第十三話 主神降臨
瓦礫と化した審問所で高笑いしているジューダスを相手に、中途半端に手を出すのはマズい。思った以上に異界断絶の要石が持つ力が大きすぎた。
一番確実で手っ取り早いのはジューダスの首を一瞬で切り飛ばすことだけど、問題なのはアイツの胸に虚空──異界断絶の要石が埋まっていることよね。
アイツが死ぬのはどうでもいいんだけど、死亡した場合、一体化している異界断絶の要石がどうなるのかわからない。下手すりゃ暴走して訳の分からない力をまき散らし、辺り一面吹っ飛ぶ可能性だってある。
もちろん、そうならない可能性もあるでしょう。
こうなっちゃうと、もはや膠着状態だ。迂闊に手出しできないのが辛い。
こんなことなら、さっさとティアを連れてくるんだったか……。
「……どうして、なのですか。ジューダス卿」
声が聞こえた。
瓦礫の中から這い出たジョルナが、震える声でジューダスに問いかけている。
無事だったのは良かったけれど、何やってんのあの娘!?
「ジューダス卿……それは私たちが代々守り、祈りを捧げてきた『宝珠』なのです。人魚の国を、海の平穏を願うための……。それを、どうして同胞を傷つけるための力として振るえるのですか!」
今のジューダスに何を言っても無駄だとは思うんだけど、ジョルナとしてはやっぱり、何か一言でも言わずにはいられないんでしょう。
何しろあの男、ジョルナの後継人みたいだったからね。
でも……案の定、ジューダスは怒るどころか可笑しくて堪らないといった様子で、ジョルナを見下すだけだった。
「く……くははは! 平穏? 願う? ――ああ、憐れだなジョルナ。貴様ら凡夫が千年以上も跪いて得られなかった答えを、今、私がこの手にしているのだ。これはもはや『宝珠』などという古臭い呼び名で収まる代物ではない。これは、世界を再定義する神の指先だ!」
ジューダスは、自身の胸で挙見を広げる要石を、陶酔しきった表情で見つめながら言い放った。
「私が一歩踏み出せば海が割れ、私が一瞥すれば敵は塵となる。この絶大な力こそが『真理』だ。教義だと? 秩序だと? ――そんなものは、私という唯一神が統べる世界には不要な、ゴミのような制約に過ぎん!」
妄信を超えた、狂気的な選民意識。ジョルナの瞳から、困惑が消え、冷徹なまでの決意が宿った。彼女はゆっくりと、暴力的な魔力が渦巻く中で立ち上がる。
「……いいえ。あなたは何も分かっていない。ただ力に振り回され、己を失った抜け殻に過ぎません」
「なんだと……?」
「信仰とは……祈りとは、ただ神にすがって膝をつくことではありません。世界をどう変えたいかという、己の『意志』を形にするための叫びです!」
顔を上げ、真っ直ぐにジューダスを見据えてジョルナは言い放つ。
「今のあなたは、宝珠の力に自惚れて慢心しているだけ。力に寄生された男の、浅ましい自惚れです。そんな空虚な輝きに、これまで連綿と続いた海神教の祈りは屈したりしません!」
ジョルナの凛とした声が、静まり返った審問所に響き渡る。
けれど、ジューダスは眉一つ動かさなかった。激昂して怒鳴り散らすことも、反論することもない。
ただただ冷めた目でジョルナを見下している。
「……ああ、そうか」
呟きと共に、ジューダスがゆっくりと右手を持ち上げる。その仕草は、まるで視界をよぎる羽虫を無造作に追い払うかのようで、あまりに軽んじたものだった。
こりゃマズい。
「理解できないなら、それでいい。思考も、言葉も、積み上げた歴史も……すべては我が力の前で等しく無価値なノイズになるのだから」
言葉の終わりと同時。
ジューダスが手首を返して、指先をジョルナへと突き出した。そこにはもはや憎しみすらなく、ただ邪魔な埃を払い飛ばす時のような、無機質な拒絶だけが宿っている。
「ジョルナ!」
あたしがジョルナをかばって地面を転がるのと、顔のすぐ横を水弾が横切ったのは、ほんの紙一重のタイミングだった。わずかでも出遅れたら、ジョルナかあたし、あるいは両方が撃ち抜かれていた。
けど、まぁ、無事だったから良し!
