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第66話 四ヶ国の交渉卓

交渉卓に向かう前、カイルは執務室に一度だけ寄った。


 机の右端に、戦死者報告の封筒の束。春からの毎月の更新が、冬の朝には既に九通になっていた。夏の三通、秋の三通、冬の三通。——季節が一つ巡るたびに、三つずつ、積まれていく。


 今朝、カイルは束の一番上の一通だけを取って、封を切った。前月の分。北の国境守備隊の印。経緯の一行の末尾はどれも「前線哨戒中」「境界線付近の応戦」。名前を読んで、封筒を閉じた。閉じた時、束の数が指の中で一つ重くなった気がした。


 ——今朝、四ヶ国の交渉卓を動かす。動かした分だけ、来年の春に、束の厚さが違ってくる。


 カイルは封筒を束に戻し、扉を閉めた。





 冬の朝、宰相府の大会議室に、四つの机が卍の形に並べられていた。


 四方の机のそれぞれに、一つずつ、小さな旗が立てられていた。コヴァルドの鍛冶の鎚。マルカの帆船。エテルネアの双樹。アストラードの星と山脈。——旗はルッツが昨夜のうちに手配していた。形だけの旗だが、この会議室に四つの旗が並ぶのは、独立以来初めてのことだった。


 カイルはアストラードの机の後ろに立って、部屋の全体を一度だけ見渡した。レガリオンの旗はなかった。——今回は三ヶ国だけだった。レガリオンとの距離は、今年の冬の時点では、まだ旗を並べる段階に至っていなかった。


 ケルヴェンが隣に立っていた。背筋を伸ばし、眼鏡の奥の目は静かだった。外交官の立ち方だった。三兄イルヴァンから受け継いだ立ち方だった。


 「閣下。全員、到着しています。控室にいます」


 「入れてくれ」





 最初に入ってきたのは、コヴァルドの使節だった。


 鉱人族の男が二人。一人は年配の、肩幅の広い男で、白い髭を短く刈り込んでいた。もう一人は若い、帳面を持った書記官だった。年配の男は部屋に入った瞬間に、天井の高さを一度だけ見上げて、それから机に向かった。地下都市に住み慣れた者の目だった。


 「魔素精製の技術交換の件で参りました。冬が明ける前に、まとめたい」


 声は太く、短かった。鉱人族の商談は前置きがない。カイルはその声の運びに、ブランド老人の声の底の太さを思い出した。


 ロランが手元の紙を広げた。コヴァルドが求めているのは、浄化石と保存具の技術——いずれもγ経路の製品だった。引き換えに、コヴァルドは二種類のものを出す。一つは、二年前から続く魔素精製技術交換の応用工程——基本工程は既に受け取っていたが、その先の雑味を抜く高温処理は、まだ紙の上だけだった。もう一つは、閉じた鉱の加工技術。鉱人族だけが加工の手筋を持つ、魔素を通さない暗青色の鉱物。γ経路の容器も、記録石の外殻も、閉じた鉱の薄板がなければ量産できない。——これまでは完成した薄板をコヴァルドから買っていた。今後は、こちらで加工ができるようになる。γ経路の製品の内製率が一段上がる。カイルは紙の上で、γの行に並んだ品目を指で追った。——先の秋に書斎で引いた格子の、最初の一本が、今朝、交渉卓の上に降りていた。


 「条件を確認します。浄化石の図面は、標準版のみ渡します。カスタム設計は含みません。保存具は完成品の輸出です。形成炉そのものは渡しません」


 年配の鉱人族は一度だけ頷いた。頷きの速さに、交渉慣れした者の判断が見えた。


 「それでよい。我々は完成品が欲しい。図面は、我々の鉱で作れる分だけでいい」


 頷いた後で、年配の男はもう一つ、短く付け加えた。


 「それと——レガリオン方面への浄化石の販路は、我々の商団を通していただきたい。レガリオンの内陸の工業都市には、マルカの船では届かない。港までは海で、港から先は陸路が必要です。我々の陸路商団は、戦前から平野を横断する路線を持っています。——それに、貴国の名前を直接レガリオンの市場に出すのは、今の時期、色々と面倒でしょう。我々が仲介役を引き受けます。仲介料を取る代わりに、搬入の細かい調整は一本化する。貴国は、レガリオンとの外交の微妙な問題に、商売の筋で触れずに済む」


