再会の季節 その1
朝の通勤・通学ラッシュを終えた列車内は人もまばらで、席を自由に選んで座ることができる。ガタン、ゴトン。規則的で心地いい小刻みなリズムが、私をまどろみの世界へと連れて行こうとする。帰りと違って行きは終点の駅まで乗っておけばいいから、眠ってしまっても構わない。この春から大学3年生になった私は、去年までよりもゆとりを持った時間割を組むことができた。入学当初は毎日朝一番の時間帯に必修科目があって、強制される早起きが体力的にきつかった。今は午後から大学へ行く曜日もあって、落ち着いたキャンパスライフを送っている。
瀬戸大橋を通過した辺りで、携帯がメールの着信を知らせる。開いてみると、待ち合わせをしている美幸からだった。
いつもの場所にいるから。
たった一文だけが画面に映し出されている。了解、と私も短い言葉で返事をする。
大学の敷地内にある駐輪場を通り過ぎ、カフェスペースが入った白い建物を目指す。ここは学生数がそれほど多くないのに敷地はやたらと広くて、建物が点在してしまっている。雨の日に渡り廊下で繋がっていない建物を移動する時は不便で仕方がない。
ガラス扉を押して入ると、授業までの空き時間を過ごす学生であふれていた。「いつもの場所」と言っても指定席があるわけではなくて、一通り見回して彼女を見つけないといけない。
いた。窓際の二人がけのテーブル席に彼女の姿があった。実は彼女を見つけ出すのにはそれほど苦労しない。いつも2つに分けて三つ編みにしている長い黒髪が目印だ。存在感があるというか、正直に言うと目立つ。彼女の三つ編み姿はものすごく似合っているのだけれど、大学生で三つ編みをしている女子を私は彼女以外に知らない。私の髪も三つ編みを余裕でできるくらい長いけれど、実際にやる勇気はない。
「美幸、おはよう」
向かいの席の前まで来たところで声をかけると、彼女は読んでいる本から顔を上げずに独り言のようなトーンで返事をよこす。
「おはよう。今、キリが悪いから、ちょっと待ってて」
「うん」
私の声が届いたのかは分からないけれど、とりあえず向かいにに座ってバッグからお菓子を取り出す。今朝はなんやかんやで朝ご飯を食べ損ねてしまった。
「あ、私にも1枚ちょうだい!やっぱりクッキーはチョコチップが一番だよね」
本を読み終えた美幸が、いいよとも言っていないのに手を伸ばしてくる。仕方なく1枚手渡すと、美味しそうに頬ばる。
「今は何読んでるの?」
脇によけられた分厚い本には深緑のレザー調のカバーがかけられていて、タイトルは見えない。カバーはもう何年も使っているもので、ほどよく使用感がある。
「この前出たばっかりのミステリーの新作」
「ああ、よく読んでる作家さんのやつ?本屋の入り口で見かけたよ」
「そう、それ。いっつも最後まで犯人分からないんだよねー」
彼女が2枚目のクッキーに手を伸ばしていることに気付いたけれど、何も言わないでおいた。
「そういえば、明日発売のくじ、引こうか悩んでるんだけど、奈月はどうする?」
「んー、どうしようかなあ。ぬいぐるみは可愛いけど、ステッカーとかは要らないしね」
「たしかに。でも、ぬいぐるみ欲しいなー。なかなか当たらないだろうけど」
そうだよね、と返しながらちらりと壁掛け時計を見やる。
「そろそろ行く?」
「うん。その前にトイレ行ってくる」
彼女が立ち上がって、くるりと背を向けて歩き出す。三つ編みがゆさゆさと揺れ、なんとなく編み目の数を数えながら彼女を見送る。テーブルに置いていかれた本が窓から差し込む光に照らされている。忘れないで、とアピールするかのようにやけに眩しく映った。
授業を終えて家に帰ると、お母さんが勢いよく玄関に走ってくる。
「いいところに帰ってきた!ちょっと買い物行ってきてくれない?」
「え!?今帰ってきたばっかりなんだけど」
