異種族間の恋愛事情
ムアイさんに案内されて、集落の奥にある泉へとやってきた。
泉は想像していたよりも大きく、学校のプールの半分くらいの広さはあった。
周囲をシダ植物と岩が囲い、岩肌は苔むしている。
底は浅く、水深1~2m程度。水面に揺らぎがなければ、そこには何もないかのような透明度。
水の中では、背びれをキラキラと反射させながら小魚たちが泳いでいる。
俺は泉の傍で屈むと、岩肌に張り付いてる淡い緑の光を放つ苔を、指先でちょんっと触れた。
「普通の苔だよね。どんな原理で光ってるんだろ?」
「千畳苔は太陽の光に含まれる光素を吸収するんですよ」
「へぇ~」
返事をしたものの『光素って、何?』って感じだ。
聞いても理解できないだろうから、とにかく光る苔とだけ思っとけばいいか。
光る原理は不明でも、光っていれば役に立つ。
特に深夜に……。
「……これ、少し貰ってもいいですか?」
「ええ、少しであれば。ですが、苔をどうするつもりですか?」
「夜、トイレに行きたい時に、いちいちロウソクに火をつけるのが面倒で。苔があれば便利だなって」
「はは、そんなことですか。どうぞ、持ち帰って下さい。千畳苔は生命力の強い苔ですので、少々干からびた程度なら、水を与えれば息を吹き返します。日中は直射日光避けて、僅かに日の当たるところに置いていて下さい」
「ありがとうございます。じゃあ、帰る時にでも」
苔の表面をさっと撫でてから立ち上がる。
立ち上がったところで、すぐ横側の岩の隙間から、一本の放物線を描いている湧水が視界に入った。
そこが泉の水源のようだ。
ムアイさんから離れ、水源を覗き見る。
「ここが水源なんですね。この水の出具合。ここに獅子威しを置いたら、いい感じになるかも」
「ししおどし? なんですか、それは?」
「えっと、竹という植物から作られていて、それを筒として使い、中に水が入るような形で、湧水のところにシーソーのように置きます。筒の中に水が満たされると重みで先端が下がり、水が零れて軽くなる。その時の元に戻る勢いを使い、筒の尻側に石なんかを置いて、コーンって音が鳴る装置です」
「それにどのような意味が?」
「意味……? なんだろ? たしか、音で獣を追い払うためだったような」
「ほほぉ、なかなか面白いものですね」
「はは。でも、静寂を好むエルフには合いませんよね」
俺は集落へ顔を向けながら、申し訳なさそうな表情をした。
森閑とした彼らの住まいを荒らしてしまった。
それも、彼らが誇りとしている掟を捻じ曲げさせて……。
集落から逃げるように視線を地面へ向ける。
するとムアイさんは、小さく首を左右に振りながら淡く表情を緩めた。
「たしかに、我々は静寂を好みます。しじまに寄り添い、森と溶け合い、万象の理を肌に感じる。ですが……」
言葉を途中で止めたムアイさん。
俺は自然と顔を上げ、彼に目を向ける。
互いの視線が合ったところで、ムアイさんは続きを口にした。
「喧騒は、たしかに不快です。しかし、賑やかであることは別。あなた方人間と交流するようになって、生命の活力を肌に感じています。生きるという、素晴らしさを」
彼は心臓のある場所へ、手の平をそっと置いて、笑顔を見せる。
ぬくもりを感じさせる微笑みに感謝を覚え、俺は深々と頭を下げた。
「そんな風に言って頂けるなんて……ありがとうございます」
誇りを捻じ曲げさせた、疎ましい相手であるはずの俺に対する心遣い。
彼の玄奥たる情けに応えなければならない。
「あの、ムアイさんっ」
俺はムアイさんを真っ直ぐと見つめて、コーツ様へ提出した報告書の内容を伝えた。
俺たち人間が、交易を持ってエルフの居場所を侵食しようとしていることを……
報告書の内容を聞いたムアイさんは、内容の話より前に俺への心配を声に出す。
「よろしいのですか? 主への裏切りでは?」
「たしかに裏切りです。ですが、裏切りであったとしても、これはあなた方に伝えるべきだと判断しました」
「どうして、そのような?」
「調子に乗って報告書には、エルフの集落を侵略するようなことを書いてしまったけど、俺にそんなつもりはありません。俺は別に、あなた方を苦しめたいわけじゃない……」
「ヨシトさん……」
「理由はどうあれ、主を裏切るような男の話なんか信用できないだろうけど。でも、報告書の内容は事実です。俺のことをどう思ってくれても構いません。だからっ」
「……わかりました。ご忠告、ありがとうございます。交易の内容はしっかりと注視させていただきます」
「すみません……本当に」
再び、頭を下げる。
