魔族再び
今日は珍しく早起きしたカイトは机と向かい合っていた。何も見ずに、記憶だけを頼りに魔法陣を描く。これにはサクヤも感嘆する。なお、アハトは深い眠りについている。
カイトが頭の中に入っている中で最も使えると思ったのは魔力量に応じて物を収納することが出来る初級空間魔法のサブスペース。
だが、面倒くさいことに収納用と取り出す用の二つの魔法陣が必要な上、魔法陣以上の大きさの物は収納できない。
使うことがないように願いながらも、闇魔法の魔法陣も書き記す。超級に位置するだけあり、魔法陣の大きさも巨大になる。
魔法陣を省略するにしても、封じ込める魔法に応じた魔力を持つ魔石が必要になる。
少年魔族が魔石の研究をしていた意味を理解できた気がした。
仕方なくカイトが羊皮紙を繋げて三つの魔法陣を描き始める。これが暴発したらと思うと、ペンを握る手にじんわりと汗が滲む。一つ書き終えるごとに手汗を拭きながら、書き続ける。
途中、昼食を摂ったりと休憩を挟みながら長い時間をかけて成功した魔法陣。指輪に収納した頃には、昼を少し超えた頃だった。
カイトが大きく伸びをして、立ち上がり、フラリとたたらを踏む。疲れたからではない。明らかに地面が揺れたのだ。揺れのあとには轟音が響く。
カイトが集中するために解いていた気配感知を発動させると、ダンジョンがある広場に強者特有の気配を持つ者が多数いる。
そして、それらの大半がたった一つの存在によって無力化されている。今無事な気配を探っても両手で数えられる程度しかいない。
カイトとサクヤはタイムロスだと、玄関からではなく、窓から外に出る。窓の淵を蹴り、一瞬だけ結界を出現させ、それを足場に屋根へと飛び移る。
忍者のように屋根から屋根へと移動していると、砂煙が宙を舞うのが見えてくる。建物が振動するのを足裏で感じながら、屋根を跳ねる。
屋根から落ちるように着地する。
砂埃が舞い、地面が抉れ、近くにある武器屋や防具屋は大きく削り取られていて、商売道具が散乱している。
ついさっきまで戦っていたであろう冒険者達。膝をつく者がいれば、まだやれると吼えている者、吹き飛ばされ壁に張り付いている者。
例外なく、彼らは満身創痍だ。身につけていた武器も防具も跡形もなくなっている。
一方では気味の悪い声を上げながら戦うキメラが一体。そのキメラは人間だけを使ったタイプだ。人間を粘土のように扱ったのか、酷く不細工だ。腕と足がそれぞれ八本。顔は四つあり、苦悶の声を上げている。
「サクヤ」
「分かりました」
サクヤは何も言わずにキメラに向かう。
「アハハ。おじさん、もう終わり?」
もう一方では無垢で純粋そうな子供の声。だが、その声は人を嘲り笑う類のものだ。
声の元に居たのは、カイトが見たことのある黒く金属のような光沢のある甲殻に身を包んだ巨大な魔物で、腕を振り上げていた。
その足元にはジンが膝をついて動けないでいた。魔物の掲げている腕はジンの目には死神の鎌に見える。
ジンが身につけていた鎧は跡形もなくなっている。大剣も大きく罅が入っている。頭からは汗の代わりに血が流れている。
「さようなら」
振り下ろされる巨大な腕。目にはそれしか映らない。ジンは足掻くこともできずに、ただ目を逸らさずに諦観して、死を受け入れようとした。
来るべき衝撃がいつまで経っても来ない。目を開いていたはずなに状況が呑み込めない。
多くの冒険者達を吹き飛ばし、再起不能にしたその豪腕を目の前の自分よりも細く頼りない少年が軽々と止めていた。
「カイト………か?」
「昨日の借りを返しに来た」
それだけ言うと、しっしっと手を払う。ジンも自分では力不足だと理解したため黙って引き下がる。
殺しを邪魔され、なおかつそれが一度殺された相手だったことで、拗ねたような声で言った。
