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冒険しない異世界の冒険~俺は異世界でも平凡な生活を求めているのに何気に出世していく~  作者: 雪野湯
狂乱の一夜

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38/41

幕引き

 深紅の布地に金の刺繍が紡がれた、優艶な色香を纏う服装。

 艶やかな黒髪に狼のような琥珀色の瞳。

 巨木のように剛健な手足に、山脈のように厚い胸板。

 精強な体躯でありながら、暑苦しさは一切感じさせないスマートな佇まい。


 彼の名は、シフォルト=サン=アルフィーネ伯爵。

 その名は四海に轟き、肩書は伯爵でありながらも、王族、大公爵であろうともおいそれと手出しのできない人物。


 

 シフォルト伯爵は周囲をさっと見渡して、状況を確認する。

 ディルに嫌悪感を募らせる俺やゲラガさん。その後ろで震えている桧垣さんを見て、おおよその状況を把握したようだ。


 

 ディルは声を上擦らせながら、シフォルト伯爵へ尋ねる。

「ど、ど、どうしてあなたが?」

 だが伯爵は、ディルの声など、まるで聞こえていないかのように振る舞い、俺に顔を向けた。


「やあ、久しぶりだね。壮健そうで何よりだ。はい、頂戴」

 彼は挨拶もそこそこどころじゃない様子で、俺の懐にあるものを催促する。

「いきなりですか、全く節操のないっ」

「相変わらず口が悪いねぇ~、君は。一応伯爵だよ、私は」

「わかってますよ。はい、これですね」

 

 懐から取り出したのは、フードの男が持っていた書きかけの手紙。

 これには男の正体が書いてある。

 しかし、シフォルト伯爵に渡す前に、しっかりとした確約を取らなきゃならない。



「渡しますけど、俺の言い分はちゃんと通してくださいよ」

「わかってるよ。ヒガキ、だったかな? 彼女の身は、我がアルフィーネ家の名に懸けて守ると誓うよ」

「むむ~」

 

 家名を誓いを立てたところで信用できない、と便箋を懐に抱き、ギュッと握り締める。

 すると、ゲラガさんとギジョンが慌てた様子で口を挟んできた。


「渡せ渡せ、小僧っ」

「そうでやすよ、家名を懸けるなんてとんでもない話でやす。それも庶民相手にっ」

 何やらわからんけど、家の名に誓いを立てることは凄いことらしい。


「じゃあ、まぁ、わかりました。はい、どうぞ」

「悲しいなぁ。家の名を懸けたのに信用されないなんて。ギジョン君なんて、そんなことしなくても、帳面を預けてもらえたのにねぇ?」

「えっと、あっしに振られても困ってしまいやす……」

 

「ははは。さて、冗談はここまでにして本題に入ろうか。ここより先は私が取り仕切ってもいいかね、ヨシト?」

「ええ、どうぞ」

「では、ディル君」

「は、はい、何でしょうか?」

「この便箋の中の手紙には、ショピンの雇い主の名が載っている」

 


 この言葉にショピンはびくりと身体を跳ね上げて、自身の心臓に手を置いた。

 彼女は何かを口にしようとしたが、伯爵から一睨みされただけで、言葉を失う。

 こちらから伯爵の眼光は見えなかったけど、ショピンはそこだけ地震でも起きているのかというくらい激しく震えている。

 どうやら、野獣よりも恐ろしい瞳を見てしまったようだ。

 伯爵はショピンを見えない呪縛で縛り上げて、言葉を続ける。



「彼女の雇い主はあちらこちらの村から若い女性を攫い、事もあろうに彼女たちを売りさばいている」

「えっ!?」

 

 そんな話は聞いていないぞと、ディルは俺を睨み付けた。

 俺は彼から視線を外して、スースーと音の出ない口笛を立てる。

 伯爵はこちらに視線を向けて、やれやれと言った感じで肩を竦めた。


「ほらほら、ディル君。話は続いてるよ」

「あ、はい、すみません」

「雇い主の非道なる行い。攫われた罪もない女性たち……そのことを知りながら、金で彼女たちの誇りを傷つけている者たちがいる。獣にも劣る行為を行っている者たちが、帳面に記載されている。見たまえ」

「は、はい」


 ディルは伯爵が取り出した帳面に目を通すと、すぐに伯爵へ視線を戻した。

「貴族が……しかも、王族の親族までっ」

「ああ、嘆かわしい限りだ。大国を名乗るオブリエン王国の名が聞いて呆れる。彼らには何れ、天より罰が下るだろう。さて、次に、誰がこのような醜穢(しゅうわい)な事業を行っているか、というところだ」



 伯爵は便箋から手紙を取り出し、差出人の名が記載されている箇所を指差しながら、ディルに見せつける。

「見えるかい、読み上げてごらん?」

「えっと……え、そ、そんなっ!?」


 

