才あるがために……
執務室にて、グレンはコーツから今回の顛末を聞いていた。
「エイコーン侯爵のご助力もあり、進言が受け入れられて本当によかったよ」
「それでは?」
「うん、酒の一件は無しだ。それどころか北方戦線最大の勲功は私にあると、ドゴエル司令官は評価されておられる」
「シエロン軍の策略を読み切り、備蓄基地、さらにはオブリエン本国を守ったからでしょうか?」
「ああ。だけど、評価されすぎだ……」
コーツは声の音を落とし、背を椅子に預けると腕を組む。
彼は一見、深刻そうな態度を見せるが、表情はふさぎ込んではいない。
コーツの態度を妙に感じながらも、グレンは行き過ぎた評価について尋ねた。
「貴族や騎士の方々の目ですね?」
「……血の一滴も流していない私が、最大の勲功とされては納得できないだろうね」
シエロンの企みを看破できなければ、今頃オブリエンは備蓄基地を失い、砦を失い、果ては領土さえ奪われていた。
それらを防いだ功績は大。
しかし、戦場に一度も立たずにいた者を、誰が受け入れられるのか?
貴族も騎士も兵卒も、寒さに凍える手を己の息で温め、武器を持ち、血を流し、戦ってきたのだ。
彼らの尽力を最も知るのが、ドゴエル司令官。
しかし彼は、コーツを最大の勲功と讃えている。
グレンにはそこが腑に落ちない。
「旦那様。エイコーン侯爵のご助力で、進言をお伝えすることができたのは理解できますが、何故、ドゴエル様はこれ程の評価を?」
「進言内容がドゴエル様好みだったからだろうね」
「内容とは?」
問いの言葉に、コーツは口角を僅かに上げ、産毛を逆立たせる。
「今、思い出してもぞくぞくするよ。ヨシトが最後に付け加えた言葉には」
――10日前。
ヨシトとの会話で行き着いたシエロンの目論見を、コーツは書簡にしたためようとしていた。
しかし、ヨシトが筆を動かす手を途切らせる。
「ん? 待って下さい、コーツ様」
「どうかしたのかい?」
「あのですね……三万の軍は全滅しちゃってると考えて、手紙を書いた方がいいと思いますよ」
「なっ!?」
「戦場となっている北方から、ここアルトミナではかなりの距離があります。手紙が届く頃には、既にオブリエン軍は敗走している可能性が高いかと。ですので、備蓄基地への防衛強化もしくは援軍。それも間に合わない可能性もあるので、砦での敵への警戒に重きを置いた方がいいかなって」
「そ、そうだね……」
――現在。
「彼はあっさりと三万の将兵の命を切り捨てた。たとえ、仕方のない判断であっても、私なら、ああも簡単に決断はできない……だが、彼はいつもと変わらぬ様子で、それを口にした。正直、ぞっとしたよ」
コーツの話を受けてグレンは、にわかに片目を細める。
(あの子に、そのような大胆な決断ができると思えませんが?)
