01.夢の始まり(1夜目)
春の匂いは嫌いじゃない。けれどそれは、本来なら「何かが始まる季節」であるはずなのに、俺にとってはただ「何も始まっていない現実」を突きつけてくるだけだった。
「はぁ……」
大学のキャンパス。人の流れに逆らうように歩きながら、俺——**東雲 湊**は、スマホの画面を何度も見直していた。
就活サイトの通知、テンプレみたいな企業紹介ばかり。
「……終わってるな、マジで」
四年生。単位はギリギリ。卒業は、正直怪しい。
その上、内定は一つもない。
周りはというと、もうほとんど決まっている。ゼミの連中も、バイト先の後輩ですら「来年から社会人なんで」とか言っている始末だ。
「なんで俺だけ……」
言いかけて、やめた。
理由なんてわかっている。
逃げてきたからだ。
レポートも、面接も、全部「あとでやる」で先延ばしにしてきた結果がこれだ。
「湊!」
後ろから声をかけられて、振り向く。
「またため息ついてる」
そこに立っていたのは、同じゼミの**篠崎 由奈**だった。肩まで伸びている髪を揺らしながら、呆れたように笑っている。
「いや、別に……」
「別にじゃないでしょ。顔に“人生詰んだ”って書いてある」
「そんな顔してる?」
「してる。すごく」
即答だった。
ぐうの音も出ない。
「で? 面接どうだったの、この前の」
「……落ちた」
「うん、知ってた」
「おい」
少しムッとすると、由奈は肩をすくめた。
「でも、まだ四月でしょ? これからじゃん」
「いや、もう遅いって。周り見ろよ」
「周りは周り。湊は湊でしょ」
その言葉は、優しいのに、妙に重かった。
「……そういう問題じゃないんだよ」
声が少しだけ低くなる。
「単位も足りてないしさ。最悪、留年だし」
「あー……」
さすがにそれは、由奈も言葉に詰まった。
少しの沈黙。
春の風が、二人の間を通り抜ける。
「……まあ、でもさ」
やがて由奈は、いつもの調子に戻るように言った。
「死ぬわけじゃないし」
「いや、精神的には死ぬ」
「大丈夫大丈夫。湊、図太いから」
「それフォローになってる?」
「なってるよ。たぶん」
くすっと笑う。
その笑顔に、少しだけ救われる自分がいるのが、悔しかった。
「……ありがと」
「どういたしまして」
軽く手を振って、由奈は去っていった。
その背中を見送りながら、俺はもう一度、ため息をついた。
——帰ろう。
もう今日は何もやる気が起きない。
⸻
夜。
ワンルームの部屋は静まり返っていた。
机の上には、開きっぱなしのノートと、途中で止まったままのエントリーシート。
パソコンの画面には、「志望動機」の欄が空白のまま残っている。
「……無理だろ、こんなの」
誰に言うでもなく呟く。
志望動機なんて、ない。
やりたいことも、ない。
ただなんとなく生きてきた結果が、これだ。
ベッドに倒れ込む。
天井を見上げる。
「……もういいや」
考えるのをやめると、急激に眠気が襲ってきた。
まぶたが重い。
意識が沈んでいく。
——その時だった。
ふと、妙な感覚がした。
落ちる。
深く、暗い場所へ。
まるで底なしの穴に吸い込まれるような——
「……え?」
次の瞬間、視界が開けた。
夜じゃない。
天井もない。
代わりに広がっていたのは——
「……は?」
青い空。
見たこともないほど鮮やかな、透き通るような青。
その下には、石造りの街並みが広がっていた。
人々は、見慣れない服装をしている。
革の鎧。ローブ。腰に剣。
「なんだよ、これ……!?」
混乱する頭のまま、自分の手を見る。
そこには、見慣れない装備があった。
革の手袋。粗末な短剣。
服装も、いつものパーカーじゃない。
「……夢?」
そう呟いた瞬間——
「おい、新人!」
背後から声が飛んできた。
振り向くと、いかにも「冒険者」って感じの男が、ニヤニヤしながら立っている。
「ぼーっとしてると死ぬぞ。前見ろ!」
「……は?」
男は顎で前を指した。
そこには、森が広がっている。
ざわり、と木々が揺れた。
次の瞬間——
「グルルル……」
低い唸り声。
「っ……!?」
茂みから現れたのは、犬のような、でも明らかに普通じゃない生き物だった。
赤い目。
鋭い牙。
「ウソだろ……」
足がすくむ。
心臓が、異常な速さで脈打つ。
「ほら来たぞ! 構えろ!」
男の声が響く。
構えろって言われても——
「無理だろこんなの!!」
叫んだ瞬間、その生き物は地面を蹴った。
一瞬で距離を詰めてくる。
「うわっ——!」
咄嗟に腕で防ぐ。
鋭い衝撃。
そして——
「っっ……!?」
焼けるような痛みが、腕を走った。
「ぐっ……!!」
視界が揺れる。
血が、見えた。
「は……?」
夢、だろ?
なのに、なんでこんなに——
痛い。
その違和感が、恐怖に変わる前に——
視界が暗転した。
⸻
目を覚ました時、俺は自分の部屋のベッドにいた。
「……はぁ、はぁ……」
荒い呼吸。
全身に汗。
「なんだよ……今の……」
夢。
そう、夢だ。
リアルすぎる夢。
そう思おうとした、その時——
「っ……!?」
右腕に、ズキッとした痛みが走った。
恐る恐る袖をめくる。
そこには——
「……は?」
浅く、しかし確かに刻まれた、引っかき傷があった。
「……なんで、だよ」
夢のはずなのに。
夢で受けた傷が、現実に残っている。
「……ウソだろ」
呟きながら、俺は震える手でその傷に触れた。
べっとりと張り付くような赤色。
確かな痛み。
現実の感触。
——その夜を境に。
俺は、“夢”を、何度も見るようになる。
剣と魔法の世界。
そして、現実を侵食してくる——夢。
この時の俺はまだ知らない。
初めまして、ペットボトルの蓋です。
初投稿、初作品です!
よろしくお願いいたします。




