1話 きづいたら知らない場所にいました
わたしは目を開けた。
若い顔立ちをした、美しい少女が「わたし」の前に座っている。少女は白い身体に、上品な純白の一枚布を纏っていた。少女が腰かける台は見えない。少女の髪は雪のように白く、またその肌も同じようだ。少女の丸みのある大きい眼だけが、輝くように赤い。この白く無限に広がる世界の中で、彼女の眼だけが色を持っている。
★
――わたしは自然に口を開いた。
「わたしは……?」
少女は片膝を立てていて、そこに頬を持たせかけている。もう片方の脚は宙にぶらりと垂れていた。その脚は彼女の纏う衣からはみ出ていて、白くあでやかな肌を晒している。
「よくここまで来たね」
「えっ?」
わたしはその言葉の意味が分からず、ついそう聞き返す。少女は窺うような視線を、わたしに投げかけている。
「ここはわたしの世界なんだ。本当は、ここには誰も訪ねてこない」
「でもっ、わたし……」
わたしは続ける。
「あっ、わたし、ちょうど会社を終えて……ええと、それから電車にのって――あっ、違う! わたし電車に乗ろうとして……線路に」
わたしの過去が溢れてくる。
「違う。誰かがわたしを押したんだ……でも、でも」
「ふうん、続きを聞かせて」
わたしは訳もわからず、自分のことを止めどなく彼女に話し始めた。
「仕事はずっとつらくて——―。会社にはいきたくないし、でも行かないと生きていけないし、先輩はひどい人だし、後輩はわたしを馬鹿にするし、でもわたしだって年数しか重ねてこなかったし――それでも、転職できるほどのスキルもないし……毎日、毎日、本当に苦しかった」
「生きるというのは苦しいものだ」
「違う! わたしは他の人よりもつらかった……。得意なことだってないし、貯金だってない。将来やりたいことだってまだないし、そのくせ今が、すごく苦しい。わたし、今年二十九なんです。アラサーですよね。普通の頃になったら、みんなもうやりたいことってある程度決まってるじゃないですか。わたしには何にもないんです。……わがままだって、思うけれど、でもそれってすごくつらいことなんです」
「
わたしにはお前の苦しみの理由はよくわからないけれど、お前の胸の痛みはよくわかるよ」
「本当に?」
「本当に。お前はわたしの場所にいるんだから、わたしはお前のことは何でも知っているんだよ」
少女は言った。
「それで、お前はどうしてここへ来たの?」
「電車に……線路に落ちて……でも自殺しようとしたわけじゃないんです。誰かがわたしを後ろから押したんです」
「人の一生は何があるかわからないね。わたしはお前のことしかわからない。だから、ことの真相はわたしにはわかりようもない。それでも、わたしはお前と話せて楽しいよ。久しぶりに人と話したんだ。……お前も、それで良しとしない? ――終わったことは、どうしようもないじゃない」
「……わたし、正直、まだ心が痛いです。さっきのことを思い出してから、胸が痛くてたまらないんです。あなたは、ポジティブな人なんですね」
わたしが死んだのは、ついさっきのことのように思える。
「そういえば、あれからどれだけ時間がたったんですか? ここはどこですか? あなたは、だれ?」
「お前の魂が肉体から解き放たれてから、どれだけの間を彷徨っていたのかは、わたしにはわからない。ここは、わたしの世界だ。私だけの世界のはずなのに、お前はここへ彷徨いついたんだよ。……わたしが誰かは、今はあえて言わない。それはすぐにわかることだから」
「でも、名前も知らなければ、仲良くなれませんよ!」
「わたしと仲良くなりたいの?」
「はい!」
そういった時、わたしの胸の痛みはすでに和らいでいた。
「わたし、本当はずっと友達がほしかったんです。こんな風に誰かとお話したかったんです。———家に帰って、一人はつらい。インスタのストーリーを見て、知り合いが誰かと遊びに行ってるのを見るのは、すごく寂しい。誰かがDMのスクショをストーリーに上げて、相手の人のリンクをそこに載せてじゃれ合っているのを見ると、仲がいい人がいるのってうらやましいなあってずっと思ってた」
わたしは俯く。
「……もう、わたしは二十九なんです。周りはもう素敵な人を見つけているし……こんな子供っぽいことを言っているのも変だし……ああ、わたし、本当に子供っぽいですね」
「好きなように生きればいいんだよ」
「好きなようになんて、生きれませんよ!」
わたしは少女を見た。
「わたしはこれからどうなるんですか?」
「お前はこれから、わたしとしばらく生きるんだよ」
少女はくすりと笑った。
「どうするつもりか、とわたしがお前に聞きたいくらいだ。ああ、見知らぬ異邦人よ、お前はいい人だね。わたしはお前が憎たらしいやら愛らしいやら、何もわからないよ」
わたしはぽかんとした。
「まあいい」
少女は立ち上がった。彼女が纏っている布の合間から、すらりとした白い脚の間が見えた。彼女は裸足だ。一切の足音も立たない。彼女の長い衣が、床を音もなく擦る。彼女はわたしに近寄った。
その精巧な人形のような顔立ちには、一切の生気がなかった。ただ美しさと、それによってもたらされる威厳だけを、彼女はたたえている。赤い眼は宝石のように光っていた。
「これからよろしくね。——―わたしたち、友達になれるといいね」
「あっ、はい! ていうか、もう友達っていうか」
わたしはつい思ったことを叫んだ。少女が控えめに笑った。




