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私が行方不明の皇女です~生死を彷徨って帰国したら信じていた初恋の従者は婚約していました~  作者: MARUMI


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黎明の約束

 泣き疲れたのか、あるいは暴れ疲れたのか。

 

 私はノアの腕から抜け出すことを諦め、静かにその胸に身を委ねた。

 聞こえてくる彼の鼓動と体温が心地よかった。


「ノア……私を置いていって下さい」


 その言葉が唇から零れた瞬間、自分でもひどく身勝手なことを言っていると分かっていた。


 ノアを困らせるだけだ。

 それでも、もし彼が私を見捨てたとしても、誰も咎めはしないだろう。


 私は皇族でありながら何の力もなく、ただ守られて生きてきた人間。

 ここで命を落としても、きっと世界は変わらない。


「エリシア様は……私に失望されてますか?」


「え……?」


 思わず顔を上げた。

 失望するのは、むしろ彼の方ではないのか。

 こんな惨めな私を、守る価値があると思えるのだろうか。


「どうして、そんなことを?」


「父に言われました。

 "アメリア様と、レオン様、そしてエリシア様を命に代えてもお守りせよ"と。

 それが父の……最後の命令でした。

 それなのに、私は妃殿下を守れず、レオン様を見捨ててしまった。

 失望されても……仕方がありません」


 彼の声は震えていた。

 その肩が小刻みに揺れているのを見て、胸が締めつけられる。

 

 どうしてこの人は、自分を責め続けるのだろう。

 まだ十四歳――本来なら、無邪気に笑っていていい年なのに。


「どうして……そこまでして、私を守ろうとするの?」


「……さて、どうしてでしょうか」


 ノアはゆっくりと遠くの山々を見つた。

 まるで。言葉を選んでいるように。

 

「深く考えたことはありません。

 ただ――それが、アルヴェイン家に生まれた者の宿命なのです」


「宿命……それだけですか?」


「はい。それだけです」


 その淡々とした答えに、なぜか心が軋んだ。

 

 宿命。それだけで人は死ねるのだろうか。

 ノアの父も、彼自身も、そんな形のないもののために命を懸けているのだろうか。


 けれど、私ははっきりと気づいていた。

 この絶望の中でも、私が願っていることがある。


「ノアには、死んでほしくない」


 それだけは、確かだった。


 私は彼の腕から離れ、顔を上げた。

 霧に溶けるような水色の瞳を、まっすぐに見つめる。


「ノア。

 私はこれ以上、大切な誰かが死ぬのを見たくありません。

 もしノアが死ぬくらいなら――私も死にます」


 その言葉に、ノアは目を見開いた。

 

 それは、もしかしたら初めて、真正面から彼の瞳を見て話した瞬間だったのかもしれない。


 ノアは短く息を吸い込み、やがて決意の色を宿した瞳でうなずいた。


「エリシア様。今は信じられないかもしれません。

 ですが、私が必ずこの困難から貴女を守り抜きます。

 ですので……もう一度、私にチャンスをください」


 本当にチャンスをもらうのは、私の方だ。

 彼に守られ、生かしてもらうために。


「……はい」


 かすれた声で答えながら、その一言に“生きる”という小さな約束を込めた。


 その後、ノアは私を抱えて近くの水源へと運んだ。

 澄んだ水で喉を潤し、互いの傷を清める。

 冷たい水が頬を流れ、少しだけ心が落ち着いた。


「ここは、私の祖父の領地に入った所です。

 小さい頃、狩りでよく来ました」


「……じゃあ、この場所を知っていたのですね?」


「ええ」


 胸の奥が熱くなった。

 恥ずかしさと、安心と、ほんの少しの温もりが入り混じる。


「どうして、すぐに言ってくださらなかったのですか?」


「エリシア様も道をご存知なのかと思って……すみません」


「いえ。私が勝手に歩いていったせいですから」


 傷を洗い、立ち上がろうとした瞬間、足首に鋭い痛みが走った。


「エリシア様、足が痛みますよね。

 固定しましょう」


 ノアは自身のマントのまだ綺麗な部分を切り取り、手際よく私の足を包んだ。

 彼の指先が触れるたび、痛みの奥で、心がくすぐったく感じる。


 手当をしながらノアはこの後のことを私に説明した。

 

