表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
107/112

忘却の宝石箱

 町の通りには、少し前から旅芸人の音楽が流れていた。賑やかな音に引き寄せられてか、普段より人通りが多い。商人や旅人に混ざって、子どもたちも走り回っている。


 リアは街路をひょいひょいとすり抜け、ふと一軒の古物屋の前で立ち止まった。木の扉には色あせた絵皿が飾られ、表の台には掘り出し物と書かれた札が揺れている。


「──ちょっと見てこようかな」


 そう言って瞳を輝かせながら振り返ると、肩を一段落とした姿勢のルゴルがいた。

 彼は目だけで「どうぞ」と告げ、とくに止めることはなかった。


 店の中は、香辛料と古い紙の混ざったにおいがした。棚には所狭しとランプや飾り皿が並び、奥のガラスケースには錆びた短剣や、色石の嵌め込まれた装飾品が置かれている。


 リアはきょろきょろと店内を見回した後、ある小さな宝石箱に目を留めた。濃い緋色の木地に、金色のつた模様が刻まれた上蓋。手に取ると、思ったよりも軽い。


「これ、開けていいですか?」


「どうぞ。中は空ですけど、彫りが綺麗でしょう?」

 店主は気のいい様子で笑った。


「──へえ、どんなふうに開くんだろ……」


 ぱちり。


 箱が開いた瞬間、内部からふわりと淡い光が立ち上った。リアは思わず目を細める。


「うわっ、なにこれ。……ちょっとびっくりしたな」


 隣で見ていたルゴルが一歩前に出る。

「待て、それ──」


「ん?」

 リアが首を傾げる。


 光は一瞬のことで、次の瞬間には何もなかったかのように静けさが戻っていた。けれど、ルゴルの顔は険しい。


「何らかの魔法痕があった。防犯のつもりでかけられた罠かもしれない。体に異常は──」


「え、あの、どちら様ですか?」

 リアが笑って言った。


 ルゴルは、ほんのわずか、沈黙した。


「……ルゴルだ」


「ルゴル。へえ、そっか、はじめまして……じゃないな。名前には聞き覚えある。パーティー組んでたっけ?」


 ルゴルは顔を伏せるように目を閉じ、息をひとつ吐いた。店主も何か察したらしく、顔をこわばらせる。


「……記憶、抜けたのか?」


「んー、そうなのかな? どこまで……。ギルドの使い方は分かるし、この町も来たことある。……あれ? 今何年?」


 リアは指を折って数え始め、苦笑した。

「そっか。たぶん、2年分くらい抜けてるわ。まあ、大丈夫でしょ。怪我もないし」


 あまりにあっけらかんとした様子に、ルゴルも店主も少し拍子抜けする。


「こういうの、何日かで戻るんじゃなかったっけ?たまに聞くよ、防犯で忘却魔法が仕込まれてるって」


 リアはそう言って箱をそっと棚に戻した。


「……悪かった、本当に、そんな魔法がかかってるなんて……!」

 店主が何度も頭を下げる。


 ルゴルが「行くぞ」と短く言って歩き出すと、リアもついていった。


 表に出たときには、通りは夕暮れの光に染まり始めていた。


---


 宿の階段を上がり、ふたりは部屋の前で立ち止まった。


「部屋、一つだったな」

 ルゴルが言うと、リアは軽く肩をすくめる。


「もともとそういう予定だったんだろ? いいよ、別に。料金も上がるし」


「お前が選んだことではない」


「でも、記憶がある時の“私”は選んだんだろ?じゃ、信用する。──あんたのことは、まだそこまで分からないけど」


 ルゴルはしばらく黙っていたが、やがて部屋の鍵を開けた。


 中はいつもの、素朴な宿の一室だった。荷物が壁際に寄せられているのを見て、リアは「やっぱ泊まる気だったんだな」とつぶやいた。


「じゃ、荷物整理して、晩飯行こう。あ、明日の仕事、予定通りでいいんだよな? ナルボスだっけ。帰りに立ち寄れそうだって、依頼受けてたよな?」


「──ああ」


「よかった、そこは覚えてた」


 そう言ってリアは、手慣れた様子で自分の荷物に向かった。その背中を見つめながら、ルゴルは「見覚えのある他人」を見るような、妙な静けさを抱えていた。


---


 夕暮れの町には、乾いた秋の風が吹き始めていた。宿の食堂は、旅人や地元の商人でほどよく賑わっている。灯りの灯った天井からは香ばしい湯気が立ち上り、外の空気とは別世界のようだった。