 ディルは一度、大きく背を仰け反る。そして、見間違いではないかと、手紙に手を伸ばそうとした、

 しかしそれを、伯爵は手紙をひらりと振って躱す。

「名前は見えたよね。口にできる?」

「いえ、そ、それは、それは……」

 

 言えるわけがない。ディルの口からは絶対に言えない。

 手紙に記載された、ショピンの元締めにしてフードの男。

 そして……ディルの実父。


 モール=メイ=クエイクの名を……。



 ディルはおぼつかない足取りで後ろに下がっていく。足は途中でテーブルに当たり、その上に身体を転ばせた。


 シフォルト伯爵は、顔を小刻みに揺らし涙を浮かべているディルに向かい、優しく声をかける。

「知らなかったんだね、君は」

「そんな、そんな、そんな、どうして、父さん……」


 

 駆け落ち騒動の際、モール=メイ=クエイクには不審な資金源があると、シフォルト伯爵は疑っていた。

 俺はクエイク家の裏を探るために送り込まれたスパイ。

 まぁ、そんなことする気がなかったから、たまたま見つけた事実ですが……。



 俺が見つけてしまった事実。

 それはモール=メイ=クエイクの資金源が、貴族や富豪相手に行っている人身売買だということ。

 

 

 ザドムの町は、クエイク家の力の及ばない町とされていた。

 だが、本当は及ばなかったわけじゃない。

 及んでいないように装っていただけだ。

 


 狂気と享楽の町、ザドム。

 そこでショピンという顔役を隠れ蓑に、モールは暗躍していた。

 決して、このような背徳の町とは、関わりがないとするために……。


 ディルはそんなことを知らずに、ザドムの利権に手を伸ばそうとした。

 尊敬する父に認めてもらうために。



 ショピンは壁の隅に背中を寄せて、辛うじて自身の足で立っている。

 彼女はディルの登場により、一度は動揺した。

 しかし、モールの息子である彼が、策を巡らして店を乗っ取ろうとしていることを知り、安堵した。

 なにせ、元締めはディルの父親モール。

 ディルに乗っ取られたからといって、なにも恐れることなんてない。



 俺はゲラガさんへ視線を移す。

 元締めの正体がモールと知った時の、彼の心情はどのようなものだったのか。

 貴族が嫌いで、貴族たちのルールに縛られず、自由であること。

 クエイク家の手から守り続けていたと思っていた町。

 だがすでに、モールの手はザドムの町を包み込んでいた。


 実の息子であるディルのむせび泣く声を聞いて、ゲラガさんはどこにもぶつけられない怒りを自身の拳へ乗せる。

 拳からは、骨と筋肉がきしむ音が聞こえてくる。



 

 先程まで、狂気という名の喧騒が支配していた場所とは思えないほどに、静まり返った部屋。

 ディルのさめざめと流れる涙だけが音を立てる。

 シフォルト伯爵は手紙と帳面を懐に仕舞い、俺に顔を向けた。


「正直、君が本当にモール殿の資金源を突き止めるとは思っていなかった」

「まぁ、偶然ですけどね」

「偶然を味方につけることも実力だよ。あとは君に預けよう」

「え?」

「何か一悶着あったんだろう?」

「ええ、まぁ……」

 テーブルの上に寝っころがり、顏を押さえて、しゃくり声を上げ続けるディルを見る。


「う~ん、どうしよっかなぁ。でも、同情なんかしてやんないって決めたし」

「ほほぉ、ヨシトは怒っているわけだ」

「ですね。桧垣さんを商品扱いした上に、救い出したその瞬間に崖から突き落とそうとしたことは許せません」

「なるほど、相当なことをされたようだね。で、どうする?」


「容赦はしませんっ。ディル!」

「ひ、ひっく、な、なに?」

「桧垣さんに謝罪しろっ」

「ど、どうして、僕が庶民風情に……」

「いいねぇ、そんな元気はまだ残ってるんだ。やる気出てくるわぁ。シフォルト伯爵」

「なんだね?」


「モールをどうするつもりか知りませんが、ディルの身の保障をしてやってください」

「ああ、構わないよ。しかし、ずいぶんと優しいねぇ」

「優しくないですよ。あいつに頭を下げさせるためですから」

「ほぉ、どうするつもりなんだい?」

「ディルッ。シフォルト伯爵が身の保証をしてくれるってよ。その代わり、桧垣さんに謝れっ」


「ああ、そういうことか。しかし、私を利用するのは、ちょっと情けなくないかね?」

「しゃーないでしょ。力づくで床に這いつくばらせてもいいですけど、やっぱり自分から頭下げてもらわないと納得できませんからっ」

「我儘だね、君は。ディル君、だそうだ。私が君の後ろ盾になってあげる代わりに謝罪したまえ」

「で、ですが……」

「これからクエイク家には、過酷な運命が待ち受けているよ。私なら風よけになれるが、必要ないかね?」

「……わ、わかりました」

 

