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大坂の幻〜豊臣秀重伝〜  作者: ウツワ玉子
兵庫編

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第275話 本能寺の後(その6)

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「如何なされた?羽柴の若君。ひょっとして、今までの彦右衛門や四郎次郎の話はすべて偽りで、真は我等が惟任日向守と繋がっており、そこから報せを受け取っていると考えられましたかな?」


 本多正信の言葉に、重秀は、いや重秀以外の者達も固まった。長谷川秀一や九鬼嘉隆、松井友閑はもちろん、徳川家康とその家臣、そして穴山信君とその家臣も固まっていた。

 そんな中、正信がのほほんとした口調で話を続ける。


「まあ、そう思うことは致し方ないと思うのですが、それはありえませぬな。羽柴の若君になら、そのくらいは分かると存じますが」


 正信がそう言うと、その場にいた者達は一斉に重秀の方を見た。重秀がその視線にビビりつつも応える。


「・・・確かに。弥八郎(本多正信のこと)の言う通りならば、我等はすでに討たれているはずです」


「然り。わざわざ呼び出して前右府様(織田信長のこと)や三位中将様(織田信忠のこと)が討たれたことは申し上げません。さっさと貴殿等を討って日向守様(明智光秀のこと)にその首を持っていきますから。まあ、『冥土の土産』として聞かせてから殺すのも一興かもしれませぬが」


 笑いながらそう言う正信に、重秀は思わず顔を顰めた。そんな重秀がふと正信から視線を移すと、本多忠勝等が汚いものを見るかのように正信を見ていた。


 ―――弥八郎の奴、長浜や小谷でも口が悪くて市(福島正則のこと)や虎(加藤清正のこと)に嫌われていたっけ。てっきり旧敵だった羽柴だから口が悪いのかと思ってたけど、ひょっとして徳川家中でも口が悪いのか?徳川家中でも嫌われてるみたいじゃないか―――


 重秀がそう思っていると、上座から家康の声が聞こえてきた。


「弥八郎、そこまでにしておけ。ここで織田の方々と対立することを儂は望んでおらぬ。むしろ、織田の方々と協力してこの困難を乗り越えなければならぬ」


 家康がそう言うと、正信は「ははっ」と言って頭を下げた。それを見た家康が重秀達の方を見る。


「弥八郎が無礼を申した。儂は貴殿らを害することを考えておらぬ。何卒、ご懸念無きよう」


 そう言って家康は軽く頭を下げた。それを見た重秀と秀一、嘉隆と友閑は頭を下げた。その際に重秀が思わず口に出す。


「お気になさらずに。弥八郎の口の悪さは長浜で十分知っておりますれば」


 重秀の言葉に、家康は「それはそれは」と笑い、忠勝が「ああ、やっぱりな」と納得するかのように呟いた。そのことで場の空気が和らいだ。

 それを感じた重秀が、今が機会だ、と言わんばかりに家康に質問する。


「・・・三河守様(徳川家康のこと)は我等の協力が必要、と申されましたが、これからどうされるおつもりなのですか?」


 重秀がそう尋ねると、答えたのは家康ではなく酒井忠次であった。


「無論、三河に戻るのでござる。三河に戻り、兵馬を整えて惟任日向守を討ち果たさなければ」


「惟任日向守様を討ち果たす、のでございますか?」


 思わずそう尋ねた重秀に、忠次が「然り」と答えた。


「大恩ある前右府様と三位中将様の仇を討つことで、織田への恩を返すのでござる」


 忠次がそう言うと、続いて石川数正が話し始める。


「・・・実は殿様(徳川家康のこと)は上様が襲われた、と聞いた時に、お助けするために京に入られると申された。しかし、直後に上様が本能寺にて討たれた、と聞いた時には涙を流して腹を召されようとなされた。我等はそれを何とか諌めた。結果、殿様は三河へ戻ることを決断されたのだ」


「腹を・・・、召されようとされた・・・?」


 数正の話を聞いた友閑が思わず声に出した。これに対し、数正ではなく家康が応える。


「上様には良くしていただいた。その御恩に報いなければならぬと思ったのだ。しかし、上様が討たれたと聞いた時には御恩に報いることができなくなる、と考えてな。後を追って殉じようとしたのだ。しかし、家臣達に止められてな。『上様の後を追うよりも、生きて上様の仇討ちをすることこそ、織田家の御恩を報いる事ができるのです』と言われたのだ。儂はその言を受け入れることにしたのだ」


