54章 目覚めた羊と走るハーピー
荒野の上を、七色の空が覆う魔界の区画……すなわち夢界。
――のようにも思える、魔界のどこか。
その不毛の大地を、ウーリが歩き、俺とラウレが見守る。
「はーちゃん、走るよぉ! うりうりぃ!」
「あ、待てっ。走るのはさすがに――」
「……わわっ?」
「おっと」
俺は一歩で距離を詰めると、転びそうに身体が傾きながらもなぜか焦らずぽけっとした表情のウーリを抱き留める。
まあ、俺がウーリの転倒を予測したように、ウーリも俺が受け止めることを予感して落ち着いていたのだろう。
それにしても……翼から伝わる軽すぎる感触。見るからに痩せこけた身体。
もともと小柄でふわっとしていたウーリの身体だが、これはそんなレベルではない。
――それもそのはずだろう、何年も眠り続けていたのだから。
――ウーリはようやく目覚めたのだ。
ウーリの餓死寸前のような痩せこけた身体が痛々しく感じる一方で、目覚めてくれた喜びが胸を熱くする。
俺と同じようにラウレも感じ入ったような目を向けている。
「ウーリ、おぶろうか? 走る以前に、歩くのもまだつらいだろ?」
「んーん! ウーリ、はーちゃんたちと一緒に歩いてくぅ! 走らなかったら大丈夫ぅ!」
「そうか……。本来なら立ち上がるだけでもリハビリが必要なんだが……」
「りはびりぃ……? よくわからないけどぉ、ウーリは歩けるよぉ?」
「……そうみたいだな」
初めはふらふらとした足取りだったのに、会話の合間にもまっすぐ歩けるようになるウーリ。
俺は改めて魔物の身体の不思議さに呆れてしまう。
「魔力を取り込むことで回復しているのか……。わかった、歩いてもいい。だが、きつかったらすぐに言うんだぞ?」
「はぁぃ!」
元気よく返事をするウーリを見て、その意識を読んで、無理をしていないことを確かめてから俺は肩の力を抜くのだった。
ナイトメアを打倒したあと、ウーリの心から悪夢は消えた。
ナイトメアが復活して和解したあとも、ウーリの悪夢が蘇ることはなかった。
あの後、数キロメートル先で身を潜めていたファラとグド、それから遠方で待機していたラウレと合流。
今後のことを話しあい、現界に行くことを考慮して力を持ちすぎるファラとグド、そしてナイトメアは夢界に残ることに。
俺とラウレは一足先に魔界に戻り、ウーリの目覚めを待った。
ウーリが目覚めた今、残る用事はあと一つ……だが急ぐことはない。
もうしばらく、ウーリの体調が回復してからにしよう。
俺が呑気にそう考えていたときだった。
「あっ、呼び出すねぇ」
ふいに、今気づいたとばかりにウーリが軽くそんなことを言った。
「あ、待っ……」
俺が言い終わるより早く。
周囲に、幾多の気配が出現した。
……数十もの魔物たちに囲まれている。
ぎくりと、俺とラウレは身体を強張らせる。
「ラウレ、備えてくれ」
俺は警告を発すると、周囲の出方を注視する。
彼らはすべて、夢界に紛れ込んでいた魔物たちだろう。
それをウーリが、こちらにまとめて転移させたのだ。
彼らにしてみれば寝耳に水。
急に見知らぬ魔物と鉢合わせれば、敵対心の強いモノの行動など決まっている。
「ガルァ!?」
困惑の沈黙の中、野魔が唸り声を上げる。
それが開戦の合図となった。
「ガァァ!」
「キュイ!」
「ルルル!」
三十を超える数の野魔たちが、他者を排除するため大規模魔術の兆候を見せる。
「はっ!」
「ふん!」
「せやぁ!」
それに対して、野魔の半数ほどの大魔が、数で劣るがそれぞれの心象魔術を駆使して野魔に襲いかかる。
一方的だった。
野魔の半分が、大規模魔術を発動する猶予もなく即座に討伐。
