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第53話 離陸

独立四年目は、駆け足で過ぎた。





 年の初め。


 ルッツが三年間の生産実績をまとめた報告書を、オルデンの机に置いた。


 数字が物語っていた。


 成長畑具——一年目の年間生産六十二個が、三年目には月産百八十個。年間では二千個を超えた。高原の主要な農村のほぼ全てに行き渡り、余った分はランメルトやオストーフの周辺農村にまで届いている。飢えが、この国から遠のき始めていた。


 浄化石——一年目の年間二百三十個が、三年目には月産六百個。新型の浄化石は水路全体に作用するため、村に一つ置けば村全体の水が清潔になる。高原の主要な集落の八割で、煮沸なしの飲料水が手に入るようになった。


 魔素造形炉——一年目の年間二十八台が、三年目には月産百二十台。魔素造形師の総数は百二十名を超え、ヴェルデンだけでなく、ランメルト、オストーフ、さらに遠方の小さな町にまで工房が広がった。出張修繕の魔素造形師が馬に乗って農村を回り、戦災家屋の壁と屋根を直している。修繕済みの家屋は累計で五百棟を超えた。並行して、第一工場の魔素形成師——量産ラインを担う側の職能——も七十名を超えた。造形と形成、二つの職能が同じ速度で広がっていた。


 保存具——三年目の年間生産は二千四百個。メルケンの流通網に乗って、保存具入り木箱がアストラード全域と周辺国を結んでいる。ヴェルデンの市場には毎日、四つの方角から行商人の馬車が到着する。


 記録石——量は少ないが、影響は最も大きかった。ヴァレンが刻んだ記録石は五十個。だがその五十個が、百二十名の魔素造形師を生んだ。並行して、ヴァレンの弟子と技術者たちの手で、三千個以上の製品が作られ、国の各地に配られた。一つの石が、人を育て、別の手が製品を作り、二つの流れが暮らしを変えた。


 ルッツが数字を読み上げた後、こう言った。


 「全品目、当初計画の三倍以上です。ヴェラリオスの手稿から導かれた設計改良と、記録石による技術伝達の二つが、同時に効いています」


 オルデンは数字を見た。少しだけ微笑んだ。四年間で、見たことのない種類の微笑みだった。口元ではなく、目の奥が緩んだ。一瞬だけ。





 年の中盤。


 メルケンの予告通り、各国からの接触が商業ルートから外交ルートに移行した。


 コヴァルドの深鉱議会が正式な使節団の派遣を通知した。先行した商人との技術交換の枠組みを、政府間の正式な協定に格上げしたいと。マルカ諸国連合の複数の都市国家が、交易条件の包括的な協議を求めた。保存具入り木箱がマルカ全域で流通し始め、「アストラードの技術を独占的に扱えないか」という関心が高まっていた。エテルネア学術院が、技術交流と知識共有の提案を送ってきた。記録石の存在を知ったらしい。レガリオン本国元老院が、「大陸情勢の安定に資する包括的協議」を求めてきた。曖昧な表現だが、要するに「お前たちの技術が気になり始めた」ということだった。


 四ヶ国が、ほぼ同時に動いた。この国の技術が欲しい。あるいは、この国の技術を理解したい。あるいは、この国の技術を脅威と見なし始めた。動機は違うが、行動は同じだった。





 コヴァルドの老使節ボルガンは、交渉の合間に古い伝承を語った。


 「我らの祖は、山より大きかった」


 メルケン商会の地図の余白に書かれていたのと同じ言葉を、外交の場で聞いた。鉱人族の老人の口から出ると、地図の余白の文字とは重さが違った。ボルガンは百八十歳を超えていた。地上の空気が合わないらしく、交渉の合間に軽く目を閉じて疲労を押さえていた。


