波乱の出立
ご覧いただきありがとうございます!
今回から、聖地ナブテールを目指す旅路が始まります。
触れ合おうとすると弾け飛ぶ「貞操の呪い」。
ですが、生真面目(?)なルーサー様は、諦めるどころかまさかの「検証」を始め……?
ぜひ楽しんでいただけたら嬉しいです!
「ジェネヴィーヴ様、どうぞ」
王都を出発する間際。馬車へ乗り込もうとした私の前に、神殿騎士のシリルがすっと進み出で、恭しく右手を差し出した。
私が迷わずその手袋越しに手を重ねると、何事もなく馬車のステップへと足を踏み出すことができた。
当たり前のように行われる、日常的なエスコート。
――その光景を、すぐ後ろでルーサー様が穴があくほどじっと見つめていた。
(何をあんなに……)
居心地が悪くなったのはシリルも同じだったようで、なんとなく気まずく目を見交わしてから、私は座席の奥へと滑り込んだ。
すると、鋭い視線をシリルに向けたまま、ルーサー様が静かに口を開く。
「……シリル」
「はっ、ルーサー殿下。何か?」
シリルが畏まってその場に跪いた。
「シリルと僕とで、何が違うのだ?」
ルーサー様は真剣な面持ちのまま、自分の右手をじっと見つめている。
「……は、……と申しますと」
「なぜ、君がジェナの手を取っても呪いは発動しない? 僕が触れようとすれば、指先がかすめただけであの凶暴な火花が散るというのに……」
大真面目に自分の手とシリルを見比べるルーサー様に、シリルは苦笑いを浮かべながらも、神殿騎士らしく静かに背筋を伸ばした。
「殿下。私はジェネヴィーヴ様を『お護りすべき高貴な女性』として、ただ無私無欲の敬意と騎士の務めのみをもって手を差し述べております。そこに己の欲や、私情は一切差し挟んでおりません」
「無私無欲の敬意……と、騎士の務め……」
ルーサー様は深く頷き、まるで難解な魔導書を解読するかのような真摯な瞳でその言葉を反芻した。
「つまり……邪念を完全に捨て去り、ただ彼女の安全を願う『騎士の心得』に徹すれば、呪いは私を弾かないのだな?」
「概念としては、左様にございます。……ただ、殿下にとってそれを実行するのは、至難の業かと……」
苦笑いするシリルの控えめな言葉の真意に気づき、私は思わず口元をほころばせた。
だが、当のルーサー様は不服そうに眉をひそめる。
「邪念だらけだと言いたいのか? ふん――検証しよう」
果たして、走り出した馬車の中で、その検証は始まった。
向かい側に座るユリシーズ様とマリアンヌの視線も気にせず、ルーサー様はすっと背筋を伸ばし、冷酷なまでに整えられた彫像のような顔で私に右手を差し出した。
「……ジェナ。手を」
「はい、ルーサー様」
私がそっと指先を重ねる。
――静寂。火花は散らない。
ルーサー様は額にうっすらと汗を浮かべ、まるで緊張の糸を限界まで張り詰めているかのように、固く口を結んでいた。
(……ルーサー様……っ)
ひさびさに触れ合った手に、私は胸がいっぱいになり、彼の手を少し握り返した。
ユリシーズ様と婚約してから、幼い弟として紹介された彼と、挨拶やエスコート、様々な機会で幾度も手を重ねてきた。あの頃の温もりと変わらない、けれど今は格別にいとしい彼の手。
嬉しくて、思わず破顔した、その瞬間――。
バチッ!!
