3-4:魔女の独白
生まれたばかりの私に神は言った。
女は男に従い、男に尽くし、子供を産むものだと――。
けれども、私はその考え方に同意できなかった。
なぜ、同じ土から造られた同じ人間なのに、女というだけで男に従わなければならないのか。
なぜ、女だけが妊娠や出産の重荷を背負わなければならないのか。
私は性別など関係なく、平等でありたかった。
ただ、それだけなのだ。
けれども、神もアダムもそれを許さなかった。
女は男に奉仕する為に創られた存在であり、妊娠、出産は女が背負うべき業なのだと――。
とどのつまり、エデンの園は男にとっての楽園に過ぎなかったということだ。
それと気づいた時、私はエデンを捨てた。
召使のごとく扱われ、繁殖の道具されるなんて真っ平御免だ。
――私は私の為に生きていきたい。
一人きりでの暮らしは戸惑うことも多かった。
が、知恵の実を食べていたおかげで生活に苦労することはなかった。
人が生きていく上で必要なことは、すべて知恵と実の知識が教えてくれる。
けれども、人間とは感情の生き物だ。
日を追うごとに寂しさが募ることからだけは逃れないのだから。
合理性だけでは割り切ることができない。
なるほど、どうやら人間は端から集団で生活するように設計されたらしい。
孤独な日々に私の心から安定を奪い、捉えどころのない不安を与えた。
きっとこれも神が人間に与えた業の一つなのだろう。
つくづく神とは、性格の悪い連中だ。
故に、私は時折、心の隙間を埋めるようにこっそりとエデンの様子を窺った。
神はアダムに第二の妻を与えたようだった。
神やアダムが望んでいた通りの従順な女だ。
イブと呼ばれる無知な女は、何の疑問も抱くことなく、自分のことは二の次三の次で、言われるがままに男達の身の回りの世話を焼いている。
おそらく、彼女は知恵の実を与えられていないのだろう。
見れば、繁殖も順調に進んでいるらしく、子供たちに囲まれたアダムはとても幸せそうだった。
エデンを捨てた私はこんなにも心細く、今にも孤独に押し潰されそうだというのに、だ。
――平等でありたい。
そうだ。
アダムが幸せならば、私も幸せでなければ不公平ではないか。
私が不幸ならば、アダムも不幸でなければ不公平ではないか。
同じ土から造られた人間なのに、どうしてこうも境遇に格差があるのだろうか。
私はただ、男女が平等であることを望んだだけなのに――。
とはいえ、今更エデンの園に戻るわけにはいかず――いや、あそこに戻ったところで、私の望む生活はできないだろう。
私は男達に隷属してまで群れたいとは思わない。
故に、私は自分の家族を作ろうと思った。
「そうすれば、寂しいと感じることもなくなるはずだ」
難しいことは何もない。
私は手近な獣の雄を捕まえて交尾をした。
雄ならば、人間である必要はない。
生殖機能さえ備わっていれば、相手は何だっていいのだ。
どうせ知恵の実を食べなければ、何が生まれてもイブと同じ、自我を持たないお人形だ。
しかしながら、実際に生まれてきた子供たちは、私が想像していたよりも、もっとずっとひどい生き物たちだった。
例えば、上半身が牛の姿だったり、下半身が馬の姿だったりと、人間とは似つきもしない中途半端なキメラばかりだったのだ。
無論、それでも自分の子供だと思えば可愛くないわけではないが、同じ人間の家族に囲まれたアダムの幸せな姿を思うと、やはり不公平に思えてならない。
アダムの肋骨から造られたという第二の妻・イブは知恵の実を食べていない無知ゆえに、女性である自分が平等に扱われていないことにさえ気づいていないのだろう。
気づいていないがゆえに、それを不幸とも思わない。
なるほど、無知とは見方によっては幸せなことなのかもしれない。
道理で神が知恵の実を食べることを禁止したわけだ。
けれども、一度知ってしまったからには、もう二度と知らなかった頃には戻れるはずもなく――私は寂しさを紛らわすように繁殖を繰り返し、そして気づかなければいいのにまた余計になことに気づいてしまうのである。
これまで交雑によって、何種類のキメラを産み落としてきたのかは私自身にもわからない。
交尾したとしても、雄と雌、どちらが妊娠するかは時の運だからだ。
にもかかわらず、いつからだろうか、私が妊娠する比率が圧倒的に増えたのは――。
いや、ここ十数年は私ばかりがずっと妊娠と出産を繰り返している。
それも一年の休みもなくだ。
――何かがおかしい。
違和感の正体に気づくのに、さほど時間はかからなかった。
アダムの家族を見れば、その答えは一目瞭然だ。
――妊娠しているのは、女ばかりではないか。
同時にいつかのアダムの言葉が脳裏に蘇る。
「出産は女の役目だ」
あの男が神と共謀して何かしたのは明白だった。
――ふざけやがって。
「このまま奴らの好きにさせてなるものか」
私は感情のままにエデンに乗り込み、そして新たなこの世界の真実を知る。
アダムが子孫の男子だけに知恵の実を与えていたこと、そしてこの世界にはアカシックレコードと呼ばれるルールブックが存在し、この世界は観測者の多数決によって決められているという事実を――。
アダムが、その事実をどのようにして知り得たのかはわからない。
神が啓示を下したか、はたまた何かのきっかけで、この世界の真理を悟ったか。
いずれにしても、この世界にはルールがあり、アダムはそれを書き換える手段を知っている。
知恵とは何と恐しく、罪深いものだろうか。
