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第6話

2038年6月21日

ホテルダスクに着くと上官が苛立たしげに待ち構えていた。次の任務は追って知らせると言っている。不安は大きいがあれこれ考えても仕方がないか。

 シアトルに届いたあの謎のタイムトラベラーからの手紙だが、考えてみるとひとつの仮説が浮かんできた。

 あれを書いたのは別の私自身であるという仮説はどうだろう。妻への手紙を書いた当人かはわからないがそういう気がする。たまたまこの世界に“帰還”した別世界の私か、あるいは全く別の未来から来た私が今の私に危険を知らせようとした。気をつけろの一語だけでしかもそれをわざわざ印字で書くというのが解せないところだが、切迫した事情から私になにかを知らせようとしたのだろう。謎めいた手紙だったがいたずらや別のタイムトラベラーが私宛に書いたと想像するよりは余程自然だ。まあそれでも全くわからない手紙ではあるが。

 危険であるのは百も承知さ。だが手を引いた方が賢明であっても私はこのホテルにこうして戻ってきた。

 軍の忠実な駒だから?

 いや違う。

 このホテルと地下にあるあのマシンは人間の運命をたやすく飲み込む。引き返すことができないからだ。そして私は私の運命を、探り出してくれる。


2038年6月22日

 次の任務を言い渡された。目的地は2033年のシアトル。目標は公文書回収。5年前に散逸してしまって現在は見ることができないものらしい。内容は知らされないが今の軍にとって重要な文書であるとのことだ。私はに与えられたのはそれを回収してくるという至極簡単な任務だ。目標とする公文書館の保管庫には5年前の情報をつかんでいるからなのだろう、偽造のIDでアクセス可能で、元々軍部の文書だから渡された偽の命令書で十分通用すると言われた。

 またしてもわからぬことを言っている。腑に落ちない任務だ。大体散逸する文書など、公文書とは言わないだろうが。5年前に失われたというのは嘘だ。ただ確かなのは、上は現在では入手できないなにかの情報を手に入れようとしているということだ。

 それはなんだ?

 私は内容を見ることができるのだろうか。

 それに、またシアトルか……。あそこには今は戻りたくない。

 5年前にも私はあの街に住んでいた。会いはしないだろうが別の者を送り込んだ方が上にとっても都合が良くはないか?

 上が意図していることは相変わらず皆目見当もつかないが、マシンのテストとタイムトラベル理論の研究以上のなにかに着手しているのはやはり間違いないのだろう。いや、前世紀の宇宙ロケット開発と同じで最初からそんなことは単なる方便でしかないのかもしれないな。

 出発は明日だ。


2038年6月23日

 出発前に時間が空いたので私は食堂でゆったり昼をとることにした。上は必要最低限のことだけを伝えれば後は余計なブリーフィングもしないし命令書も渡さない。成功して帰ってくれば御の字で失敗でも痛くはない。そういう姿勢が見て取れる。

どれだけの捨て駒が使い捨てられているのだろう。失敗する私もいれば成功する私もいる。それでも軍は目的の文書を手に入れられる。私は成功しても帰る場所は正確にはこの世界ではないのだ。だから同じ理屈で別の私か同じ任務を与えられた別のテスト要員がここに、私が去った直後のこのホテルに文書を持って戻ってくる。そういう不思議だがまた残酷な計算が成り立つのだ。

 私は捨て駒なのだ。だがその捨て駒が使い手の意図を知り過ぎたらどうなる?

