第303話 悲報
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天正十年(1582年)八月下旬。兵庫で残務処理の指揮を執っていた山内一豊からの悲報が重秀の元にやってきた時、重秀は大坂の地にて黒田孝隆等と共に縄張作成の作業を行っていた。
「・・・この地は淀川の南側にある高台に位置しており、北、東、西から攻めるには剣呑な地でございます。一方、南側には平坦な地が広がっており、南側からならば攻めやすい地となっておりまする。が、それは逆に言えば南側に兵を集中できる、という利点にもなりまする」
大坂城跡地の本丸―――石山本願寺時代には御本寺が置かれていた場所に建てられた仮の屋敷内で、黒田孝隆が大坂城の周辺を描いた絵図を重秀に見せながらそう説明した。
「・・・となると、大手門は南側、搦手門は北側・・・、淀川と接することになるのかな?だったら搦手門は船着場とし、船が直接城に入れるようにしたいな」
重秀がそう言うと、孝隆が首を横に振る。
「若殿。お気持ちは分かりまするが、高台と淀川の間には結構な幅がございます。これを掘り、船入場とすることはできなくはないですが、多くの銭や時が必要となりまする。それならば、淀川と高台の間の平地には曲輪と馬出しを作り、その馬出しに船入場を造ればよろしいかと」
孝隆の提案を重秀は受け入れた。こんな感じで大坂に築かれる新しい城について、重秀と孝隆は話し合っていた。
そんな話をしているところに、重秀の小姓頭である寺沢広高がやってきた。息を切らせてやってきた彼の手には、一通の書状があった。
「お話中のところ失礼いたします。兵庫城の山内様(山内一豊のこと)から、火急の使者これあり。こちらを若殿に早急にお渡しするように、とのことにございます」
「伊右衛門から?」
重秀がそう言いながら、広高から書状を受け取った。書状を開き、中身に目を通した重秀は、みるみると顔が青くなった。
「・・・如何なされましたか?若殿」
孝隆がそう尋ねるが、重秀は何も答えずに書状を見つめていた。そして、急に広高の方へ顔を向ける。
「・・・野田城にいる孫六(加藤茂勝のこと)に、船の用意をさせよ。兵庫城に戻る」
重秀にそう言われた広高は、「はっ」と言って頭を下げると、すぐに重秀から離れた。
「若殿?兵庫にて何かございましたか?」
怪訝そうにそう尋ねた孝隆に重秀が沈痛な表情を浮かべながら言う。
「縁が・・・、男児を出産した。が、死産だったそうだ」
重秀の回答に、孝隆が絶句した。そんな孝隆に、重秀が話しかける。
「私は一旦兵庫城に戻る。大坂の縄張は任せる」
重秀がそう言うと、孝隆は「は、ははっ」と言って頭を下げた。そして頭を上げると、重秀に言う。
「若殿。我が愚息の吉兵衛(黒田長政のこと)をお供させてくだされ」
そう言うと孝隆は傍に控えていた長政に顔を向ける。
「吉兵衛。良いな?」
孝隆の言葉に、長政が「はっ」と短く答えた。重秀はそれを見て頷くと、すぐに仮の屋敷から出ていくのであった。
重秀が黒田長政、そして加藤茂勝を連れて兵庫城に戻ったのは、報せを受けて1日経った後のことであった。
「若殿。お早いお戻り、恐悦至極にございます」
兵庫城に残っていた重秀の家臣達が兵庫城の大手門で出迎えており、その中心にいた一豊がそう言って重秀に頭を下げた。
「此度は兵庫城を預かりながら、この様な仕儀と相成りまして誠に申し訳ございませぬ」
一豊が恐縮しながらそう言うと、重秀は右手を上げて制した。
「それは良い。それよりも、赤子はまだ城の中か?」
重秀がそう尋ねると、一豊は「御意」と言って重秀を案内した。
本丸御殿の『表』の隅にある一室まで一豊に案内された重秀は、そこで布団の上で仰向けにされ、顔の上に白い布を被せられた赤ん坊の姿を見た。
重秀は布団の傍に近づいて座ると、そっと白い布を外した。白い布の下からは、土色をした赤ん坊の顔が現れた。
戦場で多くの死体を見てきた重秀である。その赤ん坊が生きていないことは重秀にも分かった。しかし、戦場で見た死体、いや、少ないながらも今まで見てきた病死体とも違う様子に、重秀は別の感情が湧いていた。
「・・・そうか。死んで産まれたのか」
そう呟いた重秀は、そっと赤ん坊の頬を手で撫でた。頬はすでに固くなり、赤ん坊特有の少し熱い体温は全く感じなかった。
