月下の語らい
side ノア
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皇宮での喧騒が遠くで霞んでいく。
夜風が薄く開いた窓から入り込み、書斎のカーテンをわずかに揺らした。
「――ドゥーカス家の動きは?」
低く、穏やかな声。
けれどその眼差しには、一分の隙もなかった。
「はい。ジェシカ嬢が帰宅後、激しく取り乱しました。花瓶を割り、執事が負傷。父親が沈静を試みたものの、かなり荒れていたようです」
報告するのは、アルヴェイン公爵家に長く仕える影の一人、ロビンだ。
ノアはペンを静かに置き、軽くため息をついた。
「令嬢ではなく……大公は?」
その問いに、同席していたフレディ・ベネット伯爵が肩をすくめ、笑った。
「いくら目的のためとはいえ、大公家の令嬢をその気にさせたんだ。顛末くらいは気にしてやらないと」
ノアはわずかに眉を寄せ、淡く微笑む。
「人聞きが悪いですね、伯爵。
夜会のパートナーを“一度だけ”頼まれただけです」
「これだから色男は」
巫山戯るフレディをよそに、ノアは小さく咳払いをしてロビンに視線を戻した。
「報告の続きを」
「閣下の目論み通り、大公側はこちらと示談交渉を進めるつもりのようです」
ロビンの報告に、ノアは口元を緩めた。
「では、予定通りに」
「承知しました」
ロビンは一礼して、部屋を後にした。
「上手くいきそうで何よりだな。
これでドゥーカス家の“虚言令嬢”もお役御免、か」
確かにジェシカはノアの予定通り、公爵家に無礼を働くよう動いてくれたが、あの指輪が盗まれることは想定外だった。
自分の認識の甘さにノアは小さくため息をつく。
「それより、エヴァンス子爵の件ですが……」
エヴァンス子爵とは、先日の夜会でエリシアを控え室に閉じ込めたジェシカの取り巻きベラ・エヴァンスの生家だ。
「あぁ、言われた通り、皇帝陛下に汚職の件と合わせて申告しておいた。すぐにでも貴族裁判が開かれる」
ノアは、セイロン川の堤防事業での子爵家の汚職の証拠を掴んでいたので、エリシアを閉じ込めたことへの報復として使ったのだ。
セイロン川の事業は皇室が関わっている為、ただの汚職事件では済まされず、反逆罪に問われる可能性もある。
ただ、公爵家ばかりがこの手の摘発をすると、明らさまに敵を作りやすい為、ベネット家など中立派の貴族家が分担してくれている。
「ありがとうございます」
「全く、若いのによくもこんなに人の弱みを集めて来るもんだ。ロペスの父親にそっくりだな」
ロペスの父――つまりは、ノアの父方の祖父だ。
帝国の盾として現皇帝に仕え、五年前のあの事件の後に百叩きの刑に処されて衰弱死した。
それが、公爵家の自作自演だったと知らされたのはノアが帰国してからだった。
ノアがエルダールから帰国した日、ノアの食事には毒が盛られていた。犯人はすぐに捕らえられたが、忠誠心が強いことが取り柄だった公爵家の使用人からそのような者が出たことを危惧した祖父は、公爵家とノアを守るため、皇帝夫妻と密約を交わした。
表向きは爵位を無くす事で、黒幕の眼中から公爵家を外し、更には後継者争いによる火種も無くした。そしてアカデミーへの追放は、ノアを守るためで、監視だと思っていたそれは公爵家の影だったのだ。
祖父が命をかけることに、皇帝夫妻は最後まで反対したそうだ。だが、祖父はアルヴェイン家として皇太子を守れなかった責を自らの命でとったのだ。
何者かに没落させられてから復興するのは難しいが、自作自演であれば復興も容易い。
使用人や領地、財産も一時的に皇室が管理していただけで、殆どがそっくりそのままノアに返された。
事の顛末を皇帝より聞かされたノアは、自分の無力さに打ちひしがれた。そして、必ず黒幕を見つけ出すと心に誓ったのだ。
「祖父には叶いませんよ」
ノアの言葉にフレディは哀愁の篭った笑みを浮かべた。
「どうあれ、これでようやく、公に皇女様と話ができる立場を手に入れたわけだな。
で、皇女様に指輪は渡せたのか?」
「はい」
「なのに、どうしてそんなに落ち込んでるんだ?」
「エリシア様は、外交期間が終わればエルダールに帰られると……」
「やっと会えたのに、か」
ノアは俯いた。
公爵として完璧な仮面を被れる男が、
この表情を見せるのは、彼女の話の時だけだ。
フレディはそんなノアを不憫に思った。
「気持ちは伝えないのか?
お前のそれは、アルヴェイン家としての忠誠だけじゃないだろ。
――どう見たって恋情だ」
フレディの言葉にノアは気まずそうに目を伏せた。
「アルヴェイン家に生まれた以上、認められませんから」
ノアの言葉にフレディはクスッと笑う。
「何を言ってんだ!