 リアは席につくと、少し顔をしかめてメニューを見た。


「この『肉のグリル、旅人風』って何風なんだろ……まあいいや、これにしよ」


 料理を待つ間、ルゴルは黙って卓上のパン籠に手を伸ばす。リアも気負いのない調子で話しかける。


「もう結構しっかり秋だよな~」


「ああ、山の方はじきに葉も殆ど落ちるだろう」


「だね。ま、日差しはあったかいからさ。まだ全然行けそうな感じはするな」


 何気ない会話の応酬は自然で、初対面の冒険者同士というには、あまりにも滑らかだった。


 やがて運ばれてきた料理に手をつけながら、リアはついでのように言った。


「……で、ルゴルさんは、私とどんな関係だったの?」


 ルゴルは少しだけ手を止めたが、すぐに平然と答える。


「パーティーだ。二人組。依頼で動く。寝食も、行動も、基本的に共にしている」


「……へぇ。それ、付き合ってるって言われない?」

「言われる」

「否定しないのか?」

「状況による」


「なんだ、それは」

 リアは笑ってフォークを止めた。

 その様子に、ルゴルもふっと目を細める。


「実際、今は否定しても信じてもらえんかもしれないが」


「確かに」


 笑いながら、リアはスープをすする。その明るさに、ルゴルは微かに安堵するような気配を見せた。


 食後、部屋へ戻る頃には、空が茜色から群青へと移り変わっていた。廊下の窓越しに見える屋根は、木漏れ日の名残を宿し、風が時おり草の香りを運ぶ。


 部屋に入ると、リアが上着を脱ぎながら言った。

「……ね、思ったんだけどさ。あんた、わりと距離近いよな。昔からそうだった?」


 ルゴルは床に置かれた水差しを持ち上げながら答える。

「そうでもない。むしろ、お前が……近かった」


「へえ」


 リアはそのままベッドの端に腰を下ろし、少しだけルゴルの顔を見た。


「でも、なんか今日ずっと、自然に隣に並んでたなって思って。違和感なかったのが逆に変でさ。あんたのことは思い出せないのに」


 ルゴルは、黙って頷いた。


 ふたりの間に沈黙が落ちる。けれど、それは重いものではなかった。夜の静けさと同じ質の、染み込むような静けさだった。


 リアは小さくため息をついて、軽く笑った。


「ま、記憶が戻ったら分かるか。……戻るよな?ほんとに」

「戻る。数日以内がほとんどだ」

「そっか、じゃあそれまでヨロシクね、ルゴルさん」

「……ああ」


 それきり言葉は続かず、ふたりは寝支度を整え始めた。

 灯りを落とした部屋の中、ベッドのきしむ音がふたつ、順に響く。


 その後、ひとつの寝息が先に静けさへ溶けていった。


---


 依頼の内容は、郊外の畑地に現れるナルボスの排除だった。

 早朝に出立し、昼には討伐を終え、夕方には中継の町へ入る行程。有力なリーダーを持たないナルボスたちの動きは数頼みの力押しでしかなく、特別な危険はなかった。


 とはいえ、戦いの中でリアは終始よく動いた。

 距離を詰める踏み込み、崩し、斬撃、退き際の見極め──どれも的確で、瞬時の判断が体に染み込んでいるのがわかる。


 そして何より、ルゴルの矢に対する呼応が自然だった。

 斧を引いた動線に矢の射線が重なり、矢がナルボスを貫くに合わせて体を切り返す。長年積み重なった連携のように、矢と刃が互いの隙を埋めていった。


 戦闘が終わったあと、リアは空を仰ぎ、ひとつ息を吐く。

「いや〜、やっぱ私、このスタイルが合ってるな。なんだかんだで連携取りやすいし」

 そう言って、ルゴルへ親指を立てた。

「ルゴル、だっけ? あんたと組んでたの納得。すごく戦いやすかったよ」


 ルゴルは小さく頷いて返す。

「ああ。こっちも動きやすかった。問題なかった」


 リアは満足げに笑った。けれど、その笑顔は「ひと仕事を終えた顔」だった。軽やかな雰囲気の中に、目だけがわずかに冴えている。

 そこにあるのは仲間への情や信頼ではなく、実力者同士が戦場で分かち合う共感に近いものだと分かる。


 数日前と変わらぬやりとり。だが、リアの軽口の奥にはかすかな手探りがあった。


 ──信頼ではなく、適応。


 ゴルは、そんな言葉を思い浮かべていた。


---


 町に着くころには、日が傾きはじめていた。

 ギルドへは立ち寄らずにまっすぐ宿に戻ったふたりは、荷物を置いた後は特に会話をすることもなく、それぞれに時間を過ごした。


 やがて夕食の時刻になり、食堂へ降りる。店内には他の客たちの話し声が柔らかく響き、厨房からは香ばしい匂いが漂っていた。灯りの下は外の冷気を忘れるように温かかった。


 テーブルについたふたりは、焼き目のついた肉料理と野菜のポタージュを頼む。

 湯気の立つ皿を前に、リアがぽつりと口を開いた。


「……今日一日、一緒に過ごしてみて思ったんだけどさ」


 ルゴルがスプーンを止め、視線を向ける。


「自分の感覚と、あんたとの距離感が、ちょっとおかしい気がするんだよな」

 リアはフォークを指先でくるくる回しながら続ける。