「――くっ……!?」
弾けた小さな赤黒い火花とともに、ルーサー様の手が大きく跳ね上がった。
「……ルーサー様!」
「仕方ないだろう……! 君がそんな風に嬉しそうに微笑むから、つい……『愛おしい』と思ってしまった……」
ルーサー様は急いで手を背中に隠し、耳まで真っ赤にして悔しがっている。
「不徳の致すところだ……」
完璧な騎士の仮面が一瞬で剥がれ落ちたその姿が面白くて愛おしくて、私は思わず手で口元を押さえて「ぷっ」と吹き出してしまった。
「笑わないでくれ、ジェナ。僕は至って大真面目なんだ」
「はい、分かっておりますわ」
「良からぬことではない。ただ、君を抱き締めたいと思っただけだ」
「それを『良くないこと』と判定されているのです、この呪いは」
手を弾かれるたびに、彼の隠しきれない情愛が「バチッ」と音を立てて可視化されていく。
触れ合いを拒絶する凶暴なはずの呪いが、今の私たちにとっては、ルーサー様の愛しさが漏れ出てしまう愛おしい暗号のようなものになっていた。
「もう一度だ。次は完璧に『騎士』になってみせる」
「ふふ、はい。お付き合いいたしますわ」
何度も手を重ねては、弾かれる。
本来なら悲しむべきことなのに、私の胸には温かい喜びがこみ上げ、どうしても笑みが溢れてしまう。
「ジェナ……笑い事ではないぞ」
「ルーサー様の『邪念』が嬉しくて」
ばちんっ!
またしても弾けた火花とともに手が跳ね上がる。
「……煽らないでほしい」
しゅん、と叱られた子犬のような顔で、ルーサー様が私を見返してくる。
「ふふ、そのお顔、思い出しますわ。あなたが寄宿舎に行く前の日に、王宮の林檎の木に登って……」
「ジェナ! その話は忘れてくれ。もう十年以上前の話だぞ」
顔を真っ赤にして慌てるルーサー様に、私はまたしても笑い声を漏らしてしまった。
「……何回も手に激痛が走っているのに、何で笑えるのです? 意味が分からないわ。不気味ですわ」
向かいの席で、マリアンヌが引きつった顔で悪態を吐き、うんざりしたように窓の外へ顔を背ける。
「だって、嬉しいでしょう?」
私は、まだ痺れる右手を照れくさそうに隠しているルーサー様を、愛おしく見つめた。
「私を『特別』だと思ってくださっている証拠ですもの」
「……男なら、若い女に『邪念』を抱くなど当たり前だろう。そんなもの、『特別』でも何でも……」
隣に座るユリシーズ様が、どこか面白くなさそうに、拗ねたような口調で吐き捨てる。
私はそっと視線を動かし、ユリシーズ様とまっすぐ目を合わせた。
「大勢の方に『邪念』を抱く男性と、たった一人にだけ抱く『邪念』の違いが……ようやく分かるようになりましたの」
「――ッ!?」
穏やかな私の笑顔と静かな言葉に、ユリシーズ様が息を呑み、金色の瞳を激しく揺らした。
お互いに望んでいたことじゃなかったとしても、高位貴族の家同士が決めたこと。
私という婚約者がいながら数々の女性に手を出し、その現場に踏み込んだ私に「あと少しで終わるから待っていて」と半裸でヘラヘラと笑ってみせたユリシーズ様。
罪悪感もへだたりもなく、浅はかな欲望のままに生きてきた彼には分からないことなのかもしれない。
けれど、触れ合えば激痛が走る呪いに苛まれながらも、私ただ一人を『愛おしい』と思い詰めて手が弾けてしまうルーサー様。
お二人から向けられる『欲』の質の決定的な違いを、私は今、身をもって知っていた。
「なんだ、今さらイヤミか!」
「いいえ。『恋』を知らなかったのは、私も同じですから」
ユリシーズ様は私から弾かれたように視線を逸らすと、返す言葉を失ったように絶句し、気まずそうに唇を噛み締めた。
隣で苦虫を噛み潰したような顔をするマリアンヌの視線も、今の私にはもう何の意味も持たない。
ガタゴトと揺れる馬車の中で、私とルーサー様の『甘く執拗な検証』は、こうして静かに旅の始まりを彩っていた――。
お読みいただき、ありがとうございます。
呪いによってルーサー様の秘めた情愛がダダ漏れになるのは、ジェナにとっては最高のご褒美のようです……!
面白いと思っていただけたら、ぜひブックマークや評価(★★★★★)で応援していただけると執筆の励みになります!