―――今まで人の死を見てきたが、あれは生きた者が死んでいくさまであった。しかし、死んだまま産まれるということを、今まで見たことがなかった。今まで見たことのない死に様に、ここまで心がかき乱されるものなのか。
・・・それとも、我が子が亡くなったことに心がかき乱されているのだろうか?なんだろう、この複雑な乱れる想いは―――
そんなことを思っている重秀に、一豊が話しかける。
「・・・恐れながら」
一豊の言葉に、物思いにふけていた重秀が我に返った。一豊の方へ顔を向けると、一豊は一瞬だけ驚いた顔をしたが、すぐに顔を引き締めて頭を下げる。
「すでに昨晩のうちに『奥』にて僧侶による読経は行いました。本日中に葬送をいたしとう存じます」
そう言われた重秀は、しばらく黙った後、口を開く。
「・・・そうだな。任せていいか?」
重秀の問いかけに、一豊は「はっ」と言って答えた。重秀が頷くと、立ち上がろうとした。しかし、一豊に止められる。
「恐れながら、涙をお拭きなされませ。その顔で城内を歩けば、御家の威も揺らぎましょう。いかなる折にも、嫡流の御当主たる御姿をお示しあそばすことこそ肝要にございます」
そう言って一豊は懐から懐紙を取り出した。差し出された懐紙を見た重秀は、そこで自分が泣いていることに気がつくのであった。
本丸御殿の『表』で重秀は亡くなった我が子と対面した後、1人で『奥』へと向かった。そして、『表』と『奥』を結ぶ渡り廊下から最初に入る部屋には、七が座って待っていた。
「お戻りなさいませ、若殿様」
そう言って平伏する七に、重秀が「挨拶はいい」と言い放った。
「縁はどうなのだ?無事なのか?」
「医者や産婆の見立てでは、生命に関わる様な異変は見当たらない、とのこと。しかしながら、男児を死産したということで、心をお病みになられておりまする」
七からそう聞かされた重秀は、「そうか」と言って溜息をついた。
「縁が無事なのは何よりだ。何、子はまた作れば良いのだ」
そう言って先に進もうとする重秀に、七が「お待ち下さい」と低い声で言った。
「恐れながら申し上げまする。御方様の前で、そのようなことは仰らないで下さい」
七が低いままの声でそう言った。その声に驚きつつも、重秀が尋ねる。
「何故だ?」
「・・・御方様のお立場をお考えくださいまし。羽柴家の嫡男の正室でございます。その第一の役目はお跡目を産むことにございます。此度は男児をおあげなされましたが、それが死産だったのでございます。お役目を果たせなかった御方様の無念を思えば、そう次に切り替えることはできませぬ。それに・・・」
「それに?」
「・・・女子というものは、お腹に子を抱えているときから苦痛を耐え抜きます。それは、産まれた後に子と共に生きることができる、という望みがあるからにございます。しかし、死んで産まれてきた子では、そのような望みは持つことができませぬ。望みと断ち切られた女子は、心身共に弱り果て、時に生きる力すら失うのでございます」
七は重秀にそう言うと、深々と頭を下げる。
「若殿様。どうか、どうか奥方様を強くお支え下さりませ」
七の真摯なお願いに対し、重秀は「相分かった」と力強く頷くのであった。
重秀は七に連れられて、縁の寝室にやってきた。そこでは、布団で横になっている縁と、その周りで座っている夏や侍女達がいた。そして、重秀を見ると、夏や侍女達が一斉に平伏し、縁が上半身を起こそうとした。
「ああ、良い。寝てなさい」
重秀が思わずそう言って縁の布団に近づいた。縁は夏の支えを受けながら上半身を起こして言う。
「いいえ・・・。御前様がお戻りなのに、寝ているわけには・・・」
そう言った縁の顔がやつれているのに気がついた重秀は、優しい声で縁に話しかける。
「疲れているのであろう。遠慮せずに横になってなさい。・・・夏」
重秀がそう言うと、夏が「はい」と言って返した。そして縁に言う。
「ささ、御姫様。まだ身体が弱っておられるのです。若殿様のご厚意に甘えましょう」
夏の言葉に、縁は辛そうな声で「申し訳ございませぬ・・・」と言いながら、再び横になった。そして、顔を重秀に向けながら、もう一度謝る。
「御前様、申し訳ございませぬ・・・。ややこが、ややこが・・・」
そう言うと縁の両目から涙が溢れ出してきた。縁が思わず目を瞑ると、涙が目尻を伝って流れ出した。
