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ゆるく賑やかな夜

 傾きかけた日差しが差し込む酒場は、すでに賑わいを見せ始めていた。

 木のテーブルに落ちる光が、揺れるジョッキの縁で細かく跳ねる。


 ノエルは最初の一杯で、すでに頬を少し染めていたが、

 酔いは深くなく、話し方はいつも通り落ち着いている。

 どうやら、本当に酒には強いらしい。


「その人、なんていうのか……」


 ノエルはジョッキを持ったまま、少し言葉を探す。


「話す時も圧が強いの。目をじっと見てくるし、時々距離も近いし……話していて、落ち着かなくて」


 その言葉に、リアとレネアは一度目を見合わせた。


 ――どうしたもんかな。


 そんな気配を、言葉にせず交わす。


 おそらく、その男はノエルに好意を持っているのだろう。

 積極的に、そして少し遠回しに、距離を詰めようとしている。


 だが、ノエルの方にその気がないことも、はっきりしていた。


 彼女の言う“落ち着かなさ”は、恋に対する戸惑いではなく、

 ただ、押してくる距離の近さに対するものだ。

 そこに、同じ温度はない。


 レネアがジョッキを軽く揺らしながら口を開く。


「なんでその人、そんなに詰めてくるんだと思う?」


「えーと……」


 ノエルは視線を少し泳がせて、言葉を選ぶ。


「私の思い上がりかもしれませんが……」


 少しだけ言い淀む。


 リアが「って言うと?」と軽く促す。


「なぜ力があるのに上を目指さないんだ、とか……

 なぜそれを活かそうとしないんだ、とか……」


 ジョッキを両手で持ちながら、ゆっくりと続けた。


「そういう、もどかしさを……感じているのではないかと……」


 言い切ってから、少しだけ視線を落とす。


「あ~~~……」


 リアとレネアの声が、ぴたりと重なった。


「ま、それはあるだろな」


「うん、まぁ……それもあるだろうね」


 それぞれに頷く。


 実際、そういう思いもあるのだろう。

 言動の端々から、それは感じ取れる。


 ただ――

 その熱意が、才能に対するものだけではないことも、明らかだった。


 それを、このまま言うべきかどうか。

 ほんの一瞬、二人の中で天秤が揺れる。


「その人さ、なんていうのかな。ノエルの人生に首突っ込んできてるじゃん?

 いずれにせよ、ノエルに対して凄く思い入れがあるんだと思うよ」


 どんな種類の思い入れかまでは触れずに、リアが少しだけ核心に寄せる。

 その言い方に、レネアが”へぇ”という目を向けた。


 (……いいところを突くな)

 そんなふうに思いながら、その流れに合わせて、レネアも少し踏み込む。


「その本部から来た人さ、他の人にも同じ質問してる?」


 ノエルは一瞬、宙に視線を泳がせ、考える。

「して……ないと思います」


「でしょ?」

「だよな」


 リアとレネアが、ほぼ同時に言葉を返した。


 ノエルはそれを受けて、小さく息をつく。

 けれどすぐに、自分なりの見方を探すように続けた。


「僅かな間でしたが……本部で同じ部署にいた時期もあったので。

 余計に気になるのかもしれないなって……」


 中々に堅牢だ。

 リアはナッツの皿に手を伸ばしながら、少しだけ話の角度を変える。


「いや、実際さ。ノエルは本部に戻りたいと思う?」


 ノエルは少し驚いたように顔を上げて、それからふっと表情を緩めた。


「以前は、思ってもみなかったけど……リアが魔術を習いに来てくれた時から、

 私……もう少し魔術師の仕事に向き合ってみようかな、って思うようになって」


 小さく笑い、ジョッキを軽く指でなぞりながら続ける。

「その人に言われてから、戻ることも……少し考えてはいるの」


「魔術? 習いに行ったの?」

 レネアが首を傾げる。


 リアが「ああ」と軽く頷いた。


「生活魔法をね。着火に、水の浄化、あとは飲み水の生成を少し」

 少し肩をすくめて笑う。


「先生に理屈で教えられても中々飲み込めなくて、ちょっと行き詰りかけててさ。

 その時に、ノエルが助けてくれたんだ」


 そう言って軽く杯を掲げ、ノエルに向かって微笑む。

「あの時は、本当に助かったよ。ありがとう」


 やわらかな笑顔に、ノエルもはにかむように笑って頷いた。


「へえ……」

 レネアが少し意外そうな顔をする。


「前に大蛇の産卵地を変えさせた時、“エルフだから当然使えます”みたいな顔して魔法使ってたよね?

