忘却の宝石箱
町の通りには、少し前から旅芸人の音楽が流れていた。賑やかな音に引き寄せられてか、普段より人通りが多い。商人や旅人に混ざって、子どもたちも走り回っている。
リアは街路をひょいひょいとすり抜け、ふと一軒の古物屋の前で立ち止まった。木の扉には色あせた絵皿が飾られ、表の台には掘り出し物と書かれた札が揺れている。
「──ちょっと見てこようかな」
そう言って瞳を輝かせながら振り返ると、肩を一段落とした姿勢のルゴルがいた。
彼は目だけで「どうぞ」と告げ、とくに止めることはなかった。
店の中は、香辛料と古い紙の混ざったにおいがした。棚には所狭しとランプや飾り皿が並び、奥のガラスケースには錆びた短剣や、色石の嵌め込まれた装飾品が置かれている。
リアはきょろきょろと店内を見回した後、ある小さな宝石箱に目を留めた。濃い緋色の木地に、金色のつた模様が刻まれた上蓋。手に取ると、思ったよりも軽い。
「これ、開けていいですか?」
「どうぞ。中は空ですけど、彫りが綺麗でしょう?」
店主は気のいい様子で笑った。
「──へえ、どんなふうに開くんだろ……」
ぱちり。
箱が開いた瞬間、内部からふわりと淡い光が立ち上った。リアは思わず目を細める。
「うわっ、なにこれ。……ちょっとびっくりしたな」
隣で見ていたルゴルが一歩前に出る。
「待て、それ──」
「ん?」
リアが首を傾げる。
光は一瞬のことで、次の瞬間には何もなかったかのように静けさが戻っていた。けれど、ルゴルの顔は険しい。
「何らかの魔法痕があった。防犯のつもりでかけられた罠かもしれない。体に異常は──」
「え、あの、どちら様ですか?」
リアが笑って言った。
ルゴルは、ほんのわずか、沈黙した。
「……ルゴルだ」
「ルゴル。へえ、そっか、はじめまして……じゃないな。名前には聞き覚えある。パーティー組んでたっけ?」
ルゴルは顔を伏せるように目を閉じ、息をひとつ吐いた。店主も何か察したらしく、顔をこわばらせる。
「……記憶、抜けたのか?」
「んー、そうなのかな? どこまで……。ギルドの使い方は分かるし、この町も来たことある。……あれ? 今何年?」
リアは指を折って数え始め、苦笑した。
「そっか。たぶん、2年分くらい抜けてるわ。まあ、大丈夫でしょ。怪我もないし」
あまりにあっけらかんとした様子に、ルゴルも店主も少し拍子抜けする。
「こういうの、何日かで戻るんじゃなかったっけ?たまに聞くよ、防犯で忘却魔法が仕込まれてるって」
リアはそう言って箱をそっと棚に戻した。
「……悪かった、本当に、そんな魔法がかかってるなんて……!」
店主が何度も頭を下げる。
ルゴルが「行くぞ」と短く言って歩き出すと、リアもついていった。
表に出たときには、通りは夕暮れの光に染まり始めていた。
---
宿の階段を上がり、ふたりは部屋の前で立ち止まった。
「部屋、一つだったな」
ルゴルが言うと、リアは軽く肩をすくめる。
「もともとそういう予定だったんだろ? いいよ、別に。料金も上がるし」
「お前が選んだことではない」
「でも、記憶がある時の“私”は選んだんだろ?じゃ、信用する。──あんたのことは、まだそこまで分からないけど」
ルゴルはしばらく黙っていたが、やがて部屋の鍵を開けた。
中はいつもの、素朴な宿の一室だった。荷物が壁際に寄せられているのを見て、リアは「やっぱ泊まる気だったんだな」とつぶやいた。
「じゃ、荷物整理して、晩飯行こう。あ、明日の仕事、予定通りでいいんだよな? ナルボスだっけ。帰りに立ち寄れそうだって、依頼受けてたよな?」
「──ああ」
「よかった、そこは覚えてた」
そう言ってリアは、手慣れた様子で自分の荷物に向かった。その背中を見つめながら、ルゴルは「見覚えのある他人」を見るような、妙な静けさを抱えていた。
---
夕暮れの町には、乾いた秋の風が吹き始めていた。宿の食堂は、旅人や地元の商人でほどよく賑わっている。灯りの灯った天井からは香ばしい湯気が立ち上り、外の空気とは別世界のようだった。
リアは席につくと、少し顔をしかめてメニューを見た。
「この『肉のグリル、旅人風』って何風なんだろ……まあいいや、これにしよ」
料理を待つ間、ルゴルは黙って卓上のパン籠に手を伸ばす。リアも気負いのない調子で話しかける。
「もう結構しっかり秋だよな~」
「ああ、山の方はじきに葉も殆ど落ちるだろう」
「だね。ま、日差しはあったかいからさ。まだ全然行けそうな感じはするな」
何気ない会話の応酬は自然で、初対面の冒険者同士というには、あまりにも滑らかだった。
