選び直したこと(2)
山の空気は乾いていた。
早朝のうちに霧は晴れ、尾根沿いの道には柔らかい陽が差し込んでいた。
足元は石と草が入り混じる緩やかな斜面。踏み跡は薄く、場所によっては獣道との見分けもつかない。
だが、ふたりの男は迷いなく進んでいた。
前を行くのは槍使いのグラーフ。無骨な体格に、簡素ながら手入れの行き届いた装備。
後ろには、間合いを保って歩くルゴルの姿があった。
言葉はなかった。
だが、動きは濁らなかった。
獣の気配を感じた瞬間、グラーフはわずかに手を動かすだけで、ルゴルは弓を引いていた。
背中で伝えられた意図は、ほとんど誤差なく矢に変わる。
一言もなく、矢が放たれた。
乾いた音と共に、茂みの奥の影が崩れる。
ルゴルは矢を番え直す。グラーフは足音を止めず、前を行く。
それだけだった。
やがて道は細くなり、斜面を縫うように続く。風が梢を揺らし、土と岩が陽を受けて乾いていた。
ふたりの動きに、焦りはなかった。
不用意な早足も、無駄な確認もない。
ふと、グラーフが立ち止まった。
何かが動いたのではない。ただ、空気が変わっただけだ。
彼はゆっくりと斜面を見渡し、右手の指先で草の揺れをなぞる。
それを見て、ルゴルは矢を番えた。
言葉はなかった。
だが、必要なすべてはそこにあった。
岩陰から、影がひとつ飛び出す。
ルゴルは矢を放つ。
グラーフが踏み込む。
動きは交わらない。だが、ぶつからない。
ぴたりと収まる“隙”の中に、それぞれが正確に収まっていた。
獣は仕留められ、静けさが戻る。
ふたりは立ち止まらず、また歩き出す。
そのまま、ひとつ目の分岐点を越えた。
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分岐点を越えた先の斜面で、ふたりは短い休憩を取った。
岩陰に風が集まり、木の葉の隙間から差す光が、地面にまだらな影を落としている。
ルゴルは岩に腰をかけ、矢束の点検をしていた。
グラーフはやや離れた木の根元に立ち、水を飲みながら周囲を見渡していた。
そのとき、グラーフがわずかに首を傾けて斜面を見やった。
何かを言うでも、指さすでもなかった。ただ、わずかな気配の変化。
ルゴルは、矢から目を離さないまま、低く短く応じた。
「……ああ」
グラーフは返事をせず、再び正面に向き直る。
ルゴルもまた、それ以上何も考えずに矢の確認を続けた。
やがて、ふたたび歩き出す。
午後の日差しが傾きはじめ、木々の影が道に長く伸びていた。
斜面を登り切ったところで、風向きが変わる。
「左、風が変わる。視界、広げる」
グラーフが短く告げた。
ルゴルはそれに頷き、斜面の上に位置を取る。
ひとつ、気配が揺れた。
矢をつがえる。
影が動く。
風が鳴る。
ルゴルは構えたまま、ふと息を吸った。
さきほどの返事を、思い出す。
──「ああ」。
無意識だった。
グラーフがこちらを見る前に、自分から返した。
それは、応答としては正しい。
けれど、その声色は、自分がよく知っている誰かへの返答の調子だった。
その瞬間だけ、何かがすっとズレた。
グラーフは振り向かず、影の方へ踏み込む。
ルゴルもまた、迷いなく矢を放つ。
獣が崩れ、ふたりは動きを止めない。
任務に支障はない。進行は正確で、信頼もある。
けれど、ひとつだけ、ぽっかりと穴が開いたようだった。
それは、“返された言葉がない”という事実ではない。
“返される必要がある”と思ったことすら、なかったという感触だった。
言葉がなくても、進める。
だが、言葉がないままでは、戻る場所がない。
ふたりは沈黙の中を歩き続ける。
枝が揺れ、土が鳴り、道がひとつずつ後ろに流れていく。
ルゴルはその後、何も言わなかった。
それが自然だった。
ただ、口の中に残った一言の余韻だけが、最後まで抜けなかった。
寡黙と寡黙のペア、かぎ括弧が全然出てきません。




