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私が行方不明の皇女です~生死を彷徨って帰国したら信じていた初恋の従者は婚約していました~  作者: MARUMI


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赤く燃える旅路

 離宮までの道中、私とレオンは退屈しのぎにハンカチでうさぎやバナナを作って遊んでいた。

 

 最初こそ笑っていたものの、やがて飽きてしまったようだ。

 レオンはつまらなさそうに馬車の中を右に左に移動しては、外の景色を覗き込んでいる。


「お姉様! 外に出たい!」


 頬を膨らませるレオンをなだめようとしたけれど、七歳の男の子がじっとしていられるはずもない。

 少しでも気を紛らわせようと、私はいくつかの昔話を語って聞かせることにした。


 童話をいくつか話したあと、ふと、昨日も何か懐かしいような夢を見たことを思い出す。


 そんなことを考えていると、レオンが心配そうに顔を覗き込んできた。


「お姉様、大丈夫?」


「うん。ごめんね。

 ちょっと眠くなっちゃっただけ。

 昨日、楽しみすぎて眠れなかったの」


 笑って答えると、レオンは胸を張って言った。


「お姉様は寝ててもいいよ!

 何かあったら、僕が起こすから!」


 あまりに頼もしいことを言うものだから、思わず吹き出してしまう。

 ほんの数分前まで「退屈だ!」と騒いでいたのは何処の誰だったか。


「ありがとう、レオン」


 レオンの柔らかい髪をくしゃくしゃに撫でると、彼は頬をぷくっと膨らませた。


「子ども扱いしないでください!」


 可愛い弟を眺めながら撫でているうちに、レオンはいつの間にか小さな寝息を立てていた。

 

 そっとマントを掛ける。

 きっと起きたら「起こしてくれなかった」と怒るだろう。


「ふふっ……」


 思わず笑みが零れた、その瞬間――。


 ――ガコッ。


 激しい衝撃が馬車を揺らした。

 体が前へ投げ出されそうになったが、ノアの腕が私を支えてくれる。


「大丈夫ですか?」


「ええ……ノアのおかげで。

 ありがとうございます」


「ぼ、僕も……大丈夫」


 眠そうに目をこするレオンの姿に、胸をなで下ろす。


(何があったんだろう?)


 外を覗こうとした瞬間、ノアの手が私を制した。


「私が外の様子を確認して参ります。

 お二人は、どうかこのまま中でお待ちください」


 そう言ってノアはカーテンを引き、外へ出た。

 カーテンの隙間から見えたのは、離宮の庭ではなく――薄暗い山道。


(……どこだろう?)


 けれど、焦っても仕方がない。

 深く息を吐いて、気持ちを落ち着けた。


 しばらくして、外が騒がしくなり始めた。


 馬のいななき、鎧の軋む音、怒鳴り声。

 

 だけど、それらが遠くの夢の中の出来事のようにぼやけて聞こえる。

 どこか現実味を感じなかった。

 

 どれほどの時間が経ったのかも分からないが、外は次第に暗くなっていった。

 それが日暮れのせいなのか、嵐の前触れなのか、判別もつかない。

 

 もし馬車が壊れたのなら外へ出なければ……そう思い、トランクを開けたときだった。


「――ぎゃあああ!」


 突然、耳を裂くような悲鳴が響いた。


「敵襲! 敵襲!」


 近衛兵たちの叫びが飛び交い、剣がぶつかり合う音があちこちで弾ける。


(何? 何が起こってるの……!?)


 外の様子を確かめたかったが、出発前にアルヴェイン公爵に言われた言葉を思い出す。


 ――“何かあった時、決して外に姿を見せてはなりません”


 皇族の馬車が襲撃された時、真っ先に狙われるのは皇族。

 自ら姿を晒せば、それは的になるということだ。


(大丈夫。ノアが、必ず戻ってきてくれる)


「お姉様! 何が起こってるの!?」


 泣きついてくるレオンの肩を掴み、目線を合わせて腰を屈める。

 こんな小さな子とって、先程の叫び声がどれ程怖いかと思うと、胸が締め付けられた。


「大丈夫。お姉ちゃんが一緒だから。

 それに、レオンがいつも言ってたでしょ?

 お姉ちゃんを守るって」


 冗談めかして笑うと、レオンは涙をこらえるようにぎゅっと唇を噛んだ。


「……うん。頑張る!」


 その言葉に小さく頷き、マントをレオンの肩に掛けた。


 ――バンッ!


 馬車の扉が激しく開いた。


「御無礼をお許しください!

