第300話 兵庫への帰還
感想、評価、ブックマーク登録、いいね!を頂きありがとうございます。大変励みとなっています。
誤字脱字報告ありがとうございました。お手数をおかけしました。
兵庫編はここまでです。次は大坂編となります。投稿につきましては活動報告をお読みください。
長浜城を訪れた次の日。重秀は堀秀政から預かった京極高次の母親(京極マリアのこと)と弟(のちの京極高知)を連れて安土城内の羽柴屋敷に戻った。
そして、そのことをさっそく秀吉に伝えた。
「・・・分かった。とりあえず、両名を儂の前に連れてこい。儂は小一郎と官兵衛(黒田孝隆のこと)を呼ばせる」
秀吉からそう言われた重秀は、マリアと仙千代(京極高知の幼名)を連れて屋敷の書院へと連れてきた。しばらく待っていると、秀吉と小一郎、孝隆が入ってきた。
「面を上げられよ」
秀吉がそう言うと、マリアと仙千代が恐る恐る顔を上げた。そこには、頭巾を被った秀吉が、目を潤ませて二人を見つめていた。
「・・・お労しや。あの近江の守護であった京極の御方様と幼子が、このように身をやつしておられたとは。この羽柴筑前秀吉、心より同情致す。
京極殿(京極高次のこと)は逆臣惟任日向守(明智光秀のこと)に騙されてお味方されたのでしょう。どうして御方様(京極マリアのこと)とその御子息を殺めることができましょうや。京極殿は今は行方が知れませぬが、分かり次第この筑前めが助命したすよう、働きかけまするぞ。それまで、安土の京極屋敷にて、仙千代殿とごゆるりとお過ごしされるが良い」
秀吉がそう言うと、マリアは唖然とした顔をしばらくした後に、ワッと泣き出した。そしてしばらく泣いた後、秀吉に言う。
「・・・仙千代のために生命を投げ出す覚悟で参りましたが、よもや助けていただけるとは。筑前様のご慈悲、かたじけのう存じまする。今後は、残り少ない人生を神に捧げ、悔い改めとう存じまする」
そう言ってマリアは深く平伏した。そして隣に座っていた仙千代もまた、平伏したのであった。
重秀がマリアと仙千代を別室に連れて行った後、再び書院に戻って秀吉に尋ねる。
「父上。何故あの二人を助けたのですか?まあ、女子供を殺めないのは父上らしいとは思うのですが」
そんな事を聞いてきた重秀に、秀吉はのほほんと答える。
「何。別に深いことを考えていたわけではにゃーで。あんな女子供を生かしたところで、羽柴にはどうということもなかろう。京極なんぞ昔の名門じゃった、というだけじゃ。殺すまでもなかろうて」
この時、秀吉は本気でそう思っていた。しかし、この判断が彼の人生に大きな影響を与えるとは、秀吉どころか誰も思ってもいなかった。
その次の日。重秀は羽柴屋敷の向かいにある前田屋敷を訪れていた。越前府中城に戻る前田利勝(のちの前田利長)に会うためである。
「藤十。よく来たな」
前田屋敷の書院にて、笑顔で重秀を迎えた利勝。そんな利勝に重秀が笑顔で返す。
「明日にも府中城に戻ると聞いてな。俺も明日には兵庫に戻るから、今日のうちに会いにいこうと思って来た」
幼馴染である利勝に、ざっくばらんに話しかけた重秀に、利勝は笑顔のまま尋ねる。
「兵庫にか?京には戻らないのか?」
「無論、京にも寄っていく。京に駐屯している手勢を兵庫に連れて帰るからな」
「・・・京の警固はどうするんだ?藤十の役目だろう?」
「それは矢部様が代わりにやってくださるからな。明日、一緒に京へ向かうつもりだよ」
重秀の言葉に、利勝が思い出したかのように声を上げる。
「ああ、矢部善七郎様か!確かにあの方はうってつけだ!」
矢部善七郎とは、矢部家定のことで織田信長の近習の一人である。彼もまた、織田信長の吏僚の一人として、長谷川秀一や堀秀政等と共に織田家の政に関わっていた武将である。
彼は本能寺の変の際、信長や織田信忠の傍にはおらず、織田信孝と共に大坂にいた。そして、信孝や丹羽長秀と共に秀吉に合流した後、山崎の戦いで明智光秀と戦っていた。
「父上が矢部様を四奉行の一人にしようとしている。やっぱり、俺が推薦した与一郎殿(長岡忠興のこと)だと、他の宿老が反対してるんだと」
