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第二話 十三丁目の幽霊屋敷(2)

 時は太正(たいしょう)三十年。


 おれのいた田舎とはずいぶん違って、帝都は西洋文化を取り入れながら日々文明の発展を遂げている。


 路面電車も石畳の補正された街並み、洋風の建物やあちこちに並ぶ瓦斯式の街灯。近頃は電氣系統やらなにやらも流行り始めているらしいが、その辺はおれにはさっぱり分からん。


 山と田畑しかない田舎生まれのおれには出歩くにしては華々しすぎるかもしれないが、もうそろそろこの街並みにも慣れただろう。


 ここへ来たばかりの頃は身分が怪しいからといって警官に追いかけ回されたり路地裏で素行の悪い連中に絡まれたり、といった嫌な思い出ばかりだが、こうして一人で仕事を任せてもらえるようになったということはおれも成長していると言えるはずだ。


「で、ホントにここであってんのかよ」


 文楽社を出てしばらくのこと。


 久良木町はどちらかと言うと文楽社からは離れた場所にある住宅街で、普段あまりおれが足を運ぶことはない。それも、椿凛世の住所は町の中でも奥まった所にあるらしい。


 路面電車から降りてしばらく歩いたところでようやく目的地にたどり着いたのだが、おれの目の前にあるのは奇妙な屋敷だった。


 一般家屋にしては広めな平屋の屋敷で、周りは生け垣に囲まれている。


 それのなにが奇妙かって言えば、全体的にボロくさくて寂れていて、人の気配がさっぱりしない。


 本当にここに椿凛世が住んでいるのだろうか。


 だが表札には「椿」の姓がしっかり刻まれている。


「大丈夫かよ、ここ……」


 まさか朝凪さんが間違えたなんてことは思っちゃいないが、考えてみればそもそもこのあたりに十三丁目なんて通りはあっただろうか。

 帝都に来て久しいとはいえ、生活圏内から外れてしまえばまったく知らない街も同然だ。


 地元の人ではないおかげでさっぱり分からない。


 恐る恐る呼び鈴を鳴らしてみるが、反応は返ってこなかった。


 しばらく待ってもしんと静まっている。


「……あのー、どなたかいらっしゃいませんか」


 返事も無かった。

 椿凛世は不在なのだろうか。しかし、それにしては妙に……。


(視線、凄いな)


 先程からずぅっと気になっていた。


 おれを突き刺す無数の視線。


 姿形は見えないけれど、おれに危機感を抱かせるには十分なくらいに見られていると感じる。


 誰だ? 人の気配がまるでしないというのに、誰がおれを見ている?