すると、ムアイさんは口調を軽やかなものに変えて、予想もしなかったことを口にしてきた。
「頭をお上げください。実はいうと、薄々ヨシトさんが伝えてくれたことには気付いていました」
「え?」
「私たちは人間のように策謀を張り巡らせるのは苦手ですが、代わりに長年培った経験があります。それは子々孫々に継承していくものとは違い、一人の存在が身に宿す経験。私の得た経験が、交易の裏に潜むものを感じ取っていました」
「気付かれていたんですか? いえ、そうであっても、交易に不快なものを混ぜ込んだのは俺です。すみません」
「謝る必要はありませんよ。別に何も、私どもだけが、一方的に攻められているわけではありませんし」
「ん?」
「私どもの商品なしでは、大きな利益を得られなくしてしまえばいいという話です」
「利益、ですか?」
「ええ、利益です。商売とは対等であり戦争です。コーツ様のお財布に、私どもの支えがなければ、困ってしまう程の存在感を示せばいいだけですから」
「はは、意外とムアイさんって、商売人なんですね」
「こう見えても、五百年くらいは生きてますからね。多少なりとも、知識や経験はありますよ」
「ご、五百年って。それもくらいって……」
「三百歳超えたところで、数えるのが面倒になってしまいまして」
「スケールが違うなぁ、エルフは」
エルフと人間の年齢に対する価値観の違いに驚いていると、ムアイさんは何かを言葉に出そうとして口を閉じた。
そして、視線を下に向け、すぐ上に向ける仕草を見せる。
口に出すべきかどうか、考えあぐねているって感じだ。
「あの~、何か?」
「何と言いましょうか。話は変わるのですが……エルフと人間では時の流れが違います」
「ええ、そうですね」
「それで~……ユミのことをどう思っているのでしょうか?」
「ああ~、そこ」
俺はエルフの森に訪れる度に、ユミが大切にしている万代花の様子を見に行ったり、おしゃべりに花を咲かせていた。
いうなれば、ユミ以外のエルフとの交流はほとんどない。
ムアイさんとは交易の話だけだし、他はユムをからかって遊ぶくらい。
傍から見たら、ユミとだけ『とても』仲良くしているように見られているに違いない。
しかし、俺もそうだが、ユミも俺に対して特別な感情を抱いてはいない。互いに気の許せる友達ってところだ。
とはいえ、相手は貴重な存在と言われるエンシェントエルフ。
族長の身からして見れば、気が気ではないはず。
「ムアイさん。俺とユミはムアイさんが心配するような仲じゃないから大丈夫ですよ。それに、時間の流れに差があるのはよく理解してますから」
「そうですか……異種族との愛は、とても難しい」
ムアイさんは濃緑が重なる天井を見上げて、静かに声を漏らす。
視線の先に、何を見つめているのだろうか?
彼は五百年の時を生きてきたという。となると、その間に……。
ここから先は触れるべきではない気がする。だけど、好奇心に後押しされて、産毛を触る程度に尋ねてみた。
「過去にそんな話でも? まさか……」
「え? いえいえ、私にそのような経験はありませんよ。ただ、いくつかの事例を知っているだけです」
「なんだ、物憂げに話をするから経験者かと思いましたよ~」
「これはすみません。今のは釘を差したみたいで、あなたに申し訳ないと……」
「え?」
「いえ、なんでもありません。そうだ、異種族の愛のことについて興味がおありなら、ギジョン殿に尋ねてみては? 彼はこういった話では有名人ですし」
「え、なんでギジョンに? ってか、有名人って?」
俺の問いに、ムアイさんは目を大きく開いた。明らかに失言をしてしまったという態度だ。
彼は誤魔化すように数度咳込む。
「ゴホンゴホン、知らないのであれば、私からはこれ以上……」
言葉を濁すが、正直、一目瞭然。
ギジョンは人間以外の誰かと何らかの親密な関係を持っている、または持っていたに違いない。
(不気味なおっさんの分際で生意気なっ。暇を見てからかって、もといご教授願おっと)
クククと、悪魔のように漏れ出る笑いを手で押さえる。
口角を斜めに捻じ曲げている俺の姿を見て、ムアイさんは頭痛でも患っているような態度を見せていた。
報告書のことは伝え終えたので、集落へ足を向ける。
途中で、ムアイさんの年齢が五百歳超えていることを思い出して、ユミとユムのことを尋ねてみた。
「そういえば、ユミとユムって兄弟らしいですけど、年いくつなんですか? ユムはともかく、ユミには尋ねにくくて」
「はは、そうですか。ユミは13ですよ」
「え? 俺とあんまり変わんないじゃないですか?」
