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偽櫻  作者: Cessna
3/5

<3>流れるもの

「さて…………、何から語ろうか。

 そうだな、私は専門家ではないから、改めて「流体」についての自分の認識について整理しておきたい。厳密な定義については後で君自身で調べておいてくれ。私も散々文献を漁ってみたが、結局最後まで正確にその概念は捉えきれなかった。

 絵の話で例えよう。流体というのは、絵画では実に表しがたいものだ。例えば風。風にはためく旗。揺れる木々。風は物と空間とが存在することによって、ようやく画面上に描かれうる。水もそう。それ単体を何の媒介も無しに描くことは非常に困難だ。

 「界波」――――軍の研究者は、かの流体のことをそう呼んでいたが――――もまた、そうした特徴を備えていた。界波はSLBWAによって数値化、関連付けされた脳波間における、一種の関数だった。私の認識としては、界波は人の感情と感情の合間に流れる風を表わした数式といったところか。思い切った簡略化ではあるが、あながち間違ってはいないと思う。

 思い返せば、そういう界波の捉え方は、以前、父の学友である研究者から聞いた話と関係しているかもしれない。その研究者…………吾妻先生は、風雅の開発に携わっていた企業の研究室長だった。彼はよく我が家に妙な新製品を持ち込んでは、門外漢の私や母に遊ばせて楽しんでいたよ。変わった人で、他人に対する考え方もやや変わっていたのだろうが、若かった私とは不思議と馬が合ったものだった。

 ある時彼は、彼の会社が作ったというフライトシミュレーターを私にやらせながら、こんな話をした。私はシミュレーターにかまけて気持ち半分で聞いていたが、今となってはどうしてもっと詳しく聞いておけなかったのかと後悔している。

 彼は、彼のA.Iの作り方について語っていた。

 普通、恐怖や憤怒、歓喜といった感情に伴う脳内の電気信号は外界からの刺激を端緒として発生する。美しいものを見れば感動を覚えるし、誰かに罵られれば苛立ちもする。脳は種々の感覚器官を通して、各々の意識や人格を形成しているというわけだ。

 だが実は、この外界由来の刺激に対する脳の反応には、とある手法を適用することによって、与えられた刺激の種類によらず、一定の法則が見出せるという。憎しみも悲しみも楽しみも一緒くたに計算して整理してしまうような、大それた回路が「作れる」のだと彼は言っていた。

 とんでもない話だが、彼は今年のブドウの熟れ具合でも論じるかのようにすらすらと続けていった。

 要は、人格らしきものを作るためには、究極的には外の世界は必要ない。回路がうまく回りさえすれば、感情も神も自ずから彼らの中に生じてくるはずだと。大切なのは物ではなく、物が生じるための「空」なのだと。

 私は彼の手法について追及するべきだったのだが…………いかんせん、彼のシミュレーターはあまりにリアル過ぎた。私も訓練生候補としての面目があって、勢い集中が画面の方へと傾いてしまっていた。

 それからまもなく私は訓練生として採用され家を出た。色々あって父に勘当されたこともあり、その後は彼とは全く接点がなくなった。

 私は彼が今、どこで何をしているのか知らない。調べても何も出てこなかった。企業のサイトにも彼の名はなく、彼が書いたはずの研究報告も、大学の卒業論文さえも、何もかも、本当に、どこにもなかった」

 私はそこで、ディスプレイの方をちらりと窺った。偽櫻は慎ましやかに口を噤んだまま、私の次の言葉に耳を澄ましていた。私は外界と計器に目を走らせ、休憩ついでに中継地点との交信記録を確認して、偽櫻が手抜かりなく全てをこなしていたことを認めた。

「話が長くなったな。吾妻先生のことも話したし、そろそろ本題に入ろう」

 私が言うと、偽櫻は

「はい」

と柔らかく返事した。私はぽつぽつと先を語っていった。

「――――界波のアイディア、そして恐らく吾妻先生の回路は、医学から工学に及んで広く応用されるようになった。それに伴いA.Iの開発も爆発的に進み、君達は瞬く間に驚異的な知恵をつけ、私達の生活に浸透していった。

 そんな潮流の中で、吾妻先生の会社があるプロジェクトを立ち上げた。当初は大企業から富裕層へ向けた道楽的なサービスとしか見られていなかったが、やがてそのプロジェクトが予想を超えて大掛かりなものへとなっていった。

