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5.1.2.北海岸の決斗

童子「私はこの地を守護しておりました鎮北軍の滅びる(さま)をこの目に見ました」


 アライソの隣で石のように座っていた彼が言った。


童子「そして北方守護大将、(サナキ)将軍の最期もまた。


 北方にも龍が来たのです。東方では青龍、南方では赤龍、西方では白龍が来たと伺いましたが、此処へ来たのは黒い龍、闇夜もかくやと思われる、闇そのものの黒い色、地の底よりも冬の至りよりも黒い龍でありました。


 ちょうど今のように水平線は黒一色に染められて、闇が滲んでおりました。そしてその蛇のように長い闇が波打ち、うねり、暴れ出したかと思うとそれは龍へと姿を変じ、空と海とを荒らしながらこの陸地へと向かって来たのです。


 北方軍は冷厳にて峻峭(しゅんしょう)たり。油断の隙は針一本もありません。厳峻なるサナキ将軍に率いられし鎮北軍は、千年に一度の怨敵の、その襲撃に臨んでも、一糸(いっし)の動揺も生じませんでした。


 迫る黒龍に際しては、岸辺いっぱいに弓兵を並べ、いざ来たる機を待ちました。龍は天を乱して海を波立て、兵らを脅しておりましたが、狼狽(うろた)える者など一人としておりません。ただ粛々と射撃の距離まで寄り来たるのを待ちました。


 と、海岸線に沿って一列に並んだ弓が一斉に弦音(つるおと)を放ちました。正にその距離となったのです。無窮(むきゅう)飛箭(ひせん)驟雨(しゅうう)の如く、嵐の中の雨脚(あまあし)のように横殴りに飛びました。それらが向かうのはただ一点、あの黒い龍に向かってのみです。(あたか)も黒龍自身が飛び来たる矢を集めているかのように、吸い寄せているかのように射られておりました。


 が、何たることでしょうか。無尽蔵の矢に射られ続けているというのに、黒龍は陸地へ向かう勢いを一向に減じません。まるで矢などは雨粒ほどの障碍にもなってはおらぬよう。黒龍の鱗に弾かれた箭矢(せんし)は海原へ落ち、無数の飛沫(しぶき)を上げました。堂々とし、悠々とし、何事もなかったかのように龍は遂に陸地へと上りました。


 鎮北軍の兵士達は得物を槍へと持ち替えて、黒龍に向かって吶喊(とっかん)しました。だが何ということでしょうか。黒龍が短い前肢を轟と振るうと烈風が巻き上がり、何人もの兵士が風に巻き上げられて宙へと飛びました。


 黒龍が(あぎと)を大きく開き、喉の奥から咆哮を発すと、轟音を浴びた兵達は(うし)(ざま)に薙ぎ倒されて行きました。


 風は荒れ、稲妻の光る海岸で、神兵は次々と(むくろ)に変わって行きました。おお、十把一絡げとでも言うのでしょうか。北軍の兵士達は各々がそれぞれ名のある兵です。それが水揚げされた雑魚(ざこ)のように、一山幾らと積み上げられました。


 それでも烈士達の攻勢は()みません。暴れるに狂う黒龍であれども焦りを感じ始めたのか、龍は反撃の手を止めました。そして四つ脚で大地を踏み締めて、頭を低く、尾を高く、満身に力を入れて地響きも鳴る程の怒号を発しました。


 その瞬間、龍の周囲は、ずしん、と沈み込みました。龍を中心にして円形に、大地が窪んでおりました。それと同時です。龍を囲む兵達も、地に引き摺られるようにして、大気の重さに堪え兼ねて、這うような姿に()し潰されたのです。


 そこへ烈風が渦を巻き、竜巻となって襲い掛かります。地に押し付けられた者も、圧し潰された者も、辛くも立ち上がろうとした者も、皆同様に巻き上げられて行きました。


 今や軍としての(てい)()してはおりません。生き残る兵は(まば)らに点々と散るばかり。陣形も隊列も最早なく、兵は軍隊ではなく個々人となりました。


 人の強さは組織によって発揮されるものであります。それではこれでは個体としての強者である龍を相手に如何で敵いますでしょうか。ただ一人、一人と順々に踏み潰されるだけでありましょう。


 しかし龍は兵を狙いはしませんでした。黒龍は前肢で地を裂きました。大地は割れて、堀のように深い溝が走りました。貴方も目にしているこれらがそうです。(えぐ)られた土は(うね)のように盛り上がり、迷路のように入り組みました。貴方が目にしているこれらがそうです。地表は荒らされ表裏が裏返されました。


 周囲は一面、土煙が立ち込めて、濃霧に覆われた海岸と同様になりました。闇夜のように真暗く、一寸先も見通せず、目に見えるのは時折光る稲光、そして煌々(こうこう)と輝く龍の紅い瞳。


 稲妻が(はす)に走ります。叫び声が上がりました。兵の何方(どなた)かが撃たれたのでしょう。疾風が轟音を発します。遠くにいた兵士の気配が消えました。吹き上げられたに違いありません。破裂音と共に土の匂いが濃くなります。龍は尾を振り回し、複数の兵らを一纏めに薙ぎ倒したのです。


 五里霧中の海岸で、呼吸の音はただの二つとなりました。一つは黒龍。もう一つこそは神軍最後の生き残り。それがサナキ将軍でありました。


 神兵達の将たる者。流石は、と言うべきなのでしょうか。暗中の攻撃は彼も狙っていたのです。それでも将軍は(かわ)し、透かし、受け流し、稲妻も烈風も怒号も尾も、その身に届くことはなかったのです。


 土煙は風に流され、埃は落ちて、暗雲に覆われた薄暗い空が再び頭上に現れました。


 寒空の(もと)、目視と目視、黒龍と将軍は互いに睨み合いました」


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