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私が行方不明の皇女です~生死を彷徨って帰国したら信じていた初恋の従者は婚約していました~  作者: MARUMI
建国祭編

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夜に散る花

side 大公爵家

⋆┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈⋆


 大公爵家の豪奢な広間に、甲高い音が響いた。


 次の瞬間、白磁の花瓶が床に叩きつけられ、無残に砕け散る。

 陶片とともに散ったのは、生けられていた薔薇の花弁だった。


 その中心で、ジェシカ・ドゥーカスは肩を震わせていた。


「どうして……どうして、あの女なのよ!!!」


 張り裂けるような叫びに、広間の空気が凍りつく。

 傍らにいた父――アドルフ・ドゥーカスは、思わず娘に手を差し伸べた。


「ジェシカ、落ち着け……」


「お父様!!」


 振り返った彼女の頬は紅潮し、瞳は涙と怒りで歪んでいる。


「このままじゃ、社交界で私が笑いものになるわ!

 “大公爵家の令嬢”である私を差し置いて、あの得体の知れない女に跪くなんて……屈辱よ!!」


 その視線に宿る光は、もはや嫉妬ではなかった。

 何かを「奪い取らねばならない」と信じ切った、執念の色だ。


「……あれは外交上の配慮だ。他国の使者を立てただけだろう」


「嘘よ!」


 ジェシカは父の言葉を遮った。


「皆信じてた!

 私がノアリウス・アルヴェインの婚約者になるって!」


 婚約の噂は確かに彼女が流したものだった。けれどそれは「いずれ現実になる」確信があったから。

 

 帝国の実権を握る大公爵家の公女として、手に入らないものなんて今まで一つも無かった。

 ――ノアリウス・アルヴェイン。彼も例外ではない。


「勝手に噂を流せば、アルヴェイン公爵がどう思うか……」


「そのために、お父様は圧力をかけるって言ったじゃない!」


 ジェシカは父の腕を振り払った。


 アドルフは額に手を当てて、低く唸った。

 

 ドゥーカス家とアルヴェイン家は、明確な政敵。

 加えて、アルヴェイン家には“皇家と婚姻を結ばぬ”という掟がある。

 皇太子候補に名を連ねる以上、この縁組は最初から成立しない。


 それでも、この娘は聞く耳を持たなかった。


 ――いつからだろう。

 この子が、ここまで自分の欲望だけを見るようになったのは。


「言ったが……アルヴェイン公爵は、容易く屈する男ではない」


 その言葉に、ジェシカの唇が歪む。


「なら、おじい様に頼めばいいじゃない!

 正式に縁組を進めるよう、命じてもらえばいいのよ!」


「……父上を、巻き込むつもりか」


「当然よ!」


 即答だった。


「それより、どうして指輪を盗んだ?」


 父の質問にジェシカはクスッと笑った。


「ノアリウス様のお部屋でラッピングされた小箱からあの指輪を見つけました。

 あれは私への贈り物ですわ」


 アドルフは、重く息を吐く。


「……今のお前を、選ぶ男はいない」


 家柄や政治以前の問題だ。

 嫉妬に狂い、虚言を弄び、周囲を顧みない女を――

 誰が、伴侶に望むというのか。


「もういいですわ。お父様には期待しません!」


 ジェシカは踵を返し、乱暴に扉を開けて出ていった。


 残されたのは、砕けた花瓶と、散った薔薇。


 ――花は、豪奢であればあるほど、音を立てて落ちる。


 アドルフの胸に、嫌な予感が静かに芽生え始めていた。

 娘の野心は、もはや後戻りできない炎に変わりつつある。


 そのとき。


「……相変わらずだな」


 低い声がして、振り返ると、父――大公と、長男のカインが立っていた。

 二人は惨状を一瞥し、揃って小さく息を吐く。


「ジェシカのヒステリーも、ここまで来ると厄介ですね」


 カインの言葉に、アドルフは頷いた。


「この時期に、やらかしてくれたものだ」


 皇位継承争いも佳境を迎えているというのに。よりによってアルヴェイン公爵家と問題を起こすとは。


「今回の件、裁判にされると厄介ですね」


 カインの言う通り、裁判にされればドゥーカス家の醜聞が帝国全土に広がる。そうなればイメージダウンは否めない。


「示談に持ち込めないか交渉するしかなかろう」


 大公の言う通りだが、仮に公爵家が示談に応じたとしても、借りを作ることとなる。


「はぁ……中立派を抱き込む算段も、これで潰えた」


 アドルフがため息をつくと、カインが肩をすくめた。


「そもそも、アルヴェイン公爵を巻き込もうとするのが無謀なのです」


 カインは淡々と続ける。


「五年前、あの家を最も追い込んだのは我が家です。

 恨みしかないでしょう」


 カインの言葉に大公は小さく首を振る。


「あれは恨みで動くような男じゃない。

 もっと思慮深い人間だ。だから面倒なのだ」


 恨みや妬みの感情で動いてくれればいいものを、皇家に仇なす者を裏から確実に潰しにくる。

 その姿は先々代の公爵そのものだ。

 それをあの若さでやってのけるのだから、恐ろしい。


「じゃあ、どうすればいいのですか?」


 そんな公爵に比べて、大公の息子であるアドルフは頼りなかった。自分が皇太子になるための戦いだと言うのに、全て親頼みだ。


「中立派の弱みでも探しますか?」


 アドルフの出した答えに大公は呆れた。

 これ以上、中立派から反感を買ってどうするというのか。


「止めておけ。

 これ以上、アルヴェイン家を敵に回さぬほうが良い」


 帝国は今、微妙な均衡の上に立っている。

 アルヴェイン家という“盾”が健在である限り、中立派もだが、皇家そのものが揺るがない。

 

 それは同時に、他の家門にとって、永遠に覆せぬ壁でもあった。


 だから、アルヴェイン公爵家ができない皇室との婚約を無理に迫り、大公爵位という爵位も手にしたのに……。それでもアルヴェイン家はドゥーカス家より上に君臨し続ける。


 ――爵位も、権力も手に入れた。

 それでも、なお届かない。


 その事実が、大公の胸を苛立たせる。


「じゃあ、どうしますか?

 フローレンス公爵家の舞踏会には中立派も多く出席したそうですし、形勢は不利です。

 母上に相談して皇太后に動いてもらうのは……」


 息子のアドルフは相変わらず、自走する姿勢が見られない。まだ、孫のカインの方が頭が回る。


「皇太后はサラに甘い……だが、私情を国政に持ち込むようなお方じゃなかろう……」


 沈黙が落ちる。


 その空気を破ったのは、カインだった。


「なら――“保守派”を削れば良いのでは?」


 大公が、ゆっくりと視線を向ける。


「フローレンス公子は女癖が悪かったはずですし、公女は夢見がちな人です。恋愛沙汰なら容易に醜聞を作れそうですが」


 その言葉に、誰も否定しなかった。


 割れた花瓶の破片が、燭台の光を受けて鈍く輝く。


 ――静かに、歯車が噛み合い始めていた。

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