
「えっ」
腕の中でかわいいのが「えっ」と言ったが、面と向かって弁明するとまたこじらせてしまいかねないので、優しく抱きしめたまま姉上へ語りかけるていをとった。
「基本的にディアナ以外はどうでも良いのです、僕は。……正直に言ってしまうと、ディアナと家族以外の顔はジャガイモにしか見えないのです」
「じゃがいも……」
「ジャガイモが色目を使ってきても気づけないし、興味も持てません。事務的な会話は出来ますし、必要なことは覚えていられますが、それ以外はちょっと……。しかし、そのせいでディアナが傷つけられていることにまで気づけなかったのは大反省しています……。僕が守るべきだったのに」
「じゃがいも……」
よほど衝撃だったのか、「あのセレスティア様が、じゃがいも……??」と呟いている。ちょっと舌っ足らずでかわいい。
僕としては「ディアナ以外はどうでもいい」の部分を拾って欲しかったのだが、いろいろ衝撃すぎてすんなりと耳に入っていかないのだろう。
まだ、信用されていない。
これは繰り返し伝えていかねば。
「大切なディアナのためにも、もっと周囲の動向に気を配ります。そして、ディアナともっと話し合い、お互い何を思っているのかを常に伝え合うように致します」
「ええ、そうしなさい」
「こうしてペラペラ話せるのはまだ姉上だけなので、二人きりだとうまく話せないかもしれませんが……考えてみれば、文通するなど補助の手段はいくらでもありますし」
「それはいいですね。まぁ、早く二人きりでラブラブヒソヒソおしゃべりできるようにすべきですが」
「はい。誠心誠意頑張ります。…………ディアナ」
「ひゃいっ!?」
ディアナ相手は、なぜだか補正が掛かったように冷たい感じになってしまう。
今も緊張で、多分冷たい顔になってしまっている。
愛を伝えようとするとなぜか邪魔が入ったり、勘違いさせるところで終わってしまったりもするし、そもそも声が酷く冷たい感じになる。
“運命にねじ曲げられて”いるようなそれを、いつになれば完全に克服できるのかは、わからない。
だけど。
「……僕を、許してくれるか……?」
「……!」
ディアナの美しい瞳が見開かれた。
「この通り、僕は朴念仁のスットコドッコイだ。……どうも冷血漢のように見えてしまうし、いかにも権謀術数が得意そうな感じなのに、その実、貴族的な駆け引きとかそういうものにてんで気づくことができない」
「ええと……そ、そんなこと、は」
ディアナがフォローしようとしてくれているが、目が泳いでいる。
どうも僕は自分で思っているより木偶の坊だったらしいから、仕方がない。
聖女に外堀を埋められていたらしいが全然気づけなかったのだから、相当だ。
「その、しかし。君のことを悲しませたくないから。これからは変わっていけるように、頑張りたいと思っている」
「そこは守りたいから絶対変わってみせると断言して抱きしめるところでしょうがスットコドッコイ」
「姉上はちょっとお黙りください」
姉上には返しきれない恩があるが、さすがに婚約者を口説いている最中にセリフを添削しないで欲しい。
そう思って姉上をじとりと見てからディアナの方に視線を戻すと、それはそれは可愛らしいことになっていた。
頬は林檎みたい。
希望に怯えるかのように、小さく震えている。
しかし、僕の気持ちが伝わったのか、目がうるうるのキラキラになって熱っぽくなっていた。
胸元で手をぎゅ!として、まさに乙女のポーズだ。
あんまり可愛いのでキスしてしまった。
「……、………………~~~!?!??!?」
ぽかんとした後に飛び上がらんばかりに驚く彼女が嫌がっていないのを確認して、「もう少し……」と顔の角度を変えたところで頭を叩かれた。姉に。
「お前はゼロかイチしかできないのですか。手を出すのが早すぎます。でも百点です」
「百点なんだ……」
頭をさすりつつディアナを見ると、真っ赤になったままぽっくり気絶していた。
なのでこのまま持ち帰って大切にすることにした。
──目を覚ましたディアナが僕と姉上に挟まれて川の字で寝ていたことに気づき、「きゅっ」とちいさな悲鳴をあげてまた気絶してしまうのだけれど、それはもう少し未来の話である。
ここまでお読み下さり、ありがとうございました!
悪役令嬢絶対守るマンな姉上により、二人がハッピーになるお話でした。
もしよろしければ、ぽちっと評価ボタンなどで応援していただけると励みになります……!