重秀が内心慌てつつも、冷静な声で縁に言う。
「謝ることはない。今はゆっくりと心身を休めよ。私も当分は兵庫城にいるから」
重秀がそう言うと、縁は更に「申し訳ございませぬ・・・」と泣きながら言った。縁の嗚咽する声を聞いて、重秀は胸を痛めた。そんな重秀に、夏が話しかける。
「・・・若殿様」
重秀が夏の方へ顔を向けると、夏の目には何かを訴えかけている様子であった。重秀が頷くと立ち上がって寝室から出た。夏も続いて寝室から出た。
寝室から出た重秀と夏は寝室にほど近い奥書院に入った。そこで上座に座った重秀が下座に座った夏に話しかける。
「・・・なんだ?なにか言いたげだったけど」
重秀がそう言うと、夏は「恐れながら」と言ってきた。
「この様な仕儀になりましたこと、誠に申し訳ございませぬ。謹んで、お詫び申し上げまする」
「・・・夏が謝るようなことではない。ないが・・・、どうしてこうなった、と問い詰めたい気分でもある」
重秀が苦虫を噛み潰したような表情でそう言うと、夏は渋い顔をしながら言う。
「・・・実は、若殿様が大殿様(秀吉のこと)と共に惟任日向守(明智光秀のこと)を討ちにご出陣された直後、体調を崩されまして。御方様はその後に回復されましたが、腹の子の動きが鈍くなりまして・・・。医者は『母親の体調が回復した以上、引き続き様子を見るしかない』と申しておりましたが・・・」
そう言って夏は平伏した。重秀が溜息をついた後、口を開く。
「・・・そうか。あの頃は天地がひっくり返るような事が起きたからな。縁も心身共に苦労したのだ。お腹の子にも響いたのやもしれない」
重秀がそう言うと、夏は目を瞑った。夏の目尻から涙が流れる。
「・・・御方様のことを思えば、無念でございまする」
そう言った夏に、重秀が話しかける。
「・・・夏よ。私からも縁に伝えるが、夏からも伝えといてくれ。あまり己を責めるな、と。そして、夏も自らを責めず、今後も縁を支えてくれ」
重秀がそう言うと、夏は「承りました」と言って頭を下げた。しかし、すぐに頭を上げて重秀に言う。
「・・・ときに若殿様。日野殿(とらのこと)について、七殿から聞いておられまするか?」
「・・・いや?何をだ?」
重秀がそう尋ねると、夏が姿勢を正す。
「実は、御姫様の死産について、奥向では動揺が広がっております。特に、日野殿が不安を募らせております。あの方、此度が初めての出産でございますれば、次は我が身、と思われても致し方ないかと」
夏がそう言うと、重秀は頷いた。
「相分かった。これよりとらの元に行き、話をしてこよう。夏は、引き続き縁の傍にいるように」
重秀がそう言うと、夏は「承りました」と言って平伏するのであった。
とらの部屋に来た重秀。そこで重秀は意外な光景を目にした。それは、とらが笑顔で1人の女児とでんでん太鼓で遊んでいたからだ。そして、その傍らでは、山内一豊の妻の千代が、同じく笑顔でとらと女児を見つめていた。
「・・・千代さん、何やってるの?」
重秀がそう声をかけると、千代ととらが慌てて平伏する。
「こ、これは若殿様。お戻りなさいませ」
千代がそう言って頭を上げた。重秀が女児に視線を向けながらとらの前に座る。
「この娘は?」
「私の娘にございます。名を与祢と申します」
千代がそう説明をすると、重秀は「へぇ、これが」と言いながら与祢を見た。
「伊右衛門(山内一豊のこと)から話は聞いていたけど。実に愛らしい娘だな。・・・で?なんでここに?」
「若殿様。前にも申し上げましたとおり、私は夏殿や七殿、そして牧殿のお手伝いのためにお城に上がっておりまする。その際、御方様より与祢も連れてきて良い、と言われました。それ故、与祢をこうしてお城に上げているのでございます」
千代の解説に重秀は納得した。そういえば縁が許していたな、と思いながら。そんな重秀に、今度はとらが話しかける。
「あの・・・、お兄様。実は千代殿から、『幼子に慣れておいたほうが良いですよ』と言われまして・・・。それでこうして与祢と遊んでいるのでございます」
とらがおずおずとそう言ってきたので、重秀は「ああ。なるほどね」と頷いた。しかし、重秀はとらがおずおずと言ってきたことが気になっていた。
「・・・どうした?とら。珍しくあまり達者ではなさそうだが?」
