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kick the ground  作者: 柳瀬
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ただの昔話

 姉は俺と違って天才だった。

昔から姉は何でも出来て、それに素直で明るくて、将来は凄い職業に就くんじゃないかと親や親戚たちに期待されていた。家には姉のものである賞状やトロフィーがたくさん飾られた。小学校でも中学校でも高校でもとにかく色んなことをしていた。


親戚も両親も、時には友人でさえ姉ばかりを見ていた。やれお前の姉さんが何何オリンピックの個人の部で何位を取ったとか。何何コンクールで賞をもらったとか。そういった話が俺の周りには溢れるぐらいもたらされた。

一方俺は姉に比べると突出したところもなく、口に出しはしなかったけれどみんなは「あの子はこんなに賢いのに」「あの子ならこんなことだって出来るのに」時折そう言いたげな目を向けてきた。


でも別に姉や親を嫌いになることはなかった。互いに出世街道をひた走る両親の代わりにずっと俺の面倒を見てきてくれたのは姉だったから、姉が凄いことなんて誰よりも俺がよく知っていたし俺はそんな姉が普通に好きだった。それに人の他人に対する思いなんてその程度だろう。とはいえ悲しくないと言えば嘘になるのだけど。




そんな凄い姉は、しかしあることを期にすっかり変わってしまった。大学受験に失敗して浪人するも結局志望校には入れず。姉は浪人しても依然として変わらない異様な両親の期待・応援という重圧に耐えられなくなり引きこもるようになった。俺は姉がどの道に進もうと姉は姉だと思っていたが、あれだけの親の期待を背負わされた姿に言うのははばかられた。


そこからは人が変わったかのように問題行動や自殺未遂を繰り返し、家に寄り付かなくなるのがこれといって特別でもない日常になってしまっていた。やがて両親はあんなに嘱望していた姉をまるで無いもののように扱い始めた。

そんな時だった。一本の電話が入ったのは。




「………………………稜。落ち着いて聞きなさい。」

紫衣(しえ)が、お姉ちゃんが、殺されたの。昨日警察から電話があって、ニュースで言ってた○○山で身元不明の遺体が見つかった話がね、お姉ちゃんの歯科治療の記録と一致して…身元確認をってことでお父さんと一緒に───────────



正直信じられなかった。茫然とする俺をよそに淡々と姉の死亡に際する手続きは進んでいった。

ああ、姉さんが笑顔で写ってる写真を探さなきゃ、と思っていたことだけは覚えている。両親は色んな手続きを滞りなく終わらせても何故かそれだけは唯一したがらなかったから。

葬式の時も、棺の扉は閉じられたままだった。



 姉が死んだ後も俺の生活は続いていた。だが俺の生活はおかしくなった。両親もおかしくなった。姉の死が連続殺人、それもSNSで繋がった相手による猟奇的殺人事件だと分かってからは。


端的に言えば現代的かつセンセーショナルな事件だ。被害者遺族にも関わらずマスコミの草の根を分けるような追及は激しく、弁護士を通して声明を出してもまるで効果なし。ただ生きているだけなのに針のむしろに座っているような日々がしばらく続いた。きっと大人である両親はもっと凄まじかったのだろう、様々な対応に追われていた。


そしてある日にとんとマスコミの嗅ぎ回りがなくなった。おおかた別のネタを見つけたんだろうが、あんなに放っておいてくれと思う程だったのにいつの間にか影も形もなくなっていたのはやはり人間ってそんなもんだよなと再び思うきっかけになった。



だが俺の生活の変化はそれだけで終わらなかった。いつからか両親の俺に対する思いまでもが重く変容していたのだ。今まで姉か仕事ばかりで俺に見向きすることなんて親としての体面を保つ程度にしかなかったのに。両親は俺の進路に対して異様な執着を見せ束縛した。


