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第一話 十三丁目の幽霊屋敷

「可哀想に。この子が生まれたのは間違いだったんだ」


 それが、おれの最初の記憶。

 おれが人生で一番聞いた言葉。

 物心ついた時から、おれの周りにいる人間はそればかり繰り返していた。

 山奥の古臭い村を存続させるお役目とやら背負うために生まれたおれは、存外に期待はずれだったらしい。

 ため息と罵詈雑言。

 頭の中をつまらない記憶が巡り、そして最後はいつも通り、炎に包まれて全て溶けていく。




「……っ。ああ……夢か」


 ぱっと目を開けば、そこに広がっていたのは炎などではなく、見覚えのある天井だった。

 のそのそと布団から這い出て、寝間着から着替える。


 あの日から毎晩見る夢だ。

 最後はいつも、炎の中で誰かがおれの名前を読んでいる。

 あれは、誰だったかな。


 まだ眠たい頭でそんなことを考えつつ、ガタついた襖を開けて廊下を進めば、縁側に思わぬ姿があった。

 少し跳ねた後ろ髪に、だらしなく胸元が緩んだ着物姿の男。

 切れ長の瞳は何か物憂げな色で、空を眺めながら退屈そうに煙管をふかしている。

 彼はこちらに気づいたようで、その切れ長の瞳をこちらに向けた。


「おはようさん。相変わらず朝が早いな」


「椿さん……」


 黙っていれば知的に見えるのに、赤らんだ頬と酒臭い吐息が全てを台無しにしている。

 彼の名は椿凛世(つばきりんぜ)。職業は作家。主に怪奇小説を執筆しており、そこそこ有名な作家とでも言おうか。


 作風が怪奇・怪談・惨劇の三つなものだから、大衆ウケこそしないものの、一部の界隈では熱狂的な支持を受けている作家だ。

 とはいえ、今の彼の姿はただの飲んだくれ以外の何者でもないが。


「早いって、今は五時半だろ。というか、あんたがこの時間に起きてるってことは……」


「その通り。徹夜だ。というわけで俺はこれから寝るよ」


 まさかと思ったが、嫌な予感は的中したようだ。


「待て、原稿は」


 おれがそう聞くことを予想していたのだろう。

 明日締め切りの原稿が終わらないと、昨晩の椿さんはずっと部屋に籠っていた。

 椿さんは振り返ることもなく答える。


「ある。机の上に置いておいた。回収は任せたよ」


「待て」


「なんだい。原稿はできているって」


「後で味噌汁を持っていく。それまで大人しく寝てろ」


 二度目の待ては怒っているわけではなく、忠告の意だ。

 考えるまでもなく、今日一日は二日酔いで使い物にならないだろう。

 原稿を終わらせる度に酒の力を借りようとするのはどうにかした方がいいと何度も言っているが、この男はおれの忠告を聞く素振りすらない。

 どうせ素面に戻ってから原稿を見返してああでもないこうでもないとまた騒ぐ羽目になるのだから。


「君ってほんっと優しいよねぇ」


 ぶつくさ抗議するおれに、椿さんははぁ感嘆のため息のようなものをこぼす。

 いやにふやけた口調で言われたっておれへの適当なご機嫌取りにしか思えない。

 わざとらしいヤツめ。


「気配りもできるし家事もできるし、ちょっと態度は悪いけど、お手伝いさんとしては最高だよねぇ。ああ、君が来てくれて本当によかったなぁ」


「あんた酔いすぎだろ。最悪だな」


 あんたと出会ったせいでおれは、という喉からでかかった文句は大人しく飲み込んで、代わりに悪態をひとつ。


「そう? 俺は今気分最高って感じなんだけどね」


 それでも彼は気を悪くするどころかにやにやした顔でこっちを見ている。

 その腑抜けた面がいやに楽しそうなものだから、相手をするのにも疲れてしまいそうだ。


「はぁ……もういい。さっさと寝てろよ」


 おれはそう吐き捨てると、早々に台所へ向かうことにする。


「───────ねぇ、『みんな』もそう思うだろう?」


 去っていくおれの姿を見送りながら、椿さんは天井を見上げて口を開いていた。

 ちらりと振り返って見れば、そこには何も無いはずなのに椿さんはにぃっと笑っている。

 みんな。彼の言うそれらは、姿こそ現さないものの、ぎしぎしと何かがうごめくように天板が音を立てた。

 朝から身震いしそうなことをするのはやめてくれ。


小鞠(こまり)くんが来てから、この『幽霊屋敷』もずいぶん明るくなったものだねぇ」


 椿さんの呟きを背に、おれは聞こえなかったふりをした。


 十三丁目の幽霊屋敷。


 ここいらじゃ有名な場所らしいが、生憎よそ者のおれはそんなこと知る由もなく、こことこの屋敷の異常性をちゃんと理解したのは住み始めてすぐのことだった。

 いや、最初に足を踏み入れた時のことよりかはまだマシかもしれない。


(まったく……なんでこんなことになったんだか。知ってりゃあ絶対引き受けなかったのに、なんでおれはいつもいつも……)


