第18話-1 サイタマスラム
薄暗い曇り空の下、ここは埼玉北部の熊谷駅前だ。
すごく密集した空間に、いくつもの露店が並んでいる。飲食、古着、日用品、小物、骨とう品、などが見える。
何処となくアジアンな雰囲気で、衣食がそろう青空市場って感じだ。
人の流れはそれなりにあって、本当に日本が終わった後なのかと思う。
だって国が倒れたら、人生終了で人間は働かなくなるんじゃない、とあの頃の俺たちは真面目な顔で思っていたからだ。
数か月をかけて、ふつうという感覚が変わったと考えるべきだ。
ここの人たちは、生きるためと仕事が目的として一致しているから働いているんだ。
大きなアイデンティティを失った日本人たちが、生きていくために必要な場所だ。
そういう意味では、ちょっと日本史をかじった学生なら分かるだろうけど、ここの雰囲気としては戦後の闇市に近いとも思う。
元やドル、ユーロ、ルーブルなどが市場では使われている。
今の世界において日本列島では、日本円が全く価値をもたない。
なので、正式な為替レート換算は出来ないけど、俺の感覚で市場のものは高額だとは思う。
そんな軽い気持ちで、俺はナガトに冗談を吹っかけた。だけども、優等生だった彼の表情は硬い。
「なぁ、蒸かした芋って、こんなに値段高いの?」
「うーん……」
「ナガトさ、山口判事って知っているか?」
「ソクラテスみたいに筋を通した人ね」
「今、これを食べるかどうかの自由なんてないぜ。ナガトは自分なら何でも捨てることができる、と俺に言ったことが嘘になるからだ」
「はいはい、私も付き合うわよ」
俺は方便を使った。
日本人の山口判事は戦後、法を守る者として闇米を食べずに餓死した。
ギリシアの哲学者ソクラテスは、己の意志で問答を続けるために潔く死を選んだ。
そんな高潔な彼ら人生と、たかだか20歳にも満たない俺たちの人生は、一概に比べられるだろうか。
それに、ナガトは生きるためなら何でもすると俺に言ったんだ。
ならば、彼は優等生の仮面を外すのも厭わないはずだ。
諦めた彼は、服の奥からドル紙幣を取り出すと店番に渡して、蒸かした芋を買った。
駅前の人通りを抜けて、荒川の河川敷に座りこむ。そこで、俺たちは非合法な食べ物を口にした。
彼の感想はありふれていた。
からあげ美味いかの佐藤教官ではないけど、俺は彼を少しからかう。
「ふつうの芋ね」
「何、芋の味の期待値を上げているんだよ。えっ、この芋うまいじゃん」
「別に~。イツキが味覚音痴なんじゃないかしら~」
「はは、ナガトって拗ねた顔、面白いな」
「うっさいわね。ねぇ、私たち通行税を払い続けて、この先に行けるのかしら」
「うーん、ドル支払いじゃないとすると、ちょっと苦しい旅になるかも」
そう。
ナガトが言うように、真面目に旅の問題もある。
その問題とは、埼玉北部エリアを抜けてきた時点で、結構な総額の通行税を各自警組織に取られていたことだ。
未知の旅で、まったく今後の予想もできない。残った資金を丁寧に使っていく必要があった。
元自衛軍の基地や駐屯地があった地域では、なぜか通行税が高すぎた。何だかヨーロッパの諸侯や領主の時代に戻った感じがした。
もやもや。
俺には、芋の味より人間の旧体制戻りが納得いかない。
座ったままナガトは、紙地図を眺めていた。どっちへ進むか悩んだ彼は、サイコロを振って道を決めた。
いつもの彼らしくない決め方に、そのときの彼は笑っていた。俺も学生ノリで笑った。
結果、サイコロでは6の目が出て、6番と書かれた道になる。
「えへへ、賽は投げられた。次の目的地は川越よ」
「はは、カエサル式サイコロ決定」
その昔、古代ローマのカエサルは、ガリア駐在の軍を連れてローマとの国境にいた。
ガリアからローマに軍隊が向かうことは法律で禁止だったため、このまま行けばローマへの反乱になる状態だった。
その国境にかかるルビコン川を渡るとき、サイコロは投げられたのだから進むしかない、と彼は言ったらしい。
現在では、ここまで来たら結果はどうであれやるしかない、という意味だ。
ただ、劇的な人生だったカエサルの決め方でいいのか、とツッコミを入れる人がここには誰もいなかった。
そもそもカエサルはサイコロに例えただけで、実際にサイコロを投げたわけじゃない。
俺の直感だけど、これ上手くいく方法じゃなさそう。