グレンの刹那の変化に気づけないコーツは、ヨシトを語る口を閉ざさない。
「私よりも二つも若い少年が、あれほどの決断を容易く……兵を駒のように扱う、ヨシトの冷静で冷酷な思考に、恐怖と嫉妬を覚えたよっ」
微かに熱の籠る声。
柔らかく目元を緩める瞳の奥に潜む輝き。
輝きは触れることのできない憧れを見ている眼差し。
ヨシトの言葉は、彼の心の中にある、冷酷への憧れに大きく刺激を与えたようだ。
主の暗き部分を目の当たりにして、グレンは目を閉じる。
(若さ、でしょうか……若さ故に、自分の及ばぬものに羨望を……)
コーツを諭すべきか? グレンは悩む……。
しかし、饒舌にヨシトを語る彼を見て、言葉を心に収めた。
代わりに、ドゴエルについて話題を移す。
「ヨシトの進言内容は、ドゴエル様の琴線に触れたと?」
「ああ……勝利のためならば、どのような判断でも行える者。たとえそれが、苛烈で悪名を背負うことであっても、厭わずできる者。ドゴエル様はそういった者を好んでいらっしゃる」
「そうでありますか……進言の結果はどのように?」
「ヨシトの予想した通り、三万の兵は全滅。シエロンが備蓄基地をまさに襲わんとしたところで、ドゴエル司令官率いる援軍が到着し、備蓄基地は守り切れた。そういったこともドゴエル様の気を良くしているのかもしれないね」
「ドゴエル様は、窮地に陥った味方を救った英雄というわけですか。あの方の気質を鑑みると、そういった場を生み出した者はかなり贔屓にされるでしょうね」
「まさにその通り。だけど、困ったことに、あまりにもドゴエル様の評価が大きすぎてね。だから、この進言は私ではなく、ヨシトが行ったものということにした」
「えっ? お待ち下さい、ヨシトはただの執事補佐でありますよ。かような者が今回の件、機密性の高い軍事情報に関わっていたと知れたら、ヨシトおろか旦那様のご進退もっ」
「執事補佐? ちがうね。進言をした彼は、私の家の客人だよ」
「客人? まさか、旦那様は!?」
「客人。つまり、我が家に逗留する先生というわけだ。得意分野は軍事や経済といったところでいいかな。ヨシトは私の顧問。相談役として、北方戦線の攻略に尽力した」
コーツを最大の勲功と讃えるドゴエル。
しかし、北方で死力を尽くしてきた者たちにとっては、到底受けいられない話。
コーツが褒美を受け取れば、彼らの嫉妬、逆恨みを買うだろう。
だからコーツは、彼らの目を別に向けさせる……。
グレンは無表情のままコーツを見つめる。しかし、右手の拳には静かに力が入る。
「旦那様は、ヨシトに、全ての手柄をなすりつけるおつもりなのですか?」
「なすりつけるとは人聞きの悪い。彼の手柄であることは間違いないわけだし。正当な評価をしてもらえるよう、配慮しただけだよ」
「配慮とは到底言えません。ヨシトに、貴族達の嫉妬を集める行為ではありませんかっ」
常に冷静なグレンとは思えぬ、力の籠った口調。
珍しく感情を露わとするグレンを見て、コーツは首を傾けながら言葉を返した。
「このままだと私が最大の勲功とされ、北方戦線に参戦していた貴族たちに恨まれてしまう。弾除けが必要だ。グレン、どうして君が怒っている? まさか、私に身を危険に晒せと?」
「いえ……失礼しました」
「……まぁいい。ヨシトにはドゴエル様から褒賞として、金貨300枚と騎士の称号が叙勲される予定だ。私からは特別手当と長い休暇を与えるつもりだよ」
「騎士の称号まで? 弱冠15歳。しかも、生来庶民であろう彼が、過ぎたる褒賞を戴けば……」
「前例に見ぬ厚き褒賞。ヨシトに対する嫉心は天を突くだろうね」
「騎士の称号は、旦那様がドゴエル様へ口添えを?」
「いや、エイコーン侯爵の独断だ。私が要らぬ恨むを買わないように配慮されたようだ」
「そうでございますか」
貴族達の盤ゲーム。弄ばれる駒は、年端もいかぬ少年。
しかし、グレンにはどうしてやることもできない。
グレンの胸中を知らぬコーツは、追い打ちをかけるように命を下す。
「グレン。ヨシトに関する経歴について、一部書類を見直してほしい」
「見直し?」
「ヨシトを執事補佐で雇用したのではなく、客人として招いたというように書類をまとめ直しておいてくれ」
「書類の偽造ですか?」
「ちがうよ。ただのミスだ」
「……かしこまりました。手配致します」
グレンのとって、主であるコーツの命は絶対。
だから彼は、黙して命を受け入れる。
しかし、心中は全くの逆。
