第293話 勝利の波紋
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重秀が京での治安維持に勤しんでいた頃、山崎の戦いの結果が各地に伝わっていた。
明智光秀の討伐に動いていた柴田勝家の耳に入ったのは、天正十年(1582年)六月十八日であった。
この時、勝家は自らの軍勢を率いて、近江まで進出してきたが、そこで秀吉が光秀を討ち破ったことを知った。
「・・・まさか、筑前(秀吉のこと)がこうも早く動けるとは」
感嘆と悔しさを混ぜたような声で勝家が呟くと、傍らにいた佐久間盛政が勝家に言う。
「筑前の奴がこれほど早く動けるとは思えませぬ。何か知っておったのでは?」
盛政の言葉に、柴田勝安改め柴田勝政が同意するように頷いた。勝家は首を横に振る。
「それを言ったら我等とて同じこと。恐らく、毛利との戦を放りだして畿内に戻ってきたのであろう」
そう言うと勝家は前田利家の方へ顔を向ける。
「孫四郎(前田利勝のこと。のちの前田利長)から、新たな報せはあるか?」
「明智の兵がいなくなった安土城に、蒲生勢と共に入城したとのこと。しかしながら・・・」
利家はそう言うと、バツが悪そうに口を閉ざした。勝家が訝しむ。
「・・・どうした?」
「はっ。実は・・・、安土のお城は何者かに放火されたとの由」
利家の発言に、勝家だけでなく他の者達も「なんだと!?」と驚きの声を上げた。
「う、上様(織田信長のこと)があれほど丹精込めて造られた安土城が、燃やされたというのか!?」
勝家がそう声を上げると、利家がしどろもどろになりながら応える。
「た、正しくは天主と本丸が焼失したようでござる。その他の建物は無事とのことでござる」
「それでも、あの荘厳な天主が焼け落ちたのは由々しき仕儀っ。一体何者の仕業か!?」
勝家の怒声に、利家が「そ、そう言われましても・・・」と言って怯んだ。『槍の又左』と言われた猛将前田利家でも、織田家随一の猛将たる柴田勝家の怒声には怯まざるを得なかった。
「・・・文には火を放った者の名は記されておりませんでした」
利家の返しに、勝家は思わず舌打ちした。そんな勝家に、柴田勝豊が声を掛ける。
「・・・して、養父上。我等はいかが致しまするか?このまま進軍し、安土城に入りますか?」
勝豊がそう言うと、勝家はしばらく悩んだ。そして口を開く。
「・・・いや。一度、北ノ庄城に戻る。加賀や能登の一向門徒の残党の動きが気になるし、越中に残した内蔵助(佐々成政のこと)から、放棄した魚津城に上杉の軍勢が入ったという報せも受けている。それに対応しなければならぬ」
「では、帰陣の準備を?」
勝豊がそう尋ねると、勝家が頷く。
「うむ。これより陣をたたみ、北ノ庄城へ帰還する。その旨、兵共に伝えよ」
勝家がそう命じると、皆が「ははっ」と言って頭を下げた。
皆が退出した後、勝家は1人で考える。
―――これで筑前は主君の仇を討った忠臣、というわけだ。儂が織田家筆頭の家臣として、仇を討てなかったのは口惜しいが、こればかりは致し方ない。
・・・それよりも、今後のことだ。上様の跡を継ぐべき殿様(織田信忠のこと)もお亡くなりになられて、織田家の跡を継ぐ者がいなくなってしまった。まあ、殿様の御子息たる三法師君もおられるし、殿様の弟御たる伊勢の中将様(北畠信雄のこと)や侍従様(神戸信孝のこと)もおられる。いづれかの方が跡を継げば良いであろう。
・・・しかし、織田家は上様や殿様がいた時のような織田家ではなくなるであろうな―――
そう考えた勝家は、次に柴田家の将来も考える。
―――今思えば明智との縁組を破断させたのは良かった。もし、茶々を明智に嫁がせていれば、此度の謀反に柴田が巻き込まれていたやもしれぬ。いや、あの小賢しい日向守(明智光秀のこと)ならば、必ずや我等を巻き込んできただろう。茶々を権六(柴田勝敏のこと)と娶せようとした上様の御意思に従って誠に良かった。
・・・しかし、権六は齢十五。此度の越中攻めでは初陣を務めたが、未だ若輩者。次の織田家を支えるにはまだまだ力不足。一方、筑前の息子は毛利との戦いで武功を挙げた。それだけではなく、孫四郎からの報せでは源四郎様を兵庫まで逃し、源四郎様の存在を明らかにすることで摂津や畿内の諸将を明智に靡かせなかったらしい。己の考えでやったか、父である筑前の命を受けて行っていたか、どちらにしろそれをやってのけたというだけでも十分有能な若人よ。
