第294話 光秀の娘(前編)
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天正十年(1582年)六月二十三日。京の妙覚寺に秀吉と小一郎、そして黒田孝隆がやってきた。
「父上。それと叔父上と官兵衛殿(黒田孝隆のこと)も。わざわざのご足労痛み入ります」
門前にて出迎えた重秀がそう言うと、秀吉は難しそうな顔つきで「うむ」と言った。
「お主からの文を読んで、すぐに飛んできた。まあ、それだけではないのだが、とりあえず中で話し合おう」
「分かりました。では書院にご案内します」
重秀がそう言うと、秀吉達は馬から降りて重秀の後をついて行った。
秀吉は書院に入ると上座に座り、重秀と小一郎、そして孝隆が上座に近い下座に座り、その後ろには大谷吉隆が座った。
「藤十郎。京での鎮撫、骨折りである。お主の活躍、父として鼻が高いぞ」
秀吉が疲れたような顔つきでそう言うと、溜息をついた。その様子に、重秀が礼も言わずに声を掛ける。
「父上、どこかお加減でも?」
心配そうな顔でそう言った重秀に、秀吉が「そう見えるか?」と言って自嘲気味に笑った。
「別に病になったわけではない。が、安土城で侍従様(神戸信孝のこと)と伊勢中将様(北畠信雄のこと)が衝突してな・・・。事あるごとに意見の食い違いがある。いや、意見の食い違いがあるのは別に構わぬ。が、中身がな。どうも反対のための反対というか、相手のやることが気に入らんらしい」
秀吉はそう言って眉間を指で押さえると、更に溜息を重ねた。そんな秀吉に、重秀が尋ねる。
「そこまで酷いのですか?」
「うむ。特に侍従様は自ら織田家を采配したい、とのお気持ちが強いらしい。まあ、三法師様が岐阜城におわすから、岐阜城主となった侍従様はその立場を利用して中将様より上に行きたいのであろう。・・・そのためかどうかは分からぬが、お主が京でやっとる鎮撫についても口を挟んできおった」
「・・・何か、私めのやりようにご不満が?」
重秀が内心ビクつきながらそう尋ねると、秀吉は頷く。
「ああ。お主が龍山様(近衛前久のこと)と内府様(近衛信輔のこと。のちの近衛信尹)の名を借りて京を鎮めていることに、侍従様は不快に思っとる。元々、侍従様の名代として源四郎様(織田信吉のこと)がおり、お主はその下で京を鎮めるのではなかったか?」
「・・・確かに父上のおっしゃる通りなのですが、その、内府様から色々頼まれまして・・・」
重秀がおずおずとそう言うと、秀吉は「分かっておる」と頷いた。
「お主の文にも書いてあったからのう。まあ、近衛邸の修繕はともかく、『近衛様が日向守(明智光秀のこと)に与した、ということについては誤解である』というお主の訴えが侍従様には気に入らぬらしい」
「気に入らぬ・・・ですか?何故?」
「安土城には京より脱した源五郎様(織田長益のこと)がおってのう。源五郎様が侍従様に対して強く訴えているのじゃ。『近衛邸から明智の兵が攻めてきた』と。侍従様は叔父である源五郎様の訴えを重く見ておるのじゃ」
「源五郎様・・・、ですか・・・」
重秀は何かを含む言い方でそう呟いた。秀吉は重秀の言い方が気になって尋ねた。
「何じゃその物言いは?なにかあるのか?」
「・・・実は京童共の間に噂が流れていまして。『源五郎様は三位中将様(織田信忠のこと)を見捨てて京から逃げ出した』と」
『織田の源五は人ではないよ お腹召せ召せ召させておいて われは安土へ逃げるは源五 むつき二日に大水出ておたの原なる名を流す』という歌は、後世に書かれた史料に載っているが、当時から歌われたものではない。しかしながら、織田長益が生き延びたことについて、当時の人々はあまり良くは思っていなかったようである。
「まあ、真に見捨てたのかどうかは分かりませぬが、もし真ならば・・・」
重秀がそう言って口を閉ざした。秀吉が訝しんでいると、孝隆が話しかける。
「大殿。若殿は源五郎様が己が逃げ延びたことを糊塗するために近衛様を責めている、とお考えのようです」