 上の連中はなにを考えているかは知らないが、見ているがいい。


 食堂と言ってもここは1920年代のネオゴシック建築だ。気分は狂乱の20年代にタイムスリップしたかのよう、とでも言おうか。アールデコ調の内装は今となっては形容しがたい、ほとんど異様と言っていい雰囲気を醸し出している。そんなかつてのホテルレストランが食堂として開放されたのは私が休暇でシアトルに戻っている最中だったそうだ。

我々タイムトラベラーは互いの接触を厳しく制限されていたが、その方針はどうやら転換されたらしい。

皮肉、という言葉も似合いそうもない。異様だ。前時代のホテルとそこに集うタイムトラベラーたちとはな。

片隅にはレストランには不似合いのテレビが食堂らしくつけっぱなしにされている。

昼の報道。食事中に舞い込んだひとつのニュースに私は釘付けになった。


――シアトルで再び凶行。

買い物客で賑わう白昼のショッピングモールで無差別殺人。

死傷者多数――。


 見覚えのある景色が飛び込んでくる。家族でよく買い物に行く郊外のショッピングモールが映し出されている。

――犯人は一般客であふれる中央ホールに車でガラスを突き破って侵入、そのまま高速で数人を轢き倒して停止。その後車外に出て銃を乱射した――。

 

……こんな惨劇が、離れてきたばかりのシアトルで、しかも近所の見知った場所で起きただと?


――男は無差別に買い物客を撃ちながら2階へ移動、そこで最後の犠牲者を撃った後、自らの額を撃ち抜き死亡――。


 死者27人、というテロップがなにかの無慈悲な宣告のように画面を流れていく。画面の向こう側は紛れもない、シアトルのあのショッピングモールだ。この休暇の間にも家族で買い物に行った。その場所が今、凶行の現場となって、ブルーシートで覆われている。とても現実のこととは思えない……。

 家族は無事だろうか。

 他にも知り合いが巻き込まれていたりはしないだろうか。

 犠牲者の名前がテロップで流れていくのを私は眺めている。

 ああ、これはなんという無残な仕打ちだろう。不運にも犠牲者となった彼らはこうして、ひとり4、5秒で流れ去るテロップによって自らの死が世間に無情に報告されていくのだ。無様だと言ってもいい。

 晒しものの死亡通知か……。浮かばれない。彼らがあのテロップに名を連ねることになってしまった理由はなんなのだろうな。そんな理由ありはしないのだろう。一体どこにあるというのだ?

 単に折り悪くそこに居合わせてしまった、ただそれだけ。“折り悪く”という一語が彼らの運命を冷酷に物語っている。いや、運命も、因果もないのだったか。

 テロップは無情に流れ続ける。最初に見た名前が出てきたので一巡したのだろう。知った名前はない。そしてそのテロップの上では事件後の惨状がまざまざと映し出されている。頭から血を流しながらインタビューに応える者もいる。家族か知人が犠牲になったのか、泣き叫ぶ者の姿も見える。現場はひどい状況だ。地獄のようだと言ってもいい。実際当事者にとっては地獄なのだ。狂った殺人者がひとり現れただけで一変してしまった彼らの日常……。

 だが私はこの惨状を横目に見ながら初めの緊張が解けて、食事を再開していた。家族や知人が巻き込まれてはいないようなのだ。よかった。

 ……よかった?

 自分の近所がこんな殺人の舞台になったというのに?

 あの泣き叫んでいる女はどうだろう。夫を殺されたのかもしれない。あるいは目の前で酷たらしく殺されたのかもしれないじゃないか?

 そんな悲劇を尻目に多くの人がその放送を垂れ流しにしながら残酷にも昼食をとっているのだ。中にはよかったと思う者もいる。近所に住む私でさえ家族や知人が巻き込まれていないと知れば他人事になるのだ。他人事ならテレビで放送されたところで人間が無様に殺されたというおもしろくもない世間話が茶の間に届くだけだ。泣き叫ぶ女の映像が垂れ流しにされるテレビの前だろうと頓着しない。いぎたなく昼食をとりもする。それでも自分は無関係なのだと。

 彼らは“折り悪く”当事者となってしまった。その彼らを選定したのは運命でも因果でもない、救いようのない“運”なのだ。そうでない現実もいくらでも存在するのだからなおさら浮かばれない。

 昼食を終えたら次の任務のために地下に降りなければならない。犠牲者の中に知った者の名前はなかったのだ。自分の知った場所が殺人の舞台になったことはショックだが、この事件も結局は他人事なのだ。そう片付けてしまいたい。

 犯人が最後に殺害したのは自分の妻子だったらしい。リポーターがそう伝えている。となると、犯人の男は初めから家族を殺すつもりでショッピングモールに跳び込んだのか。いや、それともこの狂人の妻と子も、折り悪くあの場所に居合わせてしまっただけなのだろうか。そして狂った夫に無残にも殺された?

