16・記憶の闇でささやく者
「ええ、段取りそのものは完璧でしたわ。ですがそれを実行する人員が圧倒的に足りないのです」
ヨゼフィーネ皇女の言葉の意味が、フレデリクは理解できなかった。
「人員だと? 宰相の代わりなら、内大臣に務めさせればいいだろう」
宰相は廷臣の頂点に立ち、彼らを統率する存在だが、フレデリクの婚儀については次位の内大臣を代理として実行させればいいだけ。
そう信じて疑わないフレデリクに、ヨゼフィーネ皇女は哀れみの眼差しを投げかける。
「足りないのは統率役ではなく実行役です。実務を負担する文官、警備に当たる近衛騎士団、会場で接待をこなす使用人……すべてが必要とされる三分の一程度しか揃いません。これでは婚儀を決行したとしても、王家の権威を損ねるだけですわ」
「なんだと……?」
またもやフレデリクは困惑する。文官にせよ騎士にせよ使用人にせよ、王宮で働けるのは最高の栄誉だ。給金も高い。国王の婚儀という晴れ舞台を前に、こぞって辞めていく理由がわからない。
「文官は多くがモンタイト公爵家の分家、あるいはその親族出身です。彼らは王太后陛下の退位が発表されると同時に辞表を提出しました」
「……っ……」
モンタイト公爵家――忌々しいアルベルティーヌの兄オーギュストの顔を思い浮かべ、フレデリクは歯噛みする。
アルベルティーヌと同じく濃い王家の血を表すすみれ色の瞳と、貴公子然とした美貌のオーギュストを、フレデリクは忌み嫌っていた。ある意味、アルベルティーヌよりも。
オーギュストは恥ずべき売女の妹を公然とかばい、なにくれとなく支援していた。フレデリクには常に侮蔑の眼差しを注いできた。その生意気な態度が気に入らず、婚儀を終えたらなにか理由をつけて取り潰してやろうと思っていたのだ。
あちらもフレデリクが気に入らなかっただろう。だから妹の『潔白』が証明されたとたん、フレデリクへの意趣返しとして文官たちを辞めさせたのだ。
「……文官はわかったが、騎士と使用人どもは? そやつらも公爵家の差し金で辞めたのか?」
「騎士はイーグレット卿が王宮を辞した影響でしょう。彼は騎士たちの信奉を集めていましたから」
「イーグレット……?」
誰だそれは、と問い返そうとして思い出す。アルベルティーヌの『愛人』たちの一人だと。
確か森人の血を引く卑しい混ざりものだったはずだ。王宮に留まれたのは王太后の愛人だからだと思っていたのに。
「使用人たちはバティスト卿が王宮を去った影響でしょうね。彼は公の地位を剥奪された後も、彼らの取りまとめ役として働いていましたから」
バティスト――懐かしくも忌まわしい名だった。
伯爵家の妾腹の三男だった彼は成人と同時に実家を追い出され、王宮の侍従になった。血筋は劣っていても優秀だったので、マルタンも重用し、とうとうフレデリク専属の侍従にまで上り詰めたのだ。
王太子の専属侍従という晴れがましい栄誉を与えてやったにもかかわらず、バティストはフレデリクがアルベルティーヌといさかいを起こした際、アルベルティーヌの味方をした。恩知らずなバティストをフレデリクは当然クビにしてやったが、あの浅ましい悪女はバティストが美男だからと拾い、愛人にしたのだ。
悪女の寝所にはべるのは、裏切り者には相応しいと思っていたが……まだ実務に関わっていたというのか?
「それと」
「まだあるのか?」
再びなにか言いかけた皇女を睨む。フレデリクの眼差しを受けた女は誰でも頬を染めるのに、ヨゼフィーネ皇女はさっきから呆れた表情しか浮かべない。
「モンタイト公爵家、及びその一門貴族が婚儀への不参加を表明しました」
「公爵家が? だが、あの家は招待状に出席の返事を寄越したはずだ」
「つがい様が予想より早く解放されたので、もう王家に付き合う必要はないと判断したのでしょうね」
当初、アルベルティーヌはフレデリクの婚儀を見届けてから――マルタンとの『契約』を完璧に履行してから王太后を退くつもりだったはずだ。それまではアルベルティーヌの身柄は王宮に確保されている。だからアルベルティーヌのため、フレデリクの婚儀にも参加せざるを得なかった。
だがアルベルティーヌは神獣のつがいとなり、その身は神獣に守られている。もはやフレデリクにかしずく意味はない、ということか。
(売女めぇ……っ!)
つまるところ、すべてはアルベルティーヌのせいだと悟り、フレデリクはまなじりを吊り上げる。あの女、どこまでフレデリクの邪魔をすれば気が済むのか。
「……ス様の、仰る通りになりましたわね」
「なんだと?」
「貴方の考えていることが、悲しいくらいよくわかると申したのですわ。どうせまた、すべてつがい様のせいになさっていらしたのでしょう?」
ほう、とヨゼフィーネ皇女はため息をついた。図星を指され鼻白むフレデリクを、哀れむように見上げる。
「どうして貴方はそうなのですか? ラザレースでもお聞きしましたが、なぜ都合の悪いことはすべてつがい様に押しつけ、なんの疑問も持たずに過ごしてこられたのです?」
「それは……っ、あの女がお祖父様をたぶらかした悪女だから……」
「すべてはマルタンと先王ジェローム陛下の陰謀だったと、すでにお伝えしましたわよね? マルタンも認めたというのに、この期に及んでなぜつがい様を侮辱されるのですか?」
なぜ?
フレデリクはとっさに答えられなかった。
彼とて理性ではわかっているのだ。アルベルティーヌが自分の犠牲者であることを。祖父ジェロームがあんな仕打ちをしなければ、王位はアルベルティーヌの兄オーギュストに渡り、アルベルティーヌは王女として華やいでいたかもしれない。
感謝し、これまでの仕打ちを心から詫びるべきだ。理性はそう警告するのに、どうしても受け入れられない。
『そうだ、それでいい』
誰かがささやいた。
『お前は生まれながらの王で、あの女はお前の役に立つために生まれてきた存在なのだ。今も昔も、な』
だからいくら利用しても構わない。
ささやく声の魅惑の響きが思い出させる。
遠い、遠い昔。
栄華を極めた国の王であったころの記憶を。
これにて第一部終了です。
お付き合い下さりありがとうございました。




