第1話
「……今日も暇だなあ」
昼下がりの町を歩きながら、私は小さく呟いた。
私はこの世に生まれてから数千年のときを生きている。一日、一日が平凡で、なにもない。なにか大きな事件でも起きたらいいのにと思っているけれど、そんなこと毎日起きたときには、大戦争が起きているようなものだった。
数千年生きている私は、もう人間とは言えないのかもしれない。でも、妖怪たちの住まうこの世では、“人間”と呼ばれる種族だった。
人間という種族がこの世からほとんど姿を消してから、どれほどの年月が経ったのだろう。
私は、正確に数えなくなっていた。もはや、正確に数えている人などいないのかもしれない。
二百年を越えたあたりから、年月というものはひどく曖昧になっていた。曖昧というよりも、数えることに飽きてくるのだ。
生まれて五十年経つまで、時間はあっという間に過ぎ去った。
生まれて百年経てば、知っている人間はいなくなった。
生まれて四百年経てば、人間はいなくなった。
そのころから今まで、人間を名乗るものと出会ったことはあるけれど、結局は人間に化けている存在だった。
人間はとっくの前に消え去った。
しかし、私はまだ生きている。
この時点で、平凡な女性──、ではない。
今から数千年前、生まれてからまだ17年しか経っていないころ、私は病で死んだ。そして、生き返ったのだ。
最初は自分でも理解できなかった。でも、目の前にいた妖怪がこういった。
『お前の両親の命と引き換えに、お前を不老不死にした』
しばらくはその妖怪に反抗していたけれど、親代わりとして私をここまでこの世界で生活できるようにしてくれたのだ。今でも感謝している。
しかし、この長い年月を生きるのはあまりにも暇だった。
そんなとき、私の運命を大きく変える出来事が訪れる。
「おねえちゃん」
町外れの橋の上で、そう声をかけられたのが始まりだった。
頭の上にある太陽が近く感じるぐらい、高い橋の上だった。
その声は、最初どこからしたのか分からなかった。
振り返っても誰もいない。前を向いても誰もいない。
すると、からかうような笑い声が聞こえて、その笑い声がした真上を見た。そこには小さな角を二本はやした小さな龍が、私の上で漂っていた。
「危ないよ。降りてきな」
あまりにも当たり前の出来事のように、私は動じることもなくそういった。
そして、両手を伸ばすと、その小さな子供の龍が降りてきて手の中に収まる。
その龍を地面に下ろすと、小さな人の姿になった。まだ七歳にもなっていないだろう見た目の子供で、黒い髪の毛は、後ろで束ねられている。
高い生地の服を着ているのを見る限り、どこかの貴族かいいところの御曹司だろう。
「おねえちゃん、一人?」
「一人だよ」
「家族はいないの?」
「家族……いないよ」
嘘ではない。
しかし、男の子は悲しそうな顔をして真剣に私を見つめてきた。
「じゃあ、僕のところに来ればいい」
「え?」
「僕が拾ってあげる」
「……拾う?」
「うん」
私は思わず笑ってしまった。
純粋無垢なまっすぐな瞳はあまりにも真剣だった。その表情と、言葉の意味が釣り合っていないのだ。
「ありがとう。でも、私は拾われるほど困ってないよ」
「困ってる」
「困ってない」
「いや。困ってる」
「私は困ってないよ」
そう繰り返し押し問答を繰り返した。
しかし、最終的に負けたのは私だった。
「困ってるように見える?」
「うん」
きっぱり言われてしまった。私は少し考えてから、自分の顔を触った。
困っているつもりはなかったのだけれど。
数百年単位で各地を回って旅をしながら生活しているとはいえ、その場その場で仕事をして働いて、住処も持っていた。
今回は少しばかり住処に困っているが、優しい主人のいる宿があったので、そこで間借りして生活している。
それほど困っているわけでもないのだ。
「……そう見えるなら、そうなのかもね」
そう言うと、男の子は嬉しそうに笑った。
そう言わないとこの場から逃げることはおろか、立ち去ることなどできない気がしたからそういったのだ。
「じゃあ決まり!」
「何が?」
「今日から、おねえちゃんは僕の侍女!」
「……はい?」
「僕の侍女になって」
やっぱりどこかの貴族だった。
「どこの子なの?」
「僕はこの国の皇子だよ」
そう言われてハッとした。
言われてみれば、服装も立ち振る舞いも、それらしい。
言われてみれば、だ。貴族と皇族の違いなど、私には分かりっこない。
「どうして私を?」
「おねえちゃんがいいから」
「それだけ?」
「それだけ!」
あまりにも迷いがない。
私は困ってしまった。小さな子供というのは、突拍子のないことをする。この皇子の使用人や、両親は困らないのだろうか。
何千年も生きてきたけれど、小さな皇子に拾われることなど、一度もなかった。
珍しい人間だからと言うことで後宮に入れられたことはあったけれど、ひっそりと過ごしていたから目立つこともなかった。時々妃としての仕事をして、のんびり過ごす。ただそれだけのことだった。
まさか、私が拾われるなんて。そもそも、拾われる人間──いや、妖怪などいるのだろうか。もしかしたら、この子は困っていそうな人を誰でも拾ってしまうのかも。
「ねえ、おねえちゃん」
「ん?」
「名前は?」
「蓮花」
そう答えた瞬間、皇子は私の手をぎゅっと握った。小さな手。それなのに、ずっと力強くて、暖かかった。
「蓮花。僕のおうちに帰ろう」
「はい。皇子」
太陽はまだ、頭のてっぺんで輝いている。強い日差しを感じながら、私は皇子に聞いた。
「ご飯おいしい?」と。