 ロランの手が、帳面の上で一瞬止まった。カイルも一度、口を閉じた。


 ——これは、貿易ルートの独占要求だった。コヴァルドがレガリオン内陸市場の浄化石流通を握りたい、ということだった。「貴国の名前を出さずに済む」の言い方で、アストラードの政治的メリットの形に包まれていた。包んだ手際は慣れていた。


 しかし、包みの下にあるのは、それだけではなかった。レガリオンとの商売の線をコヴァルド経由に一本化すれば、将来、完全独立の交渉の卓の上で、アストラードはレガリオンに直接売る手段を持たない状態で座ることになる。その時、アストラードの手の中には、コヴァルドを通さなければ動かせない販路しか残っていない。——今朝、この一言を受け入れると、来年か再来年の交渉卓の上で、アストラードの持ち駒が一つ減っている。


 カイルは、少しの間を置いてから答えた。


 「レガリオン方面の販路は、我々の側で検討中です。貴国の商団を通す案も、検討の一つとして受け取りましょう。今日は、そこまで決めません」


 年配の鉱人族の目が、ほんのわずかに細くなった。笑みではなかった。その細まり方は、「今日は通らなかった」と確認した目だった。受け入れて帳面を閉じた。


 ——今日は退けた。しかし、相手はまた来る。





 次に、マルカの使節が入ってきた。


 獣人族の女が一人、細身で動きが速かった。港町ペスカルの商会の代表だった。外套の裾に潮の匂いがまだ残っていた。


 「港湾の流通網を、温度固定箱で拡張したい。ペスカルからヴェルデンまで馬車で五日——その五日間を、鮮魚でつなげたのは温度固定箱のおかげです。これを、ペスカルから大陸南部の港町三つに伸ばしたい」


 カイルは頷いた。マルカとの交渉は、技術交換ではなく流通網の共同整備だった。アストラードが温度固定箱を量産し、マルカが港湾と船を出す。


 「——ただ、一つだけ。我々の港湾を通過する貴国の商隊には、通行料をお願いしたい。港湾整備に、これまで我々の側がかなりの費用を先行して投じてきました。その分を、通行料で埋めさせていただきたいのです。料率は、一荷につき積載価値の二分」


 カイルの頭の中で、一つの計算がざらりと動いた。——「港湾整備」を持ち出されると、過去にマルカが港を拡張した費用を、こちらが一部負担する形になる。二分という率は、大陸の標準的な通行税より少し高かった。しかし、流通網の共同整備という大きな枠の中で、断れば、温度固定箱の輸出先が一つ減る。


 誠実に向き合うのが、今朝の方針だった。港湾を先に投じた相手に、その分だけ応える——それが筋だった。


 「一分五厘でいかがでしょう。積載価値の一分五厘。——貴国の先行投資は認めます。しかし、二分は大陸標準よりやや高い。我々の側にも、量産費用の回収がある」


 マルカの女は、帳面に数字を書いた。書いた後で、一度だけ頷いた。


 「……結構です、閣下。一分五厘で」


 頷きの速さに、カイルの耳は、ほんの小さな違和感だけを捉えた。値切った側が、こちらだったはずだった。だが、彼女の頷きは、「譲った側」のそれではなかった。あらかじめ、一分五厘あたりで妥結するつもりだった頷きだった。


 ——二分を先に出されたから、一分五厘が中庸に感じられた。しかし、本来の中庸は、通行料を取らないことだったはずだった。


 カイルは、その違和感を口には出さなかった。出せる場ではなかった。ロランの筆の動きが、紙の上で一度止まっているのを、視界の端で確認した。


 ロランが一つ付け加えた。


 「閣下。もう一品、マルカに出せるものがあります。——熟成具です」


 ロランは帳面から一枚を引き出した。


 「熟成具は、酒とチーズと革の熟成時間を圧縮します。王宮醸造の百年物のワインと同じ味が、熟成具を使えば数日で量産できます。——マルカの商会が喉から手が出るほど欲しがっています」