 ディルは机から腰を下ろし、不承不承ぶりをありありと見せながら、頭を下げた。

「申し訳なかった」


 シフォルト伯爵は謝罪を見届けると、桧垣さんに向かい、柔らかに語りかける。

「どうする? 彼からの謝罪は受け取るかい?」

「……はい。私、ここから救われただけでも満足ですから」

「そうかね。心の澄んでいる人だね、君は……彼と違って」


 

 俺はソファに片足を乗せて、吼え上げた。

「納得できるかぁ~!! なんだ、そのイヤイヤな謝り方は!? せめて、演技でもいいから、ちったぁ申し訳ない態度取れよっ!!」

「ヨシト、落ち着きなさい。ヒガキは彼を許すと言っているよ」

「俺は許さない!」

「人の謝罪に介入しない」

「じゃ、俺の分の謝罪を求めるっ」


「結局、君は自分がスッキリしたいだけだろ?」

「こんな胸の中にドロドロとした気分抱えたままじゃ寝れませんからねっ」

「彼から頭を下げて欲しいのかい?」

「いりません。どうあってもこいつから心からの謝罪なんて望めませんから」

「では、ディル君に何を望む?」

「あいつが寝っ転がっていたテーブルに木箱があるでしょ。あれをそっくりいただきます」

「君は……欲張りだねぇ」

「欲張りで結構、目に見えない誠意より目に見える金です。それでいいな、ディルっ」


「ちょ、ちょっと待ってくれヨシト。いくらなんでも、それは」

「たかが金貨五千枚だろ、気持ちよく渡せっ」

「いや、だから、待ってくれ。五千枚となれば、僕にとっても大金だ。そう簡単には」

 彼は顔を皺くちゃにして、背を丸めながら、慈悲を乞う。

 その様を見て、俺は息を吐き飛ばす。


「ハンッ、おいおいおい、交渉相手に弱気なところを見せちゃダメなんだろ? お前が言ってたことだぜ」

「うっ、それは……」

「じゃあ、お前が飲みやすいように言い方を変えよう。たかが金貨五千枚で、シフォルト伯爵の後ろ盾が買えるんだ。安いもんだろ?」

「そ、そんなぁ、そんなのってぇ」


 ディルは床に膝をついて、頭をもたげていく。彼の姿は奇しくも、俺に土下座を見せているような形になった。

 情けないディルの姿をふんぞり返って見ていると、シフォルト伯爵は大きく笑い声を上げた。


「あはははは、君はひどいねぇ。とことん、私を利用するつもりだね」

「駄目ですか?」

「普段なら、さすがに怒るところだが、君は見事に私の依頼をやり遂げた。その褒美として、好きに私を利用したまえ」

「よっしゃ、許可が出たぞディル。どうする、大人しく金寄越すかぁ、ああん!」


 喉奥からだみ声を産み出す俺の姿を見た皆さんは、口々に様々な感想を漏らす。

「旦那、強盗と変わりありやせんよ」

「小僧、いくらなんでも品がなさすぎるぞ。輩か」

「ヨシト様、俺たちじゃないんですから」

「兄ちゃん、ヨシト様が小物っぽいよ」


「君たち、お黙んなさい! で、金貨渡すの渡さないの?」

「…………もう少し、考えさせてくれ」

「はぁ~っ!?」

 ここまで来てまだ出し渋るディルに、堪忍袋の緒が切れた。


「ギジョン、腰のもの貸せ!」

「へ、腰のものって剣でやすか?」

「そうだよ、早く!」

「まさか、旦那?」

「刺さないよ、殺さないよ。大丈夫だから、剣貸せっ」

「はぁ~。無茶しないで下せいよ。はい」

「よしっ。ほらよ、ディルっ」  

 ギジョンから剣をふんだくって、すぐさまディルの足元に放り投げる。


「お前に選択肢をくれてやる。素直に金貨五千枚を詫び代として差し出すか。その剣で指を詰めろ」

「ゆびを、つめる?」

 ディルは詰めるの意味が理解できなくて、キョトンとしている。

 仕方ないので懇切丁寧に説明をしてあげた。


「あ、わかんないのか? いいか、ディルく~ん。床に落ちている剣で、自分小指を切り落とせと言っているんだよ。左右どちらでもいいからね」

「え、なんでそんな真似を?」

「反社会勢力の伝統的な謝罪方法なんだよ~。だからっ、金を渡すか、剣でゴリゴリと肉と骨を切り刻んで、小指とグッバイするか、え・ら・べ」


 

 ディルに詰め寄ると、彼は一度は剣を手に取ろうとした。

 しかし、自分の小指を切り落とす度胸など彼にあるはずもなく、泣きながら金貨五千枚を差し出した。

 

「へっへ~、大金ゲット! 一生遊んで暮らせるぜ~、ひゃっほい!」


 俺は満足げに後ろを振り向くと……全員がドン引きでした。

 桧垣さんとシフォルト伯爵さえも……。


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