↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
フランチェスコとその友人たち  作者: はまゆう


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
42/42

第四十話 兄弟たちの良心

兄弟たちの胸に生まれた痛みは、日を追うごとに深くなっていった。


マッセオは、決して不平を言わなかった。朝、誰よりも早く起きて門を開ける。訪れる人々を迎え、施しを与え、必要な言葉をかける。厨房へ戻って食事の支度をし、兄弟たちが食卓につくころには、すでに何度も門と厨房のあいだを往復している。


それでも、誰かが門を叩けば、マッセオはすぐに立ち上がった。食事の途中でも。祈りの途中でも。夜、ようやく腰を下ろしたときでさえ、外から声が聞こえば、疲れた身体を起こして門へ向かった。


その姿を見ているうちに、兄弟たちは次第に口数が少なくなった。


マッセオが門の外で食事をしている間、彼らは建物の中で食卓を囲んだ。器に盛られたわずかな食事を分け合い、祈りを唱えた。けれど、誰も心から落ち着いて食べることができなかった。


門の向こうから、マッセオの声が聞こえる。


「どうぞ、お入りください」


「少しお待ちください。いま、食べるものを用意します」


「あなたのために、祈りましょう」


兄弟たちは、その声を聞きながら互いの顔を見た。誰も、はっきりとは言わなかった。しかし、皆が同じことを思っていた。


――これは、あまりにも重い務めではないか。


――なぜ、すべてをマッセオ一人に負わせているのか。


---


ある夕方、雨が降った。風を伴う冷たい雨だった。門の外にいるマッセオの修道服は、すっかり濡れていた。髪から雫が落ち、手は冷たさで赤くなっている。それでも、彼は門のそばを離れなかった。


雨の中を、ひとりの母親が幼い子供を抱いて近づいてきたからである。子供は熱を出していた。母親は何度も頭を下げ、どうか助けてほしいと訴えた。


マッセオは、すぐに屋根のある場所へ二人を入れた。火を起こし、乾いた布を探し、温かい水を用意した。厨房へ戻ると、残っていたパンを柔らかく煮た。その間も、別の訪問者が門の前に立った。マッセオは、その者を待たせなかった。雨に濡れながら、ひとりひとりに応じた。


兄弟たちは、建物の中からその姿を見ていた。


レオーネ修道士は、握っていた匙を置いた。


「もう、見ていられません」


低い声だった。向かいにいたベルナルドが、顔を上げた。


「私も同じことを思っていました」


「マッセオ兄弟は、私たちと同じように修道士です。いや、私たちよりも深い恵みを受けている人かもしれない。それなのに、どうして彼だけが、これほど多くの仕事を負わなければならないのでしょう」