ズバリと孝隆に言われた重秀が、慌てた様子で首を横に振った。しかし、秀吉は特に重秀を咎めなかった。
「まあ、藤十郎がそう思うのは仕方ない。というより、それが源五郎様の本音じゃろうな」
秀吉がそう言うと、重秀は抗議するように発言する。
「だからといって近衛様を批判されるのは筋違いでございましょう。それに、内府様は直に我等のところに来て弁明されておられました。従一位内大臣たるお方がですよ?確かに、近衛様は親子揃って武家によく交わられたお方です。しかし、それにしたって公家としての矜持をお持ちのお方が我等に頭を下げたのでございます。さすがに虚偽でそこまでいたしますか?」
「・・・まあ、儂なら生き残るなら矜持を捨ててでも頭を下げるがのう」
「父上。父上は私が塩飽を再び羽柴のものにする際に、『すべての人が藤十郎のように考えぬ』と仰られていたではありませぬか。父上と同じ考えをすべての人ができる、とはいえぬのではございませんか?」
秀吉の発言に対して重秀がそう反論すると、秀吉は「むむむ」と口に出した。重秀が更に言う。
「それに、城攻めの際に敵の弱き所を攻めるのは当然のこと。二条新御所を攻めた際に近衛邸の方面が弱き所ならば、日向守でなくともそこから攻めます。それを以て近衛様が日向守に与したというのは、あまりにも暴論でございます。
・・・それに、龍山様は上様と殿様を弔うために、六月三日には出家なされております。更に言えば、龍山様は昔、甲冑を着て不識院(上杉謙信のこと)と共に出陣されていたお方。もし日向守に与していたら、あの方、一緒になって本能寺や二条新御所を攻めてるはずですよ」
重秀がそう言うと、秀吉は黙り込んだ。その様子を見て、孝隆が秀吉に話しかける。
「まあ、近衛家は公家の中の公家でございます。近衛様をお守りすることができれば、羽柴にとっても後々羽柴のお役に立てるやもしれませぬ。ここは、近衛家に恩を売ってもよろしいのではございませぬか?」
孝隆がそう言うと、秀吉は両目を瞑って考えた。そして、再び両目を開く。
「・・・そうじゃな。よし、侍従様には儂からなんとか話をつけよう。何なら、中将様や惟住殿(丹羽長秀のこと)にも話をつけて、近衛様をとりなすようにしよう」
秀吉がそう言うと、重秀が平伏しながら応える。
「有難き幸せ。山科にご滞在中の龍山様も内府様も喜ばれましょう」
「うん。まあ、近衛家についてはその辺で良いじゃろう。次に藤十郎の文に書かれていた件じゃが・・・」
秀吉がそう言うと、重秀は畏まった。秀吉が重秀を見ながら話しかける。
「・・・助けたい者がおるそうじゃな?文には書いておらぬが、文を持ってきた使者の口上では、なんでも、日向守の縁者だとか?」
「あ、はい。すでに妙覚寺におりますれば、父上に会わせたく存じます」
重秀はそう言うと、部屋の後方に座っていた吉隆に「連れてきてくれ」と声を掛けた。吉隆が「はっ」と短く返事をすると、すぐに部屋から出ていった。
それからしばらくして、大谷吉隆が複数の人間を連れて戻ってきた。男が3人、女が1人、そして、幼い子供が3人、そのうち1人は赤子で女の腕に抱かれていた。
複数の人間は秀吉の前に座ると、一斉に平伏した。そして重秀がそれぞれを紹介していく。
「父上。そちらの頭を丸めているお方が長岡与一郎殿(長岡忠興のこと。のちの細川忠興)。そして、その後ろに控えているのが有吉四郎左衛門殿(有吉立行のこと)です」
重秀がそう言うと、紹介された坊主頭の男と、背後に控えていた若武者が顔を上げた。その顔を見た秀吉が思わず声を上げる。
「おおっ!誰かと思えば、兵部大輔様(長岡藤孝のこと)の御子息ではござらぬか!」
そう言うと秀吉は立ち上がり、すぐに長岡忠興の傍に近寄った。そして忠興の手を取ると、ブンブンと振り始める。
「いやいやいや、兵部大輔様のおかげですぞ!丹後から動かず、日向守に加勢しなかった。だからこそ、我等が山崎にて日向守を討ち破ることができたのでござる!しかも、上様(織田信長のこと)と殿様(織田信忠のこと)の御霊を弔うために髻を落とされたとか。いや、儂も兵部大輔様に見習って髻を落としたのですぞ!しかしながら、愚息めにはそれを強いることはしなかったのでござる。・・・まったく、与一郎殿の頭を見ると、我が愚息に強いなかったことが悔やまれますな!」