 脳内で文句を垂れたところでどうしようもない。

 どうしておれがこんな男の世話を焼く羽目になったのか。

 はじまりはほんの少し前、桜が散り始めた頃の話だ。




***



「話って、なんですか。朝凪(あさなぎ)さん」


 その日は、いつもの業務に励んでいたところを編集長の朝凪さんに呼び出された。

 帝都のとある出版社、文楽社(ぶんがくしゃ)。そこがおれの今の職場だ。といっても、働き始めたばかりのおれの仕事はほぼ雑務で編集者らしいことなんて特にしたことは無い。書物の類が好きでここで働き始めた口ではないので、それで良いのだが。


「ああ、急に呼びつけてごめんね。実は御厨(みくりや)くんに折り入って頼みたいことがあって」


 書類から顔を上げてペンを置いた朝凪さんは、いつもより疲れた顔をしていた。

 少し襟元のくたびれたシャツと人の良さそうな微笑みが象徴的なこの人は、おれの上司であり、おれがここで働くきっかけをくれた人だ。

 頼みごとがあるそうだが、わざわざこんな前置きがあると、一体何を頼まれるのか気になって妙に緊張してしまう。


「椿凛世という作家を知っているかな」


 その名前には聞き覚えがあった。

 確か、文楽社の中で耳にした名前のはず。


「……えっと、朝凪さんが何度か口にしていた人ですよね。作品は読んだことないですけど、名前だけなら」


「だろうね。まあ、御厨くんが彼の作品を好むってなるとちょっと心配になるからなぁ。君が読むなら、もう少し大人になってからでいいよ」


 ふふ、と笑っている。

 なにが面白いのやら。おれは別にもう子供じゃないんだが、どうも朝凪さんはおれのことを年下扱いしたがるのだ。


「で、その椿凛世って作家なんだけどね。この彼が、まあ驚く程に締め切りを守らないんだよ。やる気が出ないだとか、もう少し取材をしたいだとか言い訳ばっかり並べるのが上手になっちゃっててねぇ」


 朝凪さんは眉を下げて困った表情を見せる。


「僕らじゃあもう何を言ってもダメそうだけど、御厨くんならやり遂げてくれそうな気がするんだ。ほら、君って大人に物怖じしないしハッキリした言動をしてくれるだろう。」


「はぁ……おれでよければ」


 そんな迷惑な作家におれが勝てるかどうかは分からないが、どうも朝凪さんはおれに見込みがあると思ったらしい。

 おれが頷いた途端、朝凪さんはほっとしたような気の抜けた表情になる。


「よかった、ありがとう。遠慮なく催促してくれちゃっていいからね」


 大人に物怖じしない、と言われればそうかもしれないが、それはおれの本来の性格というわけではなく、いちいちビビったところで嘗められるだけだからだ。

 口喧嘩は得意じゃないし、小説家と言論で勝てる見込みはない気がするのはおれだけだろうか。


「あの。椿凛世さんは、どんな話を書くんですか」


「気になる?」


「まあ、それも知らないのは失礼かと思って」


 律儀だねぇ、と朝凪さんはにこにこ微笑む。

 一応聞いておいた方がいいだろう。

 こっちは相手のことを何も知らないのだから。


「簡単に言えば、そうだね。怪奇小説だ。怪奇・幻想・惨劇」


「惨劇……」


「そう。作風は癖があるけど、一部の読者からはものすごく人気があるんだよね。だからウチとしても凛世にはできるだけ書き続けて欲しくて」


 朝凪さんがおれに読ませたがらない理由が分かった。

 どうせ子供には刺激が強いから〜だとかなんだとかいつも言ってるようなことだと思っていたが、確かにおれみたいな陰気な奴がそんなものを好んでいたら心配にもなるだろう。


「こっちもできるだけ、時間をかけたいっていう凛世の気持ちを尊重してあげたいんだけど、これ商売だから。いつまでも彼のワガママに付き合うわけにはいかないんだ」


 そういいながら、朝凪さんは机のメモ用紙を一枚とってペンを走らせる。

 久良木町十三丁目。それが作家先生の住所らしい。

 朝凪さんはその横に簡単な地図を添えてくれた。


「はいこれ、どうぞ。目立つ家だからすぐ分かると思うよ。朝凪宗一の頼みで来たって言えば入れてもらえるからね」


 目立つって、それは一体どんな家なんだ?

 なぜだか朝凪さんの言葉にうっすらと不安を覚えた。

 聞きたいけれど、実際に自分の目で見てみなければ分からないだろうと思って、結局聞くのはやめておいた。


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