「そんなの分かってるわよ。テレビでやってたんだけど、コンビニで期間限定のスイーツが出てるの、抹茶のやつ!お母さんが抹茶好きなの知ってるでしょ」
「そりゃ知ってるけど、明日にしてよ。今日で終わるわけじゃないんだろうし、私疲れてるもん」
「しょうがないわねえ。じゃあ明日よろしくね」
そう言いつつ、お母さんはかなり不満そうな顔をしている。
「明日は大学ないから午前中に行ってあげる。その代わり、朝起こしてね。あと、ホットサンド食べたい」
「分かった!ありがとー」
早めに買いに行ってもらえるということで、彼女の機嫌はすぐに直った。まさかとんでもない時間に起こされないよね。心配になりながらも、何も言わずに自分の部屋へ入った。
次の日。カーテンが勢いよく開けられてレースの方も一緒に引っ張られたせいで、直射日光がもろに顔へと降り注ぐ。
「起きなさいよー。ホットサンド、あと焼くだけだから」
言いながら、掛け布団を剥がされる。まだ眠いけれど、目をこすりながらなんとか起き上がる。
「おはよう。今、何時?」
「8時よ。そんなに早くないでしょ。ホットサンド、もう焼き始めるよ」
そう言って、お母さんがパタンと扉を閉める。私はベッドから立ち上がり、真っ先にレースのカーテンを閉める。8時か。まあギリギリ合格ラインかな。
着替えてからリビングに入ると、卵とケチャップが焼けるいい匂いが漂ってくる。匂いに誘われるように席に着く。テレビからは天気予報が流れてくる。今日は夕方から雨が降るそう。午前中に用事を済ませるのが正解だ。
「はい、お待たせ」
お母さんが三角に切り分けたホットサンドを持ってきてくれる。出来立てで、湯気が上がっていて美味しそう。すぐに食べ始めたいところだけれど、今食べたら絶対に火傷する。
「もう1枚いる?」
「うん」
やっと食べ始めた頃にもうおかわりの注文を聞かれる。即答してしまったけれど、食べ切れるかな。お母さんのホットサンドは千切りキャベツも入っていて結構ボリュームがある。
「余ったらお母さん食べるから、もう焼いちゃうわよ」
「……はーい」
私の心を見透かしたような言葉に、口に入れた卵をこぼしそうになる。
「ジュース、りんごとオレンジどっちがいい?」
お母さんが自分のコーヒーを運びながら尋ねてくる。目の前にコーヒーのいい香りが広がる。
「じゃあオレンジ」
2切れ目のホットサンドを口に運びながら答える。
「そうそう、お父さん、ゴールデンウィークには帰ってくるって」
お母さんがジュースを私の前に置いて椅子に座る。
「そっか。お父さん帰ってくるの、半年ぶりくらいかな」
「たぶん。よく覚えてないけど」
お父さんは仕事で長期出張が多いというか、家にいる方が少ないから単身赴任に近い。日本各地を転々としていて大変そうだけれど、本人は空いた時間で観光もできるし楽しいよと言っている。
「あ、そうだ。今日出かける時にポストに出しといてくれる?お父さん宛のハガキ。出そうと思ってすっかり忘れてたわ」
「うん、分かった」
お父さんはメールよりも手紙の方が好きで、定期的に出張先から手紙で近況を知らせてくれる。お母さんもそれに付き合う形でメールではなくハガキで簡単な返事を送っている。
今どき珍しい夫婦だなあ。
「何?あんたもコーヒー飲む?ブラックしかないけど」
無意識にお母さんの方を見ていたらしく、お母さんと目が合った。
「ううん。ブラック苦いもん」
「そうよねえ。奈月はまだ味覚がお子様だもんねー」
お母さんがいたずらっぽく笑う。本当のことだから言い返せない。
「さあ、お母さんは約束守ったんだから、ちゃっちゃと食べてコンビニ行ってきてよ」
「はーい」
かじりかけのホットサンドを口に放り込み、勢いよくジュースを飲み干す。果汁100%のオレンジジュースが思ったより酸っぱくてむせそうになるのを必死でこらえた。




