第24話 帰る場所
第24話 帰る場所
すさみの琴の滝から山を下り、再び海沿いの国道42号へと出る。
日置川に架かる大きな橋を渡り、紀伊半島の海岸線を北上すること約一時間。
景色は次第に穏やかな川沿いの風景へと変わっていった。
「ねえ、和樹。あなたをどうしても連れて行きたいところがあるの」
背中越しに聞こえた巴美の言葉に、俺はヘルメット越しに頷いた。
「いいぞ。巴美の行きたいところなら、どこへでも連れて行ってやるよ」
『郵便橋』と呼ばれる大きな橋を渡り、国道311号へと入って澄んだ富田川の流れる上流を目指す。
そして十分も経たないうちに、後ろの席の巴美がトン、トンと俺の肩を叩いた。
「ここよ! ここで停めて!」
バイクを停めたのは、通り沿いにぽつんと佇む小さな食堂の駐車場だった。
屋根には『口熊野 たまご食堂』という看板が掲げられていた。
「……まさか、巴美。お前が俺をどうしても連れて来たい場所って……」
「そうよ! ここの親子丼を食べさせてあげたかったのよ!」
「この先に有名な『うなぎ屋さん』もあるぞ?」
「わたしは鰻は食べないわ、あの見た目が……」
そして巴美は俺の手を引き、店内に入った。
運ばれてきた親子丼は、とろとろにとじられた卵の上に、さらに艶やかな卵黄がひとつ乗った豪華なものだった。
「……これ、本当は巴美が食べたかっただけじゃないのか?」
「違うわよ、いいから食べてみてよ」
卵黄を崩し、出汁の染みたご飯と柔らかな鶏肉を口の中へと運んだ。
濃密な黄身のコクと甘く優しい出汁の風味が、口いっぱいに広がった。
「本当に美味いな、これ……」
「そうでしょ? 熊野の新鮮な卵と鶏肉。海鮮もいいけど、美味しい親子丼なら毎食だって食べられるでしょ?」
「毎食は無理だけど、でも、毎日でも食べたくなる優しい味だな」
お腹が減っていたこともあり、あっという間に完食した。
店の外へ出て、満足そうにお腹をさする巴美の可愛い横顔を見て、俺は思わず微笑んだ。
「ありがとうな、巴美。美味しかったよ」
「だから言ったでしょ、あなたのためだって」
「そうか、わざわざすまないな。疑って悪かったな」
「わたしは人に嘘なんてつかないわ。……自分が嘘をつかないから、人を騙すような人も大嫌いよ」
「ああ……俺もだよ」
「そうね、本宮の大日越の『木霊』ちゃんも言ってたわね」
「……アレは違うって言っただろ、全部が本当じゃない、一部だけだって!」
「どれが一部なのかしら?」
「それは……その、あれだ。……それより、この後は白浜の街へ戻るのか?」
「ううん、このまま富田川の上流の方へ向かって」
「富田川の上流か……ああ、分かったよ」
富田川の清らかな流れに沿って国道を走り、俺たちはついにあの広い河原へと戻ってきた。
行き場を失った俺が巴美と初めて出会った……まさに同じ場所に。
もし今夜もどこかの宿に泊まることになっていたら、俺は情けなくも彼女を説得して、この旅の終わりを先延ばしにしようとしていたに違いない。
どこまでも不甲斐ないそんな俺の甘い心を、彼女はいつものようにすべて見透かしていたのだろうか。
夕暮れの冷たい川風に、髪をさらさらとなびかせる巴美の横顔を、俺は言葉を失ったまま、ただじっと見つめることしかできなかった。
「……戻ってきたわね」
川のせせらぎに混じって、巴美の静かな声が響く。
「……ああ、ここだな。ここが、俺たちのすべての出発点だったな」
俺の言葉に、彼女はゆっくりとこちらへ振り向いた。
その瞳は、夕闇の迫る川面のように深く澄んでいて、どこか遠い場所を見つめているようだった。
「……ねえ、和樹。あなたは……あの時の人?」
思わぬ問いかけに、俺は少し戸惑いながら笑ってみせた。
「何を言っているんだよ……同じ和樹に決まっているだろ?」
だが、巴美は首を横に振り、静かに俺の瞳の奥を覗き込んだ。
「……いいえ。あなたは……あの時の人じゃないわ」




