第41話:泣く男
儀式が終わった後も、人々はその場からなかなか離れようとしなかった。
広場には、まだ熱が残っている。
歓声は一段落しているはずなのに、どこかざわめきが消えきらず、空気そのものが揺れているようだった。
聖騎士に叙されたばかりのオルドランのもとに、騎士団員たちが集まっている。
「団長……!」
一人の騎士が、声をかけた。
その声は、どこか震えていた。
おそらく、涙を流していたように見えた。
オルドランは、静かに手を上げて応えた。
そこには厳格さではなく、柔らかく、どこか安堵したような笑みだった。
そのまま彼は、駆け寄ってきた騎士の肩を抱いた。
心に寄り添うような、優しい手つきだった。
私は、初めて彼のそんな表情を見た気がした。
周囲には、さらに多くの騎士たちが集まってくる。
誰もが言葉を探しているようで、それでもじっとしていられない様子だった。
ある者は安堵の声を漏らし、ある者はただ黙って頭を下げる。中には、言葉もなく肩を震わせている者もいた。
それでも不思議と、騒がしさは感じなかった。
ただ、そこにあるのは――信頼だった。
長い時間をかけて積み重ねられたもの。それがようやく形になったような、そんな落ち着いた空気。
私はその光景を、しばらくのあいだ眺めていた。
足を動かす気になれなかった。
この場を離れてしまうのが、少し惜しいと感じたからかもしれない。
「本当に良かった」
気づけば、そんな言葉が口からこぼれていた。
「ええ」
隣で、ノエルが小さく頷く。
「あの方の心に、偽りはないと信じていました」
その言い方は静かだったが、どこか確信に満ちていた。
私は少しだけ彼女の横顔を見る。
いつも通りの落ち着いた表情。
けれど、その視線はしっかりとオルドランの方を向いていた。
「それでは、マリア様。私はここで失礼します」
「え、ああ、またね」
そう言い残し、踵を返しかけたノエルが、ふと思い出したように足を止める。
「あ、一点、お伝え忘れていました」
「どうしたの?」
ノエルは、私たちへと向き直った。
「マリア様、いえ、皆様。孤児院への寄付、本当にありがとうございました。改めてお礼いたします」
「大したことはしてないよ。って、なんであなたがそれを?」
思わずそう返すと、ノエルはわずかに目を細める。
「この街のことは、だいたい耳に入るので」
さらりと言ってのける口調は軽い。
けれど、その言葉の中身は決して軽くはなかった。
「皆様の高貴な魂に、深く感銘を受けました。そして⋯⋯あなたに対する、以前の無礼もお詫びします」
そう言って、彼女は中村さんの方へ、丁寧に一礼した。
「え、ああ、全然気にしてないよー」
中村さんは、いつも通りの調子で頭をかいた。
その気の抜けた反応に、ノエルはほんのわずかに、口元を緩めたような気がした。
「それでは、またどこかで」
再び一礼し、彼女は人混みの中へと消えていった。
でも、どうして彼女が寄付したことを知っているんだろう。そして、なぜわざわざ礼を言いに来たのか。
疑問が次々と浮かぶ。
けれど、それを口に出す気にはなれなかった。
それよりも――
さっきから気になっていたことがある。
中村さんの隣にいるはずの、黒田さんが妙に静かだ。
普段なら、何かしら一言挟んでもおかしくない。
この人が終始黙っているのは、珍しい。
不思議に思ってそちらに目を向けると――
泣いていた。
想像の5倍は泣いていた。
また一筋、涙が頬を伝う。
「え、どうしたんですか?」
思わず声をかけると、黒田さんは小さく咳払いをした。
「騎士団長の……覚悟に、俺は……」
言葉が続かない。
「それに、団員たちが、ああやって駆け寄る姿が……」
また、言葉が途切れる。
どうやら、先ほどの光景に強く胸を打たれたようだ。
「クロさん、涙もろいんですねー」
横で中村さんが、いつも通りの温度で言う。
「……うるさい」
声は小さいが、しっかり返すあたりはさすがだった。
「でも、気持ちは分かりますよ。ああいうの、グッときますし」
「お前、全然そんなふうに見えないな」
「僕は泣かないタイプなんですよ。あ、いけね、僕じゃなかった。ナギは〜、心で噛み締めるタイプなんですよ〜」
「お前、ある意味すごいな⋯⋯」
黒田さんが、少しだけ呆れたようにツッコミを入れる。
さっきまで泣いていた人の反応とは思えないが、少し落ち着いてきたらしい。
黒田さんはポケットからハンカチを取り出し、目元を軽く押さえた。
「……でも、本当に良かった」
ぽつりと、彼が言う。
今度は、ちゃんとした言葉だった。
「ええ」
私も、小さく頷く。
広場の方へと、もう一度だけ視線を向ける。
まだ人の輪は完全には解けていない。
けれど、その空気はさっきよりも穏やかで、落ち着いたものに変わっていた。
「……それじゃあ、行きますか」
そう声をかけると、二人はそれぞれに頷いた。
「そうですね」
「……ああ」
黒田さんの声は、まだ少しだけ掠れていた。
私たちは、広場をあとにする。
振り返ることはしなかったけれど――
今日の光景は、しばらく離れてくれそうになかった。