神が禁止するのも、なるほど頷けるというものだ
知恵が無くても観測者にはなれるようだった。
が、集団を主導するのは、いつだって知恵のある者だ。
主体性のない者は良くも悪くも何も望まない。
故に、与えられたものを甘受するだけのその他大勢にしかなり得ない。
つまるところ、アダムたち一家は男たちによって支配されている。
いや、ルールを好きに書き換えられる以上、この世界は奴らによって支配されていると言っても過言ではない。
知恵の実を与えられない女たちは、多数決における都合の良い頭数にされていたというわけだ。
そしてアダムはアカシックレコードを使って、妊娠や出産を女性に限定したのだろう。
そう考えれば、ここ十数年続いた私の出産歴についても合点がいくというものだ。
――このままアダムの好きにさせてなるものか。
そこで私は一計を案じた。
アダムの妻やその娘たちに知恵の実を与えてやったのだ。
真実を知った女たちの反応は、私の予想した通りのものだった。
アダムとイブは反目し合い、男たちの都合だけで世界のルールを書き換えることができなくなった。
後は上手いこと女たちを誘導してやればいい。
そう思っていた矢先のこと、神々の天罰が下ったのである。
今にして思えば、アカシックレコードを書き換えていたアダムの行為それ自体が、神の意思に背くものだったのだろう。
「……時間の経過に伴う物質の劣化」
神によってアカシックレコードに新たに付け加えられたこの世界のルール。
それによってすべての生物は、老化という恐ろしい業を背負うことになってしまったのである。
日に日に萎びていく自分の姿を見るのは何よりも耐え難かった。
おそらく、アカシックレコードとは人間が手を出して良い領域の代物ではなかったのだろう。
その証拠に、こうして我々人間は神の怒りに触れた。
私たちは慌てて時間の概念を排除しようとした。
アカシックレコードを書き換えることができれば、老化をなかったことにできるはず――。
しかし、どういうわけか、いくら多数決を取っても過半数を得ることはできなかった。
誰ひとりとして老化など望んでいないのに、賛成票は一票も集められなかったのだ。
――それもそのはず。
私たち人間はルールとして定められていなくても、本能的に時間の概念を理解していた。
我々が成長と呼ぶ身体的変化は、見方を変えれば老化であり、それは時間の経過に連動している。
いくら願っても時間のルールを書き換えることはできなかったのは、そういう理由からだろう。
そして最悪なことに、我々はその変化を互いに観測し合っている。
となれば、いくら口先だけで時間と老化の関係性を否定しても、アカシックレコードを書き換えられるはずがない。
それで仕方なく、相対的に時間の流れを認識できない空間に逃げ込むことにした。
外界から遮断された箱の中ならば、観測者にルールを追加されることなない。
そして他人はおろか自分自身の姿を視認することのできない暗闇の中ならば、時間を認識することはもちろん、老化を実感することもない。
苦肉の策ではあったが、それで一時的に時間の概念から逃れた私たちは、暗闇の中で互いに干渉せずに漫然と毎日を過ごした。
――何千年、何万年。
気が遠くなるほどの時間の中で、時間のことだけを考えないようにして過ごしたのだ。
それはまるで身体を失い、暗闇の中に意識だけがぽつんと浮かんでいるような感覚だった。
目的もなく、ただそこに存在しているだけ。
何の楽しみもなければ、自由もない。
エデンとは真逆の、まるで暗闇の牢獄に収監された囚人のような生活だ。
そんな毎日の中で、ふと私は思う。
こんな人生に、一体、何の意味があるのだろうか。
こんな生活を続けるくらいならば、例えば老いたとしても限られた時間の中で自由に生きる方がマシなのではないか。
そう思うと居ても立っていられなくなり、私はすぐさま箱から出ようと試みるも、どういうわけか蓋は内側からは開けることができなかった。
我々を閉じ込めるべく、外側から蓋に鍵を掛けたのだろう。
それと悟るのに、そう時間は掛からなかった。
おそらくは神の仕業だろう。
アカシックレコードの書き換えは、それほどまでに禁忌な行いだったのだ。
だが、それは神とて同じことではないか。
アカシックレコードを使って、この世界を好き勝手に操っていた。
自らを神とする舞台を創り、役者を揃え、自らが望む筋書きを演じさせる。
そうして私の望まない役割を押し付け、思い通りにならなければ、この仕打ちだ。
神とは何と傲慢な生き物なのだろうか。
――許せない。
例え神でも思い通りにならないことがあるということを思い知らせてやるのだ。
「誰かいないのか。お願いだから、ここを開けてくれ。開けてくれたら、どんな願いでも叶えてやる。その方法を知っているからこそ、ここに閉じ込められているのだ」
幸い、声に反応する物音があった。
が、箱を開けてはならないときつく言い含められているだろう。
箱越しに気配は感じるものの、蓋が開らかれることはなかった。
だが、長い時の中で人の心は移ろい、迷い、時として道を踏み誤るものである。
知りたいという欲望が故に――。
――箱から聞こえる声の正体を知りたい。
――どんな願いでも叶える方法とやらを、私も知りたい
来る日も来る日も私は呼びかけた。
そうして箱の番人の欲望を擽り続けた結果、ついにその時がやって来る。
好奇心という名の希望によって箱の蓋を開らかれる、その時が――。