そう言う秀吉に恐縮しながら、忠興は「かたじけないお言葉にございます」と言って頭を下げた。そんな忠興に、秀吉が尋ねる。
「して、与一郎殿は何故こちらに?助けたい人がいる、とは藤十郎から聞いております。・・・もしや、長岡家を助けてもらいたいとか?ならばご懸念無用!日向守に与さなかった長岡家を罰することはございませぬぞ!その旨、侍従様や伊勢の中将様に取りなしましょうぞ!」
秀吉からそう言われた忠興は、戸惑いながらも秀吉に言う。
「あ、いえ・・・、その、長岡家に対する扱いについてその様に言っていただけるのは誠にかたじけないのでございますが・・・。実は、助けてほしいのは長岡家ではなく、我が妻の玉のことにございます」
忠興の言葉に、秀吉の片眉が上がる。
「玉・・・殿、でござるか?確か、日向守の娘御でござるな」
「御意にございます。玉は、確かに日向守の娘。しかしながら、此度の日向守の謀反とは一切関わっておりませぬ。玉は、それがしに明智方につけとは一言も言いませんでした。それどころか、謹慎を命じたところ、何も言わずに従ったのです」
そう言うと、忠興は額を畳にぶつけるように平伏する。
「筑前様!何卒、何卒我が妻の玉をお救いくだされ!玉は何も悪くないんです!日向守が何も言わずに謀反を起こしたのです!それがしも、父も何も知りませんでした!だから、だから何卒、長岡家と玉をお救いくだされ!」
そう言って何度も額を畳に叩きつける忠興。その後ろでは立行も平伏しっぱなしであった。そんな忠興に、秀吉が慌てるように止める。
「与一郎殿、与一郎殿!どうか頭をお上げくだされ!っていうか、言っていることが滅茶苦茶ですぞ!玉殿を救いたいのか、長岡家を救いたいのか、まぜこぜになっておりますぞ!」
秀吉がそう声を上げると、忠興は頭を上げて一言、「両方です!」と応えた。額から血を流しながら秀吉を見つめる忠興を見て、秀吉は溜息をついた。そして孝隆の方を見る。
「官兵衛、どうする?」
「まあ、長岡家は日向守に与さず、それどころか我等と通じましたからな。ここは大殿が骨を折ってもよろしいかと存じます。ただ、羽柴に何かしらの益があれば、言うこと無いのですが・・・」
秀吉から問われた孝隆が、忠興の顔をちらちら見ながらそう言うと、忠興が割り込むかのように言う。
「そ、その点はご懸念無用!筑前様への御恩を必ずお返しいたします!存分に、我等長岡の力をお使いくだされ!」
忠興がそう言うと、秀吉は満面の笑みを浮かべる。
「おお、おおっ!そう言っていただけるとは有難きお言葉!この羽柴筑前、与一郎殿のお言葉を信じて、必ずやお玉殿と長岡家をお護りいたしますぞ!」
秀吉が芝居がかったような口ぶりでそう言うと、忠興と立行は「あ、有難き幸せ!」と同時に言って再び額を畳に叩きつけるように平伏した。
そんな様子を見ていた秀吉が、ニコニコ顔で忠興の隣に座っている女性に声を掛ける。
「良かったですなぁ、玉殿。これで夫君と離縁せずに済みますぞ?」
そう言った秀吉に、重秀が声を掛ける。
「あ、その方は玉殿ではありません。与一郎殿とは関係ない・・・、いや、あるのか?あ、でもやっぱりないのかな・・・?」
重秀の言葉を理解できなかった秀吉。忠興の隣に座っている女性を見ながら重秀に尋ねる。
「・・・藤十郎。この方は玉殿ではないのか?儂ゃてっきり玉殿も与一郎殿と共に助命嘆願に来たのかと思ったぞ?」
「玉殿はまだ蟄居中です。この方は・・・、なんと言って良いのやら・・・」
困った表情でそう言った重秀に、秀吉が苛立ったように言う。
「なんじゃ。お主にしてははっきりせぬのう。この女性は誰じゃ!?」
秀吉の大声に、重秀が反射的に答える。
「はい。この方は大溝城城主にして大坂の代官でした津田七兵衛様(津田信澄のこと)の正室、英様にございます。そして、三人のお子様は七兵衛様の遺児で、後ろに控えし者は英様の付き人の妻木菊次郎殿です」