残りも、魔術を打ち合った結果、練度と性能差で野魔はすべて討ち取られていった。
「すごい……」
隣のラウレがぽつりと漏らす。
ただでさえ現界では最上級の脅威を誇る野魔。
その群れが、それ以上の実力者である大魔に狩られる光景。
弱肉強食の極致。
魔術戦のオンパレード。
圧巻だった。
が、本番はこれからだ。
野魔が全滅し、残ったのはより強い集団。
魔力量からすると大魔級が十六人、そして公魔級が二人。
彼らはそれぞれの公魔をトップとする二つの派閥と、どちらにも属さない少数派に分かれているようだ。
「おいおい、なんなんだよこりゃ……。俺たちを転移させやがったのはどこのどいつだぁ!?」
片方の公魔級……筋骨たくましい大男が威圧するような怒鳴り声を上げた。
委縮する他の集団の大魔たち。
触らぬ神にたたりなし、とばかりの静観の空気。
「ウーリだよぉ?」
と、そこに幼くも良く響く声があった。
俺の横から。
当然の結果として、俺たちのもとへと周囲の視線が殺到する。
……いや、まあ、想定内だ。計画通りではないがな。
「……ウーリってのは誰だ? てめぇかぁ?」
「そぉだよぉ。ウーリはウーリトゥーリだから、ウーリなのぉ!」
再び、沈黙。
いや、俺の隣から「ウーリちゃん自由過ぎるよ……っ」というラウレの苦し気なぼやきが聞こえたが、放っておこう。
「……はぁ? ウーリトゥーリだとぉ? てめぇが?」
ようやく言葉の意味が頭に染み込んだらしい公魔級の大男が、離れたところから値踏みするような視線を寄越す。
「そぉだよぉ? ウーリは、ウーリトゥーリだよぉ」
「……まぁいい、てめぇが本物だっていうんなら、俺たちを領域の中に返しな! あそこの羊を狩るまで俺たちは帰る気はねぇ! 大人しく領域に返すならそれで許してやらぁ!」
「えぇ……羊さんを狩ったら駄目だよぉ……」
「ぁんだと? てめぇには関係ねえだろうが!」
脅すようながなり声。
ウーリがびくりと肩を怯えさせるのを見て、俺は奴の視線からウーリを隠すように前に移動する。
ここからは俺が受け答えさせてもらおう。
「関係は――」
「ウーリの羊さんだから、ウーリには関係あるよぉ……」
「……その通りだ」
ウーリ、そこは俺に譲るところだろ。
「てめぇの羊だとぉ? だったら俺に寄越しやがれ!」
「駄目だよぉ……羊さんをいじめる人にはあげられないよぉ……」
「ぁんだと? 今なら穏便に済ませてやろうってのに、力づくじゃないとわからないってのか?」
「力づくなんて駄目だよぉ! 困っちゃうよぉ!」
「……おい、俺を挟んで口論を続けるな。というかおまえ、ウーリを脅すな。あと力づくなら俺が相――」
「おうやってやろうじゃねえか!」
「いや、こっちまだ言い終えてないから。血の気多すぎだろ……」
と言いつつ、俺は既に発動させていた【天上察知】で大男の動きを、呼吸から魔力の揺らぎまでつぶさに把握する。
この距離、五十メートルほどなら相手の虚をつき、[風亡]と[爆肢]で一息に蹴りを打ち込むことができる。
いやせっかくだから【永走】の[突破]で空気の壁をすりぬけ、瞬きの加速に挑戦してみるのもいいかもしれない。
なんにせよ、相手が攻撃の照準を向けてきたときが開始の合――。
「来てぇ!」
瞬間、視界の下半分が白に染まった。
周囲を埋め尽くす白。
……まあ、羊の群れだな。
それは大男を取り囲むように頭を向けている。
ウーリの意思に統制されているらしく、羊たちは鳴き声一つ漏らさない。
立ち込めるは無言の怒り。
なお、羊の一頭一頭が大魔級の力を秘めている。
中には公魔級の個体が……。
全部で……おいおい、三十頭ほど公魔級がいるんだが……え、マジで?