重秀がそう言うと、利勝は「そりゃ反対するだろう・・・」と呆れるように言った。
「与一郎殿は才はあるが日向守の女婿。奉行になんぞできないだろう・・・」
「しかし、あの才を埋もれさせるのは惜しい。まあ、今は駄目でも、ほとぼりが冷めれば・・・」
「しかし、伊勢の中将様(織田信雄のこと)や侍従様(織田信孝のこと)が与一郎殿を重用してくださるか。そもそも、俺は中将様に不安を覚える」
利勝がそう言うと、溜息をついた。その様子を見た重秀が尋ねる。
「中将様?まあ、あの方は伊賀の攻略に一度失敗されて、上様よりお叱りの言葉をいただいているが・・・」
「それだけじゃない。俺は上様(織田信長のこと)や殿様(織田信忠のこと)が討たれた後、忠三郎の義兄上(蒲生賦秀のこと)と共に日野城に籠もっていたが、安土城を占拠していた明智左馬助(明智秀満のこと)が兵を率いて坂本城へ向かったから、蒲生勢と共に安土城に入ったんだ。その数日後、兵を率いてきた中将様が入城したんだ。
・・・ところが、中将様の軍勢が入城したその日の夜に天主や本丸御殿が燃えたんだ」
利勝の言葉に、重秀が思わず「ええっ!?」と驚きの声を上げた。
「そうだったのか!?俺はてっきり明智の兵が火を放ったのかと思ってたのに!」
「恐らく中将様がわざとやったわけではないと思う。あれは失火だろう、というのが義兄上や左衛門太夫様(蒲生賢秀のこと)のお考えだ。
・・・まあ、それは良い。失火なんてよくある話だ。失火させた者を罰せればよいだけだ。が、中将様はそれをしなかった。それどころか、失火の罪を蒲生様になすりつけようとしたんだ」
利勝がそう言うと、重秀は再び「ええ・・・」と声を上げた。利勝が話を進める。
「蒲生勢は確かに安土城に最初に入った時には、明智の残党が残っていないか探るために天主や本丸御殿に入った。しかし、天主や本丸御殿に明智の残党がいないことを確かめた後、本丸へ続く城門を外から固く閉ざし、我等は二の丸に駐屯したのだ。一方、本丸には後から来た中将様の軍勢が入られた。どう考えても、あれは中将様の手勢のせいだろう」
利勝はそう言って溜息をついた。重秀が唖然としつつ呟く。
「・・・父上からは何も聞かされていなかった・・・」
「藤吉おじさん(秀吉のこと)が安土に来たのはそれから二日後だ。一緒に来た侍従様は激怒されていた。が、中将様はのらりくらりとした口調で認めなかった。それにあの人、口調が独特だろう?その口調に侍従様が腹を立ててしまったんだ。おかげで二人の間で斬り合いが始まるところだったんだ。結局、藤吉おじさんと惟住様(丹羽長秀のこと)が間に入って宥めてたんだけどな」
利勝がそう言って再び溜息をついた。そして呟くように言う。
「有り体に言えば、あの二人が共に力を合わせて織田家を盛り立てることができる、とは思っていない。特に、中将様には信が置けない。こんなことなら、修理亮様(柴田勝家のこと)が仰られていたように、侍従様だけが名代になられればよかった」
利勝の言葉に、重秀は眉をひそめた。山崎の戦いの前に見た信孝の態度を思い出したのだ。重秀から見れば、あの我の強い、そして信雄への反発心を持つ信孝一人が三法師の名代になることに、重秀は内心嫌悪感を抱いていた。
しかし、重秀はそのことを利勝に言わなかった。その代わり、利勝には自分の考えを言う。
「・・・名代はともかく、織田家の当主は三法師様。殿様の血を受け継いだ正当な跡取りだ。その三法師様をお守りすることを、まずは考えるよ」
重秀の言葉に、利勝が「そうだな」と頷いた。
「俺も重秀の文を読んだよ。三法師様をお支えする、という藤十の考えには俺も同感だ。前田家も殿様(織田信忠のこと)の下で天下の政をする、と安土で藤十と共に殿様から聞かされていたからな。それに、前田は羽柴とは友誼がある。共に三法師様を支えよう」
その後、二人は夜遅くまで酒を酌み交わすのであった。
安土の羽柴屋敷から京へ戻った重秀は、織田信吉(織田信長の五男)と矢部家定を引き合わせ、京での治安維持の業務を引き継いだ。