「戦いのとき、斜め後ろにあんたがいるのが自然だった。私、そんなこと思うタイプじゃないのにさ」


「おかしくはない。……元々、そうだった」


 リアはそれにふっと笑った。

「まじか。──でもさ、今の自分に嘘つくのは好きじゃない。だからたぶん、何かあったんだろうなってのは分かるよ」


「いずれ戻る。焦るな」


「焦ってはないよ。ただ、ちょっと変な感覚ってだけ」


 リアはそう言ってスープをすくい、口に運んだ。


---


 その夜。

 ふたりは昨日と同じように、一つの部屋に戻った。リアは持参の着替えを手に戸口の向こうへ消え、戻ってきたときには肩に上着を羽織っていた。


「寝る前にひとつ、聞いていいか?」

 ベッドの端に腰を下ろしながら、リアはルゴルに視線を向ける。

「……私たちって、今はどういう関係だった?」


 ルゴルは、答えるまでにわずかな間を置いた。

「……仕事仲間だ。今も昔も」


「そっか」


 リアはそれを聞き、どこか安心したようにうなずく。

 けれどその表情には、考えごとの影が差していた。ルゴルと過ごす空気が自然であること──それが自分にとっては異常だった。

 “覚えていない”よりも、その自然さのほうが気がかりだった。


 リアは布団に潜り込み、ひと息ついた。


(……考えても分からない)


 灯りを落とした部屋で、しばらく天井を見つめる。今日一日が、巻き戻すように脳裏を過ぎていく。

 ルゴルの間合い。言葉の選び方。

 それに呼応する自分の返しの自然さ。──あたかも何度も繰り返してきたかのような。いや、実際そうなのだろう。けれど──


「……はは、なんだそれ」


 ぽつりと呟き、くるりと横を向く。

 真っ暗な部屋に静けさが広がる。


(いや、でも……だからって、恋人……ではないよな?)


 釈然としない思いを抱えたまま、リアは息を吐いた。答えなど出るはずもない。


「……もういいや、寝よ寝よ。あと何日だっけ、三日だっけ?」


 そう自分に言い聞かせ、掛け布団を肩まで引き寄せる。

 やがて、部屋には深く安らいだ寝息がひとつ、静かに溶けていった。


---


 朝、食堂の窓辺に座ると、秋の光が柔らかく差し込んでいた。

 ひんやりと冷えた夜の空気がまだ残る通りは、朝露で濡れてきらめいている。


 ルゴルとリアは向かい合い、木のトレイの上の朝食に手を伸ばしていた。

 焼きたてのパンに白い蒸し卵、香草の香るスープ。中央には、小さなジャムの小皿がふたつ置かれている。


 リアはスープをすすりながら顔を上げる。

「──な、これ余ってたらもらっていい?」


 指さしたのはルゴルの小皿だった。彼は視線だけで応じ、小皿を軽く押し出す。


 リアがパンをちぎりながら笑う。

「ありがと。……あ、このジャム、やっぱ美味しいな。前もこれ、食べ……た……」


 言いかけた手が止まった。パンのかけらを指に挟んだまま、じっと宙を見つめる。

「──……ルゴル……?」


 少し驚いたような、呆けたような声。


 ルゴルは何も言わずに彼女を見ていた。リアは数秒の沈黙ののち、言葉を探すように口を開く。


「……あれ……ごめん、私……ちょっと変だったよな? 昨日と一昨日」


「戻ったのか」


「……ああ。なんか……いきなり全部、すとんって落ちてきた感じ」


 リアは自分の額に手を当て、照れたように笑った。

「やたら記憶力のいい悪夢を見てたみたいな……妙な気分だな」


 ルゴルはパンをちぎりながら、落ち着いた声で答える。

「古物に仕込まれていた防犯用の魔法だ。視覚系かと思ったが、忘却の型だったらしい」


「いやもう、ほんと、やらかした……」


 リアはジャムをのせたパンをかじり、ため息まじりに言った。

「しかも記憶ないくせに、ふつーに仕事してたしね。めちゃくちゃだな」


「討伐はこなしていた。連携も取れていた」


「──そりゃまあ、体が覚えてるんだから、さ」


 リアは口をとがらせ、ジャムの皿をくるりと回した。

「でも……ちょっと怖かったよ。『分からないのに自然』ってさ」


 ルゴルはすぐには答えず、数秒ののちにぽつりと言う。

「……俺も、あのお前を見るのは、久しぶりだった」


「え?」


「出会った頃に近かった。……自分の判断だけで動いていた」


「……ああ」

 リアは小さくうなずき、パンを一口かじった。

「──それって、あの頃と同じだけど、全然違うな」


「そうだな」


 リアは湯気の立つスープに口をつけ、軽く笑った。

「……ま、いいや。記憶も無事戻ったし、笑い話ってことで。……ただ一個だけ、ちゃんと覚えておくよ。やたらに古物は開けない」


「そうだな。それは“忘れない”ようにな」

 ルゴルは頷き、少し笑ってスープの湯気を吹いた。


 窓の外では、通りが少しずつにぎわいを増していた。

 麻袋や木箱を積んだ荷車が通り過ぎ、商人たちが朝の挨拶を交わす。


 焼きたてのパンの香りの中、二人のカップがカツンと鳴る音が響いた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