 そんなに最近だったんだ、覚えたの」


 ナッツをつまみつつ、感心したように続ける。

「大人になってから習得するの、苦労したでしょ」


「まぁね。でも師匠がよかったから」


 リアがそう言って笑うと、つられて二人も笑った。


 ちょうどその時、芋とチーズのガレットが運ばれてくる。

 香ばしい匂いに、三人の手が自然と伸びる。


 湯気に息を吹きかけながら、レネアがさらりと続けた。


「その師匠はさ。もし本部に戻ることになったら、その同僚の人の部屋を借りるの?」


「えっ!?」

 ノエルが顔を上げる。


「そんなこと、考えたこともなかったけど……どうかな……えっ……どうしよう……」

 顎に手を当てて、真剣に考え始める。


 その様子を見て、リアは一瞬だけ視線を落とした。


(……これは)


 そのままにしておくと、少しまずいかもしれない。

 そう判断して、もう一歩だけ踏み込むことにした。


「あのな。それこそ、これはお節介かもしれないんだけど……もしその話を受けるなら、ひとつ前提に置いておいた方がいいことがある」


 リアは言葉を選びながら続ける。

「多分、その人は、ノエルのことが好きだよ。恋愛的な意味で」


 ノエルは、ガレットを刺したフォークを手に、口を開きかけたまま止まった。

「……えっ???」


 そのまま固まる。


「うん。それを考えずに話を受けると、ちょっと危ないかもね。誤解させちゃうかも」

 レネアはそう言うと、ガレットをひと齧りして、軽く頷いた。


「あ、これ、芋がホクホクでうまいね。チーズの塩と脂が全体にまわってて、酒が進むな」

 そう言って、ジョッキをあおる。


 その横で、リアも小さく頷いた。


「うん。……誤解しなくても、距離は少しずつ詰まるだろうし。

 あとで気まずくなった時、部屋借り直すの、結構きついと思う」


 恋の話としてなら、温かく見ていられる。

 けれど生活が絡むなら、話は別だ。

 無粋だと分かっていても、ここは言っておいた方がいい。


 ノエルはしばらく考えて、それからゆっくりと息をついた。


「そうだね……そっか……同じ建物で暮らすって、しかも一軒の家で暮らすって、そういうことも気をつけなきゃいけないか……」


 少し考え込むように視線を落とし、小さく頷いた。


「好かれているのは、正直まだよく分からないけど……二人が言うなら、そうなのかもって思う」


 向けられた信頼のまっすぐさに、リアとレネアは一瞬だけ目を合わせる。


(ハイ、かわいい)

 声には出さず、視線だけでやり取りして、軽くジョッキを合わせた。


「はい、ノエルも」

「これからもよろしくな」


 差し出された杯に、ノエルは少しだけ照れたように目を伏せる。


「……よろしくね」

 小さく応じて、こくり、こくりと酒を口に含む。

 そして、ふと顔を上げた。


「そういえば」


 何気ない調子で続ける。


「レネアさんは、ラースさんとお付き合いしているんだよね?