 アメリア様のもとへご案内いたします!」


 普段の柔らかな声とは違う、鋭く研ぎ澄まされた声音。

 その一瞬で、ノアが“従者”ではなく“護る者”の顔になったと悟る。


 レオンはノアに抱え上げられて馬車を降りる。

 続いて、私も意を決して飛び降りた。


「エリシア様!?」


 ノアの驚く声が聞こえる。


 ――ズキッ。


 着地の衝撃が脚に走り、思わず手をついた。

 こんな高さから飛び降りたのは生まれて初めてだった。


「大丈夫ですか!?」


「平気……です。急ぎましょう!」


 一歩踏み出そうとした瞬間――。


 ――ゾクッ。


 背後に、黒い“何か”の気配を感じた。


 ――ビューン!


 足元を火矢がかすめ、地面に突き刺さる。


 ゆっくりと振り返ると、闇の中に黒装束の影が揺らめいていた。


「エリシア様! 急ぎましょう!」


 ノアはレオンを片腕に抱え、もう片方の手で私の腕を強く引いた。

 その手の温もりに縋るようにして、私は走り出す。


 振り返ると、さっきまでいた場所に火の手が上がっていた。

 夜の闇を切り裂く炎の赤が、まるで運命の幕開けを告げるように揺らめいている。


 ――そして、私たちは山中の古い廃城へと逃げ込んだ。


「はぁ……はぁ……はぁ……」


 肩で息をしながら、私たちは廃城のエントランスを駆け抜けた。

 

 崩れかけた外壁とは裏腹に、中は驚くほど整っている。

 まるで、つい最近まで誰かがここで暮らしていたかのようだった。


 奥へ進むと、ノアが壁際に膝をつき、腕の中のレオンをそっと降ろす。


「……お怪我はありませんか?」


 私とレオンがうなずくと、ノアは安堵の息を吐き、わずかに笑みを浮かべた。


 周囲には、逃げ延びてきた従者たちが次々と集まっていた。

 誰もが息を荒げ、顔を青ざめさせている。


 石畳の上に響く足音と、廃城の冷たい空気が、恐怖をそのまま閉じ込めているようだった。


「ノア!」


 そのとき、重い声が響いた。

 アルヴェイン公爵が、血に汚れたマントを翻してこちらへ歩み寄ってくる。


「お二方――緊急事態ゆえ、どうかご無礼をお許しください」


 公爵は短く礼をし、ノアの肩に手を置いた。


「……言ったこと、覚えているな?

 お前はお前の役目を果たせ。

 分かったな」


 その言葉は重く、まるで別れ言葉のように響いた。

 普段は朗らかな公爵の顔に、滲むような悲壮さが見える。

 ノアは唇を噛みしめ、ほんの一瞬、涙を堪えるように目を伏せた。


「……はい、父上」


 ノアがその返事をしたときには、もう公爵の背は遠ざかっていた。


「ノア……?」


 名を呼ぶと、ノアは小さく肩を震わせ、我に返ったように私を見た。


「申し訳ございません。

 皇太子妃様のもとへご案内いたします」


 そう言って、ノアは私の伸ばしかけた手の前をすり抜けて歩き出した。


「お姉様、早く行こう!」


 レオンの声に、私ははっとして小走りにその背を追う。


 しばらく歩いて、廃城の奥、かつての主が客間として使っていたであろう一室の前へとたどり着いた。


 扉の前には、いつも公爵の傍に立っているエドウィン・ウォード伯爵の姿があった。


「皇女殿下と皇子殿下をお連れしました」


 ノアの声に、扉が勢いよく開く。


「エリー!! レオン!!!」


 母が駆け寄り、両腕で私たちを抱きしめた。

 

 完璧な淑女である母が、こんなにも乱れた姿を見せるのは初めてだった。

 その温もりに包まれた途端、緊張がふっと解ける。


「お母様……お父様は?」


 問いかけると、母は私の肩を抱いたまま、真っ直ぐに目を見つめ返した。


「殿下は、援軍を呼ぶため離宮へ向かわれました」


 言葉が胸の奥に重く沈む。

 敵の標的が父であることは、子どもの私でもわかる。

 そんな父が自ら動くことは囮になるようなものだ。

 

 喉の奥までこみ上げた不安を、必死に飲み込んだ。


 そんな私の心を見透かしたように、母は柔らかく微笑む。


「大丈夫。

 あなたたちの父上は、あるヴェイン公爵と同じ天才と呼ばれた剣士よ。

 誰にも負けはしないわ」


 そして頬にそっと口づけた。


 大好きな母の匂いが鼻をくすぐる。

 いつもと同じ香りのはずなのに、なぜか今は胸が締めつけられるほど遠く感じた。


「ずるい! お姉様だけ!」

 

 レオンが不満げに声を上げる。

 

「はいはい」

 

 母は笑いながら、今度はレオンの額にもキスを落とした。


 その瞬間、先程まで強ばっていたレオンの表情がふっと和らぐ。


(やっぱり、お母様はすごいわ)

 