引き継ぎを行った重秀は、その足で色々な人のところへ挨拶に行った。内大臣である近衛信輔(のちの近衛信尹)、日野輝資や広橋兼勝、柳原淳光や烏丸光宣といった公家衆を始め、長谷川宗仁といった京の町衆の有力者等である。
そして、最後に挨拶にいったのが、相国寺であった。相国寺では住持を始め、その側近として名を知られつつある承兌に挨拶をし、その足で口蕣(のちの藤原惺窩)にも会いに行った。
「羽柴様。拙僧のところにまでわざわざのお越し、かたじけのうございます」
僧坊(寺の中で居住するための建物)の一室で重秀と面会した口蕣が、そう言って平伏した。重秀も頭を下げながら返事をする。
「いやいや。せっかく近くまで来たのです。たまには文ではなく会って話がしたい、と思いまして。これから忙しくなりそうですし、なかなか文のやり取りも難しくなりそうですので」
「確かに。羽柴筑前様だけではなく、藤十郎様の名も近頃はよく聞くようになりました。次の天下を統べるのは羽柴様になる、ともっぱらの噂でございます」
口蕣がそう言うと、重秀は溜息をつく。
「・・・羽柴が惟任日向守を討ち果たして以降、そのような話を私も耳にしました。しかしながら、別に私は天下をどうこうしたいとは思っていないのです。周りが好き放題に言っているだけなのです」
思わず愚痴をこぼす重秀。そんな重秀に、口蕣が優しく話しかける。
「それは苦しゅうございますな。自ら欲したのではなく、周りがそう望んでいるかのようになっていると」
口蕣の言葉に、重秀は頷いた。口蕣はそのまま黙って重秀を見つめていたが、おもむろに口を開く。
「・・・人というものは、理に沿うて定まるものにございます。羽柴様も、その理に導かれたのでございましょう」
「・・・理、ですか。つまり、そうなるべくしてそうなった、と心得よということですか?」
重秀が諦めたかのような口調でそう言うと、口蕣は微笑みながら答える。
「仏法にて申せば、さように受けとめるのも一つの道でございます。世に起こることは、すべて理に沿うて現れますゆえ。しかしながら・・・」
口蕣はそこまで言うと、一旦口を閉ざした。重秀が不思議そうに見つめる中、口蕣は再び口を開く。
「・・・しかしながら、心得るだけでは民百姓のためにはなりません。理とはただ天や仏のもとに在るのみならず、人の心にも具わるものでございます。己が心の理を明らかにし、それを世に施していかなければ、乱れは必ず下へ及びましょう」
口蕣の言葉に、重秀は「えっ?」と思わず口に出した。
「己が心の理・・・、ですか?」
「はい。実は宋の頃より、儒学でも理について説くようになりました。すなわち、『世の中を律する人の性と天の理は、同じものである』と。これを『性即理』と申します。理を窮め、敬を持って己の身を修めれば、周囲も自ずと理に従いましょう。それが広がれば、国を治めることができ、天下も安んじることができるのです」
口蕣がそう言うと、重秀の眉間にしわが寄る。
「・・・口蕣殿。何故そこで天下の話になるのですか?」
重秀がそう言うと、口蕣が「これはご無礼仕りました」と言って頭を下げる。
「前に読んだ漢籍に書かれたことを、そのまま申し上げただけでございます。拙僧としたことが、どうも学んだことを人に話したくて仕方のない質のようでして。・・・ご存知のとおり、儒学というのは仏法の添え物のようなものでして、あまり寺の中では話し合わないのでございます」
「そうなのですか。・・・そういえば、崇福寺や岐阜城で四書五経は読みましたが、読んだだけでしたな。詳しい話は半兵衛殿(竹中重治のこと)から教わりました」
重秀がそう言うと、口蕣は頷く。
「はい。仏門にて最も重視されるべきは経文であり、儒学はそのついで、というのが今までの儒学でございました」
「・・・そんな儒学を、口蕣殿は学んでおられると?」
重秀の質問に、口蕣は「はいっ」としっかりとした口調で答えた。
「羅貫中編の『三国志』・・・、『三国志演義』のことでございますが、あれは劉玄徳を仁君とし、諸葛孔明を忠臣とし、関雲長を義将としております。他にも礼や智の姿を書いております。羅貫中なる者は、『三国志』を以て世に儒学を広めんとしている、と感じました」