 「種族の秘密は、守る時代と開く時代がある。アストラードが技術を開き始めた今、我々も考えねばならぬ」


 ボルガンは少しの間を置いた。


 「我らの議会は深度で動く。最深部は遠征軍を持ち、上層は商人を持つ。——本日この席に来たのは、商人の代である」


 エテルネアの使節アリシェンは、交渉の後、オルデンに個人的な挨拶をした。妖霊族特有の透き通った声で。


 「オルデン卿。貴殿はそれを——敗戦の瞬間から描いておられたのですね」


 「描いておりました」


 「誰にも言わずに」


 「誰にも言わずに」


 アリシェンは微笑んだ。「我々エテルネアは、敗戦の少し前から、貴殿を観察しておりました。今日、ようやく全容が見えました。貴殿の忍耐を、尊敬いたします」





 広場の北、霞んだ稜線の向こうに、まだ前線があった。志願兵がコヴァルドの兵と対峙している国境線。今日この席で握る手と、そこで止まない銃声は、別の路線として並行していた。


 国交回復の調印は、自然な帰結として行われた。四ヶ国同時調印。宰相府の正面広場。


 カイルは書記として同席し、交易条件の経済面を自分で交渉した。何を売り何を売らないか。関税の設定。技術情報の共有範囲。信用の構築。各国ごとに条件が違う。コヴァルドには魔素精製との技術交換。マルカには流通網の共同整備。エテルネアには学術交流の枠組み。レガリオンには——慎重な距離の維持。


 調印の場で、オルデンが初めて語った。


 「四年前、独立は不完全な形で合意された。それは意図的だった」


 広間が静まった。四ヶ国の使節が、全員、オルデンを見た。


 「技術立国の基盤が整い、各国から必要とされる国になってから、完全独立を取る。技術関連の条件——地脈権、技術者の保護——だけは、あの時、一歩も譲歩しなかった。今日、その選択が報われた」


 カイルはこの言葉を記録した。四年前の独立交渉の意味が、今日、全て繋がった。なぜ不完全な独立を受け入れたのか。なぜ技術だけは譲らなかったのか。ヴェラリオスの手稿を基盤に技術を育て、技術で国を立て、国を立てた上で完全独立を取る——その全容が、初めて語られた瞬間だった。


 広間に拍手が広がった。四ヶ国の使節が頷いた。オルデンの忍耐を称えるように。


 カイルの筆は止まらなかった。止めてはいけない。だが、記録する手の下で、別の重さが動いていた。志願兵として、この国から出ていった若者たち。技術を育てる時間を買うために、レガリオンに差し出した若者たち。今日、この広間で「報われた」と語られたものの足元に、帰らない若者たちが埋まっている。


 報われた。その通りだった。だが報いの代価を払ったのはオルデンではない。名前も知らない若い竜人たちだった。彼らの血で時間を買い、時間で技術を育て、技術で独立を勝ち取った。今日の拍手の一つ一つの下に、異国の戦線で倒れた誰かの息子がいる。


 筆が震えた。一瞬だけ。すぐに直した。





 調印の後、アルマンが帰還の挨拶に来た。レガリオン本国からの連絡官としての任務が終わった。


 「カイル殿下。連絡官の任務は、今日で終わりです」


 口髭が少し白くなっていた。執政官として着任した時は五十五歳だった。あれから十年。今は六十五。人間族の十年は、竜人の十年より重い。


 「アルマン殿。長い間、ありがとうございました」


 アルマンは少し笑った。それから、カイルの角に一瞬だけ視線が留まった。昔からの癖だった。本人は気づいていない。


 「若い王子。——いや、もうそうは呼べないな」


 初めて、呼び方を変えた。


 「この国は、四年で変わりました。私が来た時には——正直なところ、何もなかった。壊れた壁と、痩せた畑と、仕事のない人々」


 アルマンは窓の外を見た。ヴェルデンの街並みが見える。魔素造形師の工房の看板が並ぶ通りと、市場に集まる人の群れ。


 「今は、私の本国が羨む国です」


 善意だった。最初から最後まで。この男は竜人を「君たち」と呼び、レガリオンの食事しか食べず、角を見る時に無意識に視線が留まった。善意で支配し、善意で去る。その善意を、カイルは最後まで憎めなかった。憎めないことが、占領の一番重い部分だった。