ヨシトへの憐憫の情が心を満たし、キシキシと悲鳴を上げる。
だが彼は、感情を一切漏らすことなく、見事に内に納めきる。そして、主へ向かい会釈をして踵を返した。
去り際のグレンにコーツが話しかける。
「そうそう、今回の話でヨシトには面白い二つ名がついたらしいよ」
「二つ名ですか?」
「敵と味方の命を等しく刈り取る……死神だってさ」
執務室を後にしたグレンは、自室へ向かう途中、仕事を終えてエルフの森から帰ってきたばかりのヨシトを見かけた。
ヨシトはギジョンと何やらじゃれ合っている。
そこからは、とても三万の命を切り捨てた人物には見えない。
二人が休憩室へ入ろうとしたところで、グレンはヨシトを呼び止めた。
「ヨシト、待ちなさい」
「え? あ、グレンさん」
「少しだけ話があります。よろしいですか?」
「え……何か俺、悪いことやっちゃった?」
「何か心当たりでも?」
「いえ、全然っ」
「そうですか。ギジョン、申し訳ありませんが、彼を借りますね」
「ええ、どうぞどうぞ。いくらでも借りてやってくだせい。ではあっしは、今日のところは失礼しやすんで」
ギジョンはニヤケ顔を保ちながら、裏口へと消えていった。ギジョンが去ったところで、グレンはヨシトに視線を向ける。
「ヨシト。北方戦線の進言について尋ねたいことがあります」
「え? ああ、なんだ、そんなことか。てっきり怒られるかと思った」
「あなたは怒られるようなことをしているんですか?」
「まさか、そんなことしてないと……思う……」
「はぁ、今はそのことについて追及はしないでおきましょう」
「追及って、何にもやってないはずだし……それよりも、尋ねたいことってなんですか?」
「コーツ様より、あなたの進言内容をうかがいました……あなたはどうして、三万の兵を切り捨てるという進言を?」
「切り捨てるって言い方、なんかなぁ……えっとですね、コーツ様が手紙を書こうとしたときに、盤上の兵隊が横に転がってるのを見て、もしかして全滅してんじゃねって思っただけですし」
「まさか、そんなことで?」
「はい、そうですけど、へっ!?」
グレンは目を大きく見開き、ヨシトを睨みつけるように見つめる。ヨシトは抉るような視線に驚き、身体をビクンと跳ねあげた。
ヨシトの反応を見て、グレンは自身の態度を慌て諌める。
「申し訳ありません、驚かせてしまい」
「いえ、大丈夫ですけど……どうしたんですか、グレンさん?」
「何でもありません」
彼は冷静さを装いながらも、ヨシトの浅はかさと痛ましさに心はざわついていた。
(なんということでしょうか。ヨシトは比喩でも何でもなく、兵士を本当の駒として見ていたとはっ)
グレンは一呼吸を置いて、ヨシトの心に触れるために、一歩、足を踏み入れる。
「ヨシト、いいですか。北方には三万の兵がいました。彼らは皆、血の通う人間です。私の言っていること、わかりますか?」
「血の通う……人間……? あっ」
ヨシトは少し首を傾げたかと思うと、一気に顔を青ざめた。
目はキョロキョロと動き視点は定まらず、誰に目から見ても彼が動揺していることがわかる。
パニックを起こし掛けているヨシトを見て、グレンはすぐさま言葉に新たな言葉を被せた。
「申し訳ありません、きつい物言いをしてしまい。ですが、今回はあなたの言うとおり、三万の兵は全滅していました。備蓄基地は進言通り、援軍の到着により守りきれました。あなたの進言がなければ、さらなる犠牲を生み、領土まで失うところでした。判断は正しかったので、気にしないように」
「そう、ですか……俺、ちょっと風に当たってきます」
身体をよろめかせながら立ち去っていくヨシトの姿を見て、グレンは臍を噛む。
(私としたことが、何という問い方を……)
自戒に首を横へ振り、裏口から出ていこうとしている、ヨシトの背中を哀しげな瞳で見つめる。
(ヨシト、あなたはなんて危険な才の持ちなのですか)
ヨシトという人物を一言で表せば、小心者。
彼は極度に、自分の心が傷つくこと恐れる。
だが、恐れるあまり、自分の力では手に負えない相手に立ち向かうという矛盾した、いらぬ勇気を持っている。
そして、恐ろしいことに、立ち向かえるだけの才が備わってしまっている。
(才がなければ、ただの小心者であれば、愚か者であれば、臆病者であれば、彼を守れた。だが、自ら身を焦がしていることに気づかない奇才は、私では守りきれない……)
次回は、色んな人たちの力を借りて解決。っと、いった感じにしようと思っています。