 リアは、ルゴルさんとは……そういう、お付き合い的な流れはないの?」


 リアは、ジョッキをテーブルに置いた。

 額に手を当てて、少しだけ顔をしかめる。


「うん。あー……うん……」


 曖昧な声が漏れる。


「実はもう付き合ってるとか?」


 容赦ない追撃を続けるノエルに、レネアが小さく笑う。


「“さん”はいらないよ。レネアでいい。――うん、私はノースと付き合ってる」


 そう言ってジョッキを傾けながら、リアの様子を見る。


 ――言うか、どうするか。

 迷っているのが、はっきり分かった。


 リアは息をひとつ吐き、ジョッキをあおる。


「……いや、まぁ……あれだよ」

 言葉を探すように、少しだけ視線を逸らす。


「まったく何もないってわけじゃないんだけど……それを“付き合ってる”って言うのかっていうと……うーん……」


 歯切れの悪い言い方に、ノエルがぽん、と手を合わせた。


「あっ……えっと……」


 少し言いづらそうにしながらも、あっさりと踏み込む。

「もしかして、二人は……“そういう関係”……とか?」


「ん?」

「へぇ……」


 リアとレネアが、それぞれに反応し、

 ノエルは慌てて両手を振った。


「あ、ごめんね、突然。もしかして、そうなのかなって思ったら、つい……」


 その様子に、リアは思わず笑い出す。


「あー、いや、大丈夫。むしろ助かった」

 肩の力が抜けたように言う。


「隠す気はなかったんだけどさ。

 どうやって伝えたらいいかなって、ちょっと迷ってたから」


 ジョッキを傾けながら、いつもの調子に戻ったリアに、

 ノエルも、ほっとしたように笑った。


「そっか」


 レネアが新しいジョッキを受け取りながら口を挟む。


「実際、説明しづらいよね。私が知ったときも、“宿がかぶると気まずい”って理由でさ。必要に迫られて、だったし」


 軽く肩をすくめる。


「ああ、それは言うしかないよな、って思った」


「あのときは、時間もなかったから焦ったよ」


 レネアの言葉に苦笑したリアは、

 ジョッキを持ち直して、少しだけ言いにくそうに口を開いた。


「……いやさ。恋じゃないのは確かなんだよ。

 けどな~、ただの相棒って言い切ると、それもなんか違うというか……?」


 チーズをひとつ口に放り込み、考える。

 噛みながら、言葉を探す。


「仕事でさ、たまに他の人とペア組むだろ? それが、まあ……やりづらくて仕方なくてさ」


 腕を組んだリアが少しだけ難しい顔をすると、

 レネアは「あー、なんか分かる」と笑った。


「最初は気のせいかなって思ったけど、何回かやって、はっきりしたんだよ」


 リアは、思い出すように少し間を置いた後、ゆっくりと言った。

「——“やっぱりこいつの横が一番いいな”って」


 小さく首を傾げるノエルの視線を受けて、リアは肩をすくめた。


「でもさ、それを“恋”って言われると違うんだよな。

 仮にあいつに恋人ができたら、それはそれで普通に解散だろうし」


 言いながら、ジョッキの縁を指でなぞる。


「なんか……自分のとこに留めておきたい、みたいな気持ちじゃないんだよ」


「そっか……なんか分かるかも。ルゴルさんも、そうなのかもしれないね」


 ノエルが柔らかく頷くと、

 リアはジョッキの縁を指で弾きながら、軽く笑った。


「どうだろなー。アイツの考えてることは、いまいち分かんないからな」


 その言い方に、レネアが少しだけ眉を上げる。


「へぇ、そうなんだ?