 「レガリオンで紹介状を書いていただいた方々に、よろしくお伝えください」


 カイルが言うと、アルマンは少し驚いた顔をした。


 「——ああ。会いに行ったのか。それは良かった」


 嬉しそうだった。自分の紹介が役に立ったことが、純粋に嬉しいのだ。この男はそういう人間だった。


 「息子が、今年から元老院の書記官になりました」


 唐突に言った。アルマンの息子は、カイルの人間換算の年齢と近かった。会ったことはない。だが、この男が時折カイルに見せた妙な親しみの正体が、今、分かった気がした。


 「おめでとうございます」


 「ありがとう。——遠くから、祈っております」


 アルマンの背中が、宰相府の回廊の向こうに消えていった。軍靴の音が規則正しく遠ざかっていく。善意を持ったまま本国に帰る男。この男が去っても、この男が作った制度と、この男が持ち込んだ言葉と、この男の善意が残した傷は、残る。


 カイルはその背中が見えなくなるまで、立っていた。





 その日の夜、カイルはアルブレヒト邸に戻った。


 調印の興奮も、アルマンとの別れの言葉も、まだ体の中に残っていた。歩いて中市街まで戻る道で、それらを少しずつ薄めようとした。だが完全には薄まらなかった。家の門を開けた時、まだ全部を体に抱えたままだった。


 食堂の窓から、灯りが漏れていた。


 席につくと、四人分の食事が並んでいた。


 「今日、何か特別なことがあった?」


 ミレナがカイルの顔を見て聞いた。


 「……どうしてだ」


 「顔が、少しいつもと違う」


 カイルは茶碗を手に取った。


 「四ヶ国と、調印した。国交が、正式に回復した」


 「あら」


 ミレナはそれだけ言った。それ以上は何も聞かなかった。聞かないことが、ミレナのお姉さんとしての仕事だった。リーネが代わりに身を乗り出した。


 「それって、すごいこと?」


 「すごいことだ」


 「すごく、嬉しい?」


 カイルは少し考えた。


 「……すごく、嬉しい。だが、嬉しいだけではない」


 リーネは頷いた。何かを察したらしい。それ以上は聞かなかった。


 ラウルが箸を止めた。


 「俺、最近、新しい設計を始めた」


 話題を変えた——いや、ラウルにとっては話題を変えたわけではなかった。彼の頭の中では、調印もアルマンも、彼の新しい設計と同じ場所に並んでいた。


 「何の設計だ」


 「次の保存具。今のより、もっと長く、もっと遠くまで」


 「どのくらい」


 「保存期間は四倍。それと、もっと小さくできる」


 「……四倍」


 カイルが箸を止めた。


 「うん」


 「いつできる」


 「分からない。でも、できる」


 ラウルはまた箸を動かした。


 ミレナが小さく笑った。


 「ラウル、あんたは食事中も設計してるね」


 「うん」


 「悪くないよ」


 リーネが思い出したように言った。


 「あ、そうだ。今日、下市街の子供がね、新しい言葉を覚えたの」


 「何」


 「『海』。海を見たことがないのに、海って言葉を覚えた。保存具で運ばれてくる魚の話を聞いたんだって。子供が『海ってなあに』って。私は『大きな水よ』って答えた。子供は『水なのに、塩辛いの?』って」


 リーネは少し笑った。


 「下市街の子供たちが、海を知らないまま、海の言葉を覚えてる。変な感じ」


 ミレナが頷いた。


 「『海の魚』を食べたことがある子供は、それでも、親よりは幸運。親は『海の魚』の存在さえ知らないままで生きてきた」


 カイルは食事の手を止めた。


 四人の食卓に、調印の重さと、アルマンの善意と、ラウルの新しい設計と、リーネの「海ってなあに」と、ミレナの「親は知らないままで生きてきた」が、同時に並んでいた。


 全てが、繋がっていた。だが、繋がっているとは誰も言わなかった。言わなくても、繋がっていた。


 ラウルが「俺、設計に戻る」と言って、皿を持って離れに帰った。


 ミレナが食器を片付け始めた。リーネが手伝った。


 カイルは食堂に残った。窓の外に、千年の木の枝が見えていた。葉が、夜の風で揺れていた。今日の調印の場面が、頭の中で少しずつ薄れていった。完全には消えなかった。だが、薄れた。