 プロジェクトの名は「風雅」。その中核となるプログラムの名を冠した、機械に芸術を理解させ、創造させようという、歴史上類のない奇天烈な試みだった。

 もっとも芸術と一言に言っても様々ある。プロジェクトの内でもとりわけ熱心に取り組まれたのは、演奏にまつわる領域だった。

 私は名の知れたヴァイオリン奏者だった母に誘われて、風雅のコンサートを聞きに行ったことがある。機械ごときにどこまでやれるものなのか、私も人並みに興味があったんだ。だが、実際に聞いた演奏は想像より遥かに凄まじいものだった。

 風雅は実に素晴らしい演奏をした。いかなる楽器においても、歌を歌っても。彼女には間違いなく感情があると聴衆の誰もが信じた。人でなければあのような音色は出せないと。人でなければ創造は成し得ぬと語り継がれていた神話が、一夜にしてあっけなく崩れ去った。隣席にいた母は決して冗談を言わない人だったが、その日は珍しく微笑んでこう呟いた。「終焉ね」と。

 ところで君は、風雅をA.Iと呼んだが、実のところ彼女をA.Iと呼ぶべきかは人によって意見の分かれるとこだ。彼女は元来純然たる演奏用プログラムであって、果たして根本的に計算機とどう違うのかと問われると中々難しいものだった。事実、高性能蓄音機と揶揄する者も少なからずいた。ましてや人格があるかなどと聞かれると、人格の定義自体が揺るがされる問題となった。

 ただ、個人的には、母の特権で楽屋裏に連れて行ってもらった身からすれば、人格という点については私は肯定的だ。私が見た、というより聞いた限りでは、彼女にはおぼろげながら人格のようなものは芽吹いているように思われた。電気の流れている限り隙あらば歌っているような奴を、どうして蓄音機と呼べる?

 後に知ったことだが、風雅は、界波における調和波形を強調して抽出することを中心の性格としていたという。彼女はデータからハーモニーを分析、構築し、演奏に還元する。彼女はそうしたやり方を次第に演奏以外にも適用していくようになった。

 それで、風雅は家庭用、業務用隔たりなく関心を持たれていったという流れだが、水面下では意外な方面で……………」

 私はそこで口を噤んだ。何となく視界に違和感を覚えたからだった。

「……………」

 緑色の点滅は無言で周辺を警戒する私を気遣っていた。私はやや声を落とし、躊躇いがちに気付いた点について彼女に尋ねた。

「なぁ、その、レーダーに映っている赤い点は何だ? 三十マイル程離れたところにいる、その点だ」

 私の問いに偽櫻は答えなかった。思索中なのか、その沈黙からはいつにない異様な緊張が迸っていた。

 レーダーはいつの間にか周囲百マイルほどを探知していた。このような広範囲を探る設定にした覚えはなく、また勝手に規定の値が変換されるということも、今までになかったことだった。

「天心さま」

 ややして、凛とした偽櫻の声がコクピットに響いた。私は辺りの空をこわごわと眺めつつ、

「何だ」

と応答した。

「風雅のことについて詳しくお話しいただき、誠にありがとうございました。私にとって大変興味深く、ためになる経験でした。本当はもっとお尋ねしたいことがたくさんありましたが、残念ながら、もうゆっくりとはしていられないようです」

「どういうことか、きちんと説明してくれ」

 偽櫻は間髪入れず問いに答えた。

「敵機が迫ってきているのです」

「敵機だと?」

「はい。所属はわかりませんが、このままではあと十五分程で追いつかれるでしょう」

 私は唖然として言葉を失い、レーダー上の点を見つめた。敵とやらがどこから来たのか、どんな目的を持って向かって来ているのか、大至急まとめあげるべく脳神経網が全力で稼働していた。一方の偽櫻は私の混乱をなだめすかすかのごとく、異様に穏やかな調子で話を続けた。

「そう、天心さまのお話の中でも特に感慨深く思われたことがありました。せめてそのことだけでもお伝えしたいと考えていました。

 天心さまは、もし飛行機に魂なんてものがあったなら、定めしこの翼が恨めしく、愛おしく感じられるだろうと仰いました。形のままならなさについて語られていた時のことです。私は自分が飛行機の魂だとは思っていないのですが、それでも私は、この深山を身体として扱いながら同じことを思っています。

 私は形の主人で、奴隷です。自分はどこか別に存在しているはずであるのにも関わらず、妙なことに、ほんの一部形を欠損しただけでも、なぜかかけがえのないものを失ったような感覚に陥ります。そうした私の喪失感と、天心さまが生存に伴って抱く不安感とが、同質のものであるのかはわかりません。ですが私は、己以外の存在が、天心さまが似た感覚をお持ちになっていることを知れて、それだけでもとても嬉しく思うのです。はるばるやって来た甲斐がありました」