 仕事中あれだけ息ぴったりで、普段もずっと一緒にいるのに?」


「うーん」


 リアはエールを一口流し込む。


「何考えてるかは分からないけど……“どう動くか”は分かるんだよな」


 肩の力を抜いたまま、続ける。


「ルゴルも、多分、私がどうするか分かってる。

 そこが楽っていうか……動きやすいんだ」


 レネアは「なるほど」と頷くと、ジョッキを持ち上げて、軽く笑った。

「それ、仕事仲間としては最高だね」


 レネアの言葉に、ノエルも素直に頷く。

「うん。すごく、いいね」


 二人の空気に、リアは照れるでもなく、ただそのまま笑った。

 気がつけば、テーブルの上の杯はすっかり空になっていた。

 それぞれに、エールや果実酒を頼む。


 注文を終え一息ついていたレネアが、ふと思い出したように言う。

「それにしても、ノエルが気付くのは意外だったな」


「それはそう」

 リアが頷くと、ノエルは一瞬言葉に詰まったが、

 ゆっくりと口を開いた。


「魔術師の世界って……人間関係が、結構狭くて」


 ゴブレットを揺らしながら、言葉を探す。


「得意な術が似ていると、師事する先や勤務先も被りがちだったりして……

 自然と、色々な関係が生まれてしまうというか……」


「ああ、なるほどね」

 リアが頷くと、「そういうもんなの?」とレネアが首を傾げる。

 リアは少し考えてから、肩をすくめた。


「何となく、そうかもなって感じはあるよ」

 記憶を辿るように視線を上げる。


「前に、湖畔の街で駆け出しの魔術師に会ったんだけどさ。

 魔法の系統がノースと同じだなって思ったら、同じ人に師事したって」


 前のめりな青年の姿と、跳ね飛ばされる巨大魚を思い出し、面白そうに笑う。

「そんなことある?って思ったけど、あるんだろうな」


 リアの話に、ノエルが「うん、あるあるだね」と顔をほころばせた。


「術式とか見てると、師事した先生が分かったりするの。

 筆跡が似てる感じって言うと、近いかな」


「は~~、なるほどね……」

 肉の串を齧ったレネアは、エールで流し込むと、小さく笑った。


「魔術師の人間関係の狭さ、か……。じゃあ、さっきの同僚の人、かわし続けるの難しいかもね」


 くるくると指先で串を回す。


「そうなの……でも、勘違いかもしれないし……」


 ナッツの殻を転がすノエルのため息混じりの言葉に、

 二人は間髪入れずに「それはない」「それは苦しいな」と返した。


「うーん……二人にそう言われると……そっか~~」

 素早い突っ込みに、ノエルは両手で顔を覆う。


「……その人、冬が来る前に本部に戻る予定だから……

 あぁ、でも、本部に行ったら顔を合わせるし……」


 指の隙間から漏れる声に、照れはない。

 ただ、本気で困っているだけの響きだった。


 リアとレネアは視線を交わす。


(あー……自覚はないんだろうけど……)

(好意持たれてる側の困り方じゃん……)


 どちらからともなく、新しい串に手を伸ばす。


 目の前の友の悩みに、しっかりと寄り添いながら——

 ほんの少しだけ、その相手にも同情が浮かぶ。


「……何とか、逃げ切れることを祈るよ」


「……だな」


 リアが肉をエールで流し込み、椅子に座り直す。

 そのまま、身を乗り出してレネアを見る。


「さて……ノエルの話、全力で聞いたし。私のも出きったな」


 にやりと笑う。


「レネア。次はお前の番だ。話せるだろ?」


 ノエルも少し身を乗り出す。


「その……もし嫌じゃなかったら。

 レネアさんとノースさんのお話も、聞いてみたいです」


 レネアはジョッキを持ち上げ、唇の端を上げた。


「お、聞いてく?」と軽くウインクする。


「私は遠慮なくのろけるよ?」


「出たよ、その顔〜!」


 リアが笑う。

 ノエルも思わず手で口元を押さえた。


 レネアはすっかりその気で、ジョッキをテーブルに置く。


「どこから話す?」


 剣の手入れでもするような腰の据わり方に、すぐさまリアが身を乗り出した。


「出会いから全部!」


 ノエルは少し躊躇いながらも、「そんな、全部は……でも、聞きたい……」と頷く。


 レネアは楽しげに肩をすくめる。


「おっけ。じゃあ、語るね?」


 その一言で空気が明るく弾み、三人のジョッキが軽くぶつかった。

 揺れる灯りの中、笑い声が溶けていく。


 恋の話も、どうでもいい話も、からかいも、全部が同じテーブルに並んで、混ざっていく。


 酒場の空気は、ゆるく賑やかで。

 温かさに満ちたまま、夜は更けていった。

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