・・・筑前そのものも有能であり、儂よりも若いことを考えれば、柴田家は羽柴家の風下に置かれるやもしれぬ・・・―――
勝家がそう思った時、ふと風を感じた。野外に陣幕を張っただけの勝家の本陣に風が吹くのは当たり前なのだが、勝家はその風に、夏とは思えないほどの冷たさを感じた。
―――風が変わった・・・。いや、時の流れが変わったというべきか・・・?―――
そう思った勝家は、ふと己の老いを感じた。自分はまだ戦える。しかし、自分がいつ死んでもおかしくないことは自覚していた。
勝家は重秀の事を小谷城跡で見ていた。内政でも非凡な才能を見せた重秀に、今の勝敏が勝てるとは思えなかった。
―――儂が生きているうちに、権六を、いや柴田家を羽柴に対抗できる家に育てねばならぬ。織田の威光を頼るのではなく、自らの力で―――
勝家はそう思うと、静かに決意を固めるのであった。
勝家が山崎の戦いの結果を知った同じ日。その報が岡崎城にいた徳川家康にももたらされていた。
徳川家康が堺から三河国岡崎城へ帰還したのが天正十年(1582年)六月四日。それから家康は自身の全領地から兵を岡崎に集めた。そしてそのまま織田信長の仇討のために出陣、ということにはならなかった。
というのも、堺を脱出した際に別行動を取っていた穴山信君が未だ自身の領地に戻ってきておらず、穴山領内で動揺が起こっていたのを気にしたのであった。
「梅雪殿がいないのに、穴山領を放っておいて西進すれば、背後を案じながら進む羽目になる。それは避けたい。まずは背後を固めねば」
「そうですなぁ。梅雪殿の嫡男の勝千代殿はまだ十一歳の若年。まだ跡を継ぐには力量不足でございますなぁ。誰かが守ってやらねば」
家康と本多正信との間でこんな会話がなされた後、とりあえず穴山領に旧武田家家臣の岡部正綱を派遣し、穴山領を掌握することに成功した。
「殿。背後を守るとするならば、甲斐へも手を回しましょう。北条の抑えをしていただきませんと」
正信がそう提案すると、家康はこれを取り入れ、当時、甲斐国を領国にしていた河尻秀隆に家臣である本多信俊を派遣、協力を申し出た。
しかし、裏では旧武田家臣である岡部正綱と曽根昌世を使って甲斐の旧武田家臣を引き抜いていた。これは、明らかに甲斐を我が物にしようとする家康の工作であった。
さて、家康は甲斐への工作を行っている一方、京や安土に残した伊賀者からの報告を聞いていた。元々、信長による暗殺を恐れた家康が、情報収集と妨害工作のために放っていた伊賀者達は、本能寺の変後も残って家康に情報を送り続けていた。そのため、家康とその家臣達は畿内情勢を正確に把握していた。
そして、秀吉と光秀が山崎で戦うことが分かった時点で、家康はすでに西進の軍の先陣として尾張に向かっていた酒井忠次の軍勢に撤退を命じ、自身の出陣を見合わせていた。そして、六月十八日に結果を知ることとなった。
「・・・相分かった。そのまま京と安土の状況を物見するよう、伊賀者共に命じてくれ」
伊賀者を統括する服部正成から報告を受けた家康は、正成にそう命じると、正成は「はっ」と言って書院から出ていった。家康は傍らにいた本多正信に言う。
「存外早かったな」
「はい。まあ、羽柴の若君が兵庫で色々やっていたようでございましたからな。そのおかげで、羽柴には池田、中川、高山等の摂津衆がつきましたが、明智には丹後の長岡や大和の筒井がつかなかったようでございます。そのため、羽柴の兵の数に圧倒されたようで」
正信がそう言うと、家康が頷く。
「うむ。そのことも伊賀者の報せにあったな。結局、日向守は上様や三位中将様(織田信忠のこと)を討てても、その後に足元を固めることができなかった、ということだな」
家康がそう言うと、正信と同様に家康の傍らにいた石川数正が尋ねる。
「殿。我等は今後どの様にいたしましょうか?」
「・・・確か、甲斐に送り込んだ百助(本多信俊のこと)は肥前守(河尻秀隆のこと)に討たれたのであったな?」
家康がそう尋ねると、数正が「御意にございます」と応えた。数正が更に話す。
「その数日後、甲斐にて旧武田家臣が一揆を起こし、肥前守を討ったそうで」