 マルカの女は、その言葉を聞いた瞬間、帳面を閉じた。閉じたのは、メモが不要だったからだ。すでに知っていた。


 「下市街の酒場でも、もう飲めるんですって?」


 「飲めます。外交の土産にもなります。——熟成は技術ではなく、時間の問題でしたから。その時間を縮めたものです」


 カイルは口を挟まなかった。ただ、ロランの言葉の中にある一つの事実を、頭の中で一度だけ確認していた。——民衆の食卓にも、貴族の味が届くようになっている。熟成は、かつて旧貴族の家系が百年の年月をかけて蓄えた富の象徴だった。その百年が数日になる。時間という壁が消える。——消えたことを、この場にいる誰も、不自然とは感じていなかった。


 マルカの女は帳面を戻して、もう一つの品目を自分から提案した。


 「チーズの熟成も、同じ仕組みですか」


 「同じ石です」


 「うちの港から東へ四日の山の村に、三百年続くチーズの農家があります。その農家に、この石を持っていったら——何が起きますか」


 ロランは一瞬だけ間を置いた。それから、短く答えた。


 「三百年の待ち時間が消えます。味は、同じものが量産されます」


 マルカの女は、帳面に何も書かなかった。書く代わりに、一度だけ、窓の外を見た。外には冬のヴェルデンの石畳と、遠くの工房街の煙突が見えた。——カイルには、その目の奥で何が動いたかは読めなかった。読めなかったが、彼女が視線を窓から戻した時の顔は、来た時よりも少しだけ引き締まっていた。





 三番目に、エテルネアの使節が入ってきた。


 妖霊族の男が一人、細長い巻物を抱えていた。学術院の書記官だった。角がなく、銀灰の髪が長く、エリアと同じ種族の静けさを持っていた。


 カイルの後ろの列で、エリアが同席していた。今日は観察ノートを持っていなかった。代わりに、自分の成長畑の観察データをまとめた薄い冊子を一つだけ、膝の上に置いていた。


 「学術院から、正式な申し入れです。アストラードの成長畑具の効果データの共有と、植物系製品の共同研究の枠組みを求めます。——製品そのものの購入ではなく、知識の交換です」


 ケルヴェンが静かに応じた。


 「知識の交換は、アストラードも歓迎します。ただし、図面の提供は含みません。効果データと観察記録のみです」


 エテルネアの書記官が巻物を一度開き直した。


 「——加えて、学術院から、三名の若手研究員を、貴国の魔素研究機関に長期派遣する枠組みも、併せてお認めいただけないでしょうか。貴国の研究機関の中で、アストラードの方々と並んで研究を進めていただく形です。若手の学びの場として、ぜひに」


 カイルの横で、ケルヴェンの眼鏡の奥の目が、一度だけ動いた。カイルも、同じ瞬間に、言葉の下の別の形を見た。——「若手の学びの場」の言い方の下に、研究機関の内部観察の意図が透けていた。図面そのものは渡さなくても、三名の若手が研究機関の中で数年過ごせば、形成の手筋・工程・設計思想は、紙に書かれない形で自然に流れ出る。


 カイルの後ろの列のエリアが、一度だけ、膝の上の冊子の表紙に指を当てた。同族の学者の言葉遣いの中に、エリアは何かを読み取っていた。——後ろの視線の動きは、カイルにも伝わった。


 カイルは少しの間を置いてから、答えた。


 「派遣の枠組みは、今日この場では決めません。——研究機関の責任者ヴァレンと、別に時間を取ります。人数と期間と、関与の範囲は、その場で詰めます」


 エテルネアの書記官は頷いた。頷きの角度に、コヴァルドの年配者と同じ細まりが、少しだけあった。——今日は通らなかった。しかし、相手はまた来る。


 それから、書記官は一度だけ、エリアの方を見た。エリアも一度だけ視線を返した。視線の交換は短かった。だが、その一瞬で、エリアがこの国で書いた観察ノートの学術的な価値が、学術院の中で既に認知されていることが分かった。——と、同時に、今日の派遣要求がエリアの存在とは別の筋から来ていることも、エリアの視線の動きから伝わった。