やがて運ばれてきた料理に手をつけながら、リアはついでのように言った。
「……で、ルゴルさんは、私とどんな関係だったの?」
ルゴルは少しだけ手を止めたが、すぐに平然と答える。
「パーティーだ。二人組。依頼で動く。寝食も、行動も、基本的に共にしている」
「……へぇ。それ、付き合ってるって言われない?」
「言われる」
「否定しないのか?」
「状況による」
「なんだ、それは」
リアは笑ってフォークを止めた。
その様子に、ルゴルもふっと目を細める。
「実際、今は否定しても信じてもらえんかもしれないが」
「確かに」
笑いながら、リアはスープをすする。その明るさに、ルゴルは微かに安堵するような気配を見せた。
食後、部屋へ戻る頃には、空が茜色から群青へと移り変わっていた。廊下の窓越しに見える屋根は、木漏れ日の名残を宿し、風が時おり草の香りを運ぶ。
部屋に入ると、リアが上着を脱ぎながら言った。
「……ね、思ったんだけどさ。あんた、わりと距離近いよな。昔からそうだった?」
ルゴルは床に置かれた水差しを持ち上げながら答える。
「そうでもない。むしろ、お前が……近かった」
「へえ」
リアはそのままベッドの端に腰を下ろし、少しだけルゴルの顔を見た。
「でも、なんか今日ずっと、自然に隣に並んでたなって思って。違和感なかったのが逆に変でさ。あんたのことは思い出せないのに」
ルゴルは、黙って頷いた。
ふたりの間に沈黙が落ちる。けれど、それは重いものではなかった。夜の静けさと同じ質の、染み込むような静けさだった。
リアは小さくため息をついて、軽く笑った。
「ま、記憶が戻ったら分かるか。……戻るよな?ほんとに」
「戻る。数日以内がほとんどだ」
「そっか、じゃあそれまでヨロシクね、ルゴルさん」
「……ああ」
それきり言葉は続かず、ふたりは寝支度を整え始めた。
灯りを落とした部屋の中、ベッドのきしむ音がふたつ、順に響く。
その後、ひとつの寝息が先に静けさへ溶けていった。
---
依頼の内容は、郊外の畑地に現れるナルボスの排除だった。
早朝に出立し、昼には討伐を終え、夕方には中継の町へ入る行程。有力なリーダーを持たないナルボスたちの動きは数頼みの力押しでしかなく、特別な危険はなかった。
とはいえ、戦いの中でリアは終始よく動いた。
距離を詰める踏み込み、崩し、斬撃、退き際の見極め──どれも的確で、瞬時の判断が体に染み込んでいるのがわかる。
そして何より、ルゴルの矢に対する呼応が自然だった。
斧を引いた動線に矢の射線が重なり、矢がナルボスを貫くに合わせて体を切り返す。長年積み重なった連携のように、矢と刃が互いの隙を埋めていった。
戦闘が終わったあと、リアは空を仰ぎ、ひとつ息を吐く。
「いや〜、やっぱ私、このスタイルが合ってるな。なんだかんだで連携取りやすいし」
そう言って、ルゴルへ親指を立てた。
「ルゴル、だっけ? あんたと組んでたの納得。すごく戦いやすかったよ」
ルゴルは小さく頷いて返す。
「ああ。こっちも動きやすかった。問題なかった」
リアは満足げに笑った。けれど、その笑顔は「ひと仕事を終えた顔」だった。軽やかな雰囲気の中に、目だけがわずかに冴えている。
そこにあるのは仲間への情や信頼ではなく、実力者同士が戦場で分かち合う共感に近いものだと分かる。
数日前と変わらぬやりとり。だが、リアの軽口の奥にはかすかな手探りがあった。
──信頼ではなく、適応。
ゴルは、そんな言葉を思い浮かべていた。
---
町に着くころには、日が傾きはじめていた。
ギルドへは立ち寄らずにまっすぐ宿に戻ったふたりは、荷物を置いた後は特に会話をすることもなく、それぞれに時間を過ごした。
やがて夕食の時刻になり、食堂へ降りる。店内には他の客たちの話し声が柔らかく響き、厨房からは香ばしい匂いが漂っていた。灯りの下は外の冷気を忘れるように温かかった。
テーブルについたふたりは、焼き目のついた肉料理と野菜のポタージュを頼む。
湯気の立つ皿を前に、リアがぽつりと口を開いた。
「……今日一日、一緒に過ごしてみて思ったんだけどさ」
ルゴルがスプーンを止め、視線を向ける。
「自分の感覚と、あんたとの距離感が、ちょっとおかしい気がするんだよな」
リアはフォークを指先でくるくる回しながら続ける。
「戦いのとき、斜め後ろにあんたがいるのが自然だった。私、そんなこと思うタイプじゃないのにさ」
「おかしくはない。……元々、そうだった」
リアはそれにふっと笑った。