俺は頭が悪い訳ではないし普通よりは少し良い程度だったけれど、中学からやっていた陸上でもっと上を目指したかったから大会成績の良い有名な高校を選んだ。

だというのに両親は姉のかつての第一志望だった国立大学に行くことを強く望んだのだ。意味が分からなかったが、どこか遠くを見ているような目で譫言のようにそればかりを言う両親がいつになく人間臭く見えて哀れにすら思えた。


それにある日漏れ聞こえた両親の夜中の会話を思い出してしまうのだ。何度眠っても眠ってもあのまるで私たちを責めているようなおぞましい目が忘れられないと。今度こそ間違えてはいけないと。

紫衣のために。稜のために。そう言っている両親の声はどうにも無感動に響いたが、姉の死後好きな事に打ち込むことすら無味乾燥としていた俺には丁度良かった。



何もかもが灰色に薄汚れた毎日。進学塾に通うことになり、公式や単語を頭に詰め込みながら課されたノルマを消化する日々だった。また3年次の担任はいかにも自称進学校という感じで俺の第一志望を聞くや利益を求めるような目を向けてきたのを覚えている。

そうかそうか僕は安土半くんの選択を応援するよと、分かっている風に言っていたがそう言いながら俺の過去の模試や定期テストのデータをチラ見していたのは一目瞭然だった。悪いが値踏みされるのは間に合ってるんだ。


意外と勉強のできる自分がいたこともどうでもよかった。陸上に対する思いは次第に薄れていった。そして時折、ここではないどこか、今の自分とは違う自分を渇望するようになった。ifを求めることで今の自分を見ずに済み気が楽になれたのだと思う。




 気づけば高三の秋口。形式上だけど、姉の一周忌はお坊さんにお経をあげてもらうことになった。ついでだからという理由で母方の親戚筋の話し合いが我が家で同時開催されることも決まった。

一年はこんなにも短かったのかと少し驚く。とっくに何度も墓参りをしてきたのに未だに姉の死を現実として認識できていなかった。それほどに色々なことがありすぎて、また同時に何もない一年だった。相変わらずの灰色の風景の中で久しぶりに飾られた遺影の姉の笑顔だけが異質に浮かんで見えた。


(あれ、姉さんってこんな顔だったっけ)


姉の存在は今もなお心に重くのしかかっているというのに、姉の顔を忘れつつある自分が怖かった。


学童保育で上級生に見せられたホラー映画が怖くて帰り道に手を引いてくれたあの人はどんな風にこちらを伺っていたんだっけ。一緒に行ったおつかいでナイショだよと言いながら駄菓子を買ってくれたときのいたずらっぽい表情は?冷蔵庫の一番上のドアポケットにこっそり隠しておいたチョコを姉に食べられて拗ねた俺に「りょうくん」と声をかけた、あのばつの悪そうな声色は?風邪をこじらせて寝込んだのが心配で看病を手伝ったときの寝苦しそうな姉の顔は?姉と悪ふざけしたのはいつが最後だったんだろう。


思い返せばあの人はそうして俺を気にかけてくれていた。年の離れた無愛想な弟だったろうに可愛がってくれていた。

いつの間に変わってしまっていたんだろう。俺も、あの人も。


「思ってたことを素直に言っていれば、もうちょっと違ったのかな」

あのとき。姉が大学受験で思い悩んでいたとき。父さんや母さんのことなんか気にしないで、姉さんは姉さんのしたいこと探せばいいんじゃない?それが姉さんにとって一番でしょ、と。そう言っていれば…。






でも、そうはならなかった。今更たらればを言ったところで何を救える訳でもない。それに言っていたところで姉の心を好転させるきっかけになった確証もない。








姉の死以来時間的束縛と干渉の激しくなった両親も、今日ばかりは何を言う気にもなれないようだった。

お坊さんが帰って現社の用語集を片手に親族との食事をやり過ごしていると隣に誰かが移動してきた。





「よ、”りょうちゃん”。久しぶりだね」

しえちゃんの葬式ん時は行けなくてごめんなあ、と切り出してきたのは俺の叔父の夕司さん。親戚の中でもいとこ並みに年が近くて俺たち姉弟とは結構親しかったけれど、ここ数年じゃ直接会うことは滅多になかったなと思い出す。昔よりも無精ひげが増えた気がする。