 家康の言葉に、徳川家臣達が「殿・・・っ」と感動したように言った。それを見ていた秀一や嘉隆、友閑は感心したような表情をした一方で、重秀は胡散臭そうに家康や徳川家臣達を見ていた。


 ―――安土では三河守様が討たれるのでは?と用心していたのに・・・。むしろ内心では命拾いした、と思って喜んでるんじゃないか?―――


「・・・羽柴の若君、なにか言いたそうですな?」


 重秀の様子を見ていた正信がそう言うと、重秀は慌てて返す。


「えっ?あ、ああ。えっと、徳川の皆様方はどのようにして三河まで戻られるおつもりですか?」


 重秀が誤魔化しついでにそう尋ねると、正信ではなく数正が答える。


「・・・そのことなのだが・・・。羽柴殿と九鬼殿にお尋ねしたいことがござる。海路で三河・・・いや、尾張の熱田まで向かうことは可能でござろうか?」


 数正の質問に対し、重秀は「無理です」と即答した。


「堺にいる我が水軍の水夫達は堺から熱田までの海路を知りませぬ。堺から熱田までの海路となりますと、紀伊の沿岸を通りますが、その沿岸の風向きや潮の流れ、岩礁等の地形を知る者の案内が必要となります。それらを知らぬ者を乗せずに航海し、もし難破等の一大事がありましたら、三河守様のご期待に沿うことができませぬ」


 重秀がそう言うと、数正が苦虫を噛み潰した様な顔をした。そんな数正に、重秀が自分の考えを言う。


「むしろ、三河守様と梅雪様の御一行を兵庫にお連れし、兵庫城にて匿う、というのは如何でしょうか?」


 重秀がそう言うと、徳川家臣団と穴山家臣団が動揺した。そんな中、数正が首を横に振る。


「それこそ無理な話だ。上様と三位中将様が亡くなられた、という風聞が各地に流れれば、我等の領内とて剣呑となろう。そんな時に兵庫まで退くわけには行かぬ。それは、穴山様とて同じであろう」


 数正の言葉に、信君が青白い顔で頷いた。数正が嘉隆の方を見て尋ねる。


「九鬼殿は如何か?我等を熱田まで届けていただけぬか?」


「・・・我等は神戸侍従様(神戸信孝のこと)の下で四国を攻める役目がございました。いくら日向守が謀反を起こしたとはいえ、神戸侍従様の命を受けずに三河守様と穴山様を熱田まで届けるのは・・・」


 嘉隆がそう答えると、数正ではなく家康が口を開く。


「いや、貴殿等に船で送ってもらおうとは思っておらぬ。ただ、もしかしたらいけるのではないか、という思いで聞いただけだ。どうかお気になさらずに」


 家康がそう言うと、重秀と嘉隆が頭を下げた。家康が数正に話しかける。


「・・・ここは、先程話し合ったとおり、伊賀を抜ける経路で三河に戻ろう」


 家康の発した言葉に、秀一が反応する。


「い、伊賀を通られるおつもりでございますか!?あそこは険しい山道でございますぞ!それに、あそこは織田に対する反発が強い地でございます!危のうございますぞ!」


 秀一がそう言うと、家康ではなく忠次が応える。


「その点は案じられますな。実は我が家臣には服部半蔵(服部正成のこと)なる者がおりましてな」


 そう言うと忠次は一人の徳川家臣の方へ視線を向けた。視線の先には、豊かな髭を蓄えた武士が座っていた。


「あの者は三河の生まれではあるが、その父は伊賀の出でしてな。故有って三河に渡った後、松平家に仕えたのでござる。半蔵の縁故は未だ伊賀の地に残っている故、その縁故を頼って伊賀を抜けよう、と考えておるのでござる」


 忠次の説明を聞いた秀一は「なるほど」と言って納得した。脇で話を聞いていた重秀が口を開く。


「・・・すると、伊賀から伊勢に向かい海路三河に向かう方が近いかもしれませんね」


 重秀の言葉に対し、忠次が「然り」と言って頷いた。重秀が話を続ける。


「海路を使われるのであれば、安濃津を使うのがよろしいと存じます。安濃津の船乗りは腕が良いですから、きっと皆様方を熱田まで無事に送りましょう。

 ・・・安濃津城主の上総介様(織田信包のこと)は私の正室の実父です。確か上総介様は安濃津城に在城しておられるはず。上総介様に徳川様と穴山様の御一行が無事に安濃津に入れるよう、文を書きましょうか?それを持っていけば、上総介様も徳川様と穴山様を迎え入れましょう」