 三ヶ国の使節が揃った後、カイルは一つの決定を下した。


 「記録石を、三ヶ国それぞれに、限定的に出します」


 部屋の空気が一瞬だけ変わった。ルッツの筆が帳面の上で止まった。ケルヴェンの肩が、ほんのわずかに動いた。ロランだけが、すでに知っていた顔をしていた——先週の試算の中に、この決定の数字が含まれていたからだ。


 「各国に五十枚ずつ。形成術師の技能の一部のみを封入した標準版です。カスタム石は含みません。使用回数の上限は百回。上限に達した石は、補充のために我々に返却していただきます」


 カイルの声は低かった。声の低さの中に、この言葉が紙の上の「種族不問」から外交卓の上の現実に変わった瞬間の重みが、含まれていた。


 コヴァルドの使節は即座に頷いた。マルカの使節は帳面を開き直して数字を書いた。エテルネアの使節は巻物を広げて、その欄を確認した。


 三つの頷きが、一つの部屋の中で、それぞれ別の速度で降りた。





 交渉卓が終わった後、使節たちが控室に退いた。


 カイルは大会議室に一人で残り、四つの机の配置を、しばらく見ていた。四番目の机——レガリオンの旗があるべき場所——は空のまま、壁に寄せられていた。


 ケルヴェンが戸口から一言だけ告げた。


 「閣下。レガリオンの元老院から、非公式の打診が一つ、先週入りました。——正式な使節ではありません。エテルネアの外交筋を通じた、個人の名の書簡です。内容は、春に改めてご報告します」


 カイルは頷いた。四番目の旗は、まだ立てない。だが、四番目の机は、部屋の中に置いてある。——来年の春の話だった。





 夕方、アルブレヒト邸に戻ると、食堂でレオがラウルの肩を押していた。按摩だった。ラウルは食卓の上に突っ伏して、眼帯の下の左目だけで、机の上の紙を見ていた。紙には、設計途中の図面の断片が描かれていた。按摩されながら設計を進めている男だった。


 リーネが台所からカイルの分の椀を運んできた。


 「カイル兄、今日の会議はどうだった?」


 「三つの旗が並んだ」


 「四番目は?」


 「来年の春」


 リーネは少しだけ笑った。「来年の春」という言葉の中に、兄が安心していることを読んだらしかった。


 エリアが食卓の隅に座って、薄い冊子を開いていた。今朝、交渉卓で膝の上に置いていた冊子だった。冊子の表紙に、「成長畑具効果データ——エテルネア学術院共有用抄本」と、エリアの細い字で書かれていた。


 「カイルさん」


 「ああ」


 「今朝の学術院の方が、帰り際に一つだけ、仰っていました。——『この国の畑の土は、百五十年前に見た記録の土と、何かが違う。違いが何なのか、この方の観察が教えてくれるかもしれない』と」


 エリアは冊子を閉じた。閉じた時の手の動きには、北門で初めてノートを閉じた春の朝と同じ動きが、少しだけ残っていた。





 夕食の後、宰相府に戻った時、ケルヴェンが廊下で一人で待っていた。


 「閣下。差し出がましいことを、一つだけ申し上げてもよろしいですか」


 ケルヴェンの声は、普段より半拍だけ長く置かれていた。言葉の前に置かれた半拍は、イルヴァンの声と同じ間合いだった。


 「続けろ」


 「今朝の交渉卓で、マルカの一分五厘の件です。閣下の対応は筋が通っておりました。誠実でした。——ただ、イルヴァン殿下でしたら、あの場では、おそらく別のやり方をされていたと思います」


 カイルは、廊下の石の冷たさを、一度だけ足の裏に感じた。


 「……続けてくれ」


 「殿下でしたら、マルカの二分の要求には、まず応じられなかったと思います。要求を値切るのではなく、要求そのものを置き直すやり方でした。——たとえば、通行料そのものを認めず、代わりに、量産した温度固定箱の輸出本数を相手側の港湾拡張費用に充てる、という組み替えです。金を払う形ではなく、物で置き換える。物で置き換えると、相手は値の話ができなくなります。値の話に乗ると、その時点で向こうの土俵に降りている、と、殿下は何度か仰っていました」


 ケルヴェンの指が、自分の上着の袖口を一度だけ整えた。


 「——これは、私の意見ではありません。殿下のやり方を、記憶の通りにお伝えしただけです。今朝の閣下の判断を責めているのではありません。ただ、次の交渉卓で、もし同じ形が来た時に、別のやり方もあるということだけ、今夜お耳に入れておきたかったのです」