「なるほど・・・。確かに、私も兵庫津に入ってきた『三国志演義』を読んだが、今思い返せば口蕣殿の言うとおりなことが書かれておりましたな。
・・・しかし、僧籍にある者が、仏の教えではなく孔子の教えに傾倒してよろしいのですか?」
重秀がそう尋ねると、口蕣は困ったような顔をしながら言う。
「おっしゃるとおりでして・・・。仏門に帰依した者が、仏の教えを蔑ろにするわけには参りませぬ。とはいえ、どうも近頃は朱子なる者が説いた儒学が唐朝鮮にて尊ばれているようで。日本でも唐朝鮮に習って、新しき儒学を学ぶべきでは?と思っております」
「・・・まあ、儒学は日本でも昔から学ばれているもの。学ぶことはよろしいと思いますが」
重秀が口蕣の話に合わせるようにそう言った。すると、口蕣が目を輝かせて重秀に近づく。
「おお、そう言っていただけますか!如何でございます?藤十郎様も唐の国の新しき儒学を学んでみては?共に朱子の説いた新しき儒学を学びましょうぞ」
いきなりそう言われた重秀は、困惑しながら口蕣に言う。
「え?いや、私は国替えがあります故、忙しいのですが・・・」
「いえいえ。そう仰られずに。羽柴様が天下を治めるかどうかはともかく、民百姓を治めることには間違いないのでございますから、新しき儒学を以て治国を行うべきではございませぬか?」
口蕣からそう言われた重秀は、最初は断ろうと思った。しかし、そんな重秀の脳裏に、はらりと何かが舞い降りた。重秀は、その何かをそのまま言う。
「・・・しからば、口蕣殿から教わりとう存じます」
重秀の言葉に、口蕣が「えっ!?」と声を上げた。重秀が話を続ける。
「我が師、竹中半兵衛殿は私に学問を教えてくれた際にこう申しました。『人に教えることで、自らも学べる』と。人に教えるなら、その教えることを自らが知り、言葉にしなければなりません。そこでより深く学べるのだと。
・・・人に教えるため、人に説くために理を窮める。これは口蕣殿の想いに繋がるのではございませぬか?」
重秀がそう言うと、口蕣は考え込んだ。そして呟く。
「・・・確かに。そもそも僧ならば仏典を人に説くのが役目。その仏典を人に説くために深く知らなければなりませぬ。それと同じことを、儒学で行うのですね?」
口蕣がそう言うと、重秀は頷いた。口蕣が更に考え、重秀に言う。
「・・・少し、考えさせて下さい。これは生半可な想いでは済まされそうにはならないので」
口蕣がそう言うと、重秀が頷く。
「よくお考え下さい。私も、領地を治めるためになるのであれば、学ぶことにやぶさかではありませぬ。もし、新しき儒学を学び、私に教えてくださるというのであれば、私は口蕣殿の弟子になりましょう」
「・・・まだ修行の身でありながら弟子を取るとは。恐れ多いことにございますな」
口蕣がそう言って笑い、それを見た重秀も笑うのであった。
途中の山崎では、淀城(淀古城のこと)に駐屯していた脇坂安治率いる羽柴水軍と合流、一部の兵を乗せて兵庫津へと帰した。そして重秀自身は陸路で兵庫に向かった。
山崎では大山崎油座の商人達から豪華な饗応を受け、その場で多額の銭や銀子の献上を受けた。重秀はそれを受け取ったものの、油座からの要求である『大山崎油座の保護』については、
「父上と相談の上、後日返答する」
と言って回答を引き伸ばした。
山崎を出発した重秀は、軍勢を率いて尼崎城(昔の大物城)に向かった。そこで尼崎城城主の池田恒興と、重秀の領地である八部郡と有馬郡の引き渡しについて話し合った。また、淡路島についても話し合われた。
「羽柴殿からお譲りいただく八部郡と有馬郡については、有馬郡を三左衛門(池田照政のこと)の知行といたす所存。また、淡路一国については、引き続き勝九郎(池田元助のこと)を洲本城に置き、淡路を任せようと思う」
恒興からそう話を聞いた重秀は、八部郡と有馬郡を年末までに引き渡すことを恒興に伝えた。
尼崎城での話し合いが終わり、重秀は次の日には尼崎城を離れた。そして軍勢を率いて兵庫城に帰ってきたのは、天正十年(1582年)七月の下旬であった。
それは、重秀が兵庫城城主としての、最後の帰還であった。