なんとなく予想がついている重秀を、とらは何とも言えないような顔つきになって見つめていた。そんな中、千代が重秀に声をかける。
「恐れながら。日野殿は此度の不幸を案じておられまする」
千代の気を利かせた言い様に、重秀は思わず「でしょうね」と言った。
「とらにとって初めての出産。ところが、縁がああなってしまったからな・・・」
そう言って重秀はとらの方を見た。とらは普段の明るい表情とは異なり、珍しく暗い影が顔に差し込んでいた。そんなとらが重秀に言う。
「・・・本来、武家の娘がこう言うのは憚られるのでございまするが、お姉様(縁のこと)がああなってしまったことを思うと、どうしても・・・」
とらの言葉に、重秀は「分かるぞ」と言って頷く。
「私の母も私を産んですぐに亡くなられた。聞けば、母子共に亡くなることもあると言う。案ずるのは当然だろう。しかし」
そう言って重秀はとらの手を取る。
「とらの出産の時には万全の備えをするつもりだ。特に産み月は十一月。冬の季節となってしまうが、それでもちゃんと産めるように備える。何、当分は戦もないだろうし、私も傍に控えることができよう。ちゃんと、とらを守るから、案ずることはない」
重秀からそう言われたとらは、少し安心したような表情で「はい」と頷いた。頷き返した重秀に、千代が話しかける。
「恐れながら・・・。私めはもうしばらく日野殿の傍に控えたいのですが・・・」
そう言われた重秀は少し悩む。
「うーん、そうして欲しいのは山々なんだが・・・。実は兵庫城の残務処理が終わった後は早急に伊右衛門を天王寺城に移したいんだが・・・」
重秀がそう言うと、千代は「まあ」と驚いたような声を出した。
「伊右衛門に城をくださるので?」
「城というか砦というか・・・。まあ、本人にはまだ伝えていないが、大坂の新たな城ができるまでの間、南を守ってもらおうか、と思っていたんだ。しかし、千代さんを兵庫に残すとなると、伊右衛門も兵庫に残ると言い出さないだろうか・・・?」
重秀がそう言うと、千代は「何を仰られまするか」とプリプリ怒り出した。
「せっかくお城がもらえるというのに、そんなわがままが通る訳がございませぬ。若殿様、遠慮なく大坂へ引っ張ってくだされ」
千代の言葉に、重秀は思わず笑った。
「千代さんは強いな。では、遠慮なく連れて行くことにしよう。そして、大坂が落ち着いたらとらを呼び寄せるから、その時に千代さんも大坂に来れば良い」
重秀がそう言うと、千代は「その時は是非に」と言って平伏するのであった。
重秀はその後、藤の様子を見るために藤の部屋に行った。そこでは、藤と乳母の牧、そして牧の息子の与助がいた。
藤はどことなく元気がなさそうな感じであった。重秀を見ても、かえって不安げな表情を浮かべているのであった。
「・・・これは」
「御方様が死産であったことを、大姫様(藤のこと)は存じ上げておりませぬ。恐らく教えたとて大姫様には理解できますまい。・・・ですが、御方様が寝込まれていることには心細さを感じていらっしゃいます」
藤を見て思わず呟いた重秀に、牧はそう話した。重秀がそっと手を伸ばすと、藤は戸惑いながらも重秀に抱きついてきた。
重秀は藤を抱き返しながら思う。
―――不憫だな。縁があんなのでは幼心に恐ろしいと思うのだろう。こういう時に父親である私が傍にいられないのが心苦しいが・・・―――
そう思いながら、重秀は顔を牧の方に向ける。
「牧。引き続き藤を頼む。与助のこともあるから難儀すると思うが・・・」
「承知しております。大姫様のことはどうぞお任せくだされ」
力強くそう答えた牧を、重秀は心強く思うのであった。
その日の夜。死んだ赤ん坊の葬儀が密かに行われた。乳児の死亡率の高いこの時代、わざわざ葬式をあげることすらせず、そのまま埋めてしまうことが多かった。
しかし、重秀のような城主格になると、さすがに何もせずに埋める、ということはできなかった。なので簡単ながらも葬儀を行った。
すでに読経が終わっていた亡骸は、密かに城外に持ち出されて須磨にある寺に持ち込まれた後、そこのどこかに埋められた。
そういったことを行った重秀は、数日間、兵庫城に滞在した。縁やとらを見舞い、藤と遊んだりした後、彼は兵庫城から淀城(淀古城のこと)へと向かった。
父秀吉に、今回のことを伝えるために。