「ふむ。そうなると、誰かが肥前守に代わって甲斐を鎮めねばならぬのう」
家康が遠くを見るような目でそう言うと、数正が頷く。
「・・・殿。岡崎にはすでに徳川の精兵が集結済みでございます」
数正がそう言うと、家康は両腕を組んで考え込んだ。そして口を開く。
「伯耆(石川数正のこと)よ。兵を浜松に動かす。その旨、皆に伝えよ」
家康の命を受けた数正は、「ははっ」と言って頭を下げると、すぐに書院から出ていった。残された正信が一人呟く。
「・・・織田家はこの後どうなりますでしょうなぁ」
正信の独り言に、家康が反応する。
「・・・上様のみならず、三位中将様までもが亡くなられた。次の後継者は誰がなっても、上様や三位中将様に匹敵する器の者ではあるまい。となると、各地に散らばった重臣が力を持つだろう。そして、古の唐(中国のこと)にて周王朝が衰えた際、諸侯の中でもっとも力を持った者が覇者になったように、重臣の中でもっとも力をつけた者が織田家を動かしていくのであろうな」
「その覇者はどなたが?」
正信がそう尋ねると、家康は「羽柴筑前」と即答した。
「わずか十日程で逆臣たる日向守を討ち果たしたのだ。主君の仇を討ったというだけでも十分その武功は比類なきものとなる。それに加えて筑前の領地よ。播磨に但馬、摂津の二郡が羽柴のものであるが、他にも備前、美作、因幡に伯耆の一部が羽柴に与しておる。これに日向守の丹波と近江の一部が加われば、羽柴が織田家中で最大の領地を持つ重臣になる。
・・・それに人材も豊富じゃ。特に、お主の言う羽柴の若君は織田家の女婿でもあり、文武共に優れた若人。一方、他の重臣・・・、柴田や丹羽は当主が老いて後継ぎが若すぎる。どう考えても織田は羽柴親子の二代によって動かされるじゃろう」
「・・・その覇者に、殿は名乗りを上げぬので?」
正信がいたずらっぽい表情を顔に浮かべながらそう言うと、家康は首を横に振る。
「・・・上様や三位中将様がご存命ならば、織田の家臣として振る舞ったが・・・、今はそうではない。もはや織田に対して卑屈な態度を取っている場合ではない。これからは、己の足で立ち、前に進まなければならぬ」
家康はそう言うと、決意の眼差しを正信に向ける。
「弥八郎(本多正信のこと)。今までは織田の力を借りることで武田や北条に対抗できた。しかし、もはやそれも望めぬ。とするならば、我等は我等の力で己が身を守らなければならぬ。そのためにも、甲斐と信濃は儂等のものにしなければならぬ」
家康がそう言うと、正信は「御意にございます」と返事した。
「もはや織田に遠慮はしていられませぬ。徳川の自立のため、拙者もささやかながら、知謀をもって殿をお助けいたしまする」
「そなたの知謀はささやかどころではないのだが・・・。ただ、織田家と敵対するのは外聞が悪いし、長年助けてくれた上様に対し申し訳が立たぬ。織田とは友誼をそのままとし、織田家に何かあれば、儂は織田家を助けるぞ」
「となりますと、下手をしたら羽柴と戦うことになりますが」
正信がそう言うと、家康は「面白い」と笑った。
「あの有能な親子を相手に戦えるのは武人として本望よ。それに、願掛けに借りた銀子はもう返した。後腐れなく戦えるわ」
三原要害にいた小早川隆景に山崎の戦いの結果が伝えられたのは、天正十年(1582年)六月十九日であった。
「・・・そうか。羽柴筑前が惟任日向守を破ったか」
「京からの報せによれば、明智勢は崩壊したとのことにございます」
瑶甫恵瓊(安国寺恵瓊のこと)からそう聞いた小早川隆景は、溜息をついて言う。
「・・・結局、我等はこの好機を無駄にしてしまったな」
小早川隆景に本能寺の変の事が伝わったのは六月十日。重秀による徹底した情報封鎖により、雑賀衆の反信長派である土橋家からの密使は兵庫や三田の重秀領を迂回しなければならず、隆景に伝わるのが遅れたのであった。
「もう少し、せめて六月三日や四日に伝わっていれば、羽柴勢を追撃できたものを・・・」
傍らに控えていた桂景信が悔しそうにそう言うと、隆景が首を横に振る。
「いや、それで追撃をすれば、世間に『毛利は約束を守らぬ』と言われてしまう。そのようなことになれば、毛利は天下に恥を晒すことになる」
そう言いつつも、隆景は別のことを考えていた。
―――そもそも、疲弊していた我等に、羽柴を追撃できる余力はないわ―――