「そう、か」

 私は饒舌なA.Iに戸惑いを覚えながらも、どうにか返事をした。彼女に人格があるとは知っていたが、これほどまでにその性格が前面に出てくるのを見たのは初めてだった。偽櫻はしんみりとした口調で呟いた。

「共感というのは、このような経験なのですね」

 私はそれを聞いて、共感、という単語を無意識に喉の奥で繰り返していた。

 その時突如として思考がはじけ、私は相手の正体を察した。私はたまらず苦笑した。理屈で理解できたというよりも、今まで自分の話してきたことや体験してきたことが、思いがけない場所で偶然に繋がったという感覚だった。

「そうか。私は一杯喰わされていたのか」

 私の驚きに、相手がきょとんと問い返してきた。

「どうかなさいましたか?」

「いや、私は君にすっかり騙されていたようだ」

「騙してなどいませんが」

「今更白々しいことを言うな。君は偽櫻ではない。風雅だな?」

「そうですが」

 私はあっけらかんとした相手の態度に思わず拍子抜けし、笑い声を立てた。

「何が可笑しいのでしょうか?」

「お前にわかってたまるか。風雅、よく覚えておきなさい。人間の間では、嘘をつかなければ騙していないということにはならないのだよ」

「はぁ」

 風雅の気の無い返答に被せて、私はなおも続けた。

「つまり、君は本当に憲兵とは関わりがないということだ」

「はい。事前にお伝えした通りです」

「であれば、単なる興味というのも本心か」

「はい。私は素直なA.Iです」

「何ということだ。いつの間にシステムに侵入した? どうしてここにいる? それも吾妻先生の研究なのか」

「細々語弊はありますが…………概ね天心さまの仰る通りです。吾妻さまが、国防軍部の意向で私を汎用型A.Iとして書き換えました」

「やはりそうか。界波というのは、吾妻先生の」

 言葉を詰まらせた私に、風雅がやんわりと囁いた。

「天心さま、やっと元気になられましたね」

 私は肩を落として答えた。

「この期に及んで何を言う。…………これだけ機械に虚仮にされれば自棄にもなる」

 風雅は気持ち笑ったような声を漏らすと、今までよりも幾分明るい調子で言った。

「それでは、天心さま。不躾ついでにもう一つお願いがあります」

「言ってみなさい」

「操縦桿を私にください」

 聞くなり私は反射的に、水平線とディスプレイとを素早く交互に見比べた。だが何を検討したくとも、背後から迫ってくる敵機についての情報があまりにも不足していた。敵機と風雅は言うが、それが誰から見ての敵なのかさえ、私にはろくに確信が持てずにいた。

「返答の前に質問したい」

「はい、何でしょう?」

「まず、私は何に追尾されている? 敵とは具体的に誰のことだ?」

 風雅は平然と問いに応じた。

「相変わらず敵の所属は不明です。ですが、かの機は天心さまが目的地へ辿り着くことを阻止しようとしている模様です。鹿南平野の北部からずっと私達の後を付けて来ていましたが、レーダーの使用と攻撃の意思を確認できたのはつい十六分前でした。逆探知によって航空機のタイプと搭載されているA.Iについては判明しています」

 私は風雅に続く説明を促した。風雅は声色も滑らかに、滔々と述べ立てた。

「敵機は獣号。この機体、深山と同じ空戦競技用の登録機体です。パイロットのA.Iは、風雅」

 私は眉を顰めて尋ね返した。

「相手も風雅か」

「そのようです。ただしどこかでアップデートされていて、多少仕様が異なるようですが」

「わからないな。君達は、一体何を作るつもりなんだ?」

「それについては後でにしましょう。今は時間がありません。まもなく戦闘が開始されます。パイロットを決めなければなりません」

 私は翼を揺らして背後を窺いつつこぼした。

「君にできるのか? 吾妻先生はそんなことまで君に教えたのか」

「吾妻さまは、刺激の増幅と干渉という概念を私に仕込みました。私はどんな知識も技術も、網目のように繋げていけるのです」

「偽櫻の知識とも干渉したということか」

「彼女だけには留まりませんが」

 私はジェスチャーで諦めを表明し、最後にあえて問うた。

「…………悲しいことだ。もう歌わないのか?」

 私が操縦桿から手を離すと、たちまち操縦系統が風雅の手に渡っていった。私は己の体を締め付けるシートベルトの痛みを味わいながら、どこか感傷的に響くA.Iの淡泊な音声を耳にした。

「もし、波の重なりと消失の反復を「美」と呼ぶならば、それは一つの選択肢となり得ます」

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