孤独の果てで
別れの朝が終わると、私はそのまま神殿棟――“聖域”へと戻された。王都の最奥、水晶宮の裏手に築かれたその場所は、まるで世界から切り離されてしまったように静謐だった。
白大理石の回廊、澄んだ泉、祈りの香を焚く修女たち。どれもが美しく、清らかで、そして――息が詰まるほどに完璧で、「神に選ばれし御方」と呼ばれるたび、胸の奥で小さな痛みが広がった。
誰もが私を“信託に選ばれし神子”として扱い、“エリシア”としての名は、少しずつ人々の口から消えていく。
最初の方は、それでも必死に耐えようとした。夜になればノアの言葉を思い出して、自分を奮い立たせた。
――必ず迎えに行きます。
その声が、耳の奥で何度も何度も響いて、まだ私を“私”として留めてくれていた。
けれど、月日が経つにつれて、聖域の静寂は私の心を蝕み始めた。
朝は祈り、昼は聖典の写経、夜は沈黙の修行。誰とも言葉を交わさず、外の音も届かない。ただ、水晶の壁に反射する光だけが時間の流れを告げていた。
何かひとつでも乱せば、「神子としての務めを忘れてはなりません」と厳しい声をかける侍女長の言葉に、静かに頭を下げるしか無かった。
――これは、“奉仕”ではなく、“監視”だ。
周りの侍女達の存在がそうであると気づいたとき、初めて窓の格子に触れた。見上げれば、遠くに王都の街並み。そのどこかに、ノアと過した帝国への道が続いているはず…。
けれど、白い壁と祈りの声に囲まれたこの場所では、その景色すら幻のように思えた。
夜、すべての祈りが終わり、誰もいなくなった礼拝堂で、私はひとりルクシオン像の前に座った。
燭台の灯が揺らめき、青白い光が壁を滑っていく。
「ノア……話がしたいです。声が聞きたい。
会いたい…です……」
返るのは静寂だけ。
答えはない。
ただ、白い光だけが、彼女の涙を優しく照らした。
――神様
もしもこの祈りが届くのなら。
どうか、あなたの世界にもう一度、戻れますように。
その願いが夜に溶けるたび、エリシアの心は少しずつ、“神子”へと染まっていった。
――――――――――
そうして三年の月日が流れた。
正確な年月など分からないが、寒さに凍えて眠れない日が長く続くような季節が三回巡り、また肌寒くなってきたのだから、恐らく三年だろう。
その頃には人との話し方も笑い方も、感情さえ忘れかけていた。もし洗脳と呼ぶのであれば、きっとそうなのだと思う。
ただ一人の人を待ち続けて、ただ一人の人との約束を守る為に生きてきた。きっと彼がいなければ、身に纏う信仰の証の白い布で自害していただろう。
それなのに。
その唯一の人の柔らかい声が、最近は思い出せない。
好きだった瞳の色も、笑った顔も、輪郭が曖昧になりつつある。
ただひとつ――蜂蜜の香りだけが残っていた。
お清めの湯殿で稀に漂うその匂いは、彼と過ごした温かい記憶を呼び起こしてくれる。
ノアは今、どこで何をしているのだろう。
彼の生死すら分からない。
けれど、きっと――彼も約束を守ってくれている。
ベネット家も彼を支えてくれるはず。
あの事件のせいで罰を受けてはいないだろうか。ちゃんと眠れているだろうか。
そんなことを考えながら眠りにつくと、いつか夢の中で会えるのではないかと、淡い期待が胸に灯る。
――どうか彼が幸せでありますように。
そう願い続けることで、私は今日も、どうにか“生きていた”。
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