六月までに兵糧を始めとした物資が不足していた毛利は、本能寺の変を聞いた秀吉率いる羽柴勢を追撃することは物理的にも不可能であった。恐らく、羽柴勢撤退直後に本能寺の変を聞いたところで、隆景は追撃を行わなかっただろう。
それに、六月十日に伝えられた情報では、織田信長と織田信忠の首級が見つかっていない、というものであった。つまり、生きている可能性がある、ということであった。また、その後に伝えられた情報では明智と柴田が組んで謀反を起こした、とか、明智が羽柴と組んで謀反を起こした、とか真偽不明な情報しか入ってこなかったため、隆景は情報を精査するために動くことができなかったのである。
「それにしても羽柴筑前めは小賢しい男ですな。京での異変を聞くやいなや、我等に上方の異変を悟らせず、知らぬ顔で講和を結んだのでござるから。しかも京に通ずる道を塞ぐとは」
隆景の家臣である井上春忠がそう言うと、春忠の隣に座っていた鵜飼元辰が口を挟む。
「まあ、筑前が備前や姫路の街道筋を封鎖するのは、当然と言えば当然でござろう。しかし、よもや兵庫や三田まで閉鎖するとは。そこまでやるか?とは思いますが」
「聞いた話では、兵庫や三田は筑前殿の御子息である羽柴藤十郎の領地だそうで。ひょっとしたら、藤十郎が独自に手を回したのかも」
恵瓊がそう言うと、景信が「まさか」と小馬鹿にしたように笑った。
「聞いた話では、羽柴の小倅はまだ二十歳を過ぎた歳だと聞いた。そんな若造が、手際良くできるわけがない」
「しかし、我等はその若造に下津井にて敗北し、兵部(乃美宗勝のこと)の倅(乃美盛勝のこと)を討たれている。いや、それだけではない。能島と来島の村上家を寝返らせたのも藤十郎なる若者がなした、と聞いた。元々、羽柴には筑前はもちろん、その弟も有能である、という報せが入っている。それに、黒田官兵衛なる知恵者もいるし、蜂須賀を始めとする勇将も抱えている。更に藤十郎という優れた後継ぎがいるのだ。そんな羽柴が惟任日向守を討ち破り、主君の仇を討った。もはや、織田家中での羽柴の力は侮れぬものになるだろう」
隆景がそう言うと、皆が苦々しげに頷いた。
「・・・して、殿は今後は如何なされるのでございますか?」
元辰がそう言うと、隆景は景信に確認するように尋ねる。
「兄上(吉川元春のこと)はもう伯耆についているだろうか?」
隆景の質問に、景信は「恐らくは」と答えた。隆景が力強く言う。
「兄上のことじゃ。恐らく八橋城を攻め落とすべく、総攻撃を行うであろう。兄上に『心置きなく戦われよ』とお伝えせよ」
「・・・よろしいのですか?羽柴方の山中鹿介(山中幸盛のこと)が籠もる城ですが」
春忠がそう聞くと、隆景は「かまわぬ」と応えた。
「羽柴との和議はあくまで一時の休戦よ。国境の画定まではしておらぬ。羽柴の目が畿内に向いているうちに、少しでも失地を回復せねば。特に、八橋城は伯耆の中部にある交通の要所。ここだけでも毛利のものにしたい」
隆景がそう言うと、皆が同意するように頷いた。元辰が隆景に質問する。
「では、我等も伯耆に行き、駿河守様(吉川元春のこと)にご助力いたしますか?」
元辰の質問に対し、隆景は首を横に振る。
「いや。我等は備中、美作、伊予の失地を回復する。特に、能島と来島の両村上は許せぬ。これを罰し、山陽の国衆への引き締めとする」
隆景がそう言うと、恵瓊が思わず声を上げる。
「お待ちくだされ。すでに能島来島の両村上は羽柴に従っておりまする。これを攻めれば、羽柴から約上に反する、と言われかねませぬ。それに、左衛門佐様(小早川隆景のこと)の水軍衆のうち、乃美水軍と因島の村上水軍は兵力を回復できていないのではございませんか?」
恵瓊の言葉に、隆景が言い返す。
「一任斎(安国寺恵瓊のこと)の言うこともっとも。しかれども、伊予の河野との繋がりを維持するためには、能島と来島は毛利のものとしたい。これだけは譲れぬ。それに、羽柴との和議は備中、美作、伯耆での休戦。伊予は関係ない」
そう言うと、隆景は視線を恵瓊から自身の家臣達に向けて宣言をする。
「良いか。これから先は、少しでも毛利の領地を回復させるのだ!」
しかし、隆景の決意は、すでに叶わぬ夢となっていたことを、隆景本人は知るよしもなかった。