誰もすぐには答えなかった。フランチェスコの命令に逆らいたいわけではない。フランチェスコがマッセオに務めを与えた理由も、彼らにはわかっていた。


マッセオには、人々の心を慰め、神の言葉を伝える力がある。その力が、称賛を受けるうちに、彼自身の誇りへ変わってしまうことを、フランチェスコは恐れているのだろう。


人前に立つ者が、見えない場所へ退く。言葉を語る者が、言葉より先に手を動かす。それは、マッセオにとって必要な訓練だったのかもしれない。


けれど、必要な訓練であることと、ひとりにすべてを負わせてよいことは、同じではなかった。兄弟たちは、そのことに気づき始めていた。


「マッセオ兄弟は、命令だから従っています」


若い修道士が言った。


「自分から苦しみを求めているわけではありません。それでも、私たちは彼の従順に甘えているだけではないでしょうか」


別の兄弟が、静かに頷いた。


「彼は、私たちのために、食事の時間さえ外で過ごしています」


「訪問者が来れば、祈りも中断する」


「夜も、十分に眠れていない」


「厨房の仕事まで、すべて一人で引き受けている」


ひとつひとつの言葉が、彼ら自身の胸を責めた。


マッセオが不平を言わないからといって、苦しくないわけではない。彼が喜んで従っているからといって、疲れていないわけではない。


従順な人は、助けを求めないことがある。自分に与えられた務めを、神から与えられたものとして受け取る。だからこそ、周囲にいる者が、その人の限界を見なければならない。


---


その夜、兄弟たちはマッセオが戻ってくるのを待っていた。


マッセオは、遅い時間になってようやく厨房へ戻った。濡れた衣を脱ぐ暇もなく、空になった鍋を洗い、明日のための薪を整えようとした。


「マッセオ兄弟」


ベルナルドが声をかけた。


「はい」


「もう、休んでください」


「まだ、片づけが残っています」


「それは私たちがします」


マッセオは、穏やかに首を振った。


「これは私に与えられた務めです」


「あなた一人の務めではありません」


ベルナルドの声に、マッセオは顔を上げた。その場にいた兄弟たちは、皆、マッセオを見ていた。責める目ではない。心配する目だった。


マッセオは、その視線を受け止めた。


「父が私にお命じになったことです」


「私たちも知っています」


レオーネが言った。


「だからこそ、父にお願いしなければなりません」


「お願いする?」


「この務めを、私たちにも分けていただくのです」


マッセオは、しばらく黙っていた。


「私は、苦しいとは思っていません」


「あなたがそう言うことも、私たちは知っています」


「ならば、なぜ」


「あなたが不平を言わないからです」


レオーネは、ゆっくりと続けた。


「あなたが従順だから、私たちは何もしなくてよいのでしょうか。あなたが耐えられるから、私たちは見ているだけでよいのでしょうか」


マッセオは答えなかった。レオーネの言葉は、胸に深く入った。


従順は、ひとりで苦しみを抱えることではない。誰かが自分の務めを果たしているとき、それを当然のように受け取ることが、兄弟愛ではない。マッセオは、それをわかっていた。


しかし、フランチェスコから与えられた命令を、自分から軽くすることはできなかった。


「父が、私に必要だと思ってお与えになった務めです」


「ええ」


ベルナルドが答えた。


「けれど、私たちにも必要なのです」


「あなたがたにも?」


「はい。私たちは、あなたに任せることで、自分たちが祈りに専念できると思っていました。しかし、あなたが疲れ果てているのを見ながら、何もしないで祈ることが、本当に神の望まれることなのか、わからなくなりました」


マッセオは、黙って彼を見た。


「私たちは、観想を求めています。けれど、兄弟の労苦を見ないふりをして得た観想が、神に喜ばれるのでしょうか」


その言葉を聞いて、誰かが小さく息を呑んだ。


マッセオは、目を伏せた。外では、雨がまだ降り続いている。門のそばに置かれた薪は濡れ、明日の火を起こすのも難しそうだった。


その薪を、明け方になればマッセオが割る。訪問者が来れば、濡れた衣のまま門へ出る。施しの食べ物が足りなければ、自分の分をさらに減らす。


その姿を見ながら、兄弟たちは祈りに退いていた。自分たちの良心が痛むのは、マッセオが弱いからではない。マッセオが、あまりにも忠実だったからである。彼の忠実さを、自分たちの安逸のために利用しているように思えたからである。


---


翌朝、兄弟たちは一つの願いを胸に集まった。誰か一人が言い出したことではなかった。皆が同じ思いに導かれていた。


マッセオの務めを、自分たちにも分けてほしい。門番をする者。施しを担当する者。厨房を受け持つ者。それぞれが力を分ければ、マッセオが背負っている重荷は軽くなる。そして、自分たちも、祈りと労働が切り離されたものではないことを学べる。


兄弟たちは、フランチェスコのもとへ向かった。


フランチェスコは、ひとりで祈っていた。兄弟たちが近づいてくる気配を感じると、彼は顔を上げた。


「どうしましたか」


彼らは、すぐには話し出せなかった。フランチェスコの前に立つと、自分たちの願いが、単なる同情ではないことをはっきり感じた。


マッセオを助けたい。しかし、それだけではない。マッセオの従順を、自分たちの怠慢の理由にしたくない。神から与えられた恵みは、ひとりの人間だけに留めるものではない。兄弟たちの間で分かち合い、互いの重荷を担うために与えられるものなのだ。