それに、そろそろ頃合いだ。
「まったく、無茶をして」
「すみません……でも、私は──」
「わかってる」
ジョルナは何も間違ってない。彼女の言ったことは海神教の司祭として、一人の人間として、これ以上ないほどに正しく、高潔なものだ。
「だからこそ、覚えておいて。言葉〝だけ〟じゃ意味がないことを」
「え……」
「力が伴わない言葉は、純粋な暴力に駆逐される。どれほど崇高な願いだろうと、簡単に消し去られてしまうわ」
無慈悲に聞こえるかもしれないけれど、それが現実。あたしは、これまで何度もそういう光景を見てきた。
「ふっはっは……ジョルナよ、そこの地上人こそ道理がわかっているな。そうだ! おまえがどれほど──」
「あら、何を寝ぼけたこと言ってるの?」
何か勘違いしているジューダスが嗤っているけど、勘違いも甚だしいわね。
「あたしの言葉をちゃんと聞いてなかった? 『力が伴わない言葉は、不条理な暴力に蹂躙される』って言ったの。借り物の力に酔いしれて、神様気取りで調子に乗ってるヤツがいたわね?」
「なに……?」
ジューダスの顔から、醜い笑みが消える。
「あんた、さっき『我が力』とか言ってたわよね? ……笑わせないで。それは海神教の主神、ティアマトから預かった宝珠の力でしょ。いい加減にしないと、持ち主も堪忍袋の緒が切れるんじゃない?」
審問所のぶち抜かれた天井を、あたしは静かに指さした。
ここは人魚が住まう海底都市。よく分からない気泡に包まれた深海の国。
当然、海の底なら太陽の光は届かない。気泡内部はよくわからない原理で明かりが灯るけれど、せいぜい夕暮れの曇り空くらいの光量だ。
それが今は、明暗の境がハッキリわかるほど、真っ直ぐな光が差し込んでいる。
人魚の歴史が始まって以来、この深海に一度たりとも届いたことのない、地上からの招かれざる客。
太陽の光だ。
「光……? 太陽の光、だと? 馬鹿な、ここは深海だぞ! 海はどこへ──」
ジューダスが上空を仰ぎ、けれど、その言葉は最後まで続かなかった。
差し込んだ光が、今まで闇に紛れていた「真実」を無情に照らし出したからだ。
そこにあったのは、もはや気泡内部の空でも海でもなかった。
光を浴びて鈍く、美しく、そして禍々しいほど鮮やかに輝く蒼い鱗。
最初に見えたのは、審問所を丸ごと飲み込めそうなほど巨大な顎。次いで、どこまでも長く、海底都市の気泡さえも包み込みかねない巨躯が、悠然と闇の中から滑り出してくる。
光が届いたことで、ようやく理解できたみたいね。
アイツが支配した気になっていたこの海そのものが、実は龍の一部に過ぎなかったのだということを。
あたしが待っていたのはこれ。
今まで幻体で一緒にいたティアに、とにかく本体で来いと頼んでおいた。人魚たちの神様に祭り上げられでいるんだったら、問題を解決するには本体の方が説得力があるでしょ。
「あ……あ、ああ……あ……」
その衝撃の姿は、ジューダスだけじゃない、ジョルナにも相当なものだったようだ。
声にならない声を漏らし、瞬きを忘れたかのように両目を見開いて、祈るように両手を組んでいた。
「ジョルナ、あれが海神教の祈りに対する一つの答えなんじゃないかしら?」
そんなジョルナに、あたしは静かに声をかけた。
「何百年、何千年と神に向かって祈り続けた一途な想い。穏やかで平穏に、誰もが安心して幸せに暮らすようにと……連綿と受け継がいできた〝願い〟があったからこそ、破壊と支配を掲げる存在を排除するために来てくれた──とも言えるわね」
「イリアスさん……私は……私たちは……」
「あとは任せて」
こんな茶番は、さっさと終わらせましょう。
「ティア、やれ!」
号令一下、遙か上空から数億トンもの水圧を、一本の糸に凝縮したような蒼い潮流が、ジューダスに向かって放たれた。
派手な爆発も耳をつんざくような轟音もない。
ただ一筋の圧縮水流が、ジューダスの右腕を肩から無造作にそぎ落とした。
「あ……なっ……ぎああぁぁぁっ!」
のたうち回り、絶叫するジューダス。
けれど、その絶望の瞳に宿ったのは、降伏の意思じゃなかった。
「神だと……? 本物だと……!? 黙れ、黙れ黙れ! この私が、この手で掴み取った『奇跡』を何故手放さなければならんのだ!」
直後、そぎ落とされたジューダスの腕から流れ落ちる血が止まり、何かがうごめいている。
なんだありゃ?