 食堂の床に、油の灯りが揺れていた。





 年の終わり。


 ルッツが四年間の志願兵の総数を報告した。


 「独立一年目から四年目まで、志願兵登録者の総計——四千二百三十六名です」


 紙の上の数字を、カイルは読んだ。四千人以上の若い竜人が、四年間で、この国から出ていった。戦死が確認されたのは百八十二名。行方不明が三百名以上。帰還したのは六百名余り。残りの三千名近くは、まだどこかの外国の戦線にいる。


 オルデンに報告した。


 オルデンは数字を見て、長く沈黙した。


 「——そうか」


 それだけ言った。四千二百三十六。百八十二。三百。全ての数字に顔があった。全ての数字が、誰かの息子であり、誰かの弟であり、誰かの友人だった。


 この四年間で、この国は変わった。井戸が光り、市場が広がり、畑が実り、壁が直り、新しい職業が生まれ、他国が技術を求めて訪ねてくるようになった。農民の女房が林檎を食べて泣くほど、暮らしが変わった。だがその同じ四年間に、四千人以上の若者が消えた。消えた若者の血の上に、この国の変容が乗っている。





 その夜、カイルが茶を運んだ。


 オルデンが茶碗を持ち上げようとした時、手が震えた。一瞬ではなかった。数秒間、続いた。茶碗の中の液面が揺れ、少しこぼれた。


 オルデンは茶碗を置き直した。


 「——年を取った」


 静かに言った。笑ってはいなかった。事実を確認する声だった。


 カイルは何も言わなかった。だが見た。百八十歳に迫る手が、茶碗一つを持ち上げられなかった。四年前には震えなかった手が。二年前の襲撃の夜、浅い刀傷を負った右腕。その浅い傷が引き金になって、老いが一気に前に出た。医師は「浅い傷でも長く治らぬ年齢だ」と言っていた。その医師の言葉を、カイルは後から何度か思い出した。浅い傷だった。だが二年経っても、震えは戻らなかった。


 その夜、初めて、オルデンの身体の変化を記録の紙に書き留めた。書くべきかどうか迷った。だが、記録することが、カイルの仕事だった。





 翌朝、オルデンが言った。


 「二週間ほど、留守にする」


 カイルは耳を疑った。四年間、一日も宰相府を空けなかった男が、初めて長期の不在を口にした。


 「行き先を、お聞きしてよろしいですか」


 オルデンは少し間を置いた。


 「ラグリスの共同墓地に。エマヌの墓がある。それから——高原の東の麓に、大戦の戦没者の碑がある。レイグ殿下と、彼の兵たちの名が刻まれている碑だ」


 カイルの指先が冷たくなった。レイグの名が、オルデンの口から出たのは初めてだった。


 「それから、ヴェルデンの南門の外に、占領期に亡くなった民間人の追悼碑がある。名前のない碑だ。知っているか」


 「——はい」


 「最後に、志願兵の遺族を何軒か回る。名簿をルッツに出してもらった。戦死確認が出た者の家だ」


 オルデンは外套を手に取った。正装ではない。灰色の、地味な外套。


 「国交回復と完全独立の功績で、私は各国から忍耐を称えられた。——だが、忍耐したのは私ではない」


 カイルは何も言えなかった。


 「留守の間、宰相府はお前に任せる。判断に迷ったら、ルッツに相談しろ」


 初めてだった。決裁権をカイルに預けるのは。


 オルデンは振り向かずに出ていった。灰色の外套の背中が、朝の光の中を歩いていった。百八十歳に迫る足取りで。昨夜、茶碗を持てなかった手で。


 カイルはオルデンの机に座った。座ったことのない椅子だった。座面がすり減っていた。四年間の重さの跡だった。

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