「まずはベネット侯爵の邸宅に向かい、今後のことを相談しましょう。

 ベネット家は皇族への忠誠心がとても強い家門です。

 皇太子殿下と私の父も絶大な信頼を置いていました。

 このような状況下でも頼れる存在ですのでご安心ください」


「分かりました」


「なのですが、少し急がないとなりません……」


 ノアによれば、今回の事件が帝都にまで知れれば、関所での検問が厳しくなる。

 今回の皇族襲撃には皇族と深い関係を持つ人物が関与している可能性が高い為、検問で居場所が見つかれば、また暗殺の危機にさらされる可能性も否めないそうだ。


「……ですので、お辛いかと思いますが、急いでベネット家に向かう必要があります」


 ノアの言葉を聞いて、私は気を引き締めた。

 幸い、ここからベネット家の邸宅までは馬の速足で小一時間の距離、休憩なしで歩けば五時間ほどの距離だという。


「固定できましたが、あくまでも応急処置ですので無理はなさらないでください」


「ありがとうございます。

 だいぶ楽になりました。

 それでは急ぎましょう」


 私はノアに差し出された手を掴んで立ち上がると、ベネット家のある方角を向いた。

 

 足に負担がかからなくなったからだろうか、ズキズキとした痛みは幾分か楽になった。


 ちょうどその時だった。

 

 馬の蹄の音がこちらに向かってくるのが聞こえ、私はノアに腕を引かれてすぐ近くにあった木陰に身を隠した。


 想定よりも早く追っ手が来たのだろうか。

 胸の鼓動が速くなり、息が浅くなる。


 しばらくすると、私たちが休んでいた水源地に三頭の馬が現れ、男たちが下り立った。


 どうやら馬を休ませるようだ。


「侵入者の知らせがあったのは、ここから二十分ほどの場所です」

 

「そうか……既に移動しているかもしれん。警戒を怠るな」

 

「はい」

 

「日が暮れる前に確認できれば良いのだが……」


 誰かが、私たちを見ていた――。

 そう悟った瞬間、背筋に冷たいものが走った。


 胸元に隠した短剣の柄を握りしめる。

 けれど、ノアが小さく首を振り、私の手をそっと押さえた。


「大丈夫です。

 あの方はベネット侯爵の長子、フレディ・ベネット伯爵です。

 普段は皇都で活動されている方ですが、今は帰郷中のようですね。

 面識がありますので私が話をします、ここで待っていてください」


 ノアは囁くように言い残し、木陰から姿を現した。

 その途端、馬に水を飲ませていた男たちが一斉に振り返り、剣を抜いた。


「誰だ!!」


 思わず目をつぶった。


 しかし、悲鳴も剣戟の音も聞こえない。

 代わりに、どこか懐かしむような、朗らかな声が響いた。


「なんだ! ノアじゃねぇか!」

「ご無沙汰しております、ベネット伯爵」


 そっと目を開くと、男たちは剣を下ろして安堵の笑みを浮かべていた。


「おう! 春の剣術大会ぶりか?

 ……それよりどうした?