 逃げ惑う見ず知らずの他人を何人も殺して、最後に妻と子を殺して自殺する。この狂った男は一体なにがしたかったのだろう。そして殺された無関係な犠牲者たちは一体なにを思えばいいのだろう。ただ見えてくるのは仮借なき不条理だけだ。

 家族はどうしているだろう。レイチェルとアリスは今頃家にいるのだろうか。

 いるはずさ。とにかく事件に巻き込まれていないことは確認できた。だから今はそれだけでも安心するべきなのだ。当事者となった者たちの悲惨な運命は想像するだに惨めなものだが、そんなこと無理に考えようとしなくてもいいのだ。私は神でも、聖人でもないのだから……。私は昼食を終えて席を立った。

 ――――――レイチェル、

 ……レイチェル?

 名前が見える。妻の名前が一瞬だが見えた、気がする。

 ちょっと待て、見間違いか?テロップはもう流れ去ってしまった。……見間違いに決まっている。こういった事件は今までもいつだって他人事だった。

そうだ、他人事であるべきなのだ。当事者になってしまうところなど、一体どこの誰が想像する?そんな想像普通ならしない。到底受け容れられるような有様ではないのだ。だからこういう事件を見たら誰だって無理にでも他人事で片付けてしまおうとする。

 テロップは流れ続ける。一巡するにはまだ時間がかかる。犠牲者はさっきよりも増えているようだ。

 遅い。流れていく犠牲者の名前……、その流れはあまりに遅い。焦らされる。どうしてそうゆっくり流れるんだ。ええい速くしろ。

 遅い、遅い。こうして悠長に流れていく彼らの名前とは、存在とは一体なんだ?人間として扱かわれているとは思えない。邪魔でしかないじゃないか。

 ―――流れて、きた。


――レイチェル・ノース  シアトル 身元確認済――


 妻の、名前だ……。

 見間違いではない。同姓同名の別人でもないのもわかる。その証拠に妻の名前の次には、


――アリス・ノース  シアトル 身元確認済――


娘の名前が、確かに流れていく……、消えていく。

――ガチャン

手に持っていた食器類が床に落ちた音がした。

 なんて、ことだ。最初に見たときにはなかったのに、見落としたのか?

 これは現実ではない……。

 現実ではない。これはこの狂ったホテルの見せる狂った幻だ。そうに決まっている。

 だが、ああ、また見える。もう何巡したのだろう。妻と娘の名前が無慈悲に画面を流れていく。私の家族は、ひとりの狂人によって、今日、殺された……。

 愛する妻と、娘の名前……、名前。名前が、まだ見覚えのある名前が、見える?

 私の名前だ。自分の名前が見える……。

 ハハ、ハ、これはなんというひどい夢なのだろう。家族が殺された上に自分まで殺されたというわけか……?これはひどい。

 しかし自分の名前はよく見るとテロップの上にある。どうして気付かなかったのだろう。放送の最初から流れずにずっとそこにあったのだ。なぜなら私の名前はこの凶行の最後の死者として挙げられていたのだから……。

 気づくと食堂の客たちが不審げにこちらを見ている。食器類を盛大に取り落としたのだ。それに無様に悲鳴を上げたりしたのかもしれない。これは現実ではないと連呼している自分の声がどこか遠くのほうに聞こえる。私の顔と名前……、最後の死者。

 犯人は私だ。


つづく

あとがきはブログに書いています。こちらではフォントを変えたりしてまいます。もしよければおいでください。

http://ameblo.jp/ceryeti/

本作はここで一時中断です。

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