 重秀がそう提案すると、忠次が「おお、それはかたじけない!」と嬉しそうに声を上げた。続いて家康も口を開く。


「羽柴殿の心配り、この三河守感謝いたす。何卒良しなに」


 そう言われた重秀は「もったいなきお言葉」と言って頭を下げるのであった。


 その後、徳川・穴山一行は明日の未明に伊賀に向かうことが伝えられた。その際、伊賀までの道案内を秀一が行うことになった。

 全ての話が終わり、重秀が妙国寺を出た時には、すでに夜となっていた。





 重秀達がいなくなり、穴山信君やその家臣達も自室に引き上げた後、家康とその家臣達は部屋に残って互いの顔を近づけて話し合っていた。


「・・・弥八郎。羽柴殿は我等の秘密に気がついたと思うか?」


 家康が正信にそう尋ねると、正信は「いえ」と即答した。


「そこまでは気がついていないと思われます。羽柴の若君は頭の良い方ですが、さすがに我等の裏事情までは気がつかないでしょう」


 この頃、徳川家康の配下には伊賀者と呼ばれる伊賀出身の忍びが多く仕えていた。天正九年(1581年)四月に行われた第二次天正伊賀の乱で、伊賀国は織田軍の侵攻を受けた。この際、多くの反織田方の者達が討ち取られたが、中には伊賀国外に逃亡する者もいた。

 逃亡した者達は各地に逃れていったが、その一部は服部正成との縁を頼って三河に逃れる者もいた。徳川家康はこれらの忍びを匿い、正成に監督させていた。


 さて、家康達が安土に来る際、家康達は自らが織田信長によって暗殺されることを恐れていた。そこで家康達はその対策として、伊賀者を使った諜報ネットワークを安土と京に張り巡らせた。

 すなわち、服部正成を安土に、本多正信を京に送り込み、その配下として伊賀者を多く送り込んだのである。そして、安土では徳川屋敷の従者として、京では茶屋四郎次郎の下男として潜り込ませ、織田方の出方を探っていた。

 結局、家康達の懸念は杞憂に終わったのだが、京に伊賀者を配置したことで、家康は誰よりも早く六月二日に起きた本能寺の変を知ることができた。

 つまり、京での異変を報せたのは、鳥居元忠ではなく織田信長の動向を見張っていた伊賀者であった。無論、鳥居元忠と茶屋四郎次郎も情報収集をしてから堺へ向かったが、午前中に家康に第一報を届けたのは京にいた伊賀者であった。

 その後、伊賀者達はリアルタイムで堺の家康に情報を届けた。明智光秀による京の封鎖をもろともせずに織田信長と織田信忠の死を伝えたのだった。


「まあ、左衛門尉様(酒井忠次のこと)が半蔵殿についてべらべらと喋ってしまった時には少し焦りましたが。もし、羽柴の若君が伊賀者について詳しく知っておれば、我等の企みに勘付かれる虞がありました。たとえ勘付かれなくとも、我等と伊賀者との間に深い繋がりがあったことは知られてしまったやもしれませぬ」


 正信からそう言われた忠次は、「す、すまぬ」と謝った。その様子を見ていた忠勝が正信を咎める。


「弥八郎。そこまで言わなくてもよいだろう。それに、伊賀者のことが知れたとて、特に気にすることではあるまい」


 忠勝がそう言うと、正信ではなく家康が口を開く。


「いや、弥八郎の言う通り、あれはしくじりであった。羽柴殿は我等が上様に討たれることを恐れていたことを知っていた。もし、伊賀者が京や安土に忍んでいた事に気がついていれば、我等の身を守るため、伊賀者を使って上様を討とうとしていた、と思われたかも知れぬ。そうなれば、我等と織田方で衝突が起きていた」


「まあ、万が一の時は殿を逃すため、前右府様を病死に見せかけて混乱させようとしてましたからなぁ。そのためにあんな値の張るからの国の毒まで用意したのに、無駄になりましたなぁ」


 正信がしれっと言っているのを横目に見ながら、家康は話を続ける。


「なにはともあれ、もう終わったことだ。それよりも、早く三河に戻らなければ。明日の未明にはここを発つ。皆の者も怠り無きようにな」


 家康の言葉に、徳川家臣達は一斉に頭を下げるのであった。





 妙国寺を出た重秀は、まず小西隆佐の屋敷に戻った。そして、屋敷にいた小西弥十郎(のちの小西如清)から京の最新情報を聞いた。


「どうも上様(織田信長のこと)が亡くなられたのは真のようでございます。また、殿様(織田信忠のこと)も二条新御所を枕にお討ち死にされた、もしくは自刃したとの噂にございます」