見れば、大男は顔を盛大に引きつらせていた。
「力づくなんて駄目だよぉ! まだ戦う気なら、今度はなーちゃんを呼ぶよぉ!」
「待て待てウーリ落ち着け。それはやめて差し上げろ」
ダメ押しすぎる。
これ以上はやめてくれ、全員の精神衛生のために。
具体的には、既に戦意喪失して膝が笑っているのにさらに君魔を呼び出されそうな大男のために。
不幸にも大男に巻き込まれて縮こまっている周囲の大魔たちと、もう一人の公魔級のために。
さらに、本人は拒否したがっていたが忠誠心から受け入れてしまった『なーちゃん』呼びをされ、しかも守るという使命を十全に果たせないこんな哀愁漂う場所にあくまで駄目押しとして呼び出されそうになっているナイトメアのために。
あと、味方だとわかっているのに迫力ある羊たちに囲まれて冷や汗を流しているラウレのために。
最後に、【天上察知】で全員の不憫な心境を把握してしまう俺のために。
「おまえも、もう変な気は起こさないよな?」
「ぁ、ぁぁ、ああ! ゆ、許してくれ! ち、力づくなんて考えないからよぉ! 俺が悪かったよぉ!」
「ということだそうだ、ウーリ」
「……わかったぁ。仲良くだよぉ?」
ぶんぶんと頭を縦に何度も振る大男。
羊の群れが夢界に帰されると、大男とその取り巻きの大魔たちは逃げるように去っていった。
「……ふむ、興味深い。お嬢ちゃんは本当にウーリトゥーリのようだね」
すると、もう一人の公魔級、白衣を着た痩せ男が遠巻きにこちらに話しかけてきた。
「私は学の公魔。領域内の植物を魔界に移植できないか研究している者だよ。羊を害する意思はない。できれば領域でもう少し調査させてもらいたいのだが……駄目かね?」
「あ、ここは俺が話そう。ウーリは意見が違うときに言ってくれ」
「はぁぃ」
彼が話しかけてきてくれたのは幸いだ。
ウーリには悪いがここは俺に任せてもらおう。
「残念だが、領域での調査は諦めてくれ。ウーリの……ウーリトゥーリの領域は、ウーリトゥーリとともにある。だが、ウーリトゥーリはこれから現界に移動する。他の魔物を領域の中に抱えたまま、現界に行くつもりはない。こちらの都合ではあるが、もともとウーリトゥーリの領域はウーリトゥーリのものだ。悪いが、諦めてくれ」
「……なるほど。事情は把握した。私たちはその言葉に従おう」
「ありがとう。それと、そういうわけで、この場所から領域への侵入ができなくなる。ウーリトゥーリとその領域がなくなる旨、できれば周りに広めておいてくれないか?」
「……わかった。知人に広めておこう」
「助かる」
すんなり引き受けてくれて良かった。
これで目的は果たせた。
夢界に侵入していた魔物の追い出しと、夢界へのアクセスができなくなることの周知。
これで、夢界が消えたことへの余計な言いがかりを減らせるといい。
雑多な集団は解散し、俺たち三人は現界を目指して歩き出す。
「まずはラウレの親友の解毒だな。そこまでは少し急ごうか」
「ありがとう……でも、ボクの【火消】でクナの時間は止まっているから、そこまで急がなくても大丈夫だよ?」
「いや、遠慮するな。こういうのは早いほうがいい。だろ?」
「イスハ……。うん! そうだね」
嬉しそうに笑うラウレにつられ、俺も微笑みを浮かべる。
すると、ラウレは少し意外そうな顔をした。
「……なんというか、変わったね、イスハ」
「変わった? どこが?」
「前より表情が明るくなったというか……重荷が下りたような?」
「……かもしれないな」
俺は、どこか遠くをぽーっと眺めながら歩くウーリのふわふわ髪を撫でる。
――俺には、前世から抱え込んでいた信念があった。
目の前で妹を亡くしたトラウマが生んだ、幼い少女を守るためなら身命を賭すべしという信念。
信念という名の、呪縛。
それをウーリが消し去ってくれた。
いや、上書きしてくれたというべきか。
俺がウーリを守るのは、信念のためじゃない。
ウーリを守りたいから、守るのだ。
「これまでは後ろ向きに生きていた。でも、これからは前を向いて生きていく。前向きに好きなように、この身体とともに走って生きていくよ」
「……うん、今のイスハ、良いと思うよ」
「はは、ありがとな、ラウレ」
「もぉ! そこははにかむところじゃないかなぁ……」
「何を期待してるんだおまえは……」
「ウーリ、ウーリもぉ! 今のはーちゃんいいと思うよぉ!」
「お、ウーリもありがとうな。ただ、ウーリの場合は俺と出会ったときからそんな感じだったような……」
「あぁっ、そぉかもぉ!? で、でもぉ、今のほうがもぉっともぉっとだよぉ!?」
「はは、そんなにか……ありがとな。あと俺もだぞ」
「うりうりぃ! やったぁ!」
「ちょっ、そこいちゃつかない!」
「よし、じゃあラウレといちゃつくか」
「えええ!?」
などと軽口を交えつつ。
魔界の荒野には似つかわしくない明るい声が響くのだった。
これにて完結です!
お付き合いいただきありがとうございました!