 ケルヴェンは一礼して、廊下の奥へ戻ろうとした。戻る時、眼鏡の奥の目は下を向いていた。自分の言葉を、自分の口から出したことに対する、わずかな躊躇いが、歩く速さの中に混じっていた。


 「ケルヴェン殿」


 カイルは呼び止めた。ケルヴェンが止まった。


 「助かった。——また、気づいた時に、伝えてくれ」


 ケルヴェンは、今度は振り返らずに、一度だけ頷いた。頷きの角度に、長く抱えてきた何かを、もう一度静かに下ろした動きが、一瞬だけ見えた。それから、廊下の奥へ消えた。


 カイルは一人、廊下に残った。——二分を一分五厘に値切った時、自分は確かに相手の土俵に降りていた。降りていることに、交渉卓の最中には気づけなかった。気づけなかったことに、今、気づいた。


 三兄イルヴァンの声は、もう聞けない。


 幼いカイルの名前を、そのまま名前として呼んだのは、王家の中では二人だけだった。次兄レイグと、三兄イルヴァン。父ヴェルディンは、カイルを呼ぶこと自体が稀だった。長兄セルヴァンは「末弟」と呼んだ。他の兄妹の呼び方の記憶はもう薄い。確かに残っているのは、レイグとイルヴァンの声だけだった。


 レイグは高原の夜にカイルを連れ出して、星と地脈の光を見せた。肩に大きな手を置いて、「見てみろ」と言った。声が大きくて、王宮の廊下によく響いた兄だった。


 イルヴァンは違う兄だった。声が低く、言葉の前に半拍の間を置いた。外交官として各国を歩いた男の声だった。処刑の朝の牢で、カイルに「お前が来てくれて良かった」と言った声が、カイルの耳にまだ残っていた。


 レイグは前線で死んだ。イルヴァンは占領軍の処刑台で死んだ。二人とも、今は声を聞けない。名前を呼ぶ声も、もう、どこにも残っていない——はずだった。


 しかし、イルヴァンの声を覚えていた男が、今、この廊下にいる。ケルヴェンの声の半拍の間合いは、イルヴァンの声の間合いそのものだった。今朝の卓の上で、カイルはイルヴァンの一拍を借りそこねた。次の卓の上では、借りられるかもしれない。——借りた時、兄の声が半分だけ、この廊下の外の世界で、もう一度働く。





 夜の書斎で、カイルは今日の交渉卓の結果を一枚の紙に整理した。


 コヴァルド——浄化石・保存具の輸出、魔素精製の応用工程と閉じた鉱の加工技術の受入。レガリオン内陸販路の独占仲介要求は保留。

 マルカ——温度固定箱の量産輸出、流通網の共同整備、熟成具の追加。通行料一分五厘(要再検討)。

 エテルネア——成長畑具の効果データ共有、知識の交換。研究機関への若手派遣要求は保留。

 レガリオン——非公式打診あり。春に再。


 紙の一番下に、もう一行だけ書いた。——「記録石、五十枚ずつ。三ヶ国。標準版。使用回数上限百回。返却制」。


 その一行は、今日、紙の上の数字から、三つの国の手の中に入った。γの道の上にある石が、今夜、初めて、大陸の別の場所で光り始める。


 その右側に、もう二行、小さく書き足した。——「コヴァルド:独占要求、また来る」。「エテルネア:派遣、また来る」。そしてマルカの行の「通行料」の横に、ケルヴェンの廊下の声を思い出しながら、一言だけ添えた。——「物で置き換える」。


 カイルはペンを置いた。三ヶ国の要求には、それぞれ別の形の裏があった。一つずつに、別のやり方で応えなければならなかった。誠実に全てに応えるだけでは、相手を強くする。——今夜、初めて、その形が体で分かった。


 窓の外で、冬の風が千年の木の裸の枝を揺らしていた。明朝、執務室の右端の束には、また一通、新しい封筒が届く予定だった。交渉が一季節遅れるたびに、束の厚さが変わる。今朝受けた九通が、次に手に取る時には十通になる。

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