「また君かぁ」
「うるせぇ。お前は早くあの世に行けよ」
「厳しいなぁ。僕がここにいることに疑問はないのかな」
「大方予想はつく。憑依の術式だな」
「正解。お兄さん、博識だね」
「魔法のスペシャリストに褒めて貰えるなんて光栄だな」
カラカラと二人は笑いあう。顔が笑っている二人だが、出ている雰囲気が内心を示すように鋭いものになる。
「魔族側につかないかい?丁重に扱うよ?」
「断る」
拒絶の言葉を言った瞬間、旧知の仲のように語らっていた二人から濃密な殺気が開放され、冒険者達をすくみ上がらせる。
閉じていた手を開くと、指先から白銀色の爪が伸びる。当たれば、体の一部分は斬り飛ばされるだろう。カイトも刀に振動を起こす。
変わり果てた魔族の少年がその場から姿を消して、一瞬の内にカイトの眼前まで迫り、その長く伸びる爪を振り下ろしていた。
カイトが直前まで気づけなかったのも仕方がない。今のは点と点とを高速で移動するスキル:縮地であった。カイトの移動の下位互換だが、強力なスキルで習得者は僅かばかりだ。
カイトは持ち前の反射神経と機転を生かし、この状況を打破する。
カイトが刀を鞘から抜き放つ。居合の補正も入った銀閃は迫り来る爪の軌道をずらす。爪はバターでも切り裂くように軽々地面を削る。
爪から発せられた見えない斬撃は地面を深くまで削り、建物をも切り裂く。カイトの洞察力が正体を捉えた。
魔物は常に魔力を纏っている。その纏っている魔力を飛ばしているのだ。これは爪術の一つ、飛爪だ。
飛爪が放たれた場所の逆に集められ、治療されている冒険者達は、もしもあそこにいたらと思ったのか、顔を青く染めた。
カイトは勢いを殺さずに脇腹目掛け全力で蹴りを入れる。
蹴りがきれいに入るが、ピクリとも動かない。意にも介した様子もなく、カイトの足を掴み、腕力だけで地面にたたき落とす。
カイトは格闘技の受け身を使い、衝撃のほとんどを地面に流す。地面が放射状に砕け、破片が舞う。
上からは鉄槌が振り下ろされる瞬間だった。視界が黒一色で染まる。
「グランドランス」
腹を貫くように地面から生えた巨大な槍が吹き飛ばし、宙に投げ出される。そのままカイトから数メートル離れた場所にドスンと音を立てながら、着地をした。甲殻には傷一つない。
「いくら君でも魔物となって強化された僕には適わないかな。そうだ。まだ名乗ってなかったね。僕はレックス・ワイドライト。冥土の土産に覚えてくれても良いよ」
レックスはもう一度姿を消す。
縮地の対処法は障害物を置くぐらいしかない。だが、一度レックスの甲殻に攻撃を入れたカイトは分かっていた。障害物を置いても、それを突き破って来ることを。
そうなると取れる行動は回避のみだ。
腕を振るうと五本の爪がカイトを殺さんと迫り来る。カイトも二刀で対応する。
周りの冒険者にはカイトとレックスの腕がブレたかと思えば、火花が散る。そのように見えている。
周りに被害を出さないように常に魔斬を発動させた刀で爪を切り払い、魔力を霧散させる。
カイトがひたすら斬撃を受け流して、レックスに近づく。カイトの手数が増え、レックスの体に刀が届くようになるが、致命傷どころか傷すら残せていない。
レックスの甲殻に攻撃を加えて削ろうとも、瞬く間に再生されてしまう。
攻撃を捌き、周りに細心の注意を払っていると耳障りな笑い声が耳朶を打つ。
「アハハ。お兄さんも疲れてきたのかな?攻撃が単調になっているよ」
その言葉を聞き終わることはなかった。爆音と閃光、衝撃がカイトに襲いかかったからだ。上級火魔法、エクスプロージョン。
失念していた。魔物には詠唱が存在しない。魔法を念じるだけで使えるのだ。接近戦では自身を巻き込むため魔法は使わないせいで可能性を捨てていた。