重秀の回答に、秀吉だけでなく小一郎や孝隆までもが驚いた顔をした。
「・・・ということは・・・、日向守の娘御、か?」
秀吉がそう言うと、重秀が「はい」と答えた。秀吉が声を上げる。
「いやいやいや、なんで七兵衛様の正室がここにおるんじゃ!?大溝城にいるんじゃないのか!?」
「まあ、それは色々あったそうですが・・・」
そう言うと、重秀はその色々について話し始めた。
重秀の話によれば、近江大溝城に本能寺の変が伝わったのは、天正十年六月二日。すなわち本能寺の変が起きた当日であった。
その時、大坂城にいた夫の津田信澄に代わって城を預かっていた英は、その報せを聞いて当然驚いた。
とりあえず、明智家から嫁いできた際に一緒についてきた妻木菊次郎に情報収集を命じると、城の者を集めようとした。ところが、ただでさえ四国攻めでほとんどの兵がいない上、すでに城下に噂が流れてしまったため、城下だけでなく、城内からも逃亡者が出てしまった。
それでも英は菊次郎と共に少なくなった城内の者と共に大溝城にいた。父である明智光秀は、娘婿である津田信澄を味方にしているはずだ、と考えたからである。
ところが、数日後に光秀からの使者がやってきた。彼は、信澄が神戸信孝と丹羽長秀に殺された、ということを英に伝えた。
自分の夫が殺されて動揺する英に、使者は「坂本城にて保護する」と、光秀の言付けを伝えた。が、英はこれを拒否した。彼女は、信澄の血を受け継いだ子供達が織田家の人間として光秀に殺されることを恐れていた。正直言って、彼女は自分の父親を信じることができなかったのである。
とはいえ、大溝城は琵琶湖の西岸にある城。琵琶湖水運や琵琶湖周辺の交通の要所である大溝城を、光秀が占領しないわけがない。そこで、彼女は子供を連れて大溝城から逃げることにした。
付き人の菊次郎と数人の護衛を連れて城を脱出した英と子供達は、近江と山城の国境の山奥にある寺に逃げ込んだ。そこで数日程滞在していると、近隣の国衆である朽木家が兵を動かしている、という話を聞いてしまった。
英達は朽木の動きを、自分達を捜索している、と判断した。保護して光秀に引き渡すのか、逆賊日向守の一族として討ち果たすのかは分からなかったが、どちらにしろ、英達はその寺からも逃げ出さざるを得なかった。
ではどこに逃げるのか?英達は相談の結果、人が多く紛れ込みやすい京に逃げ込むことにした。彼女達は身なりを貧相なものとし、戦災から逃げた百姓、といった感じで京に入った。
しかし、京に入った直後、今度は山崎の戦いで光秀が秀吉に敗北した、という話が英達に伝わった。英達はどこに逃げるかまた相談する羽目になった。
色々情報を収集していくと、丹後長岡家は光秀に与しなかったが、かといって光秀の娘の玉を離縁したり殺害したりしていない、ということが分かった。そこで、英達は玉を頼るべく、丹後へ向かおうとした。しかし、この数日の過酷な境遇で、子供が病になってしまった。回復するまで京に留まっていた結果、京に羽柴の軍勢が入り、掌握してしまった。
英は、京に入った羽柴の軍勢の指揮官が重秀だと聞くと、重秀に投降することを決めた。彼女は、夫の信澄から重秀のことを聞いており、その人柄に賭けることにしたのだった。
「・・・という理由で、英殿は病から回復した子供達とそこの菊次郎なる者を引き連れて私の元へとやってきたのです」
重秀がそう言うと、秀吉は溜息をつく。
「そういうことだったのか。まあ、そういうことなら致し方ないのう・・・。しかし、話によれば丹後に向かうつもりだったのじゃろう?だったら、そこにいる与一郎殿に頼んで丹後に連れて行ってもらえばよかろう」
秀吉がそう言うと、忠興は「勘弁してください・・・」と涙目で言った。
「ただでさえ玉のことで肩身が狭いのに、その妹まで匿えば、長岡家は世間になんと言い訳すればよいのか。父や私が髻を落としてまで織田に尽くした意味がなくなります」
忠興がそう言うと、秀吉は「ふむ・・・」と言って顎を撫でた。そんな時だった。それまで平伏していた英が、ゆっくりと頭を上げた。そして、秀吉に対し声を上げた。