「…夕司おじさん」

「いやおじさんって言われっと自覚が進むな〜!あと俺まだギリギリ三十路ビギナーズだかんね?」

理由は知らないが夕司さんは安土半の親戚連中やうちの母親(夕司さんからすると姉)とは折り合いが悪いらしい。だから両親が席を外したこのタイミングで声を掛けたのだろうか。



「…りょうちゃんさあ」

「何」

「聞いたよ。××大学志望だって?でもそれってさ、しえちゃんの第一志望じゃなかったっけ」

空いた湯呑みにお茶を注ぎつつ歯切れの悪そうな顔でこちらを伺っている。言外にどうしちゃったの、なんて言ってるつもりなんだろうか。ってかどこから聞いた。

「あーーー……教師か」

「お、そうそ!覚えててくれたんだ。だから相談も乗っちゃうよ〜?同じ理系だしさ」

なんておどけた言い方でいつになく優しい目を向ける彼は高校の理科教師だ。確か県内の私学だったか。まるで弟を見るような目つきすらも久しぶりでなんだかむず痒い。ここまで込み入った話をすることだってそうだ。アドレス交換はしてたけどメールだってそんなにしなかったし。



「……俺じゃちょっと難しい?」

「いやそんなこと、……………」

でも本当に俺は相談するべきなんだろうか。この暗い心のうちは彼に話していいものなんだろうか…そう考えあぐねていると、夕司さんは少し困ったような顔をしてからスマホを取り出した。

「……………あ〜〜忘れてた。ライン交換すっかライン!」


りょうちゃん現代っ子だもんな、とウインク(できてない)をして頭を少々乱雑に撫でてくる叔父に何故か少しだけ泣きそうになる。

『急に立ち入ったこと聞いちゃって悪かった。無理しなくていいから、話したくなったときに話してな』


叔父から送られた初めてのラインの通知。撫でてくる手の温かさに妙に懐かしい気持ちになった。




灰色の景色が少し…ほんの少しだけ色を取り戻して見えた。







 一周忌が終わり、俺の心境に若干の変化が訪れた。両親は相変わらずだったが夕司さんという大人の味方が出来たからだ。

あの話しかけられた日の出来事で何となく夕司さんならば信じて良いのではないかと考えてラインで話すようになり、現在の状況を理解して大学の情報収集に協力してくれた。

お陰で俺は両親の過干渉下にあっても自分の本当にやりたいこと・将来を見据えて考えることが少しずつでも出来るようになってきた。

何故ここまでしてくれるのかは不思議だったが理由は気にならなかった。ただ両親以上に真摯に、本当に俺が後悔しないようにと心を砕いて向き合ってくれていることは確かだった。



とりあえずやれるだけやってみようと思いセンターは両親の希望通り××大学のレベルで自分の科目別ステ振りも考慮して目標点数を設定した。二次は××大学ともう一つ、自分で考えた上で決めた地方国公立大も視野に入れて勉強することにした。


職業柄とはいえ、見返りを求めず支援をしてくれる彼に少し怖くなったことは俺の心に仕舞っておこう。いつの間にこんなに打算的になっていたんだろうな。





 模試の伸び率もそう悪くなくいよいよ冬を迎えた。ということは…今まで全く言及してこなかった心変わりを親に話さなければならないということだ。むしろそれが一番の課題だったかもしれない。

とはいえ親からはそもそも体面を気にしての対応ぐらいしか無かったから、両親との関係性は修復以前の問題だったが。ただまあ体面のために学費ぐらいは出してくれるもの…と信じたい。