「我は不死! 我こそが真なる神! 古き神など恐るるに足らず!」
断面から溢れ出した魔力が、のたうつ血管や筋肉の束となって、歪な右腕を再構築していく。
再生なんて生易しいもんじゃない。もしかして、傷口をこの世界から〝断絶〟させた──いや、こことは別の世界との〝門〟になってる?
「ハ、ハハッ! 見たか! 痛みすらも我が糧! この要石がある限り、私は、私はッ……!」
ジューダスが咆哮し、地面を蹴った。
再生したばかりの腕を振り回し、手当たり次第に衝撃波を撒き散らす。
あたしはジョルナを抱えて爆風を避けながら、その光景を眺めていた。今ここで手を出すのは危険極まりない
「我は不滅! この深海のすべては、私の意思のままにッ!」
ジューダスが腕を振り上げるたび、周囲の空間がガラスのようにひび割れ、そこから漏れ出した闇が周囲を侵食していく。
その姿はもはや聖職者でも、人間ですらない。
分不相応な力を制御できず、その力に振り回されているだけの、哀れな壊死の塊だ。
『マズいのぉ』
そんなジューダスの様子が見えていたらしいティアが、念話であたしに直接話しかけてきた。
『欠損部位の復元なんぞ、そんな易々と行えるものではないぞ。それを行ったというのであれば、彼奴、異界断絶の要石の栓を開きすぎてるかもしれんのぉ』
(栓?)
『言うたであろ? 異界断絶の要石は異界とこちらの世界を隔てる要石。その境界がガバガバになっとるやもしれん』
……そうか、アイツにとって異界断絶の要石は持ち主に強力な力を授けてくれる便利アイテムでしかないのか。その力が持つ、本来の役割や機能をまったく理解せずに使いまくって、世界の破滅に近づけてるのね。
(かなりマズい状況よね……?)
『ぶっちゃけ、忌神が出てくるのも時間の問題だ』
忌神……異界断絶の要石によって隔てられている異なる世界の〝化物〟だっけ? どんな代物かわからないけど、今のジューダスより弱いってことはないわよねぇ。
(つまるところ、とっととジューダスを無力化して異界断絶の要石を取り戻せってことね。今の状況で手を出して大丈夫?)
『〝壁〟の話であるか? 魂の移し替えをやるには、要石を直接『魂を移し替えたい相手』に接触させねばならんだろう。そのくらい、魂と肉体の結びつきは強いでな。まぁ、要石は彼奴と一体化してるから、取り戻すには彼奴の命の保証まではできんがね』
(殺すしかない……ってことか)
冒険者を辞めて商人になって、そういう血なまぐさい話とは距離を置いたつもりだったんだけどなぁ……ま、ジューダス本人の肉体は〝死亡〟してるし、アイツはもう、人の道から外れたバケモノみたいなものか。
そして何より、アイツが信奉する海神教の神様直々のお達しだ。安らかな死を与えることが、唯一の救いになる……と、信じましょう。
「ジョルナ、あなたはここにいる人たちの保護をお願い。無事な人の救出ができたら、街の人たちにも避難の通達を。地上に行けば、あとはエオルが保護してくれる手筈になってるから」
「えっ? あの、イリアスさんは!?」
「決まってるでしょ。アイツを止めるわ」
「えっ? それは──ッ!」
ジョルナの表情に一瞬、悲壮な色が浮かんだ。
けど、その色はすぐに和らいだ。
「……いえ、イリアスさんなら大丈夫だと信じています。どうかジューダス卿の蛮行を食い止め、この国に正しい安寧を……お願いします」
「最善を尽くすわ」
ジョルナに頷き、彼女がこの場を離れるのを見届けてから、あたしは空を仰いだ。
「ティア、手筈通りにいくわよ!」
『うむ。初めてのこと故、楽しみだ!』
そんなウキウキされても、そこまで楽しいことじゃないと想うんだけど……ま、いっか。
「獣装宝術、形態・海母龍!」
調教師としての秘術で、ティアと融合を果たす。けど、ティアはもとより、その兄弟姉妹たちとは一度も試したことはない。やり方を教えてくれたルティに、〝龍〟と名の付く聖獣とはあまりやらない方がいい、と言われてるからよ。
理由を聞けば、『他の聖獣より疲れますよ』とのこと。
確かに、ティアを身に纏ってみた今、なんだか怠い。なんというか、肩が凝ったとか筋肉痛二日目みたいな怠さだ。
けど、その程度なら問題なし。
「そんじゃ、やりますか!」