音は音壁で防いだが、光は目を瞑るのが一拍遅れ、視界が白く染まった。爆発の衝撃も喰らい、カイトがまともなダメージを受けた。
網膜を灼かれ、視覚情報を遮断される。
ゾクリと全身が粟立つ。災厄の孤島で幾度も味わった危機感。背中を嫌な汗が伝う。
カイトが素早く横っ跳びに回避すると、レックスの爪が鼻先をかすめる。
気配感知と勘で攻撃を捌くが、徐々にカイトの被弾も増える。カイトも超速再生を持つお陰で傷は残らないが、血を失っても戻らない。
ようやく視界を確保できた時にはカイトは衣服が血が滲み、コートは裂かれ、赤黒くなっていた。
カイトが一度後退するために並列思考を使い、同じ魔法を五つ構築する。
「多重展開獄炎槍」
ランス系火魔法の最上位。五つの全てを焦がす灼熱の大槍は狙いを過たずに突き刺さる。爆風が吹き荒れ、砂煙に包まれる。
砂煙の先にシルエットが浮かんだとき、大質量の何かが倒れる音と待ち望んでいた声がした。
「お待たせしました」
「サクヤ、向こうで固まっている奴らを守っていてくれ」
「分かりました」
サクヤが怪我人の元に駆け寄った。
「さっきのはなかなか効いたかな」
腕を十字に交差させて魔法を耐えたレックス。体からは煙が上がり、甲殻が溶けているが、再生が効果を現して時間が戻ったように元の光沢を取り戻した。
拮抗しているようで、このまま長引けば不利になるのはカイトだ。カイトの攻撃はレックスには通用せず、レックスの攻撃が一度でも当たれば、カイトのHPは一気になくなる。
「やっぱり君に勝ち目はないみたいだね」
この言葉にカイトの口が孤を描く。
「いや。俺の勝ちは決まったよ」
レックスにはただの負け惜しみにしか聞こえず、周りの冒険者には末期の患者の戯れ言にしか聞こえなかった。
レックスは縮地でカイトに肉薄する。
殺った。レックスの爪があと少しでも動けば、カイトは脳漿を地面にぶちまけて死ぬだろう。レックスには、その未来が見えたのか笑みを浮かべる。
だが、レックスの思い描いた未来が訪れることはなかった。爪が当たる直前、カイトから薄紅色の魔力が膨れ上がり、魔力の波動が広がったかと思えば、カイトが腕を振り上げただけでレックスの腕が斬り飛ばされた。
スキル:限界突破。ステータスに1.5倍の補正をかける。拮抗しているこの戦いで差が出来ることが示すのは敗北のみだ。
自身の腕が地面に落ちた音で何が起こったのかを理解し、憤慨した。
また負けるという考えを振り払うために頭を振って、残った腕でカイトを殺そうとするが、衣服にすら掠らずに、ただ空を切るのみ。
そして、自身の体には深々と切り裂かれた切創が刻み込まれている。
焦った頭が判断を鈍らせ、行動を鈍らせる。その間にも甲殻は切り刻まれていく。何回も繰り返した重傷の再生により、レックスの魔力が底をついた。最早、万に一つの勝ち目もなかった。
レックスはカイトに斬られながら、奥の冒険者達を見る。どうせ死ぬんだったら大勢を道連れにしようという考えが浮かびーーー
「固定」
ーーーたった一言で阻止された。
カイトがレックスの企みを見抜き、動きを止める。虫の息であるレックスを止めることは容易いことだ。
「待ってくれ!今回死んだらもう生き返れないんだよ!」
企みを全て叩き潰され、絶望したレックスの口からは無様で情けない命乞いの言葉しか出てこなかった。
カイトは冷めた目でレックスの前まで歩くと、ボロボロの甲殻に手を置いた。レックスは目に希望の色をありありと浮かべ、カイトを見つめる。
「黙れ」
レックスが突如、脱力感に襲われる。いや、脱力感なんて言葉では表せない無力感。この感覚を味わうのは二回目だった。事ここに至って理解した。カイトに温情など存在しなかった。
「あ…………あっ」
レックスの口からは言葉が出なかった。レックスは二回目の死を迎えた。