それに俺がどうしたところであの人たちはもう変わらないんだろうな。


最悪の場合を想定して色々と整えてから迎えた冬休み前。俺は両親に正直なところを打ち明けた。


『あのさ、どっかで2人揃って時間つくってくれない?』

『話したいことがあるんだ。真面目に』

はぐらかしたりなんてさせないからね。と念を込めて。


そうして俺は両親の前で色んなことを話した。姉さんのこと。俺の本当にやりたいこと。父さんと母さんのこと。新しい志望校のこと。

俺たち家族の、この先のこと。


近頃の2人にしては嫌に落ち着きを払って聞いていたのが不気味だった。




結果から言うと、受け止めきれてないようだった。分かっていたことだけど両親は仕事はできるのに存外幼稚で、なんで?どうして?僕たちの何が駄目だった?と矢継ぎ早に疑問符ばかりが帰ってきた。

あんなに尽くしてやったのに。お前のためを思って。


─────あなたたちのそんなところが嫌だったんだ。


この話はまた今度。2人が整理できてからにしよう。それだけ言って、両親を置いてリビングから出た。




まるっきりお通夜状態となった我が家で年末年始を過ごし、いよいよセンター試験の日がやってきた。

センター試験の日の朝も両親は既にいなかったが気にしないようにして俺も出発しようと出た玄関口。

いつもなら何もないシューズラックの上にカイロと小箱タイプのチョコレート菓子が置かれていた。

チョコレート菓子のバーコードには最寄りのコンビニのテープがされていた。

あの人たち、甘いものは嫌いなんじゃなかったっけ。




 センター試験が終わったあとは引越しをするギリギリまで夕司さんの家に身を寄せていた。案外近いからと元々そういう計画を夕司さんが提案してくれていたし、親との話し合いの緩衝役にもなってくれた。


親はあるとき電話で、稜の好きなようにしなさい。とだけ伝えてきた。必要なお金もちゃんと出すからと。

引越しの荷物まとめをしに行った帰り。玄関ドアの前に立った母親が一言、ごめん。と言った気がした。




新しい土地、新しい生活は俺に色んなものをもたらした。友人。面白い先輩。新しい学び。


だというのに、俺はまた空虚感にも苛まれていた。時折昔の自分が囁いてくるのだ。姉の亡霊がこちらを見ている気がする。本当にこれでいいのか。本当にこれで間違っていないのか。言い表せない悪夢に度々魘されて飛び起きる。自分のことがだんだん分からなくなってくる…。たまに夕司さんに相談しても心の靄は晴れぬまま。灰色の空気が再び息を吹き返してきた。


そんな中で友人が頼んできたのがサイクリング部への加入だった。

ここではないどこか。今の自分ではない自分。それがこの先にあるような気がしたんだ。

詳細説明

主人公:安土半 稜 (あづちなか・りょう)

・地方国立大に通う一人暮らし大学生。2000年前後生まれの20歳。

・両親共にエリート。霞が関の母親と銀行員の父親。形式上は婿入り

・姉の身元確認に行ったのは両親で棺の扉はずっと閉まったままだった→家族内で主人公のみが姉の顔及び遺体を確認していない

・大学を決めた後もはや親が何も言わなかったのは我に返ったからかもしれない

・大学入学後、主人公は今まで何だったんだという自分でも理解し難い奇妙な感覚と虚無感に襲われる。友人にサイクリング部に誘われて加入。

・転移時の服装:サイクルウェア。ハーパン+ふくらはぎ丈のスパッツ。折り畳めるタイプのマウンテンパーカーとウエストバッグを所持。


安土半 夕司 (あづちなか・ゆうじ)

・稜の母方の叔父。自称30代前半。

・私立高校の理科教師。生物部顧問

・主人公の姉・紫衣とはラインを交換した程度の仲。死亡推定日時の少し前に紫衣より謎のメッセージを受け取っていた

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