「まじか。──でもさ、今の自分に嘘つくのは好きじゃない。だからたぶん、何かあったんだろうなってのは分かるよ」
「いずれ戻る。焦るな」
「焦ってはないよ。ただ、ちょっと変な感覚ってだけ」
リアはそう言ってスープをすくい、口に運んだ。
---
その夜。
ふたりは昨日と同じように、一つの部屋に戻った。リアは持参の着替えを手に戸口の向こうへ消え、戻ってきたときには肩に上着を羽織っていた。
「寝る前にひとつ、聞いていいか?」
ベッドの端に腰を下ろしながら、リアはルゴルに視線を向ける。
「……私たちって、今はどういう関係だった?」
ルゴルは、答えるまでにわずかな間を置いた。
「……仕事仲間だ。今も昔も」
「そっか」
リアはそれを聞き、どこか安心したようにうなずく。
けれどその表情には、考えごとの影が差していた。ルゴルと過ごす空気が自然であること──それが自分にとっては異常だった。
“覚えていない”よりも、その自然さのほうが気がかりだった。
リアは布団に潜り込み、ひと息ついた。
(……考えても分からない)
灯りを落とした部屋で、しばらく天井を見つめる。今日一日が、巻き戻すように脳裏を過ぎていく。
ルゴルの間合い。言葉の選び方。
それに呼応する自分の返しの自然さ。──あたかも何度も繰り返してきたかのような。いや、実際そうなのだろう。けれど──
「……はは、なんだそれ」
ぽつりと呟き、くるりと横を向く。
真っ暗な部屋に静けさが広がる。
(いや、でも……だからって、恋人……ではないよな?)
釈然としない思いを抱えたまま、リアは息を吐いた。答えなど出るはずもない。
「……もういいや、寝よ寝よ。あと何日だっけ、三日だっけ?」
そう自分に言い聞かせ、掛け布団を肩まで引き寄せる。
やがて、部屋には深く安らいだ寝息がひとつ、静かに溶けていった。
---
朝、食堂の窓辺に座ると、秋の光が柔らかく差し込んでいた。
ひんやりと冷えた夜の空気がまだ残る通りは、朝露で濡れてきらめいている。
ルゴルとリアは向かい合い、木のトレイの上の朝食に手を伸ばしていた。
焼きたてのパンに白い蒸し卵、香草の香るスープ。中央には、小さなジャムの小皿がふたつ置かれている。
リアはスープをすすりながら顔を上げる。
「──な、これ余ってたらもらっていい?」
指さしたのはルゴルの小皿だった。彼は視線だけで応じ、小皿を軽く押し出す。
リアがパンをちぎりながら笑う。
「ありがと。……あ、このジャム、やっぱ美味しいな。前もこれ、食べ……た……」
言いかけた手が止まった。パンのかけらを指に挟んだまま、じっと宙を見つめる。
「──……ルゴル……?」
少し驚いたような、呆けたような声。
ルゴルは何も言わずに彼女を見ていた。リアは数秒の沈黙ののち、言葉を探すように口を開く。
「……あれ……ごめん、私……ちょっと変だったよな? 昨日と一昨日」
「戻ったのか」
「……ああ。なんか……いきなり全部、すとんって落ちてきた感じ」
リアは自分の額に手を当て、照れたように笑った。
「やたら記憶力のいい悪夢を見てたみたいな……妙な気分だな」
ルゴルはパンをちぎりながら、落ち着いた声で答える。
「古物に仕込まれていた防犯用の魔法だ。視覚系かと思ったが、忘却の型だったらしい」
「いやもう、ほんと、やらかした……」
リアはジャムをのせたパンをかじり、ため息まじりに言った。
「しかも記憶ないくせに、ふつーに仕事してたしね。めちゃくちゃだな」
「討伐はこなしていた。連携も取れていた」
「──そりゃまあ、体が覚えてるんだから、さ」
リアは口をとがらせ、ジャムの皿をくるりと回した。
「でも……ちょっと怖かったよ。『分からないのに自然』ってさ」
ルゴルはすぐには答えず、数秒ののちにぽつりと言う。
「……俺も、あのお前を見るのは、久しぶりだった」
「え?」
「出会った頃に近かった。……自分の判断だけで動いていた」
「……ああ」
リアは小さくうなずき、パンを一口かじった。
「──それって、あの頃と同じだけど、全然違うな」
「そうだな」
リアは湯気の立つスープに口をつけ、軽く笑った。
「……ま、いいや。記憶も無事戻ったし、笑い話ってことで。……ただ一個だけ、ちゃんと覚えておくよ。やたらに古物は開けない」
「そうだな。それは“忘れない”ようにな」
ルゴルは頷き、少し笑ってスープの湯気を吹いた。
窓の外では、通りが少しずつにぎわいを増していた。
麻袋や木箱を積んだ荷車が通り過ぎ、商人たちが朝の挨拶を交わす。
焼きたてのパンの香りの中、二人のカップがカツンと鳴る音が響いた。




