表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
鬼は花を喰む  作者: 久津原 蒼生
二章
7/7

2-5

「……」

「何も答えたくない、って聞いたけど」

「……」


 菖蒲の向かいに腰を下ろした楓は、努めて柔和な態度で声を掛けた。蓮は入口傍の壁に寄り掛かり、腕を組んだままだ。視線は菖蒲と椿、双方を観察するように向けられている。

 張り詰めた空気は重い。払拭するつもりで声を掛けたが、どうやらあまり効果はなかったようだ。


「八雲菖蒲って名前は本名かな?」


 ゆっくりと問いかけるとこくりと縦に首が振られた。


「住所は合ってる?」


 再び縦に振られる首。


「じゃあ、年齢を偽った?」

「……」


 一瞬、ぴくりと肩が揺れたけれど、何事もなかったかのようにふるりと横に振られた首。


 保護した直後、車内で聞いた時には、誕生日だけは答えていた。

佐藤から渡されたバインダーを見る限り、生まれ年の記入欄は、他の筆跡と異なっている。であれば、書き込んだのは菖蒲本人ということだ。

 何をきっかけに思い出したのか。それとも、覚えていない、というのが嘘なのか。

 閉じたバインダーを背後にいる蓮へと手渡し、改めて菖蒲に向き直る。

 十七歳。見た目の年齢はその通りだろう。ただ、反応に嘘が混じる。これ以上そこを詰めても仕方がないと、楓は姿勢を正した。


「そっか。分かった。今は、君の言葉を信じる」

「……え?」

「楓さん、」


 声を上げた蓮を挙手で制止し、じ、と菖蒲に目を向ける。

 戸惑ったような、ほっと安堵したような。複雑そうな様子を見せた。

 これ以上、この子達に関わるのは自分の仕事じゃない。ここで話を長引かせるよりも、楓は二人に訊きたいことがあった。


「それより、一つ訊きたいことがある」

「……なんでしょう」

「君がいた路地裏のことなんだけど」

「………」

「俺が見つけた時、君は吐いていた。あれは、体調が悪かっただけ?」


途端、菖蒲の目が見開かれた。もう少し詰めれば何か出るかもしれない。質問を重ねようとしたところで、おい、と、それまで眠っていた筈の椿が声を上げた。


「何が知りたい。吐いておっただけなら問題なかろう」


 あんな臭いところ、と吐き捨てるように言葉を投げ、椿は立ち上がると机の上にどん、と腰を下ろし、そのまま胡坐をかいた。


「ならなぜ君はその場に居なかった?」

「あ?」

「菖蒲さんが吐いていた時、君は傍にいなかった。体調が悪いと分かっていたなら、なぜ彼女を一人にした?」


 机の高さがある分、楓は椿を見上げるような状態になる。

 見下す赤い目。苛立ち、というより殺意に近い何かをひしひしと感じながらも、じっとその目を見つめ返す。

しばらく誰も口を開かず、空気が重く沈んでいる。


根負けして口を開いたのは、菖蒲だった。


「……臭いがひどくて、気持ち悪かったんです」

「それは……どんな?」

「……なんというか、カビと生ごみと蜂蜜をぐちゃぐちゃにして腐らせたような、そんな感じの臭いです」

「……」


 全く想像がつかない臭いに、楓は思わず顔をしかめる。ちらりと蓮を確認すると、蓮も同じような表情を浮かべていた。

 記憶を掘り返してみても、そんな臭いを嗅いだ憶えは楓にもない。


「……そんな臭い、しなかったな」

「……俺も、感じませんでした」

「だよな」


 早朝に発見された変死体。彼女が吐いていた場所から現場は目と鼻の先だ。

 死体の臭いを嗅ぎ取ったのであれば、二人――少なくとも菖蒲は人より遥かに鋭い嗅覚を持っていることになる。


「それがなんじゃ。臭いが気持ち悪くて吐いた。それだけじゃ。耐性がなくても仕方がなかろう」

「……耐性?」


 椿の言葉に、思わず楓の眉が動く。

 まるで、椿はその臭いを嗅ぎ慣れているか、少なくとも、それに近い何かを知っているとでも言わんばかりだった。

言葉の違和感がぞわりと背筋を這いあがる。


「……まるで臭いの原因が分かっているみたいだな」


 指摘したのは、蓮だった。

 楓が振り返ると、蓮は冷静な表情のまま、しっかりと椿を見据えていた。

 視線をものともせず、はん、と椿は嗤い、机から降りると蓮との距離を詰めた。


「この時代のケーサツ、とやらはどうにも無能なようじゃの」

「……それ、俺らに言ってます?」

「うぬら以外に誰がおる?」


 ぴり、と空気の温度が下がる。

 一触即発。手を出されれば大事になる――止めに入ろうと楓が腰を浮かせたが、蓮は視線だけでそれを制した。


「椿、黙って」

「うぬが我に指図するでない」


 菖蒲が椿を制止しても、ぴしゃりとそれを跳ね返す。その様子に、楓は違和感を覚えた。


 姉と妹。本当にそうか? いや、その前に、この娘は何だ……?


 菖蒲が十七歳なら、妹である椿はそれより下ということになる。そんな歳の子どもが、こんな威圧感と口調で話すだろうか。

 事件の事については、初動捜査が終了した時点で既に機捜としての役目は終えている。

本来であれば、ここまで踏み込む必要はない。

もし何かを彼女らが知っているのであれば話は別だ。

所轄に報告し、参考人として改めて事情を聴く必要が出てくる。

 どうする。どこから切り込むべきだ。

 不眠不休の密行明け。思考回路は焼き切れる寸前で燻っていた。


「無能、ね」

「無能じゃな」


 互いに引く気配はなかった。


「天城、」

「無能で結構。あの場にあんなものがあると知っていて、何故あの時俺たちにそれを言わなかった?」

「あんなもの、のう……」


 蓮と向かい合う椿の表情は、楓の位置からは見えない。声色からして恐らく嗤っている。

 蓮の眉がぴくりと動いた。


「あの箱の中に転がっていた、潰れた肉の話じゃろう?」

「……!」


 反応したのは、楓と蓮だけではなかった。


「……どういう、こと?」

「黙っておれ、姉御殿」

「だって肉って、」


 死体の事、でしょ?


 かすれた声で呟かれたその一言は、部屋の空気をさらに冷やすのに十分だった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