それは、エリシア様なら、だろう。エルダールのセラ嬢なら公爵夫人にするのは容易い話だ。こういうのはお前の得意分野だろ」
得意分野、というのは、こういう抜け道を見つけるという意味なんだろうが……。
これはそういう問題ではないのだ。
「それより、問題はエルダールの王太子だな。あれは相当、皇女様に惚れ込んでる」
ノアは初めて会った日に、ハルがエリシアを守るように振舞っていたことを思い出す。それに、キースから聞く話でも、彼はとてもエリシアを大切にしている。
「いい人ですよ。ハルシオン殿下は。
エリシア様のことを一番に考えてくださっています」
ノアの回答をフレディは気に食わなかったようにため息をついた。
「お前な。恋敵を褒めてどうする。
あのビジュアルだぞ。男が見ても見惚れる。
皇女様の気持ちが変わったら……」
「変わるも何も、ハルシオン殿下とエリシア様は恋仲でしょう。だから、エルダールに帰国される訳ですし……」
「恋仲なら、どうして婚約者として同伴させていない?」
「それは二人のタイミングが……」
「馬鹿か、皇女様はお前に会いに来たんだろ」
「いえ、皇女様は皇族の墓所に行きたいと仰ってました」
その言葉にフレディはすぐに返事が出来無かった。
「そろそろ、本題に入りましょう」
ノアの言葉にフレディは顔を引き締める。
「あぁ、五年前の離宮の警備体制について調べ直した」
「どうでしたか?」
「お前の知りたい部分はまだ特定できていない。
ただ、あの日の前日に離宮の警護を任されていたシモンズ家の領内で暴動があっただろ。
その鎮圧にシモンズ子爵自らが向かっていたらしい」
「確かな筋からの情報ですか?」
「あぁ、証人は既に侯爵家で保護してもらっている」
静寂が落ちた。
ノアはしばし無言でペン先を見つめる。
シモンズ家の領内から離宮までは早馬でも半日はかかる。
つまり、あの日、離宮で警護についていたはずのシモンズ子爵はその場に居なかったということだ。
だが、シモンズ子爵の亡骸は離宮で発見されている。
「……シモンズ子爵の亡骸は後から運ばれた……もしくは、偽物だったと……」
「そういうことだな。これまでシモンズ子爵が裏切った可能性を追っていたが……先に殺されていた可能性が高い」
「となれば、シモンズ子爵の領内での暴動もきな臭くなりますね。それと、シモンズ子爵が何の連絡もなく領地に向かったとは考えにくい。誰かが握りつぶしたはずです」
「あぁ、次はそこを探る」
「気をつけてください」
「分かった。お前も無理するなよ」
フレディが去ったあと、ノアは椅子に背を預けた。
机の上には、一輪の花が飾られている。
それは、ガーデニアの花――彼女と初めて会った日に見た天使が舞い降りた花。
普段は春~初夏に咲くのに、今年は二季咲きし、秋なのに花をつけた。まるで彼女の帰国を祝うように。
「……“エリー”」
誰もいない部屋で、その名をかすかに呼んだ。
あの夜にしか呼べなかった呼び名。
光に透けるような金髪、真っ直ぐな瞳。
あの日、エルダールの夜明けに消えた少女を思い出す。
何度もあの日、呼び止めれば良かったと夢に見る。贅沢はできなくても、慎ましく二人で生きる道もあったのではと。
だけど、歳を重ねるごとにそれは若気の至りだったと気付く。
生きる術を持たない子どもが生きていけるほど世の中は甘くない。
どこかで飢え死にしていたかもしれない……。
そう自分に言い聞かせて、いつか再び会えると信じして生きてきた。
やっとそれが叶ったというのに――彼女は別の誰かの隣に立っていた。
ノアは目を閉じ、ひとつ息を吐く。
「……今はまだ、迷っている暇はない」
震える指で、書類の束を束ねる。
感情を押し殺すように、冷徹な公爵としての仮面をかぶり直した。
ランプの炎が静かに揺れる。
その光が、机の端に置かれた地図を照らす――
そこには赤い印がついていた。
“旧ジャイロ男爵領”
ノアの指がその上をなぞる。
湖面のように透き通った水色の瞳が、ひときわ冷たく光った。
「必ず、見つけ出す。
あの日、すべてを奪った“黒幕”を――」
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作者のつぶやき
いつもお読み下さりありがとうございます!
最新話を追ってくださる方が少しずつ多くなっていて嬉しいです!
先日、他サイト含めて感想でノア派ハル派の感想を頂き、とても嬉しかったです。
ノアの過去をもっと書いて欲しいとのご意見も頂きました!
今回の話も含めて、少しずつ明らかになっていきますので、今後もお楽しみいただければ嬉しいです!
評価やリアクションなど励みになります!ありがとうございます!