 皇都の天才坊ちゃんが泥まみれとは」


 軽口を叩けるほどの関係。

 どうやらノアと彼は親しい間柄のようだ。


「敵襲に遭い、逃げてきたところです」

 

「ということは、侵入者ってのはお前か。

 で、ロペスはどうした?」


「父は……死にました」


「は? 何言って……ロペスが死ぬはず――」


 伯爵の顔がみるみる青ざめていく。

 帝国随一の剣士の死など、誰が想像できただろう。


 その空気を破るように、私は木陰から一歩踏み出した。

 私が現れたほうが、真実が伝わると思ったからだ。


「本当です」


 私を見た瞬間、男たちの視線が鋭く変わった。


「貴女は?」

「名乗り遅れました。

 エリシア・ヴェル・セレスティアと申します」


 できる限り丁寧に、皇族としての礼を尽くす。

 すると、男たちは一斉に膝を折り、頭を垂れた。


「これはこれは皇女殿下! ご無礼をお許しください。

 私はフレディ・ベネットと申します。

 こちらは弟のオーウェン、執事のウィリアムです」


「デビュタント前ですので、ご存じなくて当然です。

 急な訪問をお許しください」


「とんでもない。

 ですが……殿下が“逃れている”ということは、皇族が襲われたということですよね?

 なぜ皇都から知らせがないのです?」


 フレディ伯爵の声には困惑が滲んでいた。

 無理もない。


 説明しなければと口を開いたが、唇が震え、言葉が喉の奥でつかえた。

 母の血に染まったドレスと、弟の泣き顔が脳裏を過ぎる。


「……っ」


 声にならない声を、ノアがそっと引き取った。


「一刻を争う事態です。

 侯爵様にお取次ぎ願えますか?

 詳細は追ってお話しします」


 その言葉に、伯爵の表情が引き締まる。


「わかった。話は後だ! 邸宅に急ぐぞ!

 ノアは殿下とウィリアムの馬に、オーウェンは先に行け!」


 矢継ぎ早の指示が飛び、私たちは馬に乗せられた。

 蹄の音が夕暮れの森を駆け抜けていく。


 西の空にはまだ、微かに茜色の名残があった。

 その光を追うように、私たちはベネット家の邸へ向かった。


 やがて、森を抜けた先に石造りの大邸が現れた。

 

 月光に濡れた屋根が黒く光り、幾つもの塔が空を見上げている。

 重厚で誇り高い佇まいだった。


「……着きました。

 ベネット侯爵邸です」


 ノアの声は静かだったが、その奥に安堵の色が滲んでいた。

 

 門の前で衛兵が松明を掲げて待っていた。


「フレディ様!」

「父上には伝えてあるな?」

「はい! 侯爵様は応接の間でお待ちです!」


 鉄の門が軋む音を立てて開かれた。

 馬の蹄が石畳を打ち、静かな夜気の中にその音が響く。


 屋敷の中庭には手入れの行き届いた樹木が並び、灯りの光が葉の間を淡く照らしていた。


 玄関前には、数人の使用人が並んでいた。

 皆、眠気の色など微塵もなく緊張した面持ちで頭を下げている。


 馬を降りた瞬間、疲労が一気に押し寄せて、私は思わず膝を折りそうになった。

 だけど、ノアがそっと支えてくれる。


「大丈夫ですか?」

「……ええ、少しふらついただけです」


 屋敷の扉が開くと、温かな灯りが溢れ出した。


 中は古いけれど美しく整えられた空間だった。

 大理石の床に、古典様式の絵画と彫像。

 

 壁際の燭台の火が静かに揺れ、黄金色の光が廊下を染めている。


「皇女殿下、どうぞこちらへ」


 ウィリアムに導かれ、長い廊下を進む。

 歩くたびに靴音が静かに響き、その音がやけに遠く感じた。


 この先にノアの祖父であり、ベネット家の当主、私たちの運命を左右する人物が待っている。


 扉の前で立ち止まると、ウィリアムが静かに告げた。


「エリシア皇女殿下、並びにアルヴェイン公子をお連れしました」


 ノアと顔を見合わせ、私は深呼吸をした。

 冷えた空気が肺に満ち、心臓の鼓動が早まる。


 ウィリアムは私達に軽くうなずき、扉を押し開けた。

 

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