 ようやく私も、心の底から息をつけた気がした。


 早く、帝都に帰りたい。

 お父様とお母様と、レオンとノアと過ごす――何気ない日常に戻って、レオンの誕生日をやり直したい。

 

 そう願った、その時。


 ――ドォォォンッ。


 腹の底を震わせるような轟音が、廃城全体を揺るがした。

 空気が裂けるような爆音。

 灯りが揺れ、窓の外が赤く染まる。


 ――ミシミシッ。


 室内に、古びた建物が軋む音が響いた。

 

 天井から細かな塵がぱらぱらと舞い落ち、誰もが息をひそめる。

 恐怖というより、現実を受け止めきれず動けずにいた。

 

 そんな空気の中、沈黙を破ったのはノアだった。


「ウォード伯爵、そこにいますか?」


「はい」


 扉を押し開けて入ってきたウォード伯爵に、ノアは鋭い眼差しを向けた。


「なるべく気取られないように、外の様子を確認してきてください」


「承知いたしました」


 伯爵が足早に部屋を出ていくと、ノアは私たちの方へ向き直り、深く頭を下げた。


「勝手な行動をお許しください。

 恐らく、この城が砲撃を受けています。

 安全を確かめるために動きました」


 いつも穏やかなノアの淡々とした口調に、胸の奥がざわついた。

 

 母が静かに問いかける。


「わかりました。

 ……公子、あなたはこの状況をどう見ていますか?」


 ノアは一瞬、私とレオンの方を気遣うように目をやってから、慎重に言葉を選ぶように答えた。


「憶測の域を出ませんが……。

 あの山道に仕掛けられていた罠、そして敵の動きや装備を考えると、山賊のような衝動的なものではなく、計画的な襲撃かと思われます」


 わずか十四歳の少年とは思えないほど、彼の声はこの状況下でも落ち着いていた。

 その冷静さが、今起こっているのことが現実として突きつけられる。


 計画的。つまり、私たち皇族を狙った襲撃だということ。

 頭では理解していたのに、実際に命を狙われていると思うと、足元が震えた。


「そうですか……」


 母は小さく息をついた後、表情を引き締めて続けた。


「計画的な動きなら、この廃城に逃げ込むのも敵の想定内ということですね」


「はい。ですので、早いうちにここから脱出した方がよろしいでしょう」


「分かりました。

 戦う術を持たない者たちは城外へ避難させます。

 ……公子、あなたは帝都へ向かい、現状を伝えなさい」


 母らしい判断だった。

 しかし、ノアはその言葉を受けても、すぐには動かなかった。


「……できません」


「公子、これは命令です」


 母の声には皇太子妃としての威厳が宿る。

 けれどノアは、怯むことなくその瞳を真正面から見返した。


「承知しています。

 ですが、父より“皇子殿下と皇女殿下を命にかえても守れ”と命じられています。

 私がここを離れるわけにはいきません」


 その瞬間、まだ少年の顔に宿った強い決意に、私は息を呑んだ。

 母も少しだけ目を細めて、やがて静かにうなずいた。


「……分かりました」


 短い沈黙のあと、母は私とレオンの方へ向き直る。


「エリー、レオン。

 話は聞いていましたね。

 すぐに出発します」


 けれど、母の足元にしがみついたレオンが、震える声で言った。


「……行きたくない」


 母は一度だけ目を閉じ、そしてその小さな手を優しく引き離す。


「レオン・ヴァル・セレスティア!

 あなたは我がセレスティア帝国の皇子です。

 幼くとも、その血を継ぐ者。

 皆の手本となりなさい」


 レオンは唇を噛み、涙をこらえながらもまっすぐに母を見上げる。

 そして、何かを悟ったように小さく、けれど確かにうなずいた。

 

 その姿は、幼いながらも確かに“皇子”だった。


 私は駆け寄りたい衝動を押さえ、ただ掌を握りしめた。


 母がエントランスに立ち、二度、手を叩くと、ざわついていた従者たちが一斉に彼女を見た。


「私たちがこの場に留まっても足手まといになるだけです。

 戦えぬ者は城を離れましょう。

 若い女性を守るように列をなしなさい」


 冷静な判断だった。

 敵の手に落ちたとき、最も傷つけられるのは女子供だということを、母はよく知っている。

 帝都では想像もできないような惨劇が、まだこの大陸の至る所で起きているからだ。


 母の声が再び響く。


「狙われているのは――私たち皇族です。

 戦う術のない者は別の道を通り、必ず帝都へ生きて帰るのです。

 それが、あなたたちの“戦い”です」


 従者たちからは反対する声も出たが、やがて母の願いを受け入れるように皆がその選択に頷いた。

 

 涙をこらえながら、彼らは手短に準備を整える。

 その背を見つめながら、私は胸の奥でひとつの予感を覚えていた。


 ――この夜を境に、もう二度と同じ日々には戻れないのだと。

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