てっきり、百歳越えクラスだと思っていた。
でも、そうなると、疑問が浮かんでくる。
「見た目通りの年齢って感じですけど、何百年も生きるエルフってどんな年の取り方するんですか?」
「我々の成長速度は二十前後までは人間と変わりません。それ以降は、緩やかに年老いていきます。私もあと三百年も経てば、老人のような姿になっているでしょう」
「ざっくり、人の最大寿命の10倍くらいか……ユミが13なら、ユムも同じくらい?」
「そうですね。ユムは57歳だったはずです」
「ご、ごじゅうなな!?」
とても、『同じくらいですね』で片づけられる年齢差じゃないんだけど……エルフと人間の時間の価値観に、これ程の差があるとは。
「あれが57歳とはねぇ。ムアイさんのように落ち着けないもんかなぁ」
「ははは、まだまだ子どもですからねぇ」
「こ、子どもかぁ……」
この意識の隔たりは恐ろしく高い。
ムアイさんの言うとおり、異種族間の恋愛はとても難しそうだ。
雑談を交えながら集落まで戻ってきた。
三叉路へと続く集落の出口へと向かっていく。
出口ではギジョンが待っていた。近くにはユミの姿もある。ユムの姿はない。
ムアイさんに出口まで見送っていただいた礼と別れの挨拶を済ませると、彼は集落の奥へと姿を消していった。
ギジョンたちに向き直り、ユムのことを尋ねる。
「ユムは? 死んだか?」
「死んじゃいやせんが、ある意味死にやした」
と言いつつ、チラリとユミを見る。
「ヨシトを、いじめるから、私が怒った。そしたら、私の好きな、アミラの果実を、取ってくるって……」
ユミはいつものように、一音一音を丁寧に区切り、穏やかな言葉を出す。
「そっか、妹のご機嫌取りに旅立ったか……惜しい人を亡くしたな」
「そうでやすね……」
「二人とも、お願いだから、お兄ちゃんを、死んだことにしないで」
「わりぃわりぃ、このくらいにしとくわ」
上目遣いを見せて、困った顔しているユミの頭を撫でる。
ユミは頬に、ほんのりと桜色を乗せる。そして、照れくさそうに両手をもじもじとさせていた。
ユミの姿見て、俺は彼女に対する感情が、愛というものではないことを確認する。
(妹って感じだな。現実の妹はこんなに可愛くないけど……現実って言い方はおかしいか。本物の妹は、だな)
地球にいる家族。
俺には両親の他に兄と妹がいる。
兄も妹も性格に難があって、思い出したくもない。
ある意味、この二人の存在が、地球への望郷の念を薄らいだものにさせている。
誤解のないように付け加えるが、別に家庭内暴力が横行しているわけではない。単純に性格が合わないだけだ。
兄も妹アウトドア派。コミュ力も高く、あらゆることに積極的。
一方俺は、インドア派。部屋でゴロゴロしていたい性格。
なのにあいつらは、俺を無理やり外へ引きずり出してっ。
(いかん、思い出したら、腹立ってきた)
実の兄妹に抱いた感情が、心から抜け出して手に伝わる。
「ヨシト、あたま、ぐりぐりしないで」
「あ、ごめん。つい」
慌てて、ユミの頭から手を離すと、彼女はぼさぼさになった新緑の髪を、丁寧に手で押さえて元に戻している。
俺の失態を見たギジョンは、アメリカンホームドラマの役者みたいに、オーバーに両手を広げて首を左右に振った。
「あ~あ、何やってるんでやすか、旦那は~」
「うう~、ホントにね~。はぁ、そろそろ帰るか。ギジョン、仕事の方は?」
「全て、滞りなく」
「さすが、ギジョンっ」
「へっへっへ。ど~もでやす」
「じゃあ、ユミ」
「ん?」
「休み明けたら来るから。そんときにお土産持ってくるよ。なんかリクエストある?」
「ん~、お花の、種を」
「オッケ。こっちじゃ、あまり見かけない花の種を持ってくるから、楽しみにしておいて」
「うんっ」
弾けるような声の音。
ユミの笑顔に宿る元気と温かさ。
北方の件で冷え切った心を、芯から温めてくれる。
何一つ混じりけのない純粋な笑顔は、本物の妹の笑顔とは段違いで、かわいい。
愛らしさに惹かれ、もう一度ユミの頭を撫でようとしたところで、タイミング悪く奴が現れた。
「はぁはぁ、ユミっ! アミラの果実を取ってきたぞ! いや~、崖の上に実っていたものだから、苦労したぞっ」
茂みの中から全身擦り傷塗れのユムが、土汚れを顔に乗せて、いい笑顔を見せている。
「……帰ろうか、ギジョン」
「そうでやすね。あそこまで苦労されてなら、邪魔しちゃあ悪い気がしやす」
「だね。ユミ。じゃ、また」
「うん、またね」
ユムの苦労に免じてこの場は譲り、俺たちは集落を立ち去った。