 睨みつけるように前を向くが、屋敷から誰かが来る気配は微塵も無い。


 とにかくここまで来たのだから一度行ってみるしかないだろう。


 物は試しだと、鉄製の門扉に手をかければ、ぎぃぃと錆び付いたと音を立てて扉はあっさり開いた。鍵をかけていないらしい。

 俺は意を決して、この奇妙な屋敷の中に一歩足を踏み入れる。

 おれが砂利を踏みしめるざらざらとした音だけが響いた。


 その時、屋敷の庭からのそのそと何か小さいものが這い出てくるのが見えた。

 一瞬たじろぐも、よく見ればそれが猫だということに気づく。


「この家の飼い猫か?」


 しっぽをゆらゆらとさせて、我が物顔でのそのそ歩いている。


 猫は嫌いじゃない。かわいいからだ。怖がらせないように一歩ずつ慎重ににじり寄る。


 猫はそんなおれに向かって、余裕そうに大口開けてあくびをした。


 おれの姿を見て逃げないということは、人馴れしている飼い猫の可能性が高い。

 ご主人様がどこにいるのか教えて貰おうかと思ったが、次の瞬間、おれは自分の耳を疑った。


「なんだァ、えらいひよっこいチビじゃあのう」


「……あ?」


 目の前にいるのは猫なのに、聞こえてきたのは見知らぬ男の声だ。


 誰か他にいるのかと辺りを見回すも、変わらず敷地内には誰もいない。


 いきなりおれをひよっこいチビだなんて言うのはどこのどいつだ、まさかこの猫だなんてのはありえないだろうな。

 だが声は確実に猫の元から聞こえてきた。


「いや、まさかな」


 猫が人間の言葉を喋るなんてありえない。

 自嘲するように小さく笑う。

 さすがのおれも疲れているのだろうか。


 とにかく早く椿凛世を探さなければ──────。


「なんと愉快な阿呆面じゃあ」


「ん!?」


 のそのそとおれの前を通り過ぎて行った猫の口からは、まるで人間のように動いて、さっきと同じ男の声がした。


 おれは今一体何を見たのか。


 心臓がばくばくと音を立てる。


 もうこの際小心者だと思われてもいい。おれははっきり言って化け物の類がなによりも嫌いだ。

 それで、今おれの目の前にいたやつは本当に普通の猫と言えるだろうか。


 帰ろう。

 これは良くない。確実に。


 朝凪さんには謝るとして、まずは一旦帰って頭を冷やそう。

 そう思って、くるりと方向転換した瞬間。


「あらあ、これは面白いお客さんねぇ。さあさ上がってちょうだいな」


 がらがらと音を立てて玄関の引き戸が開き、溌剌とした女性の声が飛んでくる。

 ぱっと振り返れば、にこにこ笑った女性がこちらへ向かってきた。

 椿凛世の家族だろうか。


「っ、すいません、勝手に入ったりして。椿凛世さんに用があるんですが、椿さんは不在でしょうか」


「椿さん? あの人なら中にいるわよ。今お茶とお菓子を持ってくるからねぇ、ゆっくりしていって」


「お、おお……? ありがとう、ございます」


 女性はぐいぐいとおれの手を引いて家に引き込む。

 押しの強さになんとも言えず圧倒されてしまうが、ともかく、家の人に入れてもらえて助かった。


 敷地内に侵入してしまったとはいえ、家の中に勝手に上がることはさすがにはばかられるからだ。


 屋敷の中は外の寂れた光景とは少し違い、年季は感じるものの廊下はぴかぴかに磨かれていて、見た限り綺麗なお屋敷、といった雰囲気を感じる。


 客間に通され、彼女は茶を持ってくると言った。


「それにしてもお客さんなんて久しぶりのことだわぁ。それもこんなに若くて瑞々しい男の子だなんて……うふふ」


 最後の笑いに、ぞくっとした。


 端的に言えば、それのみ。


 女性は爛々とした瞳を見開いて、含みのある笑みでこちらを見ている。


 おれはたじろぎつつも、とにかく要件を伝えようとした。


「あの、おれ、文楽社の者でして、朝凪宗一の遣いで来たんですが」


 その途端、女性の動きがピタリと止まる。

 瞳の輝きは失われ、口元は真反対の方向に弧を描く。


「───────ないの」


「はい?」


 急に険しい顔をしてなにか小さく呟いている。


 よく聞こえなくて聞き返してしまった。よせばいいのに。


「つまんないのって言ってんの。なんだい、とっとと失せな」


「え、ちょ」


 バンっと叩きつけるかのように襖を閉めて女性はどこかは行ってしまった。


 おれはなにか間違ったことを言っただろうか。


 先程までの歓迎ぶりはどこへやら、女性の豹変ぶりにおれはさっぱりついていけない。

 ともかく追いかけて謝ろうとするが。


「はぁっ!?」


 襖を開けた瞬間、そこにあったのは廊下などではなく、知らない別の部屋だった。

 思わず目をつぶって襖を元に戻し、深く息を吸い込む。


 どうなっている。

 見間違いか、幻か?


 おれはもう一度襖を開いたが、今度は往来の景色が広がっていた。おれが今来たばかりの道が、屋敷の中に。そんな馬鹿な。

 もう一度閉めて、また開く。

 次は庭。

 その次は池。

 その次の次は洋室。

 その次の次の次は階段、路地裏、森……。


「なんなんだよさっきから……!?どうなってんだこいつは!?」


 おかしいだろ。

 この屋敷は一体どうなっているんだ。

 喋る猫に変な女性に、帰れない部屋。

 おれの本能が、ここはまずいと、今すぐ帰れと騒いでいる。

 おれだってもう逃げ帰りたいが、そもそも外に出られない。


 おれはふざけた夢でも見ているのだろうか。

 それともあの女性の仕業だというのか。

 ここは本当は椿凛世の家じゃなくて、あやしい妖術使いの屋敷に迷い込んでしまったのだろうか。

 馬鹿馬鹿しいが、そっちのほうがよっぽど説得力があるぐらいだった。


「もう帰りてぇよぉ……」


 恨み言のようにおれが小さく吠えた、その時だった。


「そうか。お客人はもうお帰りのようだね」


 また、知らない男の声。

 どこから、それを探すまでもなく襖が向こうから開いた。


「ようこそ俺の家へ。君は……そうだな、さしずめ朝凪の新しい手下ってところかな」


 だらしなく着崩した着物に、少し後ろ髪が跳ねた妙な髪型。

 涼し気な目元が印象的な男が、おれを見下ろしていた。

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