 弥十郎からそう聞かされた藤十郎は、「やはり・・・」と呟いた。


「・・・それで、お二方の首級はどうなりましたか?」


「それが・・・。お二方の首級が晒された、という話は聞いておりませぬ」


「そうですか・・・。まあ、首実検で敵将の判断に手こずるということは無いわけではないですし・・・。お二方の首級が晒されるのは後日になるやも知れません」


「ですが藤十郎様。お二方の首級が晒されていないため、お二方が生きているという噂も広く流れております」


「実際に生きておられるならばそれに越したことはないんだけど・・・」


 この時、重秀は信長と信忠の死亡を受け止めきれていなかった。頭の中ではその可能性を理解していたが、心情としてはまだ生きている可能性を信じていた。


「・・・どちらにしろ、このことは松井様や長谷川様にお知らせしようと思う。これから堺代官屋敷に参ります」


「藤十郎様。どうぞお気をつけて。堺にも惟任日向守様謀反の噂が市中にも出回りつつあります故」


「分かっています」


 その後、重秀は小西屋敷を出た。そして堺にある織田家の出張所である堺代官屋敷へと向かった。そこには堺代官の松井友閑と長谷川秀一だけでなく、京での異変を知った千宗易、今井宗久、津田宗及、そして織田に近い会合衆のメンバー数人が集まっていた。

 重秀はそれらの者達に弥十郎からの情報を報せた。また、すでに独自ルートで京からの情報を得ていた宗易達からも情報が明らかにされた。


「・・・どうやら、上様と殿様が討たれたちゅうことは、ほぼ間違いない、と言わざるを得まへんなあ」


 商人の一人がそう言うと、他の商人達も頷いた。友閑が口を開く。


「とはいえ、首級どころか亡骸すら見つかっていないのだ。ならば、まだお二方生きていると誤魔化すことは可能だ。会合衆の方々にはそれで何とか堺の動揺を抑えてもらいたい」


 友閑がそう言うと、宗久達が同意した。


「承知いたしました。私共も堺がむやみに混乱することは避けたいところ。他の会合衆の方々と共に上様と殿様が生きていることを堺の者共に伝えておきましょう」


 宗久がそう言うと、他の商人達も頷いた。


 その後、堺の治安についての話し合いが行われたが、重秀にはあまり関係のないことだったので、重秀は中座して湊へと戻っていった。





 湊へ戻った重秀は、停泊している『村雨丸』の船内で加藤茂勝、加藤清正、寺沢広高、三浦義知と今後の事について話し合った。


「・・・源四郎君と藤掛様(藤掛永勝のこと)は『村雨丸』の船内ですでに休まれてるっす。源四郎君は最初は落ち着きがない様子だったっすが、しばらくして落ち着いた後、寝てしまったっす」


「『春雨丸』に乗っている源八郎殿(村上景親のこと)も彦右衛門殿(村上通清のこと)もまだ気がついていないようです。また、宇喜多水軍の関船に乗っている連中も未だ気がついていないようです」


 茂勝と清正がそう報告した。それを黙って聞いていた重秀が口を開く。


「・・・彼等は兵庫に着いたらその場で拘束する。人質としての役目を果たしてもらう」


 重秀が低い声でそう言うと、その場にいた皆が頷いた。


「・・・分かった。長兄、それは拙者に任せてくれ。荒右衛門殿(三浦義知のこと)には村上の小早の水夫共の拘束をお願いする」


 清正の言葉に、義知が緊張気味な顔で「承知した」と頷いた。


「・・・若殿。潮と風の関係で出帆は日の出の後っす。それまで少し休まれては?」


 茂勝がそう言うと、清正も同意するように頷いた。しかし、重秀は首を横に振る。


「いや。この先何が起きるか分からない。今宵は眠らずに出帆の準備をしようと思う」


 ―――ここで休んだら、上様や殿様のことを思い出してしまう。他のことを考えることで、上様と殿様が亡くなった悲しみから目を背けたい―――


 そう思いながら、重秀は休むことなく六月三日の未明まで過ごすのであった。


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― 新着の感想 ―
怪しいタヒ亡…蒲生氏郷、佐竹義重、浅野幸長、前田利長、加藤清正、加藤嘉明 病タヒとも毒○とも言われてる
えと、その唐の国の毒薬って日持ちしませんかな? かなり後に熊本の大名に使われておりませんかな?
家康って小牧長久手の中入りの対応なんかを見ていると野戦もそうだけど、情報戦にめっちゃ強かったから、やっぱり史実でも忍者すごかったんかね…。
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