レオーネが、深く頭を下げた。


「父よ。私たちは、お願いしたいことがあります」


「言いなさい」


「マッセオ兄弟にお与えになった務めを、どうか私たちにも分けてください」


フランチェスコは、黙って兄弟たちを見渡した。その目に、驚きはなかった。まるで、彼らが何を言うのか、初めから知っていたかのようだった。


兄弟たちは、さらに頭を下げた。


「私たちの良心が、マッセオ兄弟にこれほどの労苦を負わせたまま、私たちだけが祈りに退くことを許しません」


「彼は不平を言っていません」


フランチェスコが言った。


「はい。しかし、だからこそ、私たちは願うのです」


「彼は命令に従っています」


「私たちも、兄弟愛に従いたいのです」


フランチェスコは、しばらく黙っていた。


目の前にいる兄弟たちの顔には、疲れと、恥と、深い愛情が浮かんでいる。彼らは、マッセオのためだけに願っているのではなかった。自分たち自身が、マッセオの忠実さによって支えられていたことに気づいたのだ。


フランチェスコは、ゆっくりと頷いた。


「わかりました」


兄弟たちの顔に、安堵が広がった。


「あなたがたの願いを聞きましょう」


フランチェスコは、門の外へ目を向けた。そこでは、マッセオが今日も訪問者を待っている。雨は上がっていた。濡れた地面に朝の光が差し、門のそばに座るマッセオの姿を、静かに照らしていた。


フランチェスコは、彼を呼ぶよう兄弟たちに告げた。


これから、マッセオの従順と、兄弟たちの愛が、ひとつの場所で試されようとしていた。


---


マッセオが呼ばれて、兄弟たちの前に立った。彼の修道服はまだ湿っていた。顔には疲れが浮かんでいる。しかし、その目は穏やかだった。


フランチェスコは、静かに言った。


「マッセオ兄弟。あなたの務めを、兄弟たちが分け合いたいと願っています」


マッセオは、兄弟たちを見渡した。彼らの顔には、決意が浮かんでいた。マッセオは、しばらく何も言わなかった。そして、ゆっくりと頭を下げた。


「私は、この務めを喜んで続けたいと思っています。しかし、もし兄弟たちがそれを願うなら、私はそれを受け入れます」


フランチェスコは、頷いた。


「あなたの従順は、よくわかっています。しかし、従順はひとりで完結するものではありません。互いに仕え合うことによって、初めて完成するのです」


その言葉は、マッセオだけでなく、すべての兄弟たちの心に響いた。


その日から、マッセオの務めは、兄弟たちの間で分かち合われることになった。門番をする者、施しを与える者、厨房を担う者——それぞれが、自分の持ち場を定められた。


しかし、それは単なる仕事の分担ではなかった。それは、互いの重荷を担い合うという、新しい生き方の始まりだった。


マッセオは、自分が特別な存在ではないことを知った。彼は、ただ兄弟たちの一人として、自分の務めを果たす者となった。そして、その中で、彼は以前よりも深く、神の愛を感じるようになった。


兄弟たちもまた、マッセオから多くのことを学んだ。従順とは何か。奉仕とは何か。そして、互いに愛し合うとはどういうことかを。


フランチェスコは、そんな兄弟たちの姿を見ながら、静かに微笑んでいた。彼が望んでいたのは、まさにこのことだった。誰か一人が偉くなるのではなく、すべての者が互いに仕え合い、神の愛を映し出すこと。それが、彼の理想だった。


その理想は、まだ小さな共同体の中で、静かに実を結び始めていた。


---


*この章は、共同体における従順と愛の関係を描いている。マッセオの従順は、彼を孤独にした。しかし、兄弟たちの良心が目覚め、その従順を分かち合うことで、共同体はより深い一致へと導かれた。フランチェスコは、マッセオの務めを軽くすることを許さなかった。むしろ、兄弟たちがその務めを共有することを勧めた。これは、真の霊的指導の知恵である。従順は、個人の徳であると同時に、共同体の徳でもある。誰か一人が従順であることで、他の者が怠慢になるなら、それは共同体の病である。フランチェスコはそのことを知っていた。そして、兄弟たち自身がそれに気づくのを待った。その結果、彼らは互いに仕え合う喜びを知った。これこそが、修道